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宮崎駿にとって、監督としての前作は2008年の『崖の上のポニョ』となるが、脚本家としてのそれは、2011年『コクリコ坂から』(宮崎吾朗監督)になるだろう。その舞台は1963年の横浜。ここに港南学園という高校があって、老朽化した文化部部室棟「カルチェラタン」の建て替え計画が進められていた。一方それに反対する生徒たちもいて、あるとき「全学討論会」なる集会が開かれた。その時の、建て替え反対派筆頭の少年のセリフが以下...
話はようやく映画『風立ちぬ』に辿り着いた。と言っても、ここで今さら『風立ちぬ』の感想をクドクドと言いたいわけではない。宮崎駿の「現在地」という観点から、いろいろ引用したり、引用したり、引用したりして、ついでに多少は自分の考えも述べてみようかと思うところだ。はっきり言って、『風立ちぬ』の論評なんかはその道のプロに任せておけばいいんだ(笑)。岡田斗司夫さんの「『風立ちぬ』を語る」(光文社新書・2013年)...
宮崎駿が、自分の親父さんについて語ったものが初めて印刷物になったのは、1995年7月の『キネマ旬報臨時増刊』に収められた『宮崎駿講演採録 アニメーション罷り通る(なごやシネフェスティバル’88)』だと聞いている。ここで宮崎は4才で体験した戦争の記憶を語り、それは「創作の原点を窺うことのできる貴重な講演」であると解説がついている。今となっては余りに有名な講演だが、知らない人のために部分的に引用してみよう。...
話はいきなり宮崎駿に戻る。2013年7月に発行されたスタジオジブリの小冊子『熱風』には、正直参った(笑)。ここに宮崎駿の名義で寄稿された文章のタイトルは『憲法を変えるなどもってのほか』で、文中でも「本当に日本が嫌いになりました」「情けない戦争だったんだ」「本当に日本人はダメだと思いました」などと反日的発言の連発。このブログで、宮崎駿が左翼を辞めたことを嬉々として取り上げた身としては、腹立たしいやら恥ず...
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