1976年(昭和51年)の今日鹿児島市立病院で日本初の五つ子(男子2・女子3)が誕生したんです。NHK記者の御夫婦に授かった子供たちで、多胎妊娠の5卵生の赤ちゃんだったそうで朝から陣痛がはじまり昼過ぎには自然分娩がはじまり第1子娩出後2~3分おきに次々と生まれ、要した時間は9分ほどだったそうです。大きい子で1800g、小さい子で990gで、慎重な保育管理で9月にはお母さんとともに全員退院された。山下家の五つ子さんは現在49歳。東大・学習院など有名国立・私立名門などを出られ御立派な社会人になられてるんだとか。1070今日の出来事
市からの情報配信メールにこんな珍しい内容が。こんな情報が
今朝寝起きの体温測定をしたが、30秒ほどで測定完のピッピが鳴ってしまい繰り返しても変わらず。電池消耗だった。歩活の途中でストアーに寄り、棒電池用と併せ2種類の釦電池を購入した。消耗品って、切れるときは集中するんですね~。釦電池
2月3日(月)の大腸内視鏡検査に向け事前準備を始めた。今日から前日までの5日間、毎食後2錠の下剤(総計30錠)を服用だ。大腸検査準備
“寒さ厳しき”と言いたいんですが投稿中の17時過ぎ室内温度計は20℃です。なま暖かい強い風が吹いています。春のフェーン現象にはまだ早いですね~。手入れが悪いので例年あまり咲いてくれないままの拙宅の紅梅ですが、今年は意外(笑)と蕾が多いようです?<紅梅の苔のような拳哉>正岡子規紅梅
現在マンUに所属する我が町のなでしこ宮澤ひなた選手の久々の情報が。以下記事の抜粋です。マンUの宮澤ひなたが待望の今季発ゴール!ブライトン戦3発快勝に貢献。第12節ブライトン戦に先発出場、11分にデザインされたフリーキックからペナルティエリア外でボールを受けてシュートを放つ。一度味方に当たったこぼれ球に反応し左足を振り抜き、ゴール左隅に突き刺しチームに追加点をもたらした。宮澤はフル出場で勝利に貢献。マンUは3-0で快勝し、リーグ戦4連勝。遠い異国で元気に活躍されてるようです。(嬉)1065ひなたちゃんゴール!
昨日の深夜(27日午前1時過ぎ)、消防車サイレンで目が覚めた。その後寝付いてしまったが深夜ながら市広報放送があったらしい。今日の新聞掲載記事によると、山間部の集落の最も高いところの住宅1棟が全焼したらしい。幸い怪我人はなかったとか。年が変わっても、この冬は相変わらず火災が多いようだ。火の用心火災
「7の日(月3回)富士山定点撮り」を始めはしましたが、1月は何と全3敗でした。これで4連敗。通算2勝4敗です。画像に大きなクレーンが写ってますが、画像下部の住宅裏側の「県道R74」からクレーン下の「線路」を横切り、2級河川「狩川」に新たな橋を架け、800mほど東方向先のR720を横切り、R717(沼田国府津線)に接続するという大工事が始まったんです。数枚の田を潰した土地に、巨大クレーン2機の他数々の重機が入ってます。4連敗
鬼平犯科帳なTVTV時代劇の舞台として登場する「川土手沿いに並ぶ黒塀の建物」。京都だろうとは思っていたがこれまで判らないままで気になっていた。暇な爺さん、あちこち検索の結果、やっと探し当てた。京都市伏見東高瀬川沿い「松本酒造」様の建物でした。😌建物前の土手を、盗賊改めの提灯の行列が走るんですね。時代劇舞台
学問とか菅公とかには全く縁のない拙者ですが、1124年前の今日は右大臣・菅原道眞が醍醐天皇によって太宰府に左遷された日なんだそうです。道眞の才能を妬む左大臣・藤原時平の策略により天皇から左遷され筑紫国に流罪とされたわけです。長年住み慣れた自宅庭の梅の花を見て「東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花主無しとて春を忘るな」と詠み都を旅だった。その梅は都から太宰府の庭まで飛んで行き、根付いたのが太宰府天満宮の「飛梅伝説」なんですね。尋常小学校唱歌「菅公」一、日かげさへぎるむら雲に二、のちを契りし梅が枝に干すよしもなき濡衣を東風吹く春はかへれども身には著つれど真心の菊の節會の後朝のあらはれずして止まめやと宴に侍りし秋は來ず神のまもりを頼みつつ御衣を日毎に拝しつつ配所に行きし君あはれ配所にはてし君あはれ左遷の日
今日の新聞の歴史欄「箱根竹ノ下の戦い」の記事。後醍醐天皇の建武新政府に反旗を翻した足利尊氏が駿河国箱根竹ノ下(現・静岡県小山町)で新田義貞ら天皇方の討伐軍を破った。討伐軍は味方の裏切りで崩れた。尊氏は敗走した義貞を追って都に入り、南北朝の動乱が始まった。と言う記事ですがこの場所は、我が町と小山町の境界にある足柄峠を小山町側に九十九折り?を下る78号線(金太郎富士見ライン)上の絶好の景観地です。TVドラマの車転落場面に使われた程のヘアピンカーブがそのポイントです。5年ほど前にベテランカメラマン氏に教えて戴いたんです。我が町のこんな近くに記事のような歴史上の戦いがあったとは知りませんでした。【画像はそのポイントでの2020年元旦の初富士です】1060箱根竹ノ下の戦い
歩活のコースのあちらこちらで水仙が見頃です。一輪ながら拙宅にも「水仙」が咲いてくれました。寒い冬清楚で可憐な花で甘く芳しい香が漂ってます。日本水仙と言うんだそうです。<家ありてそして水仙畠かな>小林一茶日本水仙
人生残り少ない下り坂道、時間の進みが早いです。で、昨日今日はもう正月の「板橋のお地蔵さん」でした。NHK朝ドラのモデルになった主人公の日本初の女性弁護士さんの晩年の別荘として話題になった「三淵邸・甘粕荘」の影響で、参拝者も多かったんではないでしょうか?<地蔵会や線香燃ゆる草の中>高濱虚子板橋のお地蔵さん
「八甲田雪中行軍遭難事件」は1902年(明治35年)の今日日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡という日本の冬季軍事訓練において最も多くの死傷者を出した事故で近代の登山史における世界最大の山岳遭難事故。原因は天候不順+認識不足。陸軍は厳寒地ロシア戦に向けこの訓練は喫緊の課題であった。拙者はこの悲しい事件を映画「八甲田山」で知りました。八甲田山という山はないそうで、主峰である八甲田大岳を中心とした10余の山々の総称が八甲田山と呼ばれてるんだそうです。<画像は、2004年10月30日撮影>左:ロープウエー駅右:山頂から望む陸奥湾方面八甲田雪中行軍
八十路過ぎて、毎日の生活の中で自身の身体の動きが遅(鈍)くなっていると感じている。屋内でも外でも躓きかけてハッとすることも。近頃河土手の歩活で、元気な歩きでも杖を使っている方を見かける。【転ばぬ先の杖】転んでケガをする前に、杖を用意して身体を支える準備をしておくこと=様々なリスクや不測の事態に対し、十分な準備をして備えておくことのたとえ。<トレッキングポール>思い出しました。何年か前に東濃在住の長男夫婦から敬老の日のプレゼントで(画像の)杖を貰っていたんです。そろそろ、杖を使った方がいいのかなと。でも、それこそ「転ばぬ先」でしょうね、杖の取扱いを勉強せねば。転ばぬ・・・
今月の定期受診を済ませました。毎度ながら、「どうですか?変わりないですか?」のDrに「変わりないです」と答えて終りです。先月受けた血液検査報告の結果も「問題ないですね」で終わりました(笑)で次なるは、3年前受けた健康センターでの2月3日の大腸内視鏡検査だ。29日から下剤服用です。定診
市情報配信メール「特殊詐欺注意」が届きました。こ存知の女性の声で音声テープを流す、「この電話番号は使用できなくなります・・・」或いは「アンケート・・・」は特殊詐欺電話です。拙宅にも度々あります。置き電話は常時留守電にしましょう。特殊詐欺注意
押し競饅頭=おしくらまんじゅう押し比べ・押し競う・押し合うと言う意味で、みんながひと固まりになっている姿、様子を表現したと言われる。みんなで押し合い身体を温める目的の冬の遊びでその様子が饅頭のように見えることことから「おしくらまんじゅう」と呼ばれるようになったんだそうです。押し競饅頭
昨日から七十二候の70候目「款冬華(ふきのはなさく)」。蕗の薹が蕾を出すころということで、今日拙宅裏を確かめたところ、チョット早めながら幾つかの蕾が芽吹きだしていました。<乾きたる垣根の土や蕗の薹>虚子虚子款冬華
今日は木曾義仲(源義仲)の847年前の忌日です。源平合戦の主役で、兄頼朝の命を受けた範頼・義経の軍と宇治川の戦いで、敗死したんですね。31歳。その義仲を溺愛していたのが俳人松尾芭蕉だそうです。滋賀県大津市に巴御前が義仲を供養した義仲(ぎちゅう)寺があり、墓もある。「私の墓は木曾義仲の墓の隣に造ってくれ!」という生前の望みで、芭蕉の墓は義仲の横に造られてるそうです。<義仲の寝覚めの山か月悲し>松尾芭蕉(倶利伽羅峠にて)<木曾殿と背中合せの寒さかな>島崎又玄(芭門)義仲忌
二十四節気で今日から「大寒」。冬本番寒さが厳しい季節。七十二候では「款冬華く(ふきのはなさく)」<大寒にまけじと老の起居かな>高濱虚子1050大寒
寒い朝です。チョット外に出てみました。今年は良く咲いてくれた蝋梅のかぐわしい甘い臭いが浮かんでいました。次なる期待は「紅梅」です。が、まだまだのようです。<紅梅の莟は固し言はず>高濱虚子(ものいわず)まだまだ早い
例年どおり今日地元の名刹に初詣でに行ってきました。老夫婦で往復電車バス利用は初めてのことでした。疲れました。17日でも結構参拝の方がおられました。今回驚いた出会いに。行きの電車を降りてバスターミナルでバスを待っている時、介護さん帯同で背の丸まった杖をついた高齢男性が。顔を見てアレって思ったんですが間違いなかったようです。高校が同じだった同級生氏で、小学校長定年後は、教育長など努めてたんです。カミさんも知っているんで、「間違いないね~」だった。体育会系の男だったんですが、拙者もそうですが見事に82歳老人でした。声は掛けられませんでした。初詣で
「正月の年神様は念仏事が苦手」の言い伝えで12月16日の「念仏の口止め」から1ヶ月間念仏を唱えない慣習がある。で今日16日は、暮れにお迎えした念仏嫌いの年神様が山に帰るので、念仏を唱え始めてよいとされる「念仏の口開け」と呼ばれる日だそうです。南無釈迦牟尼仏念仏の口開け
明日17日が富士山定点観測の日ですが、所用があり今日に振り替えました。今日は「晴れの特異日」らしいんですが、どん曇り。ダメもとでカメラ持って歩活に出たが、ヤッパ駄目でした。何と3連敗です。黄〇内に微かに右肩一部が目視できました😞3連敗
1月13日と言うより、1月の第2月曜日は国民の祝日の一つ「成人の日」です。元々成人の日は1月15日でしたね。昭和21年当時(青年祭)は「敗戦後の日本をこれから担う若者達に対して、励まし勇気づけよう」としたのが始まりで現在の意義は「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」となっています。20歳節目の「成人の日」のお祝でしたが、2022年成年年齢引き下げにより18歳が成人に。お祝は18歳でも20歳でも問題ないそうですが、「成人式」の開催時期や対象年齢は、主催の市区町村の判断に委ねられてるそうです。10451月13日投稿予定記事
今年初めての言葉の学習。「閑古鳥が鳴く」です。閑古鳥(かんこどり)が鳴くとは、人が集まらず物寂しい様子。商売などが流行らない時にさびれている様子。閑古鳥はカッコウのことで、人の少ない山間で寂しい鳴き声を響かせることが由来だそうです。閑古鳥が鳴く
1月11日は「塩の日」です。戦国時代、武田信玄と交戦中の上杉謙信が武田方の領民に塩を送ったことが由来。甲斐・信濃を治めていた武田信玄は、駿河の今川氏との同盟を破棄したことから塩の流通を止められた。これを知った上杉謙信が敵対関係にもかかわらず自分の領地の塩を武田領地に送った日が1月11日。「敵に塩を送る」の語源。この逸話、実は架空の話しらしいですよ。1月11日投稿予定記事
定年まで勤めた勤務先のOB仲間から、新年の挨拶と会食の案内メールが届いた。「今月末or2月始め頃で」とのことで「了解です」と返事したが、よく考えたら2月3日に「大腸内視鏡検査」が予定してあり、1月29日から下剤服用になっていた。折返しその事を伝え日程ご配慮をお願いした。会食のお誘い
「gooブログが繋がらない・開けないの不具合」騒動の最中に、原因として「DDoS攻撃によるネットワーク輻輳」という文字がありました。爺さん全く読めず意味も判らないので早速調べてみた。輻輳・ふくそう=様々な物が1箇所に集中する混雑した状況。通信分野では、インターネット回線や電話回線にアクセスが集中することを呼ぶ。1月9日投稿予定記事
例年どおりですがこの正月もやはり体重が1㎏upした。餅の影響は大きいです。今日は、平成スタートの日:1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御。翌8日、皇太子であった明仁親王が第125代天皇に即位され「大化」以来247番目の元号「平成」が始まったんですね。10401月8日投稿予定の記事
1月も7日です。生活のパターンもほぼ通常に戻りました。歩活コースでの「富士山の定点撮影」の日です。先月27日に続いて2連敗です。また地元のローカル線を撮った。1月7日投稿予定記事
昨日が今年最初の満月でした。朝6時頃の夜明け前、拙宅物干し場から西向いのお宅の屋根の上に煌々と輝いていました。「ウルフムーン」だそうです。オオカミが空腹で遠吠えをする頃だからだそうです。今年最初の満月
1月6日投稿予定記事5日の墓参行軍が余りに過酷(笑)だったので、新年早々歩活を休む。情けない。予報では小雨になるらしい?1月6日
1月5日投稿予定記事小寒・一茶忌。正月も5日でバチ当たりでしょうが、老夫婦それぞれの実家の墓参を。県西部の範囲内ながら、片道で電車の乗り換え3回です。時間にして凡そ4時間。3万歩ほど歩きました。老夫婦、大遠征でした。1月5日
1月4日投稿予定記事箱根駅伝、またも青学が優勝でした。捻くれ爺さんはこの監督さんが正直あまり好きではありません。ジャイアンツの前監督さんと同じタイプで、弁舌がよろしいが「目立ちたがり」で選手よりも表に出過ぎます。お笑い芸人の中に混ざり、マスメディアにも顔が出過ぎ。国政にでも出るんでしょうか。競技チームの監督さんは、目立たず渋い方が多かったと思いますが。1月4日
正月2日の投稿予定記事。朝5時37分、投稿しようとしたところ「このサイトにアクセスできませんでした。blog.goo.ne.jpからの応答時間が長すぎます」となり、以降入れなくなった。(現在の1月14日午後ようやく復旧された次第。)2025年度初歩活を。でも元旦早朝カメラ担いで30分先まで初富士撮りに歩いてはいますが。1月2日
先ほど13時05分、ブログに入れました。復旧しました。元旦の投稿以来、14日ぶりです。ヤレヤレでした。この間の投稿したかった幾つかのを順次投稿するつもりです。画像は、今日の満開になった「蝋梅」(左)とまだ小さく固い「紅梅」(右)の蕾です。14日ぶりに「復旧」(^○^)
2025年「初富士撮り」実施。今年から徒歩で可能な新たなポイントでの初回です。先月から始めた月3回の定点撮影ポイントより凡そ4km狩川上流(北)の橋の袂です。凡そ25分早足で向かったので何と背中に汗をかきました。数年前までの車で山間部での撮影当時だと、今の投稿タイミング頃は指先が冷たくて痛くなっている状態でした。その分、富士山の全体撮影が不可能になりましたが。たまたまでラッキーにも画面に鶴が入りました。「春から縁起が良いわいな~」です。初富士撮り
明けましておめでとうございます本年もisaohハウスどうぞ宜しくお願い致します縁起よく鶴が入りました。😍謹賀新年
「ブログリーダー」を活用して、isaohさんをフォローしませんか?