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山城京一からの年末のご挨拶
SE山城京一のP.F.ドラッカー講座 Amazon
2023/12/31 18:00
京子先生からの年末のご挨拶
おじいちゃんといっしょ 徳薙 零己[著] Amazon Kindleインディーズマンガにて無料公開中! S…
2023/12/30 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 43/239
そして、建久四(一一九三)年八月二〇日、ここで明確に曾我兄弟の仇討ちと源範頼とをつなぐ記述が吾妻鏡に登場する。吾妻鏡のこのあたりの記載は源範頼が曾我兄弟の仇…
2023/12/29 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 42/239
だが、いったい誰がこんなものを信じるのか? 當麻太郎は源範頼の家臣として有名であるだけでなく、その武芸においても有名な人物であった。その人物が源頼朝の寝室の…
2023/12/28 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 41/239
建久四(一一九三)年八月二日、源範頼は源頼朝への忠誠を誓う起請文を源頼朝に送りながら、逆に源頼朝の怒りを買い、鎌倉からの追放となったのである。 吾妻鏡に記載…
2023/12/27 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 40/239
富士の巻狩の始まりは建久四(一一九三)年五月八日、そして、終了は六月七日。文字通り一ヶ月間に亘る壮大な規模の巻狩が終わりを迎えた。ただし、曾我兄弟の仇討ち以…
2023/12/26 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 39/239
巻狩の舞台と鎌倉との間は距離がある。そして、センセーショナルな情報というのは真実よりも早く届いてしまう。リアルタイムで情報伝達ができる現在であっても、情報と…
2023/12/25 18:00
タイムマネジメント 3
2023/12/24 18:00
みどり(5)
2023/12/23 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 38/239
曾我兄弟の実父である河津祐泰は、河津祐泰の父である伊東祐親が平家の権勢を背景にして伊東荘を手に入れたことを非難し、河津ではなく伊東を苗字とするようになった父…
2023/12/22 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 37/239
残る三人は源頼家が健在であるという前提が必要となる。 まず比企能員であるが、源頼家には比企一族の後方支援が存在している。源頼家の養育は比企尼をはじめとする比…
2023/12/21 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 36/239
さて、この曾我兄弟の仇討ち事件については工藤祐経への殺害を主としたものではなく、源頼朝の暗殺を狙った犯行であるとの説もある。 二一世紀に生きる我々は鎌倉幕府…
2023/12/20 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 35/239
その後、夜半に仁田忠常に討ち取られた曾我祐成の首が運ばれ、曾我時致は間違いなく兄であることを確認した。 曾我時致に同情する者も多く、助命を求める者も現れてき…
2023/12/19 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 34/239
その後、兄の曾我祐成が仁田忠常に討ち取られると、弟の曾我時致は源頼朝めがけて突進していったが、大友能直にとって取り押さえられ、捕縛されて翌朝を迎えることとな…
2023/12/18 18:00
タイムマネジメント 2
2023/12/17 18:00
みどり(4)
2023/12/16 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 33/239
建久四(一一九三)年五月二八日は朝から雨天だったが午後になって雨が上がったとある。ただし、雨は夜になると再び降るようになり、真夜中には雷雨へと変わった。 朝…
2023/12/15 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 32/239
先に巻狩を現在のゴルフに準(なぞら)えたが、無論、現在のゴルフと大きな違いが多数存在する。その中でも最たるものは、一日で終わるとは限らないというものだろう。…
2023/12/14 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 31/239
五月一六日の矢口祭はまず、北条義時が三つの餅を献上した。大きさはタテ八寸、横三寸、厚さ一寸という大きなもので、かつ、そのうちの一つは黒、一つが赤色をしている…
2023/12/13 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 30/239
巻狩の始まりは六斎日のうちの一日である一五日が過ぎた翌建久四(一一九三)年五月一六日である。 吾妻鏡が伝えるところによると、源頼朝の後継者であり、後に源頼家…
2023/12/12 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 29/239
先に平氏の多くが桓武天皇の子孫である桓武平氏であると記したが、桓武平氏の全員が武士なわけではない。地方に降った桓武平氏のうちの一部は伊勢国を根拠地とする武家…
2023/12/11 18:00
タイムマネジメント 1
2023/12/10 18:00
みどり(3)
2023/12/09 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 28/239
さて、このときの巻狩の前に記しておかなければならない出来事がある。 まさに巻狩に出かけているために源頼朝が不在となっていた鎌倉で、一人の文人が命を落としたの…
2023/12/08 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 27/239
源頼朝らが現地に到着したのは五月一五日。源頼朝にしてはゆっくりとしたペースであるが、源頼朝らは戦争をしに行くのではない。レジャーとしての巻狩に赴いているので…
2023/12/07 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 26/239
出来事の推移を時系列で追いかけてみる。 建久四(一一九三)年五月二日、源頼朝の命令により北条時政が駿河国藍沢、現在の静岡県の御殿場に出向いた。この巻狩は後に…
2023/12/06 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 25/239
二人が選んだ方法は弓矢での射殺であった。 だが、この暗殺は失敗した。伊東祐親ではなく、息子の河津祐泰が殺されてしまったのだ。 伊東荘を巡る争いは有名であり、…
2023/12/05 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 24/239
建久四(一一九三)年五月二日、源頼朝の人生で最大規模の巻狩の準備が始まった。場所は富士山麓の藍沢である。 これだけを記せば、後白河法皇の一周忌を契機として、…
2023/12/04 18:00
職務設計 58
2023/12/03 18:00
みどり(2)
2023/12/02 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 23/239
吾妻鏡はさすがに源頼朝の主催した巻狩のことを詳しく書いてある。 まず建久四(一一九三)年三月二一日に信濃国三原野、現在の長野県須坂市に二二名の御家人を率いて…
2023/12/01 18:00
2023年12月 (1件〜100件)
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