chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
おやじのつぼ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2009/04/07

arrow_drop_down
  • JR熊谷駅~秩父鉄道・武川駅。その3。野鳥の森。秩父鉄道。八十八夜。(「荒川」を遡る。第5日目。)

    橋の下をくぐり抜けると、森の中の道に。広大な「野鳥の森」。さまざまな鳥の鳴き声が。森を抜けて明るい道へ。振り返る。麦畑。道はゴルフ場にぶつかり、右折します。正面に秩父鉄道の踏切。堤防が分断されています。ここにも「荒川大麻生公園」の標識が。堤防に沿って歩きます。来た道を振り返る。左手は「大麻生ゴルフ場」。なかなか堤防の上へ上がれません。「海まで80.0㎞」ポスト。堤防に上がり、振り返ると直線で続いていました。右手、堤防下は「秩父鉄道」の線路。「大麻生駅」が見えてきました。秩父鉄道の電車が。ここで「秩父鉄道」について。1899年(明治32年)11月、「上武鉄道株式会社」として設立し、1901年(明治34年)10月、熊谷~寄居間(18.9キロ)が開業。その後、区間が逐次延長され、1930年(昭和5年)3月、秩父本線羽...JR熊谷駅~秩父鉄道・武川駅。その3。野鳥の森。秩父鉄道。八十八夜。(「荒川」を遡る。第5日目。)

  • JR熊谷駅~秩父鉄道・武川駅。その2。Uコン。荒川大麻生公園。熊谷大橋。(「荒川」を遡る。第5日目。)

    草原の中を進みます。左手が荒川の流れ。右手は灌木。「荒川大麻生公園」入口。できるだけ自然のままを保たせる公園のようです。何やらモーター音が聞こえてきます。ぐるぐる回る飛行機。手で器用に操りながら飛ばしています。コントロール・ライン(別称・通称「Uコン」、略称「CL」)というらしい。CLはラジオコントロールに代わる安価な飛行法であるが、高度1.5mくらいで地表近くを飛行するところが目の前に見えるためにそれ以上強い興奮が与えられる。機体と操縦者は、2本の操縦ラインでつながっている。U字状のハンドルを使いラインのそれぞれを引いたり伸ばしたりして、昇降舵(エレベータ)を操作することにより、模型機のピッチ軸(機首の上げ下げ)を操作する。この操縦ラインによって、機体の飛行は操縦者を中心とする半球面上に拘束される。操縦者と機...JR熊谷駅~秩父鉄道・武川駅。その2。Uコン。荒川大麻生公園。熊谷大橋。(「荒川」を遡る。第5日目。)

  • JR熊谷駅~秩父鉄道・武川駅。その1。葉桜。荒川大橋。花大根。タラの芽。(「荒川」を遡る。第5日目。)

    4月10日(土)。快晴。再び熊谷駅に降り立ちます。熊谷桜堤。すっかり桜も散り、葉桜に。「三日見ぬ間の桜」という表現がありますが、わずか一週間でこのように。一週間前の人混みもいつの話しやら、人出もなく静かな堤に。河川敷のグランドでは賑やかな歓声が聞こえてきます。澄んだ空です。「荒川大橋」。「村岡の渡し船」は、大里郡熊谷宿と同郡村岡村(現熊谷市)を結ぶものでありましたが、明冶42年(1909)荒川大橋の完成によって廃止されました。渡し船は人馬を対岸へ渡す船であり、渡船場に配備されていました。江戸時代には、江戸の町を警備するためや川を往来する船の航行を妨げることのないように、架橋は控えられていました。そのために、渡し船は重要な交通手段になっていました。現在、吉岡小学校の保管庫に馬船(馬を運ぶ船)1艘と歩行船(人を運ぶ...JR熊谷駅~秩父鉄道・武川駅。その1。葉桜。荒川大橋。花大根。タラの芽。(「荒川」を遡る。第5日目。)

  • JR鴻巣駅~熊谷駅。その7。ムサシトミヨ。荒川の西遷。熊谷桜堤。(「荒川」を遡る。第4日目。)

    熊谷桜堤の桜並木に近づく。堤防下に「熊谷市ムサシトミヨ保護センター」があり、その敷地内に「元荒川」の源流があります。ムサシトミヨはトゲウオ目トゲウオ科トミヨ属に属する体長3cm~5cm位の淡水にすむ1年魚です。オスが水草などで球形の巣を作り、子育てをする珍しい魚です。湧き水が出ていた昭和30年代頃までは、東京と埼玉の限られた湧水に生息していました。埼玉県内では、熊谷市のほかに上里町・本庄市・川越市などでも見られました。しかし、開発による川の汚染や湧き水の枯渇などにより、現在では熊谷市の元荒川上流域が世界で唯一の生息地となってしまいました。この周辺は豊かな地下水を利用した養鱒場があり、汲みあげられた地下水が放流されてきたため生き残ったのです。2011年2月調査の推計生息数は22,655尾。ムサシトミヨは、環境省や...JR鴻巣駅~熊谷駅。その7。ムサシトミヨ。荒川の西遷。熊谷桜堤。(「荒川」を遡る。第4日目。)

  • JR鴻巣駅~熊谷駅。その6。久下橋。思いやり橋。旧中山道と合流。(「荒川」を遡る。第4日目。)

    「久下橋」が見えてきます。かつての新川村跡?久下の集落方向。旧中山道はこの地域を進みます。「海まで73.0㎞」ポスト。「久下橋」。橋を越えて上流へ。左手、荒川の流れが間近に。「久下橋」方向。上流方向。右手の土手下に解説板が。ここに「思いやり橋」と呼ばれた久下冠水橋がありました。春は菜の花、秋にはススキを見ながら、人も自転車も車ものどかに渡りました。車一台やっと通れる橋、車は対岸を確かめ、あうんの呼吸で渡りました幅2.7㍍長さ282.4㍍3㌧。中央部99.4㍍の区間は幅4.5㍍の待避所あり。4種類不揃いな44本の橋脚。ムカデに似た貴重な冠水橋でした。昭和30年県道・冑山熊谷線として大里と久下を結んで架設され、48年間、地元の志画かつ道路として利用されました。平成15年6月の新久下橋完成とともにその役目を終えました...JR鴻巣駅~熊谷駅。その6。久下橋。思いやり橋。旧中山道と合流。(「荒川」を遡る。第4日目。)

  • JR鴻巣駅~熊谷駅。その5。元荒川。「決壊の跡」碑。一里塚。新川村。緊急事態宣言。(「荒川」を遡る。第4日目。)

    「元荒川」が眼下に。熊谷市市街地を遠望。「中山道」歩きの時に見たおうちが健在。河川敷は農地。熊谷駅方向を望む。中山道歩きに通過した「ライオンズマンション」がようやく目の前に。この手前に「決壊の跡」碑。日ごとの洪水地域の拡大図。昭和22年(1947)9月のカスリーン台風による洪水のため、河口から71km付近久下地先のこの碑がある場所で濁流が堤防を越え決壊しました。流れ出た洪水は埼玉県北部の村を次々と襲い、おりしも利根川の決壊による濁流と合流してはるか東京まで達し、付近一帯に甚大な被害を与えました。下の画像は洪水から約一ヶ月後の昭和22年10月に米軍が空撮したものですが、破堤している様子がわかります。(この項、「」HPより)「洪水の怖さ伝える決壊碑」。1947(昭和22)年9月、カスリーン(キャサリン)台風による大...JR鴻巣駅~熊谷駅。その5。元荒川。「決壊の跡」碑。一里塚。新川村。緊急事態宣言。(「荒川」を遡る。第4日目。)

  • JR鴻巣駅~熊谷駅。その4。荒川パノラマ公園。白井権八。旧中山道。(「荒川」を遡る。第4日目。)

    パラグライダーの姿が。対岸、中央に見える水門は、「和田吉野川」の「玉作水門」。右手の林の中に長い「ローラー滑り台」。「荒川パノラマ公園」。トイレもあるし、自販機もあるので、ちょっと立ち寄ろうと思いましたが、こちら側からは入れないようです。横目で眺めるだけ。残念!遠くに「荒川水管橋」を望む。晴れた日には富士山も見えるそうです。(「Googleマップ」より)「荒川コスモス街道」。先に進みます。「海まで70k」ポスト。右手遠く、「旧中山道」のときのマンションが見えてきます。まもなく鴻巣・吹上を通ってきた「旧中山道」が右手から近づいてきます。土手下に「権八地蔵」(↓)。右手奥から来る道が「旧中山道」。・・・鴻巣市指定民俗資料権八地蔵とその物語権八は、姓を平井といい鳥取藩士であったが、同僚を殺害したため脱藩し江戸に逃れた...JR鴻巣駅~熊谷駅。その4。荒川パノラマ公園。白井権八。旧中山道。(「荒川」を遡る。第4日目。)

  • JR鴻巣駅~熊谷駅。その3。吹上飛行場。コスモスアリーナふきあげ。荒川水管橋。大芦橋。(「荒川」を遡る。第4日目。)

    堤防下の桜並木。河川敷。軽飛行機の姿が。「吹上飛行場」から飛び立ったのか?左手遠くに建物。「66K」ポスト。見えていても、なかなか近づかない。来た道を振り返る。河川敷には「吹上飛行場」。この先、右手にあるのは、「コスモスアリーナふきあげ/鴻巣市吹上勤労青少年ホーム」という総合運動・学習施設。桜もちょうど満開。大勢の人で賑わっています。河川敷から見上げる桜並木。河川敷に広がるお花畑。春はポピーや麦ナデシコ、秋は約1200万本のコスモスが咲く。秩父連山や富士山を遠くに望むことができるそうです。吹上コスモス畑。(「Googleマップ」より)今は、ここで、小休止。遠くに「荒川水管橋」。「荒川」と、並行する「和田吉野川」に架かる水管橋。全長は1100mあまりで、日本最長の水管橋として知られる。県西部へは本橋を介して左岸側...JR鴻巣駅~熊谷駅。その3。吹上飛行場。コスモスアリーナふきあげ。荒川水管橋。大芦橋。(「荒川」を遡る。第4日目。)

  • JR鴻巣駅~熊谷駅。その2。武蔵水路。逃げ水。「穀雨」。(「荒川」を遡る。第4日目。)

    前方に大きな水門が見えてきます。「武蔵水路」。「荒川」に向かう水路が見えます。「武蔵水路」水門から荒川本流方向を。右手に「糠田排水機場」の建物。解説板。「武蔵水路」の概略「糠田排水機場」の役割「武蔵水路」には、「旧中山道」歩きや「日光千人同心街道」(八王子~佐野)を歩いた時、ここから北方、行田市内で出会いました。ちなみに、「荒川」は、東松山から鴻巣への途中、(この先、上流にある)「大芦橋」で渡りました。「日光千人同心街道」の時の解説と写真を再掲。武蔵水路について昭和30年代、首都圏では経済成長に伴う人口の増加や生活の多様化により水道用水の需要の増加が著しくなりました。それに加え、昭和30年代後半から渇水が続き、東京オリンピック直前には深刻な水不足となり、真夏の首都は、「東京砂漠」と言われるほどの厳しい状態となり...JR鴻巣駅~熊谷駅。その2。武蔵水路。逃げ水。「穀雨」。(「荒川」を遡る。第4日目。)

  • JR鴻巣駅~熊谷駅。その1。「災害復旧記念碑」。滝馬室橋。糠田橋。桜と菜の花。(「荒川」を遡る。第4日目。)

    4月3日(土)快晴。またまたやって来ました「荒川」歩き。今回は、熊谷駅まで。JR「鴻巣」駅下車。西口から向かいます。住宅街を進んで荒川堤へ。左手に「大間堤防」の一部か?「大間堤防」は、明治8年(1875)に民間人によって建設され、規模は長さ508間(914m)、高さ1丈3尺(4.2m)だった。それを記念して、1897年(明治30年)11月建立された記念碑が、すぐ北にある「鴻巣市立鴻巣西中」にあるそうです。大きな「災害復旧記念碑」。1947年(昭和22年)9月15日カスリーン台風により、大間堤防は決壊し、行人樋管も破壊した。この堤防と樋管は1948年(昭和23年)5月30日に復旧した。「災害復旧記念碑」として1957年(昭和32年)11月建立。・・・荒川は山岳地帯を抜けると川の勾配や水勢も弱まり、特に、寄居町から...JR鴻巣駅~熊谷駅。その1。「災害復旧記念碑」。滝馬室橋。糠田橋。桜と菜の花。(「荒川」を遡る。第4日目。)

  • JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その9。原馬室橋。御成橋。ポピー。川幅日本一。(「荒川」を遡る。第3日目。)

    「御成橋」に向かって進みます。広大な農地。「馬室荒川占有耕作組合境界杭」。植えてあるのは、ポピー?薬剤を散布している。整然と植えられたポピー。ポピー・ハッピースクエア荒川河川敷へのゴミの不法投棄防止と「花のまちこうのす」をアピールする事を目的として、約125,000平方メートルの敷地に約3,000万本が栽培されている日本一広いポピー畑です。花の見頃となる5月には、市内外から多くの方が訪れる花の名所となっています。また、この花畑は「日本一の川幅」を誇る荒川の御成橋下に広がり、ここから望む富士山(富士見百景にも選定された)は絶景です。このほか、隣接する約12,000平方メートルの麦なでしこ畑も見どころです。(「」HPより)左折すると、冠水橋の「原馬室(はらまむろ)橋」。2001(平成13)年9月の台風で先代の橋が流...JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その9。原馬室橋。御成橋。ポピー。川幅日本一。(「荒川」を遡る。第3日目。)

  • JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その8。北本水辺プラザ。高尾河岸跡・道標。高尾橋。(「荒川」を遡る。第3日目。)

    「北本水辺プラザ」。埼玉県北本市荒川地区の荒川河川敷を整備して平成24年に造られた新しい公園です。広々とした芝生広場は、かけっこや親子連れで楽しめます。江戸時代に荒川舟運で栄えた頃の荒川の流れを再現した旧流路体験水路などを中心に、水路添いの散策路、河川敷側の園路、そして桜の木などが植えられています。トイレや水飲み場も整備されていますので小さなお子様連れの方からお年寄りまで幅広い世代の人がのんびり過ごすのに適した公園です。(「同」HPより)公園を管理・維持するための費用ねん出のため、桶川市にある清涼飲料メーカー「三国コカ・コーラボトリング」(日本コカ・コーラの埼玉県管轄ボトラー。現在はコカ・コーライーストジャパンに合併)と、日本の直轄河川敷開発事業で初となる施設命名権を締結し、完成1年前の2011年2月から201...JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その8。北本水辺プラザ。高尾河岸跡・道標。高尾橋。(「荒川」を遡る。第3日目。)

  • JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その7。麦畑。荒川ビオトープ。城ヶ谷堤(桜土手)。荒井橋。(「荒川」を遡る。第3日目。)

    耕作を待つ畑。麦畑が一面に。遊歩道。しばらく進むと、右手が小高い丘になってきます。満開のサクラの古木も。左手は「荒川ビオトープ」事業地区。荒川ビオトープ荒川の中流部、川を挟んで北本市と川島町の河川敷につくられています。野生動植物の生息空間を守り、創出するものとしては国内最大規模を誇ります。北本市側に隣接する「北本自然観察公園」とあわせて60ha以上の土地が確保されています。「荒川ビオトープ」は、かつて平坦な麦畑が広がっていた河川敷に、荒川が本来持っていた豊かな生態系を取り戻そうという試み。生態系の頂点に立つサシバの繁殖をみることを成功の目安にしています。もともとあった水路やその岸辺の林など、よい自然環境はそのまま残して守ります。かつての様子(麦畑)。その後。注:写真は、右岸(対岸)のもの。(この項、「」HPより...JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その7。麦畑。荒川ビオトープ。城ヶ谷堤(桜土手)。荒井橋。(「荒川」を遡る。第3日目。)

  • JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その6。太郎右衛門橋。原山古墳群。圏央道。(「荒川」を遡る。第3日目。)

    「荒川」が広大な河川敷を有することを実感。一方でいったん大型台風や集中豪雨に見舞われると流域一帯全てが水没する、というのも現実のこと。長い年月を費やしての種々の流路変更、開削、護岸工事、復旧工事の労苦はむろんのこと、自然の驚異とその復元力にも目を見張ります。「サイクリングロード」に沿って歩きます。対岸には「ホンダエアポート」の駐機場。正面は「泉福寺」。サクラが見事。銀杏並木も見事。秋にはギンナンが頭上に降ってくるらしい。駐車場から河川敷に。遠くに「太郎右衛門橋」。一本だけ巨木が。今頃の日差しだと何とか大丈夫ですが、炎天下だと、歩くのは危険!まったく木陰がありません。「泉福寺」境内とさっきの大木が頼み?やっと橋に近づいてきます。ホンダエアポートに向かう飛行機。太郎右衛門橋この場所には橋ができる前には私設の渡し場が...JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その6。太郎右衛門橋。原山古墳群。圏央道。(「荒川」を遡る。第3日目。)

  • JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その5。樋詰橋。ホンダエアポート・スカイダイビング。(「荒川」を遡る。第3日目。)

    上空遠くに飛行機の姿。遠ざかっていきます。頭上に。鈎型に曲がっていきます。「樋管」。しばらく進み、左折すると、冠水橋の「樋詰(ひのつめ)橋」に。荒川の増水時は欄干が撤去され、通行止めとなることがあります。欄干の着脱は管理要員として年間委託された近隣住民が行なっているようです。空を見上げると、いくつものパラグライダーが降下してきます。対岸にある「ホンダエアポート」に着地。(「東京スカイダイビングクラブDZ」HPより)対岸の「ホンダエアポート」。熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(桶川飛行学校)開校時、「川田谷飛行場」としてこの地に飛行場を開設同分教場の演習施設として使用されていたが、戦後は長らく荒れた状態で放置されていた。1964年(昭和39年)3月-ホンダが航空産業への参入を目指し株式会社ホンダエアポート設立1970年...JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その5。樋詰橋。ホンダエアポート・スカイダイビング。(「荒川」を遡る。第3日目。)

  • JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その4。畔吉の渡場。榎本牧場。(「荒川」を遡る。第3日目。)

    軽飛行機が大空を。この先、対岸にある「ホンダエアポート」から飛び立った飛行機か?スミレ。菜の花。「畔吉(あぜよし)の渡場跡」解説板。・・・寛永6年(1629)それまで現在の元荒川の流路をとっていた荒川は、関東郡代伊奈忠治により、熊谷市久下(くげ)地区で和田吉野川、市ノ川筋に瀬替えされた。これに伴い、新しい流路に沿って江戸建米の運送を公許された船問屋の舟運業がはじめられ、河岸場が次々と設けられた。「新編武蔵風土記稿」に記載された荒川の河岸場は、武鼻(秩父市)、玉作(大里村)、高尾(北本市)、平方(上尾市)、羽倉(浦和市)、地蔵(同)の6ヶ所であるが、幕末には舟運はますます栄え、船問屋を中心とした河岸場は20ヶ所あまりもあったという。しかし、明治16年(1882)高崎線の開通により次第に衰微していった。上尾市内の河...JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その4。畔吉の渡場。榎本牧場。(「荒川」を遡る。第3日目。)

  • JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その3。西野橋(冠水橋)。小塚浅間塚。「清明」。(「荒川」を遡る。第3日目。)

    「リバーサイドフェニックスゴルフクラブ」クラブハウス。「西野(にしや・にしの)橋」。荒川本流上に架かる冠水橋(潜水橋)である。上尾市道を通す。荒川本流上の冠水橋としては最も下流側に位置する。左岸側に立地するクラブハウスと右岸側のゴルフコースを結び、専らゴルフ場の橋として機能している実態であるが、ゴルフ場の関係者以外の誰もが利用できる。※「冠水橋」=洪水時には橋面が水面下になる橋をいう。「沈下橋」。この先、上流にいくつか架橋されている。その先で、右手の土手の上に。「県央ふれあいんぐロード」。サイクリングコースになっています。土手を下ると、「八塚樋管400m」標識。「小塚浅間塚」への案内。解説板。浅間塚は、「富士塚」ともいわれ、江戸時代後期から江戸を中心とした地域で造られるようになった。これは当時流行した富士浅間信...JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その3。西野橋(冠水橋)。小塚浅間塚。「清明」。(「荒川」を遡る。第3日目。)

  • JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その2。開平橋。平方河岸。「川岸屋」。(「荒川」を遡る。第3日目。)

    行く手の正面に軽飛行機の姿。路傍には菜の花。振り返る。左手を流れる荒川に近づいていきます。満開のサクラ。「開平橋」。橋の下は、すぐ荒川の流れ。右側は集落になります。荒川の流れ。久々に近づきます。「手打うどん川岸屋」の看板と向こうにお店。1年前に廃業したようです。自販機も撤去されています。「川岸屋の娘」というTwitter(@FX2ESamjGdzKz6j)があります。その内容・写真を紹介させていただきます。3月27日投稿の写真。「2021.03.27桜はまだまだ満開ではありませんが、気持ちの良い日差しでしたね‼︎久しぶりに両親、登場です‼︎」奇しくも同じ日に通りかかったわけです。ビックリ!1年前の「読売新聞」。「50年続いたお店を閉店する」との記事。2019年10月の台風19号で大きな被害を受けました。3㍍ほど...JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その2。開平橋。平方河岸。「川岸屋」。(「荒川」を遡る。第3日目。)

  • JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その1。川越線。「上江橋」。河川敷の集落。農道。(「荒川」を遡る。第3日目。)

    「荒川」に向かう「川越線(埼京線)」の電車。「荒川を遡る」第3日目。3月27日(土)。晴れ。「指扇」駅を出て、西に向かいます。高校生達がジャージ姿で土手方向へ。あっという間に姿を見失った。これから上流を目指して歩き始めます。「海まで44㎞」ポスト。「川越線」踏切。単線とは思いませんでした。サイクリング道路の案内板。長い区間にわたって整備されています。「上江橋」をくぐります。関東をぐるりと回る幹線道路の「国道16号線」にここでお目にかかりました。この付近、西方向では「川越街道」を歩いた時、川越の手前で遭遇。東方向では「中山道」の時に大宮付近で。街道歩きではけっこう縁がある国道。そういえば、「房総往還」歩きのとき、富津で、「16号線」の千葉側最終地点に。土手の上を歩きます。右下は指扇の街並み。畑もあってのどかな風景...JR「指扇」駅~「鴻巣」駅。その1。川越線。「上江橋」。河川敷の集落。農道。(「荒川」を遡る。第3日目。)

  • JR「西浦和」駅~「指扇」駅。その4。「大宮けんぽグラウンド」。治水橋。びん沼・川。(「荒川」を遡る。第2日目。)

    広々とした河川敷。振り返る。右手にラグビーグランド。奥の並木がすばらしい。野球場やテニスコートも何面も。「大宮けんぽグラウンド」。広大な敷地にさまざまなグランドやテニスコート。当運動場はさいたま市の北西部荒川治水橋下左岸河川敷に位置し、主に業種別健康保険組合、民間企業が共同で運営する総合運動場です。広さ約23万坪を誇り、この広大な敷地に野球場52面、テニスコート106面その他サッカー・ラグビー場等様々な施設を有し、会員団体を始め、一般の方々にも広くご利用いただいております。(この項、「大宮けんぽグラウンド」HPより)遠くに「治水(じすい)橋」。荒川が現在の位置を通るようになったのは1926年(大正15年)5月17日のことである。明治時代から続いた河川改修の一環で、直線化で取り残された旧川の曲線部はびん沼(今のび...JR「西浦和」駅~「指扇」駅。その4。「大宮けんぽグラウンド」。治水橋。びん沼・川。(「荒川」を遡る。第2日目。)

  • JR「西浦和」駅~「指扇」駅。その3。モーターパラグライダー。ラジコン飛行機。(「荒川」を遡る。第2日目。)

    左奥に荒川本体の堤防。工事中の区間。立入禁止。大がかりな護岸工事。木立が続く。歩道と土手の間は、濁った流れが。右手に多目的の大きな広場。歩いた時は、「緊急事態宣言」が発出中だったので、家族連れなど少ない。それでも、思い思いのスポーツ、くつろぎ方を楽しんでいる様子。「羽根倉橋」が近づいてきます。右手は「ピクニックの森」。ここまでが「秋ヶ瀬公園」。キャンプ場、運動広場、森などけっこう楽しめそうな公園のようです。駐車場もトイレなど、各所に。橋をくぐった先は、大きく迂回することに。「横堤」?「ピクニックの森」方向。荒川流域内であることに変わりない。警告案内。右手は、自動車教習所、サーキット、グランド。左手は河川敷の大きなゴルフ場。しばらくゴルフ場脇の道を進む。ゴルフ場の土手にサクラソウが。こんな木立の中の道も。上空にエ...JR「西浦和」駅~「指扇」駅。その3。モーターパラグライダー。ラジコン飛行機。(「荒川」を遡る。第2日目。)

  • JR「西浦和」駅~「指扇」駅。その2。桜草公園。秋ヶ瀬公園。(「荒川」を遡る。第2日目。)

    青空の下、一面に広がる。この付近の今昔。2010年代のようす。1880年代のようす。荒川沿いに茅や草地、畑。もともとは湿地帯好みの草花が多いのでしょうか、乾燥した地肌が目立ってきて、管理の難しさを。しかし、地元の方々の自然保護の取り組みが熱心に行われています。※。2019年10月の令和元年東日本台風(台風19号)により、大きな被害を受けたのかも知れません。荒川流域は増水による被害が多かったようです。野焼き。3/24サクラソウ。(「」HPより)足元に、ノウルシ。ツクシ。西側は広い公園になっています。サクラソウ自生地を望む。名残惜しいですが、上流に向かって出発。多目的広場では、子供達が球技。「秋ヶ瀬橋」。左手の広場では何組も楽器演奏中。1970年代に、埼玉の学生たちが荒川の河川敷に広がる田島ヶ原で「ウッドストック」...JR「西浦和」駅~「指扇」駅。その2。桜草公園。秋ヶ瀬公園。(「荒川」を遡る。第2日目。)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、おやじのつぼさんをフォローしませんか?

ハンドル名
おやじのつぼさん
ブログタイトル
おやじのつぶやき
フォロー
おやじのつぶやき

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用