10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
西行わきて今日逢坂山の霞めるはたち遅れたる春や越ゆらん今日は帝国ホテルレ、セゾン倍様にご馳走になった恐縮この上ないお料理のあとのデザートが実に美味しい胃の具合を心配したが完全に別腹で完食したニットのワンピースのお腹が気になるタクシーで新しくなった畠山美術館へ直行若い時にはお茶会でよく参加した懐かしい場所展示は冬季展開館記念展Ⅱ琳派から近代洋画へ―数寄者と芸術パトロン即翁、酒井億尋~3月16日(日)「次郎左衛門雛」光悦の茶碗乾山の色々抱一も数々当館が誇る、琳派の歴史を彩る名品が勢ぞろいとホームページにあったお腹も喜び眼も喜ぶこれでは痩せるはずはない逢坂山の霞めるは
宮沢賢治ひるもなほ星みるひとの眼にも似るさびしきつかれ早春のたび今日は恵比寿で食事会昨年一度行ったことのあるお蕎麦屋さんお昼は四千円前菜は鴨とネギとお豆腐に煮凝り揚げ物蕗の薹コロッケとアスパラの天婦羅お椀平貝のシンジョにワカメお造りは鯛と他で五切れその後に湯で立てのお蕎麦大中小盛りを選べる昨日の夜食べすぎたせいで胃の具合がわるく夜中に目が覚めた揚げ餅の食べ過ぎ今日の食事会へ無事に行けるか本気で心配したが朝目を覚ますとまあまあの調子朝ごはん抜きで出掛けたお蕎麦は中盛にして隣の倍様にお分けしようすると後で良いですよと仰るのでたべ始めるとスルスルと完食おすそわけの事はすっかり忘れて注意されたごめんなさいと言うことは胃は元気になったということ体調が悪いと楽しくないから馬鹿食いは止めよう食事のあとは珈琲タイム恵比寿...早春のたび
人も見ぬ春や鏡のうらの梅芭蕉今日は社中のお茶事安居の会亭主は雪さん正客は秋さん数先生と熊姉妹の四名水屋はサカチカさんとタイさん初心者用の茶事なので私は席中での指導と打ち水をする久しぶりの茶事少しでものんびりすると打ち水のタイミングが遅れる亭主の雪さんはお点前も挨拶もいつも以上に堂々と落ち着いてる初炭から懐石菓子で腰掛けに中立今日は2月にしては春めいて気持ちがよいだろう銅鑼で席入社中の会なので和気藹々濃茶の最中はお昼寝時間と化した半刻以内に茶事は終えた茶事を終えるとお菓子を食べるそれも異常に食べてしまった夕御飯はブリと鯛の焼魚をペロっとたべ竹の子とウルイの酢味噌和二人前くらいを完食そこで止めておけばよいが揚げ餅あられ一袋を一気に行ってしまったやめられない困り者だ春や鏡のうらの梅
下もえをうらからのぞく土橋かな千代女昨日の茶会の菓子は末富の銘下萌え美味しく美しかった今日は火曜日明日は社中の小さな茶事をひらくのでその支度九時にサカチカさんがきてチェックリストから台所の調理道具をチェックそれと料理の材料と調味料のチェック家で茶事をしなくなってからどのくらい経ったかかつては懐石の料理教室をひらいていたので道具も色々あったが2020年の1月が最後その後は自宅で料理することはほとんど無いサカチカさんはチェックをしながらそれらの道具を大きなかごにまとめた頭がいいね感心した10時になったのでお茶でも飲まないと言うと叱られたそうねゆっくりしていたのでは仕事は終わらないお昼前まで頑張ってその後は魚屋に頼んだ魚をとりにいきサカチカさんは下拵えをするため家に帰った後は私はするべき事がんばるボーッとしてる...下もえをうらからのぞく土橋かな
紅梅や文箱差出す高蒔絵漱石今日は広尾にて茶会濃茶薄茶ともにとても良かった茶会記を近くのハンバーガーのお店で仕上げて満足その後は根津美術館「武家の正統片桐石州の茶」わりと空いていたのでゆっくり拝見係の人がお静かにと言いたげに私たちのそばを行き来してその時だけ静か茶杓がたくさん展示され拝見するも見ごたえありこれも満足紅梅や
読み人知らず百千鳥さへづる春はものごとに改アラタマれども我ぞふり行く(古今和歌集)たくさんの鳥が楽しげにさえずる春は、見るもの聞くものすべて新しくなるけれど、私だけが春が来るたびに古くなっていく。と解釈がネットに出てた今日は何もない昨日の茶会の会記など眺めてる薄茶席の寄付一白庵茶杓が飾ってあった尾張徳川家伝来三鳥之茶杓の内とあり八代小堀宗中作共筒歌銘百千鳥これは古今伝授の切り紙三木三鳥の三鳥の一つ他に小堀宗本作の「呼子鳥ヨブコドリ」宗中の次男で後の権十郎と呼ばれた蓬露は「稲負鳥イナオオセドリ」…だったと思うが写真は三友居の点心お菓子は美濃忠の「折挿頭オリカザシ」百千鳥さへづる春は
柿本人麿ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思う今日はお茶会熱海のMOA美術館にての光琳茶会品川から新幹線こだまで向かう昨年は自由席で行ったが間違えてひかりに乗ってしまい大慌て間違えないように今年はちゃんと指定席をとった寒気が来てると言うが熱海は寒さが少し和らいでいるようだ濃茶から続けて薄茶席に入りお昼少し前にお昼三友居の点心最後にもう一席薄茶席この頃ちらほらと風花が舞ってきたなんと風雅な景色ほのぼのと
大伴旅人雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも今日は水曜稽古寒波がやってきて寒い来週茶事の亭主をする雪の輪さんが露地つくばい腰掛の掃除をしてる村雨庵での茶事茶会はしばらく開催してないので庭は自然のまま掃除は大変だ寒いから適当に休んで適当に終えてねと言っても庭仕事はやり始めると止まらない結構楽しく結構達成感寒さも忘れたと…お粗末な狭い庭だが掃除のあとは清々しい写真の掛けものは竹に雀筆者は晴川院養信セイセンインオサノブ狩野養信カノウオサノブ1796-1846江戸時代後期の絵師。木挽町家狩野派9代目。通称は庄三郎。号は玉川、晴川院、会心斎。雪の色を奪ひて咲ける梅の花
西行中々に谷の細道埋め雪ありとて人の通ふべきかは今日は茶会お酒とお料理その後でお濃茶とお薄六本木から徒歩11分前回はタクシーだったので歩いて向かうはちょっと心配地下鉄の出口もたくさんあるタクシーで行くには余計に時間がかかるかも急ぎ足早足10分前には到着楽しい茶会だったまた行きたい中国の唐末から五代の禅僧五家七宗の一つ雲門宗の開祖雲門文偃ウンモンブンエンが修行僧から「仏とは何か」問われて言った答えが「乾屎橛」カンシケツ今日の茶杓の銘雲門文偃ウンモンブンエン諡は大慈雲匡聖宏明大師「乾屎橛」カンシケツ…とは字の通り橛ケツとは杭、棒のことあとは想像されたし浄不浄や優劣、貴賎等の区別を認めない姿勢。乾屎橛を不浄とみなして嫌悪してはならず。と言う意味らしい禅問答は難しい中々に谷の細道埋め雪
源実朝わが宿の八重の紅梅さきにけり知るも知らぬもなべてとはなむ今日は淡交会へ久しぶりださて何年前か自分のブログで調べると2010年11月中野サンプラザの淡交会へ行ったとある開催の会場が変わって三軒茶屋の人見講堂になったが行ったことがないので私目と古志ちゃん森金さんに連れていってもらった駅から歩くとにかく真っ直ぐ行くと言われても行ったことなければ心配一度行くとなんと言うことはない皆さんの後をついていけばたどり着くが初めては何でも心細い先達がいてこそと徒然草にもあるではないか52段少しのことにも、先達はあらまほしきことなり森金さん有難う帰りは写真のお店でピザセットを食べた場違いな感じ八重の紅梅さきにけり
旅宿梅基弘草まくらかりねの床のにおふかな軒端の梅や盛りなるらむ基弘とは二条基弘ニジョウモトヒロ安政6年10月25日〈1859年11月19日〉-昭和3年〈1928年〉4月4日)日本の華族。宮中顧問官、正二位勲二等公爵となる。九条尚忠の八男で、従兄・二条斉敬の養子となる。1890年(明治23年)9月から1920年(大正9年)1月まで貴族院議員を務める。斉敬の実子である二条正麿男爵は義弟。(ウィキペディアより)今日は木曜稽古二月は大炉初炭と後炭が面白い軒端の梅や盛りなるらむ
山上憶良春さればまづ咲やどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ写真は名所江戸百景蒲田の梅園歌川広重安政4年(1857)刊歌川広重は「名所江戸百景」で、2つの梅園を描いている。「亀戸の梅屋舗」と「蒲田の梅園」だ。京浜急行の梅屋敷駅(東京都大田区蒲田)の近くに、聖蹟蒲田梅屋敷公園という和風庭園がある。文政年間(1818〜1831)に、道中の常備薬「和中散」を商っていた山本久三郎が、売薬所の敷地に沢山の梅の木を植え、茶屋を開いたのが始まりとされている。広重の時代、梅が咲く頃には多くの見物客が訪れたらしく、その賑わいの様子が描かれている。絵の中に幾つかの石碑が見られるが、俳句好きの久三郎が多くの句碑や里程標を置いたのだそうだこの絵が描かれた約10年後、明治天皇が行幸の際に立ち寄り、お気に召され、以後も幾度か訪れたの...まづ咲やどの梅の花
菅原道真天の原あかねさし出づる光にはいづれの沼かさえ残るべき今日は建国記念日で祭日思ったより風が強く寒いサカチさんちでお茶事がある水屋は私とタマちゃんタマちゃんは二回目で汲出し待合のタバコ盆の火入薄茶の火入をつくり飯椀のご飯の一文字にチャレンジ案外難しい花は山茱萸曙椿花入は大橋秋二の旅枕大橋秋二オオハシシュウジ1795-1857江戸時代後期寛政7年生まれ安政4年10月20日没62歳医者だったが尾形周平に陶法をまなび晩年は美濃養老山に窯をひらき,養老焼とも秋二焼とも言った写真は佐賀県の尾崎人形で堂内天神と呼ばれるものだあかねさし出づる光には
西行降りつみし高根のみ雪とけにけり清瀧川の水の白波今日は森金さんとふたり予約してあった東京港区の茶会へ2時の席ゆえすぐに点心お料理は綺麗お腹も満足金団の菓子を食べて濃茶席へ輪無二重切に紅梅と加茂本阿弥濃茶を頂き薄茶席へ点出しの薄茶をゆっくり味わう帰りは地元で一休みケーキセットでもと思いつつサンドイッチにスイーツとサラダあとで紅茶が来るこれでは痩せない食べ過ぎなのは否めない水の白波
山上憶良春さればまづ咲やどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ水曜日にアイテラ氏が持ってきた梅の花いまだに馥郁と香ってる今日は朝日カルチャーその帰りは髪をカットする短いので寒い風邪を引きそうだカルチャーはお昼に終わるのでそのままカットの予約した美容院へお昼を食べる時間を考えてなかったのでお腹がすいた朝はチンするスープだけ(お腹がすいた)「お腹がすいた」と頭はこの言葉でいっぱいだカットの後は急いで駅前の喫茶店でランチ茄子となんやらのトマトスパゲティサラダと珈琲がついて千円カウンターの席だったがもっとゆっくり食べたかったお昼の食事も大切滋賀県のミホミュージアムにて古筆の展覧会が開かれると3月15日(土)-6月8日(日)うつくしきかな―平安の美と王朝文化へのあこがれ―行ったことがないので行ってみたい写真は頂いたチ...まづ咲やどの梅の花
源実朝かきくらし猶ふる雪の寒ければ春ともしらぬ谷のうぐひすかきくらし→掻き暗す(読み)カキクラス1空を曇らし、暗くする。雨や雪が、空が暗くなるほど強く降る。2心を暗くする。悲しみにくれる。今日は木曜稽古わが家は寒いエアコンだけでは寒い寒い一尺八寸の大炉を開けてもうひとつ一尺四寸の炉を開けるそれでも寒いが炭が入るとほんのりじんわり温かくなる大炉の方が空気の流通がよいらしく炭が早く燃えるようだポカポカとなるには時間がかかるが炭手前は欠かせない逆勝手の稽古はいつでも可能だが大炉は二月のみだ初炭濃茶後炭薄茶一通り稽古しよう炭斗の炭の組み方は炉の右に置くときは常と同じように組む大炉は右炉の左に置くときは左右逆に炭斗に組む八炉すべてに置いて共通羽根カン箸香合かまの蓋羽根カン箸は近い手で取り置くが香合のみ必ず右手で取り...猶ふる雪の寒ければ
池田より炭くれし春の寒さ哉蕪村今日から大炉初炭濃茶薄茶の稽古後炭は今日は誰もしてないもうひとつは逆勝手の稽古裏千家は客付の足で敷合せを越すことになっているので茶道口にて挨拶行く方の足を立てる大炉、逆勝手は左足を立て後ろの右足を敷居まで進め客付左足で入る帰りは壁付の足をたて立ち立てた左足の踵を壁の方に動かし右足を進めて客付左足で敷合わせを越える初めの足を間違えなければあとは大丈夫大炉も逆勝手も右か左かと常より考える集中して考えると寒さのことは忘れるそうだそう習ったので二月八月は逆勝手の稽古だ池田より
素性法師春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く今日は読売カルチャー南方録雪の会十四易云うに雪の会は何とぞ足あと多くならぬよう心得べし飛び石の上は水にてそっと消し手水鉢の水は入れないわけにはいかないので見よきように水をかけて消すべしただし手水鉢の石やその回りの木々などに景色おもしろく降り積もればそのままにして手水は腰掛けにて片口にて出すもよしとある露地の手水鉢を使えないときは腰掛で片口を使ってもよいよということか片口とはそそぎ口のついた鉢とあるが大きなものでないと用をなさない懐石に使うような想像している鉢とは違うのか花とや見らむ白雪の
紀貫之袖ひちてむすびし水のこぼれるを春立つけふの風やとくらん今日は柿伝にて日本陶磁協会のお茶と酒器を楽しむ会席主は加藤亮太郎さん加藤卓夫さんのお孫さん掛けもの茶杓は荒川豊三の銘は福寿草茶碗がたくさん登場しあとで手にとって拝見できる加藤亮太郎の四碗私が飲んだ茶碗は加藤清之作他に鈴木五郎黒織部宮永東山青磁鎬文鈴木三成青磁原清天目釉中里隆原田拾六小池頌子前田正博林邦佳金重有邦中島晴美三輪休雪滝口和男前田昭博神農巌三原研市野雅彦今泉今右衛門伊藤秀人伊勢崎晃一郎新里明士桑田卓郎現代の陶芸家の茶碗が並ぶ知ってる名前知らない名前勉強になるお茶のあとは柿伝の点心これも良し春立つけふの風やとくらん
節分や八百八町月の辻野村喜舟今日は根津美術館へ天気予報は東京も雪かでも冷たい雨の中九時半に到着予約は十時だが予約しなくても並べば入れるようだ開くまで待とう企画展は2月9日まで「古筆切-わかちあう名筆の美」【仮名の頂点】「高野切」行成の「大字朗詠集切」「伊予切」宗尊親王の「上東門院彰子菊合残巻(十巻本歌合)」小野道風の「小島切(斎宮女御集断簡)」「本阿弥切(古今集切巻第十八断簡)」最近眼がわるく展示の文字が見えない後でカタログを買おう表具のきれの凄いこと軸の象牙の美しさ古筆の名品に粗末な裂を使うことは皆無あとでカタログと思ったがない鑑賞シリーズの古筆を勧められたが家にあるはずなので鑑賞シリーズ3金蘭・緞子を買った美術館に行ったら復習すると良いのだけどまずはお昼を食べてお喋りケーキセットを頼んでお喋りこれが楽...節分か
豆を撒く父の猫背を夢に見て太田鴻村今日は節分茶会虎ノ門のながさか今日と明日と2日間明日は雪かもとか今日で良かった第一席は六名御正客は東京の著名なお坊様点心は招福楼早く行けば早く帰る帰りは新橋いつもの喫茶店これも早めに帰るが楽だ父の猫背
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会
昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨
宵々の雨に音なし杜若蕪村今日はエフ先生の研究会雨が凄い音を立てて降ってる最近は早起きなので五時に起きて朝は六時に食事お昼までの時間が長いから10時のおやつ九時半に珈琲とミニ羊羮食べたおやつは八つ刻ヤツドキ午後の2時から4時に食べる間食午前中だとなんというのか朝のおやつは「モーニングティー」または「リトルランチ」、午後のおやつは「アフタヌーンティー」とオーストラリアでは呼ばれるとのこと、ネットで見た江戸時代、日本人の食事は朝と夜の1日2回だった。途中でお腹が空く。そこで中食(ちゅうじき)、あるいは間食(かんじき)、小昼(こびる)と呼ばれる間食をやつどきに取るようになった。それがおやつの起源。とネットで見た。さあ出かけないと宵々の雨に音なし