松陰(まつかげ)神社 神巡り旅第16項(2)
武家屋敷通りに残る鍋島鹿島藩家老の「原邸」の「棟門」です。この奥には荒廃が進む家屋が見えるのですが、中に入ることは出来ません。この武家屋敷通りにはこうした何とも言えない歴史を感じる空気が漂っています。少し進むともう一つやや小ぶりな棟門がありました。何気なく見ていると三星の家紋が目にとまりました。すぐ横の門に続く土塀の上の瓦にもやはり同じ家紋。おぉ~!、これはまさしく「松浦家」の家紋ではないか、と思って棟門を見てみると、なんと「相浦~」という表札が掛かっている。話が少し長くなりますが、「水軍松浦党」の党祖である松浦今福の松浦宗家は、そののち佐世保相浦を本拠として城を構えました。佐賀では松浦党は厳木の「獅子城」辺りまで勢力圏でしたが、戦国期に龍造寺氏にとって代わられ、その後に鍋島氏の支配下におかれます。「相浦」と「...松陰(まつかげ)神社神巡り旅第16項(2)
2022/05/21 23:17