chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
michi のひとりごと https://blog.goo.ne.jp/mimizuku2009

日々のつぶやき、あれこれ。 老々介護で 100歳になった母を見送りました。 こちらは重度の難聴。

michi
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2024/05/04

arrow_drop_down
  • 『パフェ』の本、抜き書きしたけど

    24日に、本の抜き書きしましたけど、あの本の「優しい言葉を習慣に」というは、なるべく、とか、時々思い出して、とか私はそんな風に思ったんです。グチを言いたかったり、弱音を吐きたかったり、そんな時は、出したら良いのでは?(もちろん、TPOなどわきまえて)そういう言葉って、どうしたって涌いてきますよね。それを自分の中でなんとか納めたりしていても、いつか、別の形で噴出してしまったり…。‘出来た人’は、どうか知らないけれど、私みたいなニンゲンはね。この介護の8年間だって、‘なんでも’聞いてくれる人が周りに居てくれたからナントカやれたんです。『パフェ』の本、抜き書きしたけど

  • 『今ごろパフェとか食ってるよ』

    『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ』jam――今の自分にピッタリの本でした。2回読みました。とっても良かった。その中で、自分の心に特に響いたメッセージです。↓<17>嫌な人や苦手な人がいる――いい人悪い人は「今の自分にとって」都合のいい人悪い人――<19>理不尽な目にあって、忘れられない「多分そいつ今ごろパフェとか食ってるよ」なぜか心がスッとする魔法の言葉。<20>嫌な人への怒りがおさまらない嫌なやつのために、自分を傷つけたり、同じように嫌なやつになる必要はありません。――嫌な人のことは、自分のために忘れる――<21>嫌な人のことをずっと考えてしまう――嫌な人のことを考えるのは、一緒に住んで家賃を払ってあげてるのと同じ――<26>どうしても許せない人がいる自分を守る手段の一つとして「あえて許す」こと...『今ごろパフェとか食ってるよ』

  • 賞状の要る部分だけ切り取ってありました

    無事に四十九日が済みました。あちらで父は母と再会して、どんな言葉をかけたでしょう。「お前、遅かったな」とか?ちょっとニッコリして…。茶箪笥の引き出しの整理を、ぼちぼちと一つずつ進めています。きのうは、母が何でもスッと入れていた、最後の難関です。ほんっとに何でも!何かの紙、白い部分だけ切って、メモにしようとしていた紙。それを糸で綴じて、手帳のようにしたもの。届いたハガキ。faxのやりとり。父の名刺、一箱。等など。。封筒に入った五千円もあった!!そして、賞状を切ったものもあったのです。父が戦後もらったもので『正八位に叙す』という、要る部分だけ切り取って、キチンと畳んであった☆確かに賞状そのままではかさばって保管しにくい。けど、ここまでするのは、やっぱり‘母’だな、と苦笑しつつ頷いた次第。賞状の要る部分だけ切り取ってありました

  • 動作の一瞬一瞬に気を入れて、丁寧に運動すれば

    紫蘭(シラン)、そこここでよく見かける花ですが、うつむき加減の上品な姿かたちや、美しい紫の色、とても惹かれます。母が居た頃は、どうしても介助などで動き回ったり、わたしは不自然な姿勢でも母にとって必要なことを、となることが多かったと思います。母が階段を昇る時には、私は下側から母のお尻を押し上げたりとか。下の世話の…、ま、こういう話はいっか。。とにかくこの頃は、すごくラク。ただ、運動不足を感じる。近所の買い物や通院など、歩いていくのが辛くなったらタイヘンそこで、長続きする運動をと、まずはNHKの“みんなの体操”をやることに。‘毎日録画’にして、やったら消す。これで忘れることは無い。“テレビ体操”よりも簡単で超軽い運動。それでもこういうのだって、伸び伸びとなめらかに丁寧にと心がけると、結構効果的だそう。たとえば...動作の一瞬一瞬に気を入れて、丁寧に運動すれば

  • 楽しかった気持ちを思い出せるんです

    5/7にエコたわしのことつぶやいて、ちょっと見直してみました。このblogにアップしたのは、2013年6月3日のブログ記事一覧-michiのひとりごと(goo.ne.jp)2015年1月6日のブログ記事一覧-michiのひとりごと(goo.ne.jp)などなど。じつは最近、心がつぶれそうになったり…も、カンベンして…なんてなることがよくあるんですが、こういうの見ると、楽しかった気持ちがチョッピリ蘇ってくるんです。楽しかった気持ちを思い出せるんです

  • 少しずつでも新しく上塗り

    ある小さな滝へ通じる石段。苔にまとわれて。しぶきがすごいんですよ。髪がしっとり濡れてくるほど。イオンシャワーです。“虎に翼”の穂高先生、とても素敵で、その人間性に惹かれます。そのモデルは渋沢栄一の初孫だそうですね。先日、放映の冒頭、穂高先生の卒業生への祝辞に胸打たれました。『長年にわたって染みついたものを変えるというのは容易ではない。当たり前だと思っていた法律が、習慣・価値観が間違っていると分かっていても受け入れられない。変えられないのが人間だ。それでもそれを我々は引きはがし、溶かし、少しずつでも新しく上塗りしていくしかない。』それに続いて、『君たちは、世の中を変えることが出来る若人だと、私は知っている。』だったかと。そう。世の中だけでなく、職場や地域など小さな組織や集団、すべてに当てはまるように思えてき...少しずつでも新しく上塗り

  • 大好きなものがあったら 動き出せる♪

    先日観た番組で、歴史家の礒田さんのお話が興味深かった。もう小学生の頃からの歴史オタクで、「両親はもう諦めてましたねー」と苦笑されてました。それが、日本を代表する歴史学者になられたのですから――。‘好き’というのは、本当に強い。さっき聴いた森山直太朗さんの歌の中にも『大好きなものがあったら動き出せる~』みたいなのがあって、頷いている自分に気づきました。ひと月前までは、大きな役割があった。母が最期までできるだけ心おだやかに過ごせるように、自分のやれることをやっていく、という大事なお役目。それが、消えた。無くなってしまった。今は諸手続きに取り組んで、というか追われて悪戦苦闘だったり。それがナントカ終わり、四十九日が済んだら、家の片付け、整理。これ、大仕事…。全部整理できたら、どんなにスッキリすることでしょう。で...大好きなものがあったら動き出せる♪

  • 私のふるさとって、どこ?

    こちらも伊賀上野城。桜、たくさんあって、これはほとんど白に近い清楚な桜でしたね。↓ある番組で、ふと、五木ひろしの『♪誰にもふるさとがある~♪』という歌を聴きました。とても良い歌だと思った。ただ、「私のふるさとって、どこかしら…?」と思いました。私は家の都合で、何度も引っ越した。兵庫県の同じ市の中で、家族で何度も何度も。自分の生まれた家を知らない。知っているのは「〇〇町の家」という名前だけ。4~5番目あたりの家の光景は、記憶があるけど、おぼろげ。そのどちらなのかは…。その後、父は奮闘してやっと家を建ててくれた。あこがれのマイホーム。なのに、父の転勤のため、それは2年で終わってしまった。そして、東京の狭いアパートにひしめき合って暮らすことになりました。10代の多感な時代、8年間。それぞれの敷布団の端を重ねない...私のふるさとって、どこ?

  • 富弘さんが逝ってしまわれた!

    何年か前の5/1の写真を見ていたら、こんなのが。伊賀上野城の公園いっぱい、新緑シャワーでした。↓星野富弘さんが天国へ旅立たれてしまった。(こちらの記事の方が良いかも。星野富弘さん)すごいショック…。とても残念でなりません。富弘さんは、最初の本を出された頃から惹きつけられていました。出された本や詩画集、その頃はたぶん全て読み、カレンダーは毎年いただいた。初期の頃は、奇跡というくらいとてもとてもご立派な方で、自分とは遠くかけ離れているけど、憧れのような存在でした。それが、時と共に、柔らかく丸くなられた感じで、ユーモアがあったりして、より身近な存在に。ウチらにも少し近づいてくださったみたいな。ついめげそうになる弱い私の、心を支えてくださいました。終わったカレンダーは、とても捨てられなくてとってあります。あれをま...富弘さんが逝ってしまわれた!

  • くせ者です、文字変換アプリ

    母を見送って、福祉サービスなど時間時間で決められたものなどは無くなりました。けど、自由な“独身貴族”“おひとり様”みたいな生活…にはほど遠い。手続き。嗚呼、手続き。。覚悟はしていたけれど、予想以上。耳がほとんど聴こえないので、筆談。書いてもらう。書くのは、喋るよりもずっと時間がかかる。そしてこちらは、少々目も悪いので、書いてもらってから、こちらに向けて、距離など調節しながら読み込むことが多いです。又は文字化アプリ。これがくせ者。話す人は「アプリで文字にしてくれてる♪」という認識で、ふつうにペラペラ喋る。ところが、誤変換・誤認識で、かなりメチャクチャなのです。特に早口や、くぐもった話し方の場合。私は、懸命に推測しようと頑張るけれど、頭パンパンになってくる。訪問看護の方は、毎回かなり配慮してくだった。ゆっくり...くせ者です、文字変換アプリ

  • 心にぽっかり穴でしたが

    半月ほど経ちました。毎年、桜は楽しみでしたが、今年は火葬場へ向かう車窓から眺めました。「お母さんは、見れなかったね。間に合わなかったね…」と。お別れの場では泣くまいと思ってたのに、ダメでした。どうにも…どうしようもなかった。100歳のバースデイケーキをペロリと平らげ、その翌日に転んで、何も食べられなくなり、水も飲めなくなり、10日ほどで逝ってしまった。ま、母としてはそれなりに満足だったのかな。ただ、私の生活のほとんどを占めていた母が(介護、必死!でした)、いなくなってしまったわけで、正に心にぽっかり穴、という状態。それでも、手続きは、あれもこれも。そして、片付けが山のよう。気が遠くなる。はぁ。。以前から「ずっとこの家に居りたい」と言っていた母の希望を叶えてあげられたのは良かったかな。私の役目としては、一応...心にぽっかり穴でしたが

  • 旅立ちました

    母は父のもとへ旅立っていきました安らか、おだやかな寝顔のようです応援してくださった皆さん、ありがとうございました旅立ちました

  • 母が転倒…

    先日、100歳の誕生日。ささやかにお祝いした、その翌日に外に出てしまって転倒。見た目はなんともないんだけけど、腰が痛い、イタイ、いたい!!!と、もうタイヘン。。寝たきりになり、ほとんど食欲ナシ。。何もかもガラリと変わってしまって、途方にくれたり…。幸い、周りが助けてくださってます。この小さなブログは、しばらくお休みとなるかも。。母が転倒…

  • ‘ 共に ’ すすめていける人

    ちょっと心に残ってる人がいます。昔の職場の同僚。ミーティングで、なにか複雑な問題が提示され、メンバーが「難しいなぁ」「一体どうしたら…」と、暗雲たちこめるような雰囲気になると、よくKさんが「えっと、、まずは○○を確認することやなぁ。それ、△さん、やってくれる?」と、適任者を選んだり。明快に解決への道すじを示してくれました。みんな「あ、そうだよねぇ」と顔が明るくなった。(ちなみに、Kさんは、学校の成績などはどうだったか分からないけど、社会生活や人との関わり合いで、実際的な生活力があり、何かあった時に、それをどう観てどう行動すれば良いか、すぐに分かるようでした。)そして、彼が素晴らしいのは、そんな場面でも決して浮いたりしていなかったこと。心を合わせて共に良い方向へもっていこうよという姿勢で、打ち解けた自然な雰...‘共に’すすめていける人

  • ちょっと敬遠、ギクシャク…

    人は一人では生きられない。支えてもらったり、励まし合ったり、気づかせてもらったり。とても有り難い。ただ、ムズカシイもんだ…とも思います。「うん、うん、分かる分かる☆」と言ってもらうと嬉しくなったりするけど、本当に分かってくれたの??その人の経験や感覚など、その人のメガネを通して見て、「わかる」と思っただけかも。又は、つながりを大切にしたい気持ちから、そういう反応になったように見えることも。ヘンな遠慮や気兼ねなど要らないと思う。スーッと率直に言ってくれたら良い。ただ、観方や言葉の使い方とかで、微妙に認識の違いが感じられることも。それがショックだったり、しばらく尾を引いてしまうことも。ちょっと敬遠したり、ギクシャクと…。その言葉の捉え方など、互いに確認し合っても、うまくいかないケースもありました。それでもやっ...ちょっと敬遠、ギクシャク…

  • ‘六角レンチ’ が無いときは

    母は、ポータブルトイレを使ったあと、その肘掛けに両手をおき、体重をかけてやっとのことで立ち上がる。よっこいしょ。その大事なひじ掛けがグラついてきた。え?と見ると、ビスが緩み飛び出してきてる。これは何とかしなければ☆私が知っているようなビスではなく、穴が開いてて、そこに工具を入れて締めるらしい。へぇー。ウチにはこんな工具は無い。こういうのって、なんて言うんだっけ…。スパナ?と調べ始めて「レンチ」と分かり始めた。「六角穴付きボルト回し」とか「六角レンチ」と言うらしい。工具が無い場合の代替を調べて、やってみたけどうまくいかない。けど、そこからヒントを得て、ピンセット(先がとがってないもの)で、輪ゴム(幅ひろめ)を挟み、そのままその輪ゴムをぐるりと一周させ、そっと穴に入れてみたら、一応締められた☆「六角レンチ」っ...‘六角レンチ’が無いときは

  • ‘なし崩し的’ ってこんな意味だったのね

    自分としてはガチガチになってるのを、どうにもどーにも出来ずにいたのが‘なし崩し的に’解消され始めたと感じてます。これが何とも言えない感覚。なんか、ふわふわ…っていうか。『なし崩し的』って改めて調べてみると――『「なし崩し」の意味は「物事を少しずつ完了させていく様子」を表す語で、「なし崩し的に」などの形で使います。「なあなあで悪い方向にいく」というネガティブな意味は本来なく誤用です。』『「なし崩し」とは、借金を少しずつ返すことや物事を少しずつ変えていくことを意味する言葉です。この語は元々「借金をちょっとずつ返済する」ことを指していましたが、意味が広がり、現在では「少しずつ行う」「少しずつ行って既成事実化してしまう」という意味も持つようになりました』へぇ、そうだったんですね。うん、今回、この言葉がピッタリ合う...‘なし崩し的’ってこんな意味だったのね

  • 頭が固くて自分がソンして

    オリヅルランとか、ドンドン伸びて増えるんですよね。この頃は、その生命力に励まされてました。今日届いた2~3のメールなどで、心の重苦しさがふっと軽くなりかけてる。これ、ふしぎな感覚――。柳とかは、風が吹いてきたら、揺れてしなって受け流す。改めてそんなことが思えてきました。日常、あれこれあっても「ま、いっか」とか?「いろいろあるよね」とか?自分も周りも疲れないし、軽く楽しくやってけるんじゃないかな。自分は昔から頭がカタすぎるよね。それで損したり。好きだったYouTube動画。先日見たのは、ひどい悪趣味だった。それから見る気にならない。実際には何千回とかある中の、たった1回かもしれない、とは思うんだけどね。またあるTV番組。内容は好きなものなんだけど、レギュラーの一人が、見ておれないような女装してるのが嫌悪感。...頭が固くて自分がソンして

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、michiさんをフォローしませんか?

ハンドル名
michiさん
ブログタイトル
michi のひとりごと
フォロー
michi のひとりごと

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用