今週のサンデー毎日似顔絵塾に、入選。高市早苗-サンデー毎日似顔絵塾入選
似顔絵は、高尚であってはならないと言ったが、かといって低俗でよいというわけではない。「品性」という言葉が浮かぶ。風刺画(カリカチュア)には、スカトロジーという下品どころではない表現もあるにはあるが、似顔絵には品性がなければならないと思う。それは、直接的な表現を避けたり、人ではなく出来事を風刺したりすることから始まる。「罪を憎んで、人を憎まず」という姿勢が大事だと思われる。似顔絵と品性
似顔絵で個性を出すのは難しい。どのように描いたかでも個性は出るが、どのように見たかのほうが重要である。ものの見方は「ぱじぼー」などを紹介したが、じーっと見ること以外の見方をしたのなら、それは個性といえるだろう。けれど、個性とは「私は、こう描きたい」とか、「私には、こう見える」という主張でもあるから、じーっと見ることを極めても個性にはなると思う。今までにないものの見方ができたのなら、それは個性を超えて、独創的と言えると思う。似顔絵と個性
ぱっと見で描いた作品。秋川雅史(似顔絵)
手と全身のある構図。三苫薫(似顔絵)
手と全身のある構図。伊東純也(似顔絵)
最初は、ドラえもんの手のような丸でも、かまわないと思う。そこから、親指だけ独立している手袋のように描けばよい。最終的には、全部の指が描けるようになったほうがよいが、親指と他の指との区別がついているだけでも、手に見えてくるものだ。手は美大の入試にも出るくらいなので、簡単には描けるようにはならないと思うが、顔とのバランスを考えて練習するのは、無駄ではないと思う。手の描き方
輪郭線の正しい引き方というものはない。図形や骨格を意識して線を引いていくということが考えられるが、もっと純粋に線を楽しんで引いてほしいというのが本音である。クロッキーのように、純粋に線を追えたのなら、それはよい線だと言える。クロッキーとは、短時間のうちに対象を画面の上に定着させることを言う。しかし、よい線と似ている線は違う。似せるというのは、理屈の部分が多いので、感性で引いたよい線にはなりづらい。記号のようになってしまう場合さえある。けれど、あらゆる制約から逃れて自由な線が引けたのなら、それはよい線なのである。子供のように無心で、子供のような線が引けたならと、私も早描き、クロッキーの練習をしている。輪郭線の引き方
たくましさを出すために、鉄アレイを持たせてみた。樋口新葉(似顔絵)
セクシーポーズを卑猥にならない程度に。坂本花織(似顔絵)
鼻をじーっと見で描いて、他をぱっと見で描いた作品。表情があるが、稚拙に描くことによって、高尚にならないようにしている。勝俣州和(似顔絵)
鼻をじーっと見で描いて、他をぱっと見で描いた作品。フワちゃん(似顔絵)
鼻をじーっと見で描いて、他をぱっと見で描いた作品。柳沢慎吾(似顔絵)
聖書と経済。浜矩子(似顔絵)
似顔絵で感動してもらいたいのなら、または似顔絵をアートにしたいのなら、笑ってもらうことは、諦めたほうがよいかもしれない。似顔絵で感動してもらうためには、アートの要素を取り入れ、高尚にすることだ。逆に、似顔絵で笑ってもらうためには、アートの要素を削り、高尚にならないようにすることだ。似顔絵をアートにまで高めようとする動きはあるが、「笑い」という観点からすれば、アートは余計な存在になり得るのである。似顔絵にアートの要素を取り入れたいのなら、感動させないように、高尚にならないように、細心の注意が必要になる。そこで、ヘタウマの画風や、庶民的な画材などの選択肢が出てくるのだと思う。笑いか感動か
似顔絵におけるおかしみの三要素は、「表情」、「ポーズ」、「顔以外の類似」である。人間性のある表情やポーズが描けたなら、それはおかしみに通じる。けれど、醜いにまでなってしまうと、笑いは起きない。顔以外の類似では、「状況の類似」、「画風の類似」、「他の何かへの類似」に分類できる。状況が何かに似ていると、人は笑う。顔が似ているかよりも、シチュエーションのほうが優先されることがあるのだ。また、他の誰かの画風に似ていると笑う。画風は、有名であればあるほど面白いが、権利を侵害しないように描く必要がある。他の何かへの類似とは、とんがり頭が水滴に似ているとか、キューピーに似ているなどの場合のことで、見立てて描くと効果的だ。顔以外の要素でも、おかしみは出てくるので、似せること以外に目を向ける、俯瞰した視点が必要なのかもしれ...似顔絵におかしみを与える方法
顔の特徴を実際よりも大げさに描いて、おかしみを与えるのが、似顔絵のだいご味である。けれど、醜い顔にまでなってはいけない。滑稽な顔は人は笑うが、醜い顔は決して笑わない。醜い顔にまではならない範囲内で、誇張をすることが大切だ。滑稽な顔と醜い顔
ぼーっと見で形を合わせてから、じーっと見で描いた作品。船越英一郎(似顔絵)
オーバーパース気味に描いた作品。ノバク・ジョコビッチ(似顔絵)
子供のような線で似せたあと、将棋の駒をコラージュした作品。藤井聡太(似顔絵)
シルエットで似せ、点描の片ぼかしで仕上げた作品。ドナルド・トランプ(似顔絵)
オーバーパースぎみに描いた作品。石川祐希(似顔絵)
オーバーパースぎみに、手前の手、顔、奥の手へと誇張した遠近法で描いた作品。髙橋藍(似顔絵)
似顔絵とは何かと考えると、山藤章二先生の顔が浮かぶ。私にとって似顔絵とは、「写実ではない、線による風刺された人物画」と言える。さて、あなたにとって、似顔絵とは何だろうか?似顔絵とは何か?
似顔絵において、全身を描くときに注意すべきことは二つある。一つは、全体のバランスだ。顔と身体との画力のバランスが悪いと、別の人が描いているように見えてしまう。顔の画力と同じくらい、身体が描けるように頑張るべきである。もう一つは、シルエットとして見たときに、何をしているのか分かるポーズにすること。非常口のマークのように、一目で何をしているのか分かるシルエットで描くのが理想だ。どんなに身体が描けていなかったとしても、何をしているのかが分かるシルエットで描けば、絵の説得力は増してくる。全身を描くときに注意すべきこと
じーっと見で描いても似なかったので、見ずに描いた。じーっと見で描いたときの記憶が活きていると思う。ムロツヨシ(似顔絵)
ぼーっと見を中心に、全体のトーンを見て描いた。香川真司(似顔絵)
ぼーっと見を中心に、全体のトーンを見て描いた。森保一(似顔絵)
ものすごく似ているのに、写真と全く違う似顔絵を描く人たちがいる。これは、実は見て描いていない。頭の中にある記憶を熟成させて描いていると思われる。けれど、私たちはそれほど記憶力があるわけではない。モデルを見ずに、記憶だけで描くのは難しい。そこで提案するのが、見ないで描くために、じーっと見から始めるという方法だ。まずは、じーっと見でデッサンになってしまうくらい描きこんでみる。そして記憶していく、覚えていく。そのあとに、見ずに描いてみるのだ。写真のように描く必要はない。頭の中で一か所一か所を熟成させていくことが大事だ。この方法だと、時間はかかるが記憶力に自信のない人でも、見ずに描けると思う。見ないで描くために、じーっと見からはじめる
鉛筆をナイフで削る文化の日(サンデー毎日「サンデー俳句王」入選)鉛筆を…サンデー俳句王入選
うずうずとモネ展を待つ最後尾うずうずと…
文化の日デュシャンの泉の如く湧く文化の日…
「ぼー」っと見で輪郭を引き、「じ」ーっと見で、よく見て描いた作品。泉麻人(似顔絵)
オーバーパース(嘘パース)で描いた作品。手前の手、顔、奥の手の三つを誇張した遠近法で描いている。伊藤美誠(似顔絵)
鼻を「じ」-っと見で描き、輪郭などは「ぱ」っと見で、子供のような線で仕上げた作品。オダギリジョー(似顔絵)
似顔絵を描くには、どうやって描くかよりも前に大切なことがある。それは、描く対象をどうやって見るかだ。ここでは、以前にも書いた、三つのものの見方「ぱじぼー」を紹介したい。「ぱ」ぱっと見。瞬間的。第一印象で見る。主観的。直感。「じ」じーっと見。近めで時間をかけてよく見る。客観的。分析的。理性。「ぼー」ぼーっと見。遠目でぼんやりと見る。印象。雰囲気。ニュアンス。この三つの見方を用いると、今までとは違った似顔絵が描けるようになると思う。具体的に言うと、「ぱ」っと見と、「ぼー」っと見で輪郭をつかみ、細部を「じ」ーっと見で描いていく。じーっと見で目が慣れだしたら、少し休んで、また、「ぱ」っと見で修正していく。…といったような使い方が考えられる。似顔絵の見方「ぱじぼー」
今月の産経学園自由が丘校「初めての似顔絵教室」は、平面化の技法を取り上げた。ドロップシャドウは、難しすぎたようだ。コツとしては、光源に対して、オブジェクトをずらし、ずれたところを影として塗ればよい。片ぼかしも、難しかったようで、資料を参考にしながら進められていた。コツとしては、どちらをぼかせばよいのかを予め考えてから塗るとよい。この二つの技法ができるようになると、平面作品の幅が広がると思う。はじめての似顔絵教室アーカイブ
ハイコントラストで立体的に描いたものを、ちょいとワルに仕上げた作品。石破茂(似顔絵)
輪郭を変形させたあと、写実的(客観的)によく見て描いた作品。全体のバランスで似せるのではなく、部分で似せている。田中邦衛(似顔絵)
輪郭線のフォーマットを決めてから、描いた作品。館川談春(似顔絵)
全身を入れてみた似顔絵。張本美和(似顔絵)
ヘタウマとは、画力のある者が意図的に下手に描いて、親しみやすくした画風を指す。ヘタウマは狙うべきではない。けれど、下手に思わせる方法は沢山ある。・立体的に描かない。これは、平面化して描いていると言える。キュビスムや抽象画なども平面。・底面が真っすぐなのに上面のだ円が見えているコップ。これは、キュビスムの多視点を取り入れていると言える。・肘関節のない人。これは、持っているものや、指を目立たせるため。・スポイトなどで垂らした線。これは、偶然性を取り入れているため。・子供のような絵。これは、プリミティヴアートを取り入れているため。などなど、見る人には分からない理論で描かれている絵は、下手に見える傾向がある。無理に下手に描く必要はない。ヘタウマとは何か?
デフォルメとは、デフォルマシオン、デフォルメーションの略で、変形させる技法だった。日本では、誇張という意味で使われることも多い。デフォルメは、骨格を意識しないで、線を自由に走らせることからはじまる。その中で、似ているか似ていないかの問題が出てくる。ここで、日本の誇張という考え方が必要になってくる。誇張とは、目鼻口眉などの位置や大きさや角度を大げさに描くということ。その人の特徴に合わせたデフォルメをすることによって、似ているデフォルメになる。変形のみをする場合には、位置が変わってしまっているので、全体のバランスではなく、部分を似せていくことが必要になってくる。理論的に言うと、別物である。デフォルメの仕方
顔の特徴をとらえるには、目鼻口眉の「位置」と「大きさ」と「角度」を見るとよい。かと言って、客観的に分析しすぎてもいけない。あくまで主観的に。その人にしかない線や、角度を見つけるつもりで見るとよい。顔の特徴のとらえ方
似顔絵では、無理に骨格を意識しなくてもよいと思う。(多視点を)平面化するのが難しくなる。また、誇張しようと思っても、骨格の誇張となると、医学的には奇形を描くことになり、これもまた難しくなる。そして、生半可な線を引いてしまうと、写真のトレースに思われてしまう。骨格を知らない子供のような線でよいのだと思う。学ぶ必要がないとまでは言わないが、骨格を意識するあまり似ていない状況になるなら、本末転倒だ。無理に骨格は意識しなくてもよい
アクリルガッシュで油絵のように、最小限の手数で描いた作品。古田新太(似顔絵)
見たままに近く描いた作品。輪郭は誇張している。高田文夫(似顔絵)
二面性を表現した作品。千原ジュニア(似顔絵)
ハイコン(ハイコントラスト)で描いた作品。照英(似顔絵)
筆ペンで描いた作品。柳家喬太郎(似顔絵)
輪郭線に依存しないで描いた作品。木村拓哉(似顔絵)
夢のような、記憶の断片のような。石破茂(似顔絵)
直線で似せてみた作品。有吉弘行(似顔絵)
草なぎ剛。草なぎ剛(似顔絵)
模写を勧めない理由は二つある。一つ目は、主観的に感性で引いた線を、客観的にマネしても、効果は弱いということ。二つ目は、テーマと線は一つであるということ。作者の意図と線は一致しており、線だけマネしても、見た目だけ似ているということになる。模写をするくらいなら、モチーフを客観的に再現したほうが勉強になる。百歩譲って、模写をするのであれば、作者の熱量というものを感じて描いてほしい。どんな意図で線を引いているのかを、客観的に冷静に分析するのではなく、感情を感じてほしい。それが難しいのなら、模写などせずに、純粋に情熱をもって主観的に描けばよいのだと思う。私が模写を勧めない理由
似顔絵でよくあるのが、似顔絵ではなく、肖像画でもよかったということ。似顔絵の依頼かと思って話を進めても、どうもかみ合わない。そんなときは、肖像画であるのかもしれない。肖像画と似顔絵の違いは、再現と誇張。再現とは、客観的にあるがままに描こうとすること。誇張とは、主観的に特徴を大げさに描こうとすること。似顔絵は主観的であるため、似ているか似ていないかということが起きる。肖像画は客観的であるため、似ているか似ていないかということが起きづらい。似ているか似ていないかの遊びがあるときには、似顔絵が有効で、気にならないようにするには、肖像画のほうが好ましい。似顔絵には、笑いや遊びの要素が強く、肖像画にはそれがない。真面目に描き続けていると、つい笑いや遊びの要素がなくなり、肖像画に寄ってしまいがちである。今一度、笑いや...似顔絵ではなく、肖像画でもよかったという話
似顔絵は、髪型が似ていると、目鼻口を描かなくても似る。(マツコ・デラックス)(黒柳徹子)よって、髪型が違うだけで似せるのは難しくなる。また、輪郭線も同じくらい大事だと言える。シルエットにして見たときに、似ていることが大切。(アントニオ猪木)輪郭が分からないように描くと、これもまた似せるのは難しくなる。似顔絵は、髪型と輪郭が大事
主役、準主役、脇役の三色を決めて塗ると、調和しやすい。平面化する場合は、主役と「片ぼかしなどの脇役の色」の二色を決めると塗りやすくなる。彩色のコツ
引いた線に対して、手前を残し、奥にある片側をぼかしなじませる。片ぼかしの方法
臭いものにはフタ。石破茂(似顔絵)
切り絵で制作。お悔やみ申し上げます。山藤章二(切り絵似顔絵)
以前教室で「絵が上手くなるにはどうしたらよいですか?」と尋ねられたことがある。上手いというのは誉め言葉ではないが、百歩譲るとして。最小限の表現で、伝えたいことが伝わる絵が上手だと言える。どう描いたら簡素な表現になるのか、を考えることが大切だと思う。絵が上手くなるには?
風刺画とは、権威に屈せず、笑いによって世の中を正す大衆芸術である。山藤章二の似顔絵塾では、風刺精神を軸に、塾生や読者の目を養ってきた。風刺画考
反骨の字篠田桃紅のリズム反骨の字…
午前二時横尾忠則のY字路午前二時…
苅田道コローの虹色のプリズム苅田道…
筆ペンを使用。神田伯山(似顔絵)
油性ペンを使用。春風亭昇太(似顔絵)
筆ペンを使用。柳家花緑(似顔絵)
皮になる石破茂(似顔絵)
遠藤憲一遠藤憲一(似顔絵)
中条あやみ中条あやみ(似顔絵)
鈴木亮平鈴木亮平(似顔絵)
西島秀俊西島秀俊(似顔絵)
戸田恵子戸田恵子(似顔絵)
点描の片ぼかしで表現。志位和夫(似顔絵)
消えるマジック。石破茂(似顔絵)
どんなときでもカレー。イチロー(似顔絵)
点描の片ぼかしで表現した。三宅裕司(似顔絵)
塗り残しで輪郭を表現した。伊東四朗(似顔絵)
直線で表情を付けた。松重豊(似顔絵)
「さかしまのパースペクティヴ3」F10号。逆遠近法で平面化した人体。講評で「全身は入れる必要がない」と言われてしまった作品。確かに、因習ではサムホールサイズは顔のみ、6号は半身などと言われるが、全身を入れないのは「逃げ」だと思う。多摩美の入試では、全身の構図の指示があるし、全身を入れないのは誤魔化しだと思う。頭だけ描いたのであれば、逆遠近法で描いた意味が薄れてしまう。「さかしまのパースペクティヴ」の主旨を理解して頂けなかったのは残念でならない。さかしまのパースペクティヴ3
似顔絵は、体が描ける必要はない。けれど、体が描けないことで、アイデアが出しづらいということはあるのかもしれない。カズ(三浦知良)が王様になっているアイデアは、「王様の姿が描ける」ことで浮かんだのだと思う。正確に描けることが重要なのではない。伝わるように描ければよい。無理して描く必要はないが、体を描くことにも挑戦してみると、よいアイデアも浮かぶようになるかもしれない。体を描くメリット
点描の片ぼかしで表現した。野田佳彦(似顔絵)
点描の片ぼかしで表現した。石破茂(似顔絵)
デフォルメしたフォルムを、点描の片ぼかしで表現した。デーブ・スペクター(似顔絵)
キング三浦知良(似顔絵)
めるる。めるる(似顔絵)
似顔絵を描くときに、リアルかデフォルメかという二元論を持ち出す人は多い。好みはあるかもしれないが、画力をつけていくためにはどちらも大切だと言える。「しぐさ」を描くには、リアルな見方が必要かもしれないが、写実的に描けば正解というわけではない。「ポーズ」を描くには、デフォルメした見方が必要かもしれないが、誇張して描けば正解というわけでもない。二元論で片方を否定するのではなく、欠点として受け入れ、練習していくことが必要だと思われる。リアルかデフォルメかの二元論をこえて
キャンバスに策動すピカビアの車キャンバスに…
サンデー毎日に入選しました。柄本時生-サンデー毎日似顔絵塾入選
松下奈緒。松下奈緒(似顔絵)
秋田名物。柳葉敏郎(似顔絵)
ラブコール高市早苗(似顔絵)
大きいことはいいことだ。佐藤栞里(似顔絵)
流されている。石破茂(似顔絵)
木の実落つエゴン・シーレのクロッキー木の実落つ…サンデー俳句王入選
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