東京へ転居早々に私が自転車事故を起こした直後、今度は3年生のマイコがけがをして何針か縫った。友達と公園に遊びに行って、回旋塔という遊具にぶらさがって回っていたら、中学生か高校生くらいの男子が数人やってきて速いスピードで回し始めたのだと言う。「止めて!」と叫んだのに無視され...
4年生の社会科は自分の住む都道府県を学習する。兵庫県の立体的な地図を作る作業は、地図に興味のない私も面白かった。等高線で囲まれた図形がボール紙にたくさん描かれており、それを切り取って、高さごとに色を塗り分けて台紙に貼っていく。妹のマイコは4年のとき東京に転校していたので、...
4年生の夏休みも家族で琵琶湖の一郎伯父の別荘に泊まりに行った。ある日映画のロケが浜辺であり、興味津々の私は熱心に見た。中村錦之助(萬屋錦之介)と東千代之介が主役の『曾我兄弟・富士の夜襲』という映画で、鎌倉時代に起きた仇討ちの話である。『世界名作全集』の『曽我兄弟物語』を読...
私に買ってくれる本のほかに、父の本棚からも面白そうな本を引っ張り出して読んだ。『写真でみる原爆の記録』、『光ほのかに アンネの日記』、波多野勳子の『少年期』と『幼年期』の4冊は、子供時代の懐かしさから父の死後我が家に持ち帰って今も保管している。『写真でみる原爆の記録』は4...
小学館の学年別学習雑誌のほかに、前に書いた講談社の『世界名作全集』を次々と買ってもらっていたが、4年生になって童話っぽい話に飽き始め、同じ講談社の『世界伝記全集』に乗り換えた。『アムンゼン』、『エジソン』、『二宮金次郎』、『ワット』(ジェームズ・ワット)、『野口英世』など...
父が購読していたのは、『週刊朝日』と『文藝春秋』である。 『週刊朝日』にアメリカの漫画『ブロンディ』が日本語と英語の両方で載っていた。4年生からローマ字の授業が始まって、アルファベットの文字は知っていたが、英語はちんぷんかんぷん。日本語訳を読んでも何が面白いのか分からな...
少女雑誌は級友から借りて単発的に読むだけで、私が定期購読していた月刊誌は小学館発行の学年雑誌である。小学校に入学したときから父が会社に取り寄せて持って帰ってくる。4年生まで取り続けた。買ってもらった本は端から端まで読まないといけないと思って、つまらない記事もきちんと読んだ...
童謡歌手はほかに、古賀さと子や伴久美子などの活躍を思い出す。「キリコちゃんはカリヤヒデコに似てる」と級友に言われたことがあるが、彼女については全く知らなかった。インターネットで情報を得られるようになってから調べても分からなかった。ところが数日前にググってみたらなんと、私と...
当時は少女月刊誌を皆愛読し、松島トモ子さんは『少女』、鰐淵晴子さんは『少女ブック』、小鳩くるみさんは『なかよし』という雑誌の表紙を飾っていた。低学年向けの『なかよし』は、妹のマイコがときどき母に買ってもらって読んでいた。近藤圭子さんの『少女クラブ』も人気があった。私は買っ...
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東京へ転居早々に私が自転車事故を起こした直後、今度は3年生のマイコがけがをして何針か縫った。友達と公園に遊びに行って、回旋塔という遊具にぶらさがって回っていたら、中学生か高校生くらいの男子が数人やってきて速いスピードで回し始めたのだと言う。「止めて!」と叫んだのに無視され...
差し歯を入れてもらうために長期間歯医者に通う羽目になった。私は虫歯がないから、歯医者通いはこのときが初めてである。毎回畳の待合室で長いこと待たされて退屈この上ない。「退屈やったら、百科事典を持っていって読んだらええ」と父に言われたが、重くて無理。代わりに薄い本を持っていけば...
10月か11月頃、マイコが友達と自転車を2台とも使っていて、頼んでも貸してくれないので、私は22インチの子供用自転車を強引に奪った。級友のタオちゃんを後ろに乗せて走り出したら、マイコが26インチの自転車で追いかけてきた。22インチは効率が悪いから、必死にこがないと追い着か...
東京に転居後すぐに、一郎伯父が26インチの婦人用自転車(ママチャリ)を贈ってくれた。当時の一般的な大人用自転車は32インチで、ハンドルとサドルを結ぶフレーム、トップチューブが水平だが、ママチャリのトップチューブはダウンチューブとほぼ平行なので、サドルにまたがるのが容易だ。...
吉村先生は、作文の時間を毎月もったり、研究発表会やパーティーを学期に1回くらい開いたり、カリキュラムを自由に逸脱して楽しんでいた。兵庫県のK小学校の南先生が中学入試を目指して頑張っていたのと大違いだ。S小学校は単元修了ごとに市販テストを実施しており、業者が採点するので、そ...
吉村先生は、毎日のように退勤後我が家に寄って、母と話していく。勝手口から入って台所の床に腰掛け、夕食の準備をする母に学校での不満をぶちまける。学校の内情を知らない母は、適当にあいづちを打っているだけでまじめに聞いていないのに、先生はそれで不満が解消するのか、ひとしきりしゃ...
蓮田君の母親は教育熱心で、一人っ子の彼男に参考書をたくさん買い与えている。受験研究社の『自由自在』や種々の図鑑をときどき学校に持参して、私にも見せてくれた。私は前に触れた保育社の『学習百科大事典』のほかは小学館の『植物の図鑑』しか持っていなかった。彼男は誠文堂新光社の月刊...
吉村先生が黒板に板書するときに文字を抜かしたり、間違えたりするたびに私は指摘する。「本当だ。間違ってるね。中澤さん、よく気がついたね」と先生が私をおおげさに褒めたことがあり、級友の蓮田君が、「そんなの俺だって分かってたよ。だけど揚げ足を取るようなことはしたくないから黙って...
先生の専門は理科らしく、実験をたくさんしてくれた。一番興味深かったのは、木を乾留して木炭を得る実験。マッチの軸を数本試験管に入れ、ガラス管が付いたゴム栓をして加熱すると、酸素が供給されないので木炭になる。木を空気中で燃やして灰に変わる現象しか経験していなかった私にとって、...
算数の文章題はクイズを解くのと同じで、私は面白かった。鶴亀算とか流水算とか植木算かの名前を付けてそれぞれの解き方の解説をする参考書があるが、私は我流で解く。鶴亀算を1つの式にまとめるのは少し面倒。まず2つの未知数を〇と△にして2元方程式を作り、代入法で△を消して1つの式に...
「寝る前に寝床で毎日地図帳を見てるんだ」と級友の安田君が言うのを聞いて、地図帳なんて家で開いたこともない私は感心した。見ているページの外国の景色や住んでいる人々の様子を想像するのが楽しいそう。《知らない土地の知らない人々の生活を、地図を眺めるだけでどうして想像できるのかし...
5年の社会科は、前半で日本史、後半で日本地理を習う。私は地理には興味がなく、吉村先生の授業内容をあまり思い出せないが、茨城県東海村に日本唯一の原子力発電所があると教わったことは、原爆を連想したからかしっかり覚えている。その年(1957年、昭和32年)の8月に原子炉の運転が...
体育の時間は体操着に着替える。兵庫県のK小学校では着替えず、スカートで授業を受けた。教室で女男一緒に着替える。男子はパンツ姿にならざるを得ないが、女子はスカートの下に体操着のズボンをはいてからスカートを脱ぐ。私のズボンは母の手製のショートパンツだ。プールの授業も、女男一緒...
写生画は級友達の作品を見てそれまでの自信が一旦崩れたものの、新たな境地が開けたような気がする。6年の夏休みに描いた水彩画はアメリカに送られ、賞品をもらった。校庭の雲梯[うんてい]を写生した。家で級友のシマちゃんと一緒に下書きをしていると、母が「構図がおかしい」と言い出し、...
図工の江崎先生は女性で、やはりかなり年配で怖い。吉村先生は江崎先生を高橋先生ほど嫌いじゃないようだ。2学期の図工の授業が始まるや、早速『二方連続模様』と『四方連続模様』を教わる。兵庫県のK小学校の図工の時間は、絵のテーマを与えるだけで後は児童に勝手に描かせていた。図形を描...
2学期の音楽の成績は3で、担任の吉村先生は1学期の4から下がったことに傷つかないかと心配してくれた。4年まで3が幾つもあった私は、全然気にならない。3学期から中学校まで音楽がずっと5でいられたのは、音楽の高橋先生の論理的で理解しやすい授業のおかげだ。高橋先生はラジオの学校番...
S小学校では4年から縦笛を習う。笛が指導要領に初めて載るのは1958年(昭和33年)の改定版なので、全国の小学校で笛の授業が始まったのは私の1年下の学年かららしい。『笛』が『リコーダー』という名称に変わったのは89年制定の学習指導要領からである。当時S小学校でも『笛』と呼...
2学期が始まった教室内は、絵以外にも習字や作文などが壁いっぱいに展示してある。その中に岩井友明君の署名を見つけて、岩倉具視にそっくりの名前だと思った。大川寿太郎君は小村寿太郎と同じ名前だ。 私がローマ字で書いた日記は展示されていない。4年で習ったブロック体を卒業すべく、...
電話が我が家に引かれているのが、とてもうれしい。兵庫県の社宅には電話がなかった。京都でよく泊めてもらう祖母父の家にも四郎叔父の家にもあるのに。父の会社での地位が少し上がったのか、会社が付けてくれた。2年前の1955年(昭和30年)の固定電話普及率は1%未満で、72年でも3...
T市に住んでいた頃は阪急電車しか乗ったことがなかった。東京は数社の私鉄のほかに、国電、都電、地下鉄などの路線が複雑に絡み合っている。 『国電』とは今のJRの近距離専用電車のことで、『省線』と呼ぶ大人もいた。長距離列車は『国鉄』といった。国電は阪急より混んでいて、乗った途端...
3年生以上は、ドッジボールの組対抗試合の行事がある。私は勢いのあるボールを投げられないし、受けるのも下手だし、専らボールから逃げるしかない。ボールに手を出さないので、最後まで内野に残ることも多く、1人になると集中攻撃を浴びてあっけなくボールに当たってしまう。無様で嫌だった...
外遊びより家で絵や文を書くのが好きな私は、ときどき『新聞』を作って両親に読ませた。『つけもの新聞』とか『着物新聞』とか、その都度違う名前で画用紙に記事を書く。6年生のときに『発行』した『ちょっとお目を拝借新聞』を母が担任に見せたら、「名前がしゃれてる」と褒めてくれた。 ...
『シネラマ・ホリデー』を見た後、母は阪急デパートへ、父と私は父の会社に行った。ビルの中の父が働くオフィスに連れていってくれた。壁に沿って、セントラルヒーティングのパイプが這っている。タイムレコーダーがあり、父が紙に時刻を印字してみせてくれた。大きな金庫も開けてくれた。中に...
3年生(1955年)の12月30日は、家族4人でシネラマを見に行く予定だったが、1年生のマイコが「行くの、嫌や」と言い出し、急遽近所の山本さんに預かってもらうことになった。2時からのシネラマの前に、大阪の高級レストランでビフカツ(ビーフカツレツ)を食べた。父はビーフステー...
クリスマスプレゼントを家族で交換したことは全く覚えていない。マイコと2人でためた100円であめを買い、カラフルな包装紙に包んで両親にあげたと書いてある。母からは、ままごとの道具とまりとあめやガムの入った靴下をもらった。物心がついたときからサンタクロースは実在しないと父に聞...
小学校の6年間、夏休みと冬休みに日記を書いて先生に提出していたが、今手元にあるのは3年の冬休みの1冊だけである。図画工作の作品や賞状なども、通信簿以外は母が全て捨ててしまった。捨てられない性分の私と違って、家の中をすっきりさせたい母は、今いらない物は皆捨てる。必要になった...
まだ自動車の少ない時代なので、私のような鈍い子でも交通事故を気にせずに乗れた。前から歩いてくる中年女性をよけ損なって股間に前輪を突っ込み、怒り出した彼女を尻目に必死で逃げたことがある。マイコを後ろの荷台に乗せて近所を走り回るのは楽しい。マイコは後ろ向きに乗り、後方の見張り...
活発なクラスメートについていけない私は、同じくギャンググループからはみ出したおとなしい男の子達とも仲良くなった。3・4年男子のギャング度は女子よりひどい。少しもじっとしていなくて、けんかっ早い。階級社会を形成するのも男子の特徴だ。運動能力ゼロで腕力もない私は、男に生まれな...
3年生の2学期に転入してきた高野さんは、私の憧れの人になった。彼女はオーラがあるのか、転入早々から数人の女子に取り巻かれ、私はなかなかそばに近づけないのだが、家が近いこともあって、放課後にときどき2人で遊んだ。算数が得意の私に一目置いてくれたようだ。4年生になって彼女の誕...
三村さんと私があまり遊ばなくなったのは、私が運動嫌いのせいかもしれない。私はトランプとか家の中で座ってする遊びが好きで、動き回るのはせいぜいおじゃみ(お手玉)かまりつきかゴム跳び程度。ギャングエイジのこの年齢はもっと活発に走り回るおにごっこやドッジボールを好む。 3年生...
1・2年1組だった私は、組替えで3年2組になった。担任は富山先生。富山先生は1年からずっと持ち上がりだが、妊娠中の小野先生は担任から外れ、代わりに男の先生が3年の担任に加わった。1・2年の担任は全員女性で、3年になって初めて男の先生が交じることになった。富山先生は小野先生...
洋子叔母は京都市立堀川高校時代バスケットボール部に所属していて、国民体育大会に出た。運動能力抜群で容姿端麗の洋子が、私と3親等しか離れていないなんて信じられない! キャプテンだった彼女は京大生のコーチと、1955年(昭和30年)3月に結婚した。彼女に養子を取りたい祖母と少...
井村家(母方の親戚)随一の大尽だった芦屋の叔母ちゃん(母の叔母)が不幸に見舞われたのは、私が小学1年のときだった。彼女の夫が急逝したのだ。夫の死後、芦屋の豪邸から普通の家に引っ越し、女中達もいなくなった。神戸女学院大学に通っていた長女は退学して、翌年結婚した。嫁入り道具に...
私の初恋は小学1年生のときだ。同級生のAちゃんを好きになった。Aちゃんと話すときはいつもわくわくする。「歯磨き粉は辛いから嫌いや」と私が言うと、自分はバナナやイチゴの味の歯磨き粉を使っているので、今日はどの歯磨き粉にしようかと楽しみだとか、前日に見た楽しい夢の話をしてくれ...
私が1年生の3学期、1954年(昭和29年)3月1日 に第五福竜丸事件が起きた。アメリカが、太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で水爆実験を行ったのだ。漁船の第五福竜丸はその灰を浴びた。水爆実験は5月まで続き、5月17日には日本全土が被曝した。以来雨が降るたびに、「頭が...
ハナのお産まで、よりちゃんといくちゃんは、「お母さんのおなかがぽんと割れて赤ちゃんが生まれてくるねんで」と桃太郎の話のようなことを信じていた。私は既に父から、「オシッコが出るとことウンコが出るとこの間に赤ちゃんの出てくるとこがあって、そこからキリコとマイコは生まれてきたの...