切羽詰まらないと変わりたいなんて思わないよね変わろうと思うのなんてにっちもさっちもいかなくなって手遅れになってからでないと人間なんてそんなもんさ兎に角やらなきゃって思うのは片付けと掃除それさえできれば目標達成もまじかということ単純なことなのにこれが結構難しい変わりたいこと
波乱万丈先のみえない人生
今できることをするだけ、結果は後からついてくると思うから。清く正しく美しく、気高く生きたい。
自分の都合しか考えてない人間がなんと多いことかもちろん自分ファーストが悪いわけではないただ目的が「友人を作ること」であるなら話は別だ人のことを考える思いやれる人間でなければ新たに信頼できる友人を作りたいと思うのなら無理というものだろうましてや若いころならいざ知らず半世紀以上生きてきた人間同士では自己中の人間は信用されない見抜かれてしまう友人が欲しいと口では言っていても首をかしげてしまう自分をさらすリスクを一切負わず相手の情報だけを知ろうとするそんな都合よい考え方で友人をつくれると思っているのだろうかそれとも表面上の友人が欲しいだけの寂しがりかまってちゃんの類なんだろうかもしそうなら半世紀以上生きてきて侘しい人間性だなと思ってしまうあなたが守っているものは何恐れているのは何なの私が失うと怖いと思っているのは自分自...そこに、どのくらいの思いがあるのか
なかなか難しいのです抜き足差し足ちかづいてみたり距離をとってみたり丁度いい距離感を図るのが人と親しくなるのは、相手の人が考える、人との心地いい距離感を読むことが大事。近づき過ぎると相手の人はうっとうしく感じてしまうだろうし遠過ぎるとよそよそしく感じてしまうだろうしそこが難しいところ親しくなるということ
繰り返し、自分に言い聞かせてきた言葉だけれど今度こそ、変われるだろうかいけないところが、間違っているところが明確であるにも関わらず、変わることができなかった今度こそ、変わりたいそして、抜け出たいこの堂々巡りから、この輪の中から新しい自分の正しいやり方を、身に着けたいのだもう何度となく
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切羽詰まらないと変わりたいなんて思わないよね変わろうと思うのなんてにっちもさっちもいかなくなって手遅れになってからでないと人間なんてそんなもんさ兎に角やらなきゃって思うのは片付けと掃除それさえできれば目標達成もまじかということ単純なことなのにこれが結構難しい変わりたいこと
自分が嘗ていた組織を、非難し続ける人達がいる。人ひとりひとりに、正義はあって、だから争いはなくならない。そこには、絶対的に正しいも、間違っているもない。立場によって、環境によって、価値観によって、変化するものだから。今間違っていると思っていることが、数十年、数百年後には、自分の中でさえ正しいに代わっているとことだってあるのだ。相手を貶めるなど、すべきではない。しかし、そこにその人の本質を知る手掛かりになる。人間的に優れた人と思っていたのが、一瞬で、愚かな人だった人であることに気付く。気づけたことに安堵しているのも確かだ。人間とは、なんと騙されやすいのだろう。私は、その人たちを非難することなく、自分の正義を信じ続けるだけだ。それぞれの正義
半世紀以上生きていると残りの人生時間がもうあまり残されてないのではないかと気になってきたりするこれから出会える人の数も経験できることを選択する機会も少なくなってくるのではと思うと焦る気持ちが起こったりする今死んだとしても心残りひとつないのだけれど生かされているのだとしたらなにかまだ出来るのではないかともし私にできることがあるのならやりたいと思うのだ何もせずにいていいのだろうかなんとなく不安になる見過ごしていることがあるのではと限りある時間の中で
新しい人と話をすることは、学ぶことや気付くことが多く、とてもだいじな時間本を読んで学ぶだけでは得られない、聞いてるだけでは得られない、自分を知ることができる昔は、考える時間を取り、答を決めてから口を開いていたけれど今は、瞬間的に判断をして、答えるあとから、なぜ私がその判断を下したのか、考える昔は、相手が自分をどう思うかが重要だったのだと思う今は、自分を分析すること、自分をより理解することに重きを置いているのだと思うできる限り、自分を解き放ち、自由に話すようにしているでないと脳が考えた答では、本当の自分が見えないから自分が何者なのか、それは他人という鏡に映さなければ見ることはできないのだと思う過去と今ー会話の中の変化ー
自分の意見を口にした瞬間に、そこに正しい間違っているは、無くなるのだということその判断は、受け取った側にゆだねられる相手の性格、経験、感情、価値観によって、どう受け取るかは決定される私の正しいは、私の中の正しいで、他人にとって正しいかは、別物であるということ多くの人は、そのことに気が付いていない絶対的に正しいものが存在すると思っているのだだから、戦争は起こり、互いが正しさを主張する(戦争のときは、偽りとわかっていても、事実とは異なる嘘の正しさを主張し続けるのだ、人々が絶対的正義を信じていることを利用しているのだ)最近気が付いたのは、人の正しさがそれぞれであるから、ルールが必要になり、法律を作ったのだろう法は、正しいものではなく、これを正しいとするという決め事なのだと思う社会的秩序を作るための道具ということ...自分の中の絶対的正しさとは
平穏な日々特に悩みもなく心静かに時が過ぎていく私は何をしてきたのだと、吹き来る風が私に言う昔読んだ詩の一片が、こだまする悩み悶えながら生きていないと生きている実感がしないただ、穏やかに時間が過ぎていくことが、無意味に感じてしまう何かやることがあるはず、そのために生かされているはず私は、自分のために生きる意味が、分からないのだただ、無意味に
奇跡のリンゴの著者は、宇宙人に地球のカレンダーを見せられたそうだ。それは限りあるものだったので、この先は?と尋ねたそうだ。その先は無いと宇宙人は答えたらしい。そのカレンダーの終わりが、もう数年先に迫っているらしい。地球が終わるとは?消えたなくなるということなのか、人類がいなくなることなのか、はたまた、次元が変わるということなのか。どうせいつかは死ぬのだから、地球の最後を見届けたいと思っている。世界が終わる時
自分の考えに迷わなくなったのは、いつからだろう子供のころは、迷ってばかりいた正しい答えが知りたくて世の中には正解があって、不正解を選んでしまうと幸せから遠ざかってしまうのだと思っていたある時から気が付いた人生には正しいも間違っているも無いのかもしれないこと苦しんで死んでいく人穏やかに眠るように死んでいく人願わくば苦しみなく死んでいきたいと願ってしまうが、それすらも経験という枠の中で考えればどちらも貴重なものなのであるかもしれない昔コンクリート詰めで殺害された少女が見つかった事件があった数人の少年たちに監禁され、拷問を受け、最後にはころされてしまった彼女は間違った選択をして、そんな最後を迎えたのかもしれないが果たして間違った選択であったのか私が穏やかに死んでいったとして、誰の記憶の残り続けるというのか彼女の...いつからだろう
流れていく時間が、穏やか過ぎてこのままでいいのか不安になる生きている意味を問いたくなってしまう良いのかなこんなに平穏で穏やかな日々
真実を語る者が現れた今までは公で語ることはタブーとされていたことをまだ間に合うのだろうか?崩壊に向かっているこの世界を止める事百億の昼と千億の夜の阿修羅王のように、決して勝てない戦いを永遠に続けていくことになるのだろうかそれでも負けると分かっているとしても、願わずにはいられない希望の光を、絶やしてはならないと希望
世界の終わりが来るとしたら、戦争なのだろうか。それとも、自然環境の変化。もしかしたら、免疫で対抗できない、人工の病原菌かもしれない。目覚めた時から、多くの噓が存在していることを知った。株は、誰かが操作している。裏に大きな力ある者が隠れている。民は、翻弄される。右に左に何も知らず、何もわからず。世界の終わり
嫌われる勇気を読んだ。「経験していないあなたには、私の気持ちなど解るはずがない。」そう言って突き放す言葉は、「不幸自慢」だという。不幸であることで「特別」であろうとし、その1点において、相手より優位に立とうとする。自分が嫌いだといいながら、自分が変われない理由を探すのは、言い訳があれば変わらないで済むから。本当は、変わりたくないと思っているから、自分を嫌いでいたいと望んでいるから。精神を病む人が増えている現代、アドラーは、早く生まれ過ぎたのかもしれない。フロイトと同世代の人なのに、現代人の悩みを解く鍵になる心理学である。アドラー心理学
自分の都合しか考えてない人間がなんと多いことかもちろん自分ファーストが悪いわけではないただ目的が「友人を作ること」であるなら話は別だ人のことを考える思いやれる人間でなければ新たに信頼できる友人を作りたいと思うのなら無理というものだろうましてや若いころならいざ知らず半世紀以上生きてきた人間同士では自己中の人間は信用されない見抜かれてしまう友人が欲しいと口では言っていても首をかしげてしまう自分をさらすリスクを一切負わず相手の情報だけを知ろうとするそんな都合よい考え方で友人をつくれると思っているのだろうかそれとも表面上の友人が欲しいだけの寂しがりかまってちゃんの類なんだろうかもしそうなら半世紀以上生きてきて侘しい人間性だなと思ってしまうあなたが守っているものは何恐れているのは何なの私が失うと怖いと思っているのは自分自...そこに、どのくらいの思いがあるのか
なかなか難しいのです抜き足差し足ちかづいてみたり距離をとってみたり丁度いい距離感を図るのが人と親しくなるのは、相手の人が考える、人との心地いい距離感を読むことが大事。近づき過ぎると相手の人はうっとうしく感じてしまうだろうし遠過ぎるとよそよそしく感じてしまうだろうしそこが難しいところ親しくなるということ
繰り返し、自分に言い聞かせてきた言葉だけれど今度こそ、変われるだろうかいけないところが、間違っているところが明確であるにも関わらず、変わることができなかった今度こそ、変わりたいそして、抜け出たいこの堂々巡りから、この輪の中から新しい自分の正しいやり方を、身に着けたいのだもう何度となく
人は欲深いから幸せな時が永遠に続けばいいと願ってしまうでも、過ごした時間の尊さは永遠にも勝るとも劣らないものかもしれない癌で若くして亡くなった美しい人は「若いのに、可哀そうに」とか言われたくないと言った短い人生かもしれないけれど、誰に劣らず幸せであったし、誰にも劣らず力の限り生きぬいたから愛する人と心通わせ、至福の時を過ごせたのならたとえ、別れが訪れようともその素晴らしい時は、永遠なのだと思うあなたの1日が永遠と同じ重さを持って、存在するように愛する人がいるのなら愛しぬいてほしい別れを恐れずに1日が永遠
若い時は、互いに愛しているならば、越えられないことなど無いはずだと思っていたでもそうではなかった愛し合っていても、別れなければならないこともある愛し合っているのに、別れを選んでしまうこともある相手の幸せをねがうから自分では幸せにできないことを知ってしまうから自分が幸せでないと、相手は幸せでないそして、相手が幸せでないと自分も幸せではない悩んで悩んで、苦しい別れを選ぶきっと遠い未来に、「この選択でよかったのだ」と思える日が来ることを信じて未来の選択
完全な自由は、自由と感じられない。制限のある中での自由が、自由なのだと思う不自由を知らないと、自由を知ることはできない。不思議だよね。形のない自由は、比べるものが無いと感じられないんだ。自由
若い時は、愛さえあれば生きていけるそんな風に思い込んでいたこともあったかもしれない愛(恋愛)は危うい嫉妬心や不信感や寂しさで、容易に壊れていくそして、愛とはかけ離れたところにあるような気がしていたお金が、実は愛を安定させるものだったりする。そして年を取ってくると、思いだけでは、貫くことが難しいことが解ってくる。愛だけでは、生きていけない。バランスをとれることが、重要。精神的、金銭的に追い詰められてしまうと、すべてが壊れていく。だから、もう盲目的に恋をするなら、片思いでいい。つき合うのなら、精神的、金銭的に自立していて、独りで歩いていける人。でもそんな人は、私を必要としていない。私が与えられるのは、安心や安定で、どこか危うい人が欲するものだから。そして私は、必要とされたいと思っているのだから。人生は矛盾の中にある...矛盾
こんな人になりたいそう決意しなければ、自分を変えることはできないなぜ変わらなくちゃいけないの?そう聞いてきた人がいたあなたを愛してくれる人が、現れないのはなぜ?「自分を愛してくれる人がいれば、変われる気がする」そう言ったけど。好きになってもらってから、変わる必要ってあるのかな?2人がうまくいかないときに考えればいいことで・・・。魅力のある人は、人を引き付ける。自分自身すら魅力があると思わないのに、愛されることを欲しても難しいと思う。変わったらそれは自分じゃない、このままの自分を好きになってほしい。でもそれって、ずいぶんな我儘な話だよね。他の人にはない何かを、自分は持っているって思っているのかな。自分の良さを見つけ出してほしいとでも、甘えているのかな。いったい変わるってどんなことを想像しているんだろう、別人になる...変わりたいと思うこと
自分の考えに迷わなくなったのは、いつからだろう子供のころは、迷ってばかりいた正しい答えが知りたくて世の中には正解があって、不正解を選んでしまうと幸せから遠ざかってしまうのだと思っていたある時から気が付いた人生には正しいも間違っているも無いのかもしれないこと苦しんで死んでいく人穏やかに眠るように死んでいく人願わくば苦しみなく死んでいきたいと願ってしまうが、それすらも経験という枠の中で考えればどちらも貴重なものなのであるかもしれない昔コンクリート詰めで殺害された少女が見つかった事件があった数人の少年たちに監禁され、拷問を受け、最後にはころされてしまった彼女は間違った選択をして、そんな最後を迎えたのかもしれないが果たして間違った選択であったのか私が穏やかに死んでいったとして、誰の記憶の残り続けるというのか彼女の...いつからだろう
流れていく時間が、穏やか過ぎてこのままでいいのか不安になる生きている意味を問いたくなってしまう良いのかなこんなに平穏で穏やかな日々