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  • 松陰(まつかげ)神社 神巡り旅第16項(2)

    武家屋敷通りに残る鍋島鹿島藩家老の「原邸」の「棟門」です。この奥には荒廃が進む家屋が見えるのですが、中に入ることは出来ません。この武家屋敷通りにはこうした何とも言えない歴史を感じる空気が漂っています。少し進むともう一つやや小ぶりな棟門がありました。何気なく見ていると三星の家紋が目にとまりました。すぐ横の門に続く土塀の上の瓦にもやはり同じ家紋。おぉ~!、これはまさしく「松浦家」の家紋ではないか、と思って棟門を見てみると、なんと「相浦~」という表札が掛かっている。話が少し長くなりますが、「水軍松浦党」の党祖である松浦今福の松浦宗家は、そののち佐世保相浦を本拠として城を構えました。佐賀では松浦党は厳木の「獅子城」辺りまで勢力圏でしたが、戦国期に龍造寺氏にとって代わられ、その後に鍋島氏の支配下におかれます。「相浦」と「...松陰(まつかげ)神社神巡り旅第16項(2)

  • 松陰(まつかげ)神社 神巡り旅第16項(1)

    ここは肥前鹿島城址です。「鹿島城」は佐賀鍋島の支藩のひとつであり、正式には城ではなく「陣屋」となっていますが、規模はまさしく城そのものです。城郭は本丸と外郭で構成されていますが、その南側に「松陰神社」という神社があります。東側外郭のこの石段を上ると「二の鳥居」が建っています。「一の鳥居」は、向かって右方向の外郭に「旭が丘公園」があり、その入口近くに建っています。向かって参道をまっすぐ歩くと「三の鳥居」です。手水舎は濠をまたぐこの太鼓橋の手前に建っています。三の鳥居を過ぎて見上げると「拝殿」です。この神社は「吉田松陰」とは何も関係なく、「まつかげじんじゃ」と呼びます。祭神は鹿島藩初代藩主・鍋島忠茂公です。旧社格は「旧縣社」となっています。裏手の「幣殿・本殿」です。松蔭神社横手の鹿島城本丸の石垣が美しい「内堀」です...松陰(まつかげ)神社神巡り旅第16項(1)

  • 文化の香りを求めて

    ゴールデンウィークを外して4月にオートバイで2か所ほど旅をしてきました。最初は福岡の柳川市です。まぁ倉敷の美観地区と似ていますが、有名な川下りはもともと柳川城の堀だったところを巡るので、水は澱んでいます。城主立花氏の旧邸宅「御花」の敷地内にある洋館です。明治期に伯爵となった立花氏が建てた「伯爵邸」だそうです。この頃の建築はなぜかノスタルジーを感じて好きです。柳川と言えば「北原白秋」です。詩人・童謡作家として有名ですが、作曲家・山田耕筰と組んで全国の校歌を100曲以上製作していることも忘れてはなりません。現在生家は資料館として保存されていますが、裏手に大きな記念館(資料館)が建てられています。日をあらためて熊本は山鹿市を目指しました。松浦より下道のみで約3時間のツーリングです。山鹿市といえば「八千代座」でしょう。...文化の香りを求めて

  • 住まい3題

    最初は平屋の現代和風の住まいH邸です。数年前の作品です。キッチンよりリビング。客間です。リビングよりキッチン方向、オリジナルデザインのダイニング照明。2.次は1階が居酒屋のU邸です。これも数年前の作品です。道路側より背面、住居への外部階段。2階リビングです。3.次は平屋の和風住宅S邸です。外観の画像がありませんが数寄屋に寄せています。玄関収納部です。杉柾の扉が美しい。この住まいにはリビングに薪ストーブが鎮座します。出書院のある本格和室です。以上3題とも松浦市内の作品です。まだ紹介出来ていない住まいがありますが、今回はここまで。mm撮影:NikonD5100住まい3題

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