松本清張先生の作品を幾つか読んで来たが、ここまでドラマチックに感じたものはなかった。「点と線」、「眼の壁」、「影の地帯」、短編集と読んできたなかでこういった感覚はなかった。作品にドラマ性を感じたものはなかったのである。ドライに人間の業を描き
チャールズ・ブコウスキーもそうだけど、ドライさとロマンチシズムが同居している作風が好きだ。松本清張も俺の中では同じくくりに入っている。とくに「真贋の森」がそうだ。ストーリーも興味深いが、それよりも作品全体に流れる空気感がいい。真夏に感じる空
個性は緊張症の中にあった。視聴者がそれを拾いあげ、磨きあげたときがこの番組のクライマックスだったはずなのに…。クライマックスのないこの番組を俺はもう見ない。誰の中にも、その人にしかない輝きがあるとは思う。だがアレックスの声が放つ輝きは特別だ
俺はgleeを観てひさしぶりに興奮した。自分が音楽に対してどれだけ情熱を持っていたか、そのことに気づかされたからだ。生きていくうえで自分が大切しているものは何か、それは見失いがちだけど、常に自分のそばにあるものだ。自分とずっと一緒にこの人生
アダム・ランバートにはたしかにカリスマ性がある。華があるというのか。だが、俺にはあまりに直接すぎて退屈してしまう。歌わないアダムには興味が持てるのに、歌いはじめるとあまりにダイレクトな表現に飽きてしまうのだ。これは趣味の問題なのか。アダムの
アメリカン・アイドルの新シーズンが始まる。毎年、その年が過ぎれば昨年の優勝者のことなど忘れてしまう。もちろん中にはブレイク・ルイスのような画期的な出場者もいた。だが、それさえもアメリカン・アイドルというくくりの中では個人的な想いを投入できな
ローフードの方が、マクロのときよりもトイレにいく回数が増えた。やはり水分をとっているからだろう。たしか雑誌ベジィに載っていた記事だと思うが、ある男性がオーガニックのものを食べる理由で、“その野菜、果物の水分を採っているという感覚だから”み
情熱がなくてもすぐれたダンスはある。青い炎のようについ見とれてしまうダンスだ。だが、それはTVではわかりづらいかもしれない。マーキスはとくにファンではななかったが、彼のダンスにはやむにやまれぬ事情みたいなものを感じていた。たしかにパッション
最終回である。ドラマのキーとなる人物が旅にでた。旅にでる行為は、今ではドラマにならないけれど、このドラマではグッとくるものがある。登場人物たちは涙をこらえていた。別れがつらいのではない。ひとつの時代が終わることに、登場人物全員が寂しさを感じ
家族で海に行くという話しだった。俺も昔は…「昔っていうのはメソポタミア文明くらいですか?!」 という樹々希林のツッコミが面白かった。 文字にするとわかりづらいが必死に言うところがポイントだ。俺も昔は家族で旅行に行ったはずである。実はまった
お手伝いのカヨコは16歳にして、両親を亡くしている。そんなカヨコが金田さんに言う。「わたし金田さんを見習います。 金田さんもわたしも天涯孤独ですよね。 これからもひとりで生きていかなきゃならないんです!」金田さんはカヨコさんを見つめ呟く。
第13回は家族ドラマを真っ向から描いていた。カヨコの屋根の上の弾き語りもなし、お化けのロックンロールも最後の最後についており、普段とは一風ちがう作風だ。俺は郷ひろみと樹々希林の絶妙なコンビネーションがたまらなく好きなのに、今回は一切なし
自分の魂がなにか小さな袋に閉じ込められているような、解放感を感じることがない今日このごろである。「ムー」を観るたびに、ここでじっとじていてもなにも変わらないなと思う。思うだけなんだけど。小さなことからでも変えなくてはいけないんだろうな。
「いやあそれはわかってるんだよ、わかっているんだけど…」ひとはよく何もしない言い訳でこのセリフを使う。マイケル・マン監督はそれに対してこうかえす。「わかっているそいつを自分の内側からひきずりだせ!」そして戦うんだとハッパをかける。裏表ののな
郷ひろみと樹木希林のかけあいには隙がない。あくまでコメディとしての方向性でやりとりが進んでいるのだが、ネタが見えないコメディなのである。ふたりのやりとりは舞台裏が見えない完璧な作品だ。いくらとぼけた空気が流れようとも、郷ひろみと樹木希林には
久世氏が描く家族のあり方は、他人同士の集合体だ。ひとりひとり自分の心を持っていて、それを遠慮なく、時に遠慮しながら、ぶつけあっていく。そこには愛があるという前提のもとで。血がつながっているから家族なんじゃなくて、必要以上のコミュニケーション
なにかドラマが見たい気分の時がある。最近、パート仕事が忙しくて、気分が浮わついて、地に足が着いていない。自分の毎日に向かう視点をちょっと変えたいときは、自分の現実と遠い洋画よりも、日本のドラマを観たい。最近のものは全然知識もないし、興味のあ
GFとビートルズのコピーバンドをはじめた。まずは「フォーセール」と「アビーロード」の楽譜を用意する。なぜ、この二枚なのか?フォーセールは俺のおすすめである。チャックベリーのロックンロールミュージックなど、ロックの基本のベースラインで構成され
「横溝正史読本」小林信彦編(角川文庫)を読んだ。横溝正史作品の発表当時の時代背景や、出版状況、横溝正史自身が当時感じていたこと、江戸川乱歩、その他の探偵作家たちとのつながりなどなど横溝正史と小林信彦とのテンポの良い会話の中で、莫大な情報が展
俺の中では今、空前の金田一耕助ブームが起こっている。きっけは亡くなった義父の本棚に見つけた「悪魔の手毬唄」だ。奥付には昭和34年発行の第2刷2月5日、¥280と記してある。講談社の函入り「悪魔の手毬唄」からは、角川文庫にはないクラシカルな怪
金田一耕助といえば石坂浩二である。市川崑の映像は本来鈍臭い人間界のしがらみ世界にエッヂーなニュアンスを与えている。田舎の話が都会的に、もしくはSF的に表現されていると思う。だが、横溝正史は金田一耕助のイメージを問われ、“渥美清”と答えたそ
透明になりたい俺は、金田一耕助にあこがれている。いまだにそうだ。でも、俺は俺であって、金田一ではない。事件を追いかけるというより、事件に追いかけられている男である金田一耕助は、自分の運命をまっとうしていると思う。事件があっての金田一であり、
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