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古希からの田舎暮らし https://blog.goo.ne.jp/hatake400

神戸の街から三木市に移住して田舎暮らしをはじめた古希のじいさんばあさんの日常を紹介します。

1 田んぼを借りて家庭菜園をたのしむ。400坪と大きめの菜園ですが、落花生やゴマ、コンニャクなども有機無農薬でつくっています。 2 見ず知らずの地域にとけ込む。……老人会などを通して村にとけ込んでいく様子を紹介します。 3 裏山の竹薮を開拓する。竹を切り倒し、里山復活を目ざします。夫婦でたのしみながら挑戦しています。

うらのやぶのおじいさん
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住所
三木市
出身
倉吉市
ブログ村参加

2010/02/26

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  • 「コスミック落語会」で大笑いしました。

    コロナで開催されなかったりして、久しぶりの「コスミック落語会」です。出演は、桂文五郎/林家染八/のお二人の熱演で大いに笑いました。会場は、コスミックホールのリハーサル室です。100人あまりの収容能力でしょうか。もう少し多いかな。ステージは簡素です。ぼくらは一番前の席にしました。ほんの3メートルあまり先の熱演を聞かせてもらいました。落語家さんはえらいですね。お話が全部ききとれます。話がきちんと届く。久しぶりに大笑いしました。会場で催し物のチラシをセットでもらいます。その中に「スーパーキッズ・オーケストラの公演」が入っていました。兵庫芸文センターに、指揮者・佐渡裕の指導で全国に名高い「スーパーキッズ・オーケストラ」があるのは知っていました。一度演奏を聴いてみたかった。しかし聴く機会はありませんでした。もしどこ...「コスミック落語会」で大笑いしました。

  • 防草シートを敷きました。

    今日は曇り空で、仕事をしやすい日でした。畑の斜面に防草シートを張る作業をしました。午前中はブチル両面テープで防草シートを右側の畦パネルに貼っていきました。かがんでやる作業はしんどい。少しずつ休みながらなんとか貼りおわりました。午後はシートをフェンスの下から引き出す作業をしました。4年前に貼った防草シートがまだ有効です。草のひどいところはこの上から1メートルの防草シートを張ることにします。2年やりすごしてきた作業ができて、うれしいです。これで3,4年はカッコウがつく気がします。駄目でも「どうにか修正する元気」はもうありませんけど。この頃、軽自動車を運転して走りながら、老夫婦の会話で「死ぬまでにもう一度〇〇〇で食事するか?」「もう一回は行くかなあ」というような〈やりとり〉をふつうにするようになりました。たいし...防草シートを敷きました。

  • 今やらないと「このままになってしまう」。

    前の畑は65坪ほどです。そこに軽トラは置いてるし、斜面は使えないし、もてあます広さではありません。しかし斜面の通路や崖下を草が生えるままにすると、畑が「荒れた感じ」になります。それがイヤなんです。「手がおよばないまま、じいさんばあさんがなんとか作ってる」感じにしたくない。草は刈り、抜いておきたい。そこで写真の通路を「草が生えないようにしよう」。50メートルの防草シートを買ったのは2年前でした。しかし通路にシートを敷くのがズルズルと遅れていました。今年、いま、やらないと「もうできない」。「このままになる」。そんな気持ちに追われるように今日シートをひろげました。写真の左側はブチル両面テープでとめて、右側はフェンスの下を斜面にかぶせます。大仕事です。「このままになる」という言葉が背中を押してくれます。今日はとり...今やらないと「このままになってしまう」。

  • 映画を見ました。

    朝8時30分に家を出て、三田のイオン・シネマへ。チケットを買うのに一苦労です。券売機はあるのですが、無人で画面を見て操作しなければなりません。映画『90歳。何がめでたい』を見るのか老人夫婦がさきほどから券売機の前でモタモタしています。ぼくたちも前と様子の違う券売機なので戸惑いましたが、なんとかチケットをゲット。Sサイズのポプコーンを買って入場しました。ポプコーンを買うとお膳みたいなものがついてくるのですね。はじめての体験です。それに「S」サイズというのに頭にかぶるほどの容器です。久しぶりに街(といっても三田の町だけど)に出てみるとびっくりすることが多いです。そういえば三木市には映画館がありません。昔は立派なのがあったのでしょうね。さて、映画『90歳。何がめでたい』ですが、身につまされることも、爆笑すること...映画を見ました。

  • 大豆を植えました。

    6月11日に播いた大豆(フクユタカ)です。「我が家の種」ならほぼ100パーセントの発芽率ですが、買った種ですので80パーセント強でしょうか。二週間になるので今日苗をとって植えました。20センチ間隔で〈二条植え〉とも思ったのですが、苗の数が足りません。〈一条植え〉にしました。まず20センチの目印をつけていきます。大雨が降って、土は中のほうまでしっとりしています。苗を植えるには最高のコンディションです。ぼくは苗は素手で植えます。土をかきよせて苗を入れ、双葉(元の豆)が隠れるほどに土を寄せて固めます。今日は土がやわらかくて、シャベルをつかわないで土をかき寄せることができました。「植えたあとの〈水やり〉がいらないくらいだねえ」としゃべりながら。苗はぎりぎり足りましたが、「これ、どうかな?」と思うような苗もあります...大豆を植えました。

  • 第17回「森のコンサート」に行きました。

    久しぶりに三木山森林公園の音楽ホールへ。どこかで「森のコンサート」のチラシをもらっていたので、チケットをたしかめてから行きました。お昼は公園のレストラン「デルパパ」でバイキング昼食を食べていたのですが、より〈年寄り〉になって品数や量を食べられません。家で素麺を食べて雨の中を出掛けました。生の歌声に耳を傾けましたが、17回目となると音大でならした方もそれなりに加齢です。あの音楽堂・ステージのバックは森です。木立ちの緑が目に入り、そこから歌声が聞こえてくる。ほかでは見られないステージです。でも今日は、冷房がきつかったのかガラスが曇ってしまいました。残念でした。出演者は多く、年配の方も歌われましたが、若い方のパワーある歌声は快く響きました。この音楽会、来年はどうするかな。86歳/82歳/の〈じいさん・ばあさん〉...第17回「森のコンサート」に行きました。

  • 『山本五十六』を読みました。

    写真は『山本五十六』の大型活字本です。このたび全五巻を図書館で借りて読みました。この本は10年ほど前に、やはり三木の図書館で借りて読んでいます。もう一度読んでみたくなったのです。書いたのは、文化勲章を受けた大作家・阿川弘之です。テレビによく出る娘の阿川佐和子のほうが国民にはよく知られていますが、阿川弘之は骨太の大作家でした。東大の学生でしたが昭和17年に海軍に入り、あの戦争を体験しています。阿川弘之は敗戦後20年を過ぎてから〈海軍の偉い人〉三人の伝記を書いています。海軍を体験した作家ですから、「これと思う筋」にしっかり取材して心に届く伝記を書きました。その三人とは「山本五十六」「米内光政」「井上成美」です。三人は海軍の中にあって、あの戦争(アメリカと戦う)に徹底して反対しました。大臣など重要なポストについ...『山本五十六』を読みました。

  • カートの荷物台をつくりました。

    新しい〈畝間カート〉に荷台をつけたのを見て、道子さんが「古いほうのカートにも荷台つけてよ」。わかりました。ではまず「材料のコンパネ(一畳大の板)を買いに行こう」。軽トラでホームセンターに出掛けました。コンパネの値段が高くなりました。塗装コンパネは2000円以上。100円ちょっとだったセメントブロックは200円以上。コンパネを買う気がなくなります。ナフコ資材館のほうに店でカットした板の切れ端があります。50円とか70円とか値札をつけて。切れ端を集めて荷台をつくろう。高いコンパネは敬遠して、切れ端ばかり買ってきました。全部で19点の木切れが1300円、一畳大のスタイロフォーム(厚さ5センチ)は2600円しました。スタイロフォームは小屋の工作台に置きます。下の台をまもるためです。よごれた、薄いフォーム板で我慢し...カートの荷物台をつくりました。

  • 『畝間カート』をまた買いました。

    いま使っている『畝間カート』の写真です。このカートは二台目です。一台目の車輪がおかしくなったので2台目を買いました。ところが道子さんは不調の一台目のカートをまだなんとか使っています。前の畑用に新しいカートを。小屋と裏山用に調子の悪い、古いカートを。二台あると便利だといいます。でも車輪不調のカートは運びにくい。荷物をのせて苦労しています。泊りがけで旅行に行くことはなくなりました。バスツアーでどこかに行くこともなくなりました。ディナーやランチで贅沢をすることもなくなりました。「日々の暮らしで不自由していることがあれば費用をケチらないでおこう」。そんな気持ちで、新しカートを買って「不調のカート」は捨てることにしました。今日は道端に密生している笹を刈るつもりでしたが、大工仕事が入りました。大工仕事が入ると、そちら...『畝間カート』をまた買いました。

  • 「すること」がいっぱい。

    斜面の草を刈りました。右の通路の草も刈りました。しかし通路のほうはもう草が見えます。2年ぶりにせっかくきれいにした気持ちでも、草はゆるしません。はやく防草シートをかけて、セメントで穴を埋める作業をしなければ。でも仕事はゆるゆる。いま「草が伸びる」のを許したら、もうずーっとそのままになります。そうなっても仕方ないけど、でも「今年ならやれそう」な気もします。この通路に掛ける〈防草シート〉は一昨年買って、そのままになってます。今年は奮起して、ここまでやった。ここは〈ふんばりどころ〉です。道子さんはすることが山ほどあります。ぼくが〈花づくり〉や〈野菜づくり〉を手伝わないものですから。この写真は玄関前のコスモスです。道のそばの樹を伐った。下草を刈った。そこに20メートルほどコスモスを植えたい。いままではしてなかった...「すること」がいっぱい。

  • 〈竹〉〈笹〉の勢いがすさまじい。

    去年は裏山の真竹に花が咲きました。60年に一度、竹の花が咲いて、竹は枯れました。葉を落とした竹藪は地面まで日光が届きました。立ち枯れた竹は、やがて朽ちて倒れるでしょう。しかし、「新しく竹が生えて、竹藪が再生するだろう」。ところが上の写真を見ると、枯れた竹藪の縁(ふち)で、笹や竹が勢いよく生えています。真竹のようにタケノコが生えて竹になるのとちがい、笹藪になる。それもすごく密集した、丈の高い藪になる。そんな勢いを感じます。60年に一度の〈竹の花〉は見られた。竹は葉を落とし、白くなって枯れた。次はどうなるのだろう。もうしばらく見れそうです。百合園の花が咲きはじめました。近ごろはイノシシの勢いが衰えたようだし、強い柵はあるし、大丈夫。元気に咲いてくれ。なんでもないけど、気持ちのいいこと。村のゴミステーションの表...〈竹〉〈笹〉の勢いがすさまじい。

  • 『金胡麻』をつくります。

    日本では「胡麻」は地方によって「絶滅危惧種」呼ばわりされていますが、地道に作りつづけている人もいます。道子さんも胡麻を20年以上作りけています。今年も金胡麻の種(胡麻)を播きました。5~6粒播いて芽が出ます。間引いて一本立ちさせます。畑に直接播くとムシが食って育たないので、ポットに播いて芽を出してから移植します。移植した畝です。この数本の苗から一本を立たせます。胡麻は生長がはやくてすぐに1,5メートルほどになり、花を咲かせ、8月のおわり頃から、刈り取り/乾燥/胡麻の収穫/となります。去年は西脇の道の駅に「胡麻をつくっている方に学ぶ」ために行きました。胡麻製品はありました。イリゴマ、スリゴマはありましたが、生の胡麻はありませんでした。ところで、みなさん。今日は何の日ですか。……そう、「チチの日」です。だれの...『金胡麻』をつくります。

  • 石垣上の斜面を刈りました。

    ワイヤーを片手でつかんで電動バリカンで、石垣上斜面の草を刈れるようになりました。今日は右手でワイヤーを持ちながら、電動バリカンで斜面の草を刈りました。草を刈る前の斜面です。防草シートの間から草がいっぱい生えています。最後の数メートルはヨモギ、セイタカアワダチソウ、ササ、雑草などが密集して生えています。ヨモギなどは太くてバリカンで切れません。草刈り機で刈るしかありません。草刈り機は両手で刈ります。ワイヤーを持ちながら作業できません。道子さんに命綱を持ってもらって刈るしかありません。虎ロープの綱を張って、草刈り機でなんとか刈ることができました。この斜面の防草シートは2020年に張ったと思います。それから斜面をまともに掃除してませんでした。水道のジェット水流で斜面を洗い流しました。このままではまたすぐに草が生え...石垣上の斜面を刈りました。

  • BIRICA(農家レストラン)でランチ。

    ランチにさそっていただき、『BIRICA』という農家レストランでランチしました。場所は三木市老人大学(旧瑞穂小学校)のすぐそばです。小さなレストランの入り口です。まわりは田んぼや畑が広がっています。新しい建物で、中は写真のようにきれいにしてあります。よくわからないし、道子さんがサンドイッチを注文したのでぼくもそれにしました。「サンドイッチ」というメニューの写真です。野菜がいっぱい。「サンドイッチというけど、どこから食べたらいいか」。思案して、割り箸で野菜から食べました。横の丸いコップはスープです。もちろん野菜は有機栽培で、いい味でした。BIRICA(農家レストラン)でランチ。

  • ワイヤーを切るのは大変でした。

    注文したワイヤーは、直径1,5ミリです。1ミリのワイヤーもありましたが、「強いほうがいい」と思ったのです。しかしワイヤーの強さには驚きました。番線キリ/ペンチ/金ハサミ/金床でたたく/をいろいろ試みましたが、ワイヤーが切れません。結局ディスクグラインダーで切れました。畑でディスクグラインダーを使うには電源がいります。家から30メートルのコードを引いて、ワイヤーを切りました。家から畑の端まで30メートルということです。ワイヤーを二回切るだけなのに、時間と労力を使いました。ワイヤーはとても強いのが、とてもよーくわかりました。フェンス沿いにトラロープを持ちながら移動できます。トラロープに体重をあずけるというのではありません。片手にロープを持っている。そのロープはピンと張り、手に強さを感じさせてくれる。そうすると...ワイヤーを切るのは大変でした。

  • 石垣上の斜面を草刈りします。

    6月7日に石垣に生えている草をナイロンコードで刈った写真です。石垣面はきれいになりました。しかしその上の斜面は草が生えています。ここはきれいにしておきたい。防草シートを張りましたが間から生えてます。石垣の上は40センチ幅の通路になっており、2019年頃は石垣の上を歩きながら草刈り機で草を刈りました。しかし去年は刈ってない。一昨年も刈ってない。どうも40センチの通路を歩きながら草を刈るのが不安になって避けています。いまさら勇気を奮って草刈りしようと思いません。でも草刈りはしたい。そこで考えたのが、柵に針金を張って、金具をスライドさせて体を支えながら草を刈る方法です。今日針金(#16番)を柵沿いに張ってみました。トラロープをスライドさせていけそうです。しかし、よろめいて引っ張り、針金が切れたら下に落ちます。ケ...石垣上の斜面を草刈りします。

  • 大豆の種を播きました。

    6月も11日になります。大豆の〈苗立て〉どきです。先日雨が降ったし、ちょうどいい天気です。『フクユタカ』280粒を播きました。大豆は土に埋めないで、この上に燻炭をかけます。「畑の土はサラサラの真砂土だし、上からかけておこう」と5年前この畑に移ったときは土をかけました。ところが毎日水をかけているうちに真砂土が固まったようです。芽が出にくかった。苗の育ちがわるかった。それで次の年から、さらさらの燻炭だけをかけることにしました。向こうの黒いところが燻炭をかけた苗床です。手前は、道子さんから「取り払っていい」とまだ許可の出ないイチゴの畝です。6月も10日にもなるのに、まだイチゴがなるのか。道子さんがお昼に摘んできたイチゴです。これくらい摘めるなら、「ストップ」をかけるでしょうね。今年のイチゴはすごい。4月の終わり...大豆の種を播きました。

  • 「パソコン」のことでお世話になってます。

    深夜に起きて、パソコンをつけたら「インターネットにつながっていません」と出てくる。どうしようもない。朝、パソコンでお世話になっている方に連絡しました。お仕事をされてる方ですから、日曜日まで一週間ブログを休む気持ちでした。ところが「今日は仕事を早く終えて行く」と連絡が入りました。いろいろ見ていただいて、ブログを休むことなく書けることになりました。ありがとうございます。村の老人会が休会中で、月一に老人交流もありません。特につながりの強かった親友たちは80歳前後で亡くなり「オレは一人残ってしまったなー」。「あの世電話」でもあれば電話がかかってくるでしょう。「この世電話」相手はもうありません。2009年から15年の間発信している「このブログ」が気持ちの支えになっています。それだけに毎日なにか書いて読んでもらうのが...「パソコン」のことでお世話になってます。

  • 冷凍庫の氷をとりました。

    台所の冷凍冷蔵庫とは別に、冷凍庫と冷蔵庫をパントリーに置いています。中身は食料品ですから「いざ籠城」となってもしばらくは大丈夫です。今日はその「冷凍庫」と数年ぶりに格闘しました。120リットルの冷凍庫をパントリーに置いています。問題はその冷凍庫です。ハイアールの直冷式ですので、庫内の壁に氷が付着します。冷凍庫を開けるたびに庫壁の氷は肥大してきます。分厚い氷が庫壁に付着しているのがわかるでしょうか。こんなになるまで、2,3年氷をはがさなかった気がします。冷凍能力が落ちます。庫内の容量が少なくなります。あまりにひどくなったので、今日はこの氷を除去しました。まず、冷凍庫スイッチを切り、中身を全部冷蔵庫などに移します。そこで氷がとけて、庫内の氷がゼロになるまで放置すればいい。そうです。でも丸一日の時間がかかり、パ...冷凍庫の氷をとりました。

  • 〈フクユタカ〉の種播きにそなえて。

    注文した〈フクユタカ〉の種が届きました。70粒4袋で280粒を播きます。今日は夕方準備をしました。大豆は芽が出たら先っぽの豆をハトが食べてしまいます。ですから種を播いたらネットを張らねばなりません。イチゴ・ネットハウスならハトはどうしようもありません。ここで〈苗立て〉をして二週間後に植え替えます。6月に入るとイチゴ苗を全部抜いて、このネットハウスでも黒豆を植える準備をしていました。しかし今年はイチゴ苗を三分の二残しています。道子さんが「まだ大きな実がなるし、花も咲いてる。せっかく実がなるのに、もうちょっと収穫してあげたい」といいます。『宝交早生』は、やわらかく、気品ある味のする、すぐれたイチゴです。いつまでも作れるわけじゃないし、丹精込める道子さんの希望にそいましょう。まえに「一粒の麦の種は細い根をいっぱ...〈フクユタカ〉の種播きにそなえて。

  • 阪神勝った。その他いろいろ。

    〇阪神が負けたときは何も書かないけど「思い」はいっぱい。今日は勝った。勝った日は〈心からっぽ〉。〇やり残していた石垣下の石垣面をナイロンコードで刈りました。のこ歯では無理なところをナイロンコードで刈りました。石垣面はきれいになりました。石垣上が残っています。これには安全に仕事をする一つの「案」をもっています。今年は石垣上の斜面もきれいにしたい。〇道子さんは今年から「キンちゃん農法」の大きな畝をつくって、夏野菜を栽培しています。その畝の写真です。幅も高さも大ぶりです。いろんな夏野菜を植えています。育ちがいいそうです。味もいいそうです。「キンちゃん」というから「金ちゃん」かと思ったら「菌ちゃん」なんですね。栽培に有効な「菌」を活用して、立派な野菜をつくる農法です。全国にファンが多く、〈ユー・チューブ〉にも農法...阪神勝った。その他いろいろ。

  • 草刈りと散髪

    苗立てする大豆を播く時期ですが、まだイチゴ・ネットハウスのイチゴはそのままです。それに大豆(サチユタカ)の種を新しくするつもりだったのに、種を注文するのを忘れていました。少しずつ「ぬけてます」。おじいさんの歳のせいです。〈サチユタカ〉は普通のホームセンターには無いし、美嚢園芸でも注文しないと入手できません。ネットで見たら大豆『フクユタカ』はすぐ入手できそうです。西日本以南では栽培できそうだし、粒が大きいし、各地で広くつくられているようです。注文しました。月曜日に届きます。大豆の〈苗立て〉の前に畑の草を刈っておこう。石垣と畑の間は斜面のフェンス沿いを通路にしています。防草シートは敷いているのですが、草が伸びています。苗立ての前に通路の草をかりました。上の写真は草が繁っている通路です。この通路は防草シートを敷...草刈りと散髪

  • 去年の〈紅はるか〉で最後の〈焼き芋〉

    4月に焼き芋をしてからしばらく休んでいました。冷凍庫の〈焼き芋スペース〉がいっぱいでした。少しすスペースができたので5月に〈紅はるか〉を注文しました。熊本県産の紅はるかは〈サイズ〉も〈味〉もいい。しかし10キロは多いので5キロ注文しました。それを3回で焼き芋にしました。次は今年できたサツマイモで9月か10月からまた焼きはじめます。ダッチオーブンに入れて、焼く前の写真です。大きいダッチオーブンなので、空(カラ)でも重さは蓋をふくめて8,9キログラムあります。ぼくが運ぶときはフタ(3,5キロある)は別にしてたき火にかけます。でも小石とサツマイモで10数キロになるでしょう。写真のダッチオーブンには二段に7個の紅はるかを入れています。小石を詰めているので重い。これを今年は火にかけることができました。もう1年できる...去年の〈紅はるか〉で最後の〈焼き芋〉

  • グレーチングの溝掃除をしました。

    6,7年前になりますか、裏の溝をグレーチングでふたをしました。90センチ×16枚です。そのあと通路部分をコンクリートで固めて、通りやすくなりました。しかしグレーチングの溝は掃除しないままでした。少し傾斜している溝は、山からの落ち葉がたまり、土も流入して、ドクダミなどの草が生えていました。「いつかグレーチングをはぐって、掃除しよう」と思いながら数年が過ぎてしまいました。今日は思い立ってグレーチングをはぐり、溝掃除をしました。15センチの溝にちょうどはまる小さいクワで、落ち葉や土をさらっていきます。このクワには思い出があります。神戸市西区神出で〈大豆畑トラスト〉をやっていたとき集まった方のなかに、小ぶりなクワを使っている人がありました。溝さらいにとても便利なのでうちでも買いました。このクワはこの20年以上よく...グレーチングの溝掃除をしました。

  • 〈田舎暮らし〉の心得をもう一つ。

    69歳で未知の田舎に移住し、17年が経過して86歳になった老人です。〈ユーチューブ〉には「空き家をリフォームして田舎暮らしをする」、「田舎暮らしをしてウッドデッキをつくる」、動画がたくさんあります。そこで体験者の忠告として二つ書きました。①「田舎に移住する暮らし」は「古民家リフォームでなく、小さい平屋を新築する」。②ウッドデッキを自作するときは「単管パイプとハードウッドや人工木材でつくる」。もう一つ大事なこと。都会も田舎も人間が暮らしているところです。人と人の〈つきあい〉があります。ところが移住してくる人に「オレは田舎に移住してきたんだ」というヘンな〈甘え〉みたいなモノが感じられる動画があります。ぼくの場合、老人会に加入していっしょに草刈りをしたり、田んぼを借りて〈畑作り〉をしたりして〈つきあい〉が深まり...〈田舎暮らし〉の心得をもう一つ。

  • 西宮の〈市民会館〉で音楽を聴きました。

    西宮市は、22歳から44歳まで中学校に勤めながらいろいろ活動した街です。思い出の場所があちこちにあります。西宮市民会館(いまは〈アミティ・ホール〉という名前に変えている)で音楽会があり、二人ではるばる西宮に出掛けました。たかが三木から西宮に行くのに「はるばる」とつけましたが、ぼくたち80歳超の老人にとっては「はるばる」が実感です。この音楽会は無料ですが、〈往復はがき〉で申し込む必要がありした。いまどき〈往復はがき〉なんて、手間のかかる、古くさいことをしますね。この音楽会を主催する方の方針ですって。道子さんは新聞の広告を見て「場所が西宮で、なつかしいから申し込もうか」。ぼくも「西宮市民会館に行ってみたい」。音楽会ではドヴォルザークの交響曲第9番『新世界』を演奏します。先日〈三木室内管弦楽団〉の演奏を〈エクラ...西宮の〈市民会館〉で音楽を聴きました。

  • 『田舎暮らし』で考えること、二つ。 〈その2〉

    一つ目は「〈新築の平屋〉を建てる」でした。二つ目は「ウッドデッキは単管パイプと人口木材でつくる」です。田舎は土地が安い。庭を広くとれるし、景色がいい。ウッドデッキをつくりたくなる。田舎暮らしでは〈ユーチューブ〉に『ウッドデッキをDIYでつくる』がよく出てきます。ぼくは2006年12月に新築の平屋に引っ越しました。すぐとりかかったのは「ウッドデッキづくり」でした。田舎暮らしには「ウッドデッキ」が似合う。ウッドデッキをつくって、BBQをしたくなる。街では自宅の庭でできないけど、田舎ならできる。だれもがやりたくなる「ウッドデッキづくり」にぼくもはまりました。ホームセンターで『2×4材』を買い込んで、「ウッドデッキづくり」にとりかかりました。2×4材にはキシラデコールを「3度塗り」しました。「数年後にはキシラデコ...『田舎暮らし』で考えること、二つ。〈その2〉

  • 『田舎暮らし』で考えること、二つ。 〈その1〉

    ぼくは定年退職後、しばらくして(65歳のとき)「田舎暮らしをしたい」と思い立ちました。それまでいくつか伏線はありますが、人生には伏線だけで終わる夢がいっぱいあります。真剣に思い立ったのは65歳のときです。神戸のニュータウンに長年暮らしていましたから、65歳といえばそこで「人生をおしまいにする」のが普通でしょう。いまから20年前、2005年から「田舎の空き家」をさがしはじめました。20年前のことですが、今とは「空き家情勢」がちがいます。おもてだって空き家がありません。あっても「何か当てがあるから売らない」話です。しかも値段は相当なものです。当時「譲ってもらうよう交渉しかけた空き家」が今でも空き家になっています。北は/谷川/篠山/氷上町/小野/西脇/社/三田/神戸市北区/から、南は淡路島/と不動産屋さんに電話...『田舎暮らし』で考えること、二つ。〈その1〉

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