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今宵、この手に… http://ryo1151943.seesaa.net/

日々の生活、出来事、思った事を綴っていこうと思っております。

些細な事からちょっと深い事まで… ときにはぶっ飛んだ事まで… こんな和多志ですが… 色々書いていきますので宜しくお願いしますッ(゜Д゜)

Ryo
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春日井市
出身
西区
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2010/04/06

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  • 神秘とは?

    木は神聖なものだと感じられる。 木と話し、木に耳を傾けることを知るものは真理を探究する者です。 木は教養も処分も説かないし、木は個々のことにとらわれず、生の根本法則を説いているようです。 木々達に降り注ぐ恵みの雨は、生の息吹を愛に換え和多志に示唆しているように思えた…朝の神秘に胸を打たれる。 今日の基礎知識は「神秘」です。神秘とは、人間がその知識や能力をもってしても全容を把握する(=知…

  • 共鳴(きょうめい)

    共鳴(きょうめい)とは、物理的な系がある特定の周期で働きかけを受けた場合に、その系がある特徴的な振る舞いを見せる現象を言います。 特定の周期は対象とする系ごとに異なり、その逆数を固有振動数と呼びます。 物理現象としての共鳴・共振は主にResonanceの訳語であり物理学では共鳴、電気を始め工学的分野では共振ということが多いのです。 共鳴が知られることになった始原は音を伴う振動現象であると言われる…

  • 鏡像

    もし人が身体に捕らえられるなら健康と病気があるでしょう。もし人が経済に捕われるなら裕福と貧乏があるでしょう。もし人が身の上に捕われるなら幸運と不運があるでしょう。 これをたとえば健康と病気、裕福と貧乏、幸運と不幸のほうから眺めていると、(多くの人の日常はこのようなものですが)なかなか実体がわかりません。人はなぜか良いものばかりを求めて、悪いものにしがみついているからです。 しかし学ぶ…

  • 問いかけ。

    おまえに世界の半分を与えよう。たとえば自分の心を、しっかりと定め善を求めるがよい。おまえは何か理想を求めて努力するがよい。人に親切にするがよい。親孝行するがよい。神を信じるがよい。そうすれば、おまえに世界の半分を与えよう・・・。それも良い方の半分を与えよう。悪い半分はお前に必要がない、捨てるのだ・・・。悪魔の契約とはこのようなものです。人はみな喜んで血の署名をしてしまいます。 ところが…

  • 自己保存

    人は自分で思ったことを自分で知ることができます。ビールが飲みたいとか、散歩しょうとか、そういうこととしても、そう思ったことをそう思った通りに知ることができます。これは不思議なことなのですが、み−んなはどうかな? さて、自己保存。これはいろいろ難しいことがあります。と言うのもそれは仮の自己をそれ自身が保存するいろいろな方法があり、仮の自己といってもいろいろな種類があるからです。方法とは、…

  • 二相一対。

    さて、Aがあるのは反(非)Aがあるからである。このように2元論を言うこともできます。もちろんこの場合でもAがあると言いながら、それは実はあるように見えるだけであって、それだけでは存在しない、無常だよ、ということを言おうとしているのだと思います。 ただそれで言おうとしている無常は多分人を納得させえないことでしょう。じつにこの世界が無常であろうが、恒常であろうか、どう言おうが、人の自己とはこん…

  • 欲=動機。

    自己を知らない宗教は倒錯の宗教です。 欲の宗教です。なにかが欲しい、極楽、天国に生きたい、みな欲の宗教です。無知であることも同じです。それらは何かを基準にしているのだと思います。 感情とか、意識とか、感覚とか。そして何か対象物を持っているでしょう。自力であれ他力であれ同じです。仏教であれキリスト教であれ同じことです。この意味ではたしかにどの宗教も同じです、どれでも同じです。 ところで…

  • 知らないということについて

    知らないということについて。なにか良いことがあって人は喜びます。辛いことがあって人は落ち込みます。ひとりでいて淋しいかも知れません。しかしその例えば感情、それを人は何であるか知りません。ほんとうにそれは何でしょう。 そんなことを言ったら人が知っているものはないじゃないかと人は言うかもしれませんが、そうなのです。ビールを飲んで旨いという、そのことさえ何のことかわからないのです。それなのに人はそれ…

  • まだ悪魔の領域

  • 例え話…ある、ない。

    ところで人は、この世界に生まれます。ここでわたしは例え話をしようと思います。その人は生まれたばかりでまだ特になにも知りません。しかし成長していく過程で、この世界にはお金持ちとか有名人とか英雄とか権力者とか芸術家とかがあるのに気づきます。 しかしその人にはまだ力がなく夢見ることしかできません。どうでしょう、この場合は人にまず夢が与えられるのです。そうして努力とか運とかが始まるのです。面白いとは思…

  • 自我、自己

    では実際、人は何に拠り所を持てばいいのでしょうか。 この世界のどのようなものに持ってももいけません。ただ神に持つペきです。ぶつぶつ言うとは神を知らないことの証です。ぶつぶつ言うとは仮の拠り所です。そうして実際に人は神を知らない限りそのような仮のものしか知りません。 そしてその限り人はぶつぶつ言うことを仮のものとしてしか見ることができません。その人は仮の根り拠しか持たないからです。実際その人には…

  • 自我

    たとえば人は世界のどこでも歩いていける。けれど権力があって、そうしてはいけないと言う。すると人は自由を求める。我々に自由をと言う。この自由はしかし言葉の持つ本来の意味での自由ではない。それは実は不自由であるというより、この場合は権力に反してある自由であるという意味だ。人が自由を求めるのは大方このようなことです。 現代では、権利と言ったほうが通りが良いかも知れませんが、行動の自由、思想の自由、言…

  • 前提

    たとえば人は自己を感情だと、あるいは身体だと直接的には思うことはできません。けれど、そういうことを前提にしてとあることを認める時、思う時、行う時、そのようなになります。と言うより何かを思い行う時、たとえば自己を身体だとするということが前提とされるということが成立しています。 たとえばちょっといい例は思いだしませんが、適切ではないかもしれませんが、例えば、男の人ってあたしを狙ってるんだからという…

  • どのようなものもない。

    たとえば朝、人から挨拶されない、人から卑下された、無視さ…

  • 識らない

    さて、わたしがイエス・キリストが信じられる、彼が気違いでも嘘つきでもといえば、例えば仏教者は、「もし仏陀が気違いでも嘘つきでも信じる」と言うでしょう。そして、わたしが葬式など詰まらない、わけのわからないことをやっているだけだ、と言えば、仏教者は「生きていることはわけのわからないことだ」と言うでしょう。 それは信仰でしょうか。わたしはキリストが好きです。けれど、なかには本当に本当に仏陀を信仰して…

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