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あすなろの木の下で http://asunaroweb.blogspot.com

都筑区センター南駅前の整形外科・リウマチ科のブログです。食べ物や音楽のネタも紹介しています。

亜沙郎
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2007/12/23

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  • 俳句の勉強 59 映像の無い季語

    俳句は少ない文字数で読者が内容を理解してもらえることが重要ですから、無駄な言葉を省くことはもちろん、言わずとも伝わる内容も削ります。そして、俳句の内容が映像として読者が想像できれば、説明を大幅に減らすことができることになります。 基本形として有季定型、つまり季節を象徴する季語を必...

  • 出た!! プロローグ

    昨日の早朝、起き立ての眠気がすっ飛んだ。 何と、うちから近いパン屋さんのプロローグがテレビで紹介されているじゃありませんか。このブログでも何度も登場している名店です。 TBSの朝の情報番組、「THE TIME」で篠原アナがあちこちに出向いて、美味しい物を紹介する「早朝グルメ」のコ...

  • サッカー・ワールドカップ2022 日本 VS コスタリカ

    もともとグループ・リーグの抽選が決まった時に、唯一、日本が勝てるかもと予想されたのがコスタリカでした。 日本は初戦の対ドイツ戦で大金星をあげたので、対コスタリカに勝つことは重要度を大幅に増しました。ここは是が非でも勝ち点3をもぎ取らないといけません。 昨夜、日本時間ごご7時から・...

  • セブンのおにぎり

    コンビニの雄、セブンイレブンの期間限定おにぎりは、登場してもあまり食べてみたくなることは少ないのですが、今売られているののがこれ。 わさびめし・・・これは、以前にもあったように思いますが、115円という安さも魅力。一口食べると、ほんわかとわさびの香りが口の中に広がり、もう一口かぶ...

  • 味噌を作ってみる 7 もつ煮

    自家製味噌作りで、使ってみようシリーズ・・・って続くかどうかわかりませんけど。 今回は、「もつ煮」です。 豚の白もつ 適当量 野菜類 好きな物いろいろ適当量 定番としては大根、人参、椎茸、蒟蒻、牛蒡・・・ 今回は、ちょっと嬉しいウズラの卵も入れてみました。 味付けは、出汁はあ...

  • サッカー・ワールドカップ2022 カタール大会始まる

    あっ、何か一日遅れの話題でスミマセン。もう、さんざんニュースでやってたので、お腹一杯ネタかもしれませんが・・・ 森保JAPAN、初戦で強豪ドイツを撃破!! おめでと~!!  もともと、グループリーグの組み合わせはシビアでしたよね。何しろ、日本の入ったグルーブEは、ドイツ、スペイン...

  • 俳句の鑑賞 47 桂信子

    桂信子、本名、丹羽信子は大正3年(1914年)に生まれた、大坂出身の女流俳人です。 少し話を戻して、 日野草城の連作「ミヤコホテル」 のことを思い出しましょう。昭和9年に発表された、京都のミヤコホテルを舞台に、(想像上の架空の)新婚初夜のことを大胆に俳句としたため、その是非につい...

  • 俳句の勉強 58 寒卵で苦心

    寒卵・・・「かんたまご」と読みます。それにしても、兼題にはすごくありふれたものか、あるいは聞いたことが無い言葉が出てくる。寒卵は聞いたことが無い方。どちらも難しいのは一緒です。 「寒卵」し晩冬の季語で人事生活に関する物とされていて、「寒中に鶏が産んだ卵。この時期は滋養が多く、保存...

  • 俳句の鑑賞 46 高柳重信

    高柳重信は、大正12年(1926年)に東京で生まれました。父親も俳句を嗜み、重信も中学に入ると投句を始めます。昭和15年、早稲田大学に入学しますが、投句していた俳誌が軍国主義化していったため、自ら「早大俳句」を創刊します。 昭和17年、大学を繰り上げ卒業しますが、結核を発症し前橋...

  • 俳句の鑑賞 45 金子兜太

    金子兜太(とうた)は、「ホトトギス」の絶対性が弱まった戦後の俳壇を牽引した最重要人物と言えそうです。大正8年(1918年)に埼玉で生まれましたが、旧制熊谷中学を卒業後は水戸に転居し、旧制水戸高等学校に入学し、ここで学友に誘われ句会に参加し、初めて詠んだ句があります。 白梅や老子無...

  • エコ・テロリズム

    地球温暖化が進行している。そして、それは、地球の自然環境にとってかなり深刻な状況をもたらしていることは間違いない。自分たちも、年々に異常気象と呼ばれる、かつての経験からは想像できない事象に遭遇する頻度が増えていることは実感している。 そこで、環境活動家と呼ばれる人々は美術館を訪れ...

  • 焼売

    シュウマイと言えば・・・横浜ではすぐに思いつくのは崎陽軒ですが、確かにスーパーで売っているほとんどのシュウマイより、崎陽軒は美味しいことは間違いない。 ならば、崎陽軒に挑戦しようじゃありませんか。と、無謀な話ですが、シュウマイを作ることはそれほど難しくはありません。 まず材料です...

  • コキア

    コキア、またはホウキギと呼ばれる、細い枝がたくさん伸びて丸っこい植物。ヒユ科バッシア属の一年草です。 このあたりでは、よく見かけます。庭とか畑の端あたりにたくさん並べて植えてあったりします。 きれいな緑色だったのが、この時期、真っ赤に紅葉します。もう少しすると、黄色から茶色になっ...

  • 和三盆

    主として四国で作られている、伝統的な砂糖が和三盆。 基本的にはサトウキビから作られるので、普通の砂糖と変わりません。 ただ、「研ぎ」と呼ばれる砂糖粒子を細かくする作業を繰り返すことで、きめの細かい「粉」状にして練り固めたものは、ある意味芸術品のような出来栄えです。 甘さが柔らかい...

  • 菊芋

    菊芋(きくいも)・・・って、何だ? って感じなんですが、知る人ぞ知るなのか、知らないと恥ずかしいのか・・・ 北米原産のキク科の多年草で、けっこうそこらに生えていたりするらしい。 5cm程度の塊で、球根みたいなものかと思ったら、実はこれは地下茎で、塊茎ともいわれているもの。食用にな...

  • 俳句の鑑賞 44 川端茅舍

    川端茅舍(かわばたぼうしゃ)、本名、信一は、明治30年(1897年)に東京の日本橋蛎殻町で生まれました。風流人だった父親の影響で、当初は西洋画家を目指していました。その一方で、17歳のころから茅舍の俳号を名乗り、飯田蛇笏の「キララ(後の雲母)」へ投句をするようになりました。 しか...

  • 俳句の鑑賞 43 松本たかし

    もちろん、作詞家の松本隆とは別人。関係ありません。松本たかし、本名は孝は、明治39年(1906年)に東京の神田で代々能役者の家柄の長男として生まれました。生涯、高濱虚子に師事し、「ホトトギス」の困難期を支えた俳人です。 5歳から能を始め、8歳で初舞台を踏むも、肺病のため16歳で淡...

  • 俳句の勉強58 落葉で苦心

    寒くなって来ると落葉は、そこらじゅうで見ることでできます。当然、冬の季語になっていて、単独以外にも「落葉掃く」、「落葉焚く」、「落葉時雨」などの傍題も使われます。 まだ木に残っていて散りそうなのか、木からは垂れてゆらゆらと落ちているのか、あるいは地面に溜まっているのか、時間的な変...

  • 俳句の鑑賞 42 石田波郷

    石田波郷(はごう)、本名哲夫は、大正2年(1913年)、松山市の中心部から西の海岸沿いの町で農家の次男に生まれました。地元の尋常小学校を卒業すると、県下一番の県立松山中学へ進学。かつての教壇には夏目漱石が立ち、先輩には子規、碧梧桐、虚子、草田男などがいます。 中学で俳句を作り始め...

  • 俳句の鑑賞 41 加藤楸邨

    加藤楸邨(しゅうそん)、本名、健雄は明治38年(1905年)に東京で生まれました。父親が鉄道勤務で転勤が多く、楸邨も各地を転々として父親の定年により金沢に落ち着いたのは旧制中学の頃でした。大正14年、父親が病没し、一家は水戸に転居し、楸邨は水戸で代用教員の職に就きます。 しかし、...

  • オリーブ・オイル・ドレッシング

    日本の自家製オリーブ・オイルを使った高級ドレッシング・・・をいただきました。 小豆島にある井上誠耕園が作っている もので、それなりの値段です。それなりの値段だと、それだけで美味しく思ってしまうのが、小市民的なところですが、少なくとも普通に使うものよりは間違いなく高級です。 オリー...

  • 月蝕

    いや、月蝕の前に11月7日は立冬だということを忘れちゃいけない。暦の上ではここから冬だということ。 毎年、いつの間にか過ぎる立冬に比べて、やはりセンセーショナルなのが昨夜の月蝕。それも皆既ですよ。しかも、442年ぶりの天王星蝕も同時に見られる・・・ 相当、天気が良い空気の澄んだ場...

  • 俳句の勉強 57 第二芸術論

    第二芸術論とは、は、岩波書店の「世界」誌の昭和21年(1946年)11月号に掲載された桑原武夫の論文のタイトルです。その挑発的な内容によって、戦後間もない俳壇に大きな衝撃を与え、論争を巻き起こしました。 現在も文庫本として論文集は手に入るので、本来はしっかりと読了した上で書くべき...

  • 俳句の鑑賞 40 中村草田男

    降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男 いきなりですが、超有名です。誰もが一度は耳にしたことがある俳句の一つ。これは、大学に進学した俳人・中村草田男が、自分が通った東京都港区の青南尋常小学校を訪れた際に詠んだ句。本人は、「降る雪によって、時と場所の意識が空白化し、今も明治が続いて...

  • 俳句の鑑賞 39 永六輔

    永六輔は昭和8年(1933年)生まれの、テレビ放送黎明期を代表する放送作家であり、大ヒットした「上を向いて歩こう」、「こんにちは赤ちゃん」、「いい湯だな」、「遠くへ行きたい」などなどの作詞家としても知られています。テレビやラジオで様々な意見を発信し、平成28年に多くの著作を残して...

  • 投句結果 1

    俳句を作る上で、兼題というテーマが決められていることがあります。もちろんテーマが無く、好きに作れと言われても、なかなかネタを見出しにくいですから、プロの俳人でもなければ途方に暮れてしまいます。 兼題はほとんどの場合には季語が選ばれているわけですが、その言葉を聞くと頭の中に映像が浮...

  • 味噌を作ってみる 6 出来ている

    4か月近く、その後音沙汰なしだった ので、味噌作りは失敗して捨ててしまったんだろうと思っていたでしょう・・・ところが、そうじゃない。 とりあえず出来ています。仕込んでから最低3か月ということでしたが、さすがにそれじゃ熟成具合がイマイチだろうと、ずっとほったらかしていました。 もっ...

  • 俳句の鑑賞 38 三遊亭圓樂

    ここでは三遊亭圓樂は、六代目のこと。昭和の人間は、圓樂というと馬面の五代目の印象が強い。六代目は、1970年に五代目に入門して六代目圓生に命名された楽太郎と名乗っていた期間が長く、五代目が2009年に亡くなったことで、六代目を襲名しました。 三遊亭の大名代は圓朝と圓生。そして圓生...

  • 俳句の鑑賞 37 鷹女と多佳子

    三橋鷹女、本名、たか子は、昭和初期に活躍した女流俳人の中で、「ホトトギス」との関係が無い例外的な存在です。明治32年(1899年)に千葉県成田で生まれました。県立成田高等女学校を卒業、歌人が多い家族の影響で短歌に親しむようになりました。 23歳で歯科医の夫と結婚し、夫の影響で俳句...

  • 俳句の鑑賞 36 汀女と立子

    昭和の時代になって、杉田久女に続いて「ホトトギス」で活躍し始めた女流俳人が中村汀女と星野立子でした。 中村汀女(ていじょ)は、本名は破魔子、明治33年(1900年)熊本県に生まれ、12歳の時に県立第一高等女学校に進学しました。大正7年卒業する頃より「ホトトギス」に投句を始め、すで...

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