私たちは誰もが、神々が記しるした、台本通りの生を生きる。 もちろんこの場合の「神」とは、けっして〇〇教と呼
全知で全能の神が、もし本当に罪を憎んでいるのなら、初めから剣を取る手を思いとどまらせることもできるだろう。 神が治める世界に、現にそれが行われている以上、殺人も破壊も罪ではない。――
私たちは誰もが、神々が記しるした、台本通りの生を生きる。 もちろんこの場合の「神」とは、けっして〇〇教と呼
物質世界は、物理の法則が統べている。 そこには原因と結果の、一対一の対応がある。 一つの原因は必ず、たっ
先日NHKの『笑わない数学』という番組で、こんな数式が紹介されていた。 1+2+3+4+・・・=-1/12
世界は変わらないと言う。どう頑張っても、変えようがないと思っている。 それは私たちの、外側にあるもの。 不可塑
なぜ情報は「光よりも速く伝わる」か――アインシュタインの誤謬
最近科学の分野で、「量子もつれ」という言葉をよく耳にする。 中途までは、このサイトの受け売りである。 い
「ゼノン」と「クレタ人」の話をしたから、同じ論理系のテーマで「モンティ・ホール問題」に触れてみたい。 かつて
(話は前回から続く) 「ゼノン」にしても「クレタ人」にしても、微妙な言葉遣いによって印象を操作する、手際は共
(話は前回から続く) さて、応用問題です。 ゼノンではないが、同じくらい有名な詭弁に「クレタ人は嘘つきだ」
「ゼノンの逆理」と呼ばれる、一連のパラドックスがある。「アキレスと亀」「止まっている矢」などが有名だが、実は
alternative fact という英語をご存じだろうか? これもまた、日本語にはしづらい言葉である。
(話は前回から続く) だとしたらもし帰る地図を、帰る船を、再び手にすることができたら、―― *
私たちが亡くした者。そして悼む者。 たがしかし、本当は誰一人、死んでなどいないのだ。 * 一つ
(話は前回から続く) * 地球も太陽も、共通の重心を中心として回っている―― 上記の議論をもって
(話は前回から続く) 同じ議論は、地球と太陽の関係にも、当てはめることができる。 * 地球が太陽
思考法についての、アドバイスが一つある。 もっとも極端な場合を想定することで、物事の本質が見えてくる、とい
(話は前回に続く) 人の世のことに、話を戻そう。 * 自分勝手な人間をつかまえて、唯我独尊などと
地球の方が、太陽の周りを回っているのです、と小学校で習う。 そんなことも知らなかった、昔の人の愚かさを笑う。
牢獄のように私たちを捕らえた、この存在の小箱を抜けて。その向こうの「もう一人の自分」となって、自在に宙に遊ぶ
そんなふうにすべての私たちが、豊饒の美を彩る、掛け替えのない役割を担っている。 辛苦の一生も、悲劇を楽しむ
宇宙という名の大伽藍で演じられる、壮大な野外劇。 そこでは無数に配された役者たちが、それぞれの持ち場で、た
私たちの慣れ親しんだ、美なるもの。 だがしかしその意味するところは、けっして一様ではない。 例えば幼児の
私たちの営みを司る、様々な原理。 もちろんその第一は、あの個体維持の原理だった。 すべての動物たちと同じ
もし神が宇宙を作った目的があったとしたら、それは一体何なのか?―― 過去のあらゆる宗教が、そしてまたあらゆ
確かにそんなふうに、輪廻ということが起きたとしても、少しも不思議はないのだ。…… もちろん、そこに実際に起
確かにそんなふうに、輪廻ということが起きたとしても、少しも不思議はないのだ。…… もちろん、そこに実際に起
表層の、個人の意識の向こう側に息衝く、深層の意識。 記憶も経験も、すべてを剥ぎ取られたところで、ただ我を我と
表層の、個人の意識の向こう側に息衝く、深層の意識。 記憶も経験も、すべてを剥ぎ取られたところで、ただ我を我と
輪廻?―― この国のこの世代にとって、それは確かに、笑うべき作り事だった。 そんな言葉を聞いてきまって思
輪廻?―― この国のこの世代にとって、それは確かに、笑うべき作り事だった。 そんな言葉を聞いてきまって思
そんな訓練は、確かに神を知り、神に連なるためのたつきとなった。 とりわけ科学を学ぶことは、いつだって神に至
そんな訓練は、確かに神を知り、神に連なるためのたつきとなった。 とりわけ科学を学ぶことは、いつだって神に至
神。 宇宙をかつて動かし、今も動かす根本原理。 ちょうど私たちが思い、浮かべ、夢見るように、この宇宙の全
神。 宇宙をかつて動かし、今も動かす根本原理。 ちょうど私たちが思い、浮かべ、夢見るように、この宇宙の全
私の思い描く「我」とは、確かにそのようなものだった。 それはちょうど連山のように。野辺の水のように。そし
私の思い描く「我」とは、確かにそのようなものだった。 それはちょうど連山のように。野辺の水のように。そし
それはまた例えば、水溜まりにも似た何かだった。 雨上がりの野辺に、それぞれの姿で打ち捨てられた水溜まりは、
それはまた例えば、水溜まりにも似た何かだった。 雨上がりの野辺に、それぞれの姿で打ち捨てられた水溜まりは、
私たちはおそらく、心の底のどこかで、こんなふうに感じている。 「我」と呼ばれるこのものは、宇宙を統べる座標の
私たちはおそらく、心の底のどこかで、こんなふうに感じている。 「我」と呼ばれるこのものは、宇宙を統べる座標の
私たちのこの物質世界とは違う、また別の次元。――だとしたら、それはあのゲームの世界に似ていた。 コンピュー
私たちのこの物質世界とは違う、また別の次元。――だとしたら、それはあのゲームの世界に似ていた。 コンピュー
多くの人は、目の前にあるものしか見えない。手で触ることのできるもの以外は、存在しないと思いこんでいる。 た
多くの人は、目の前にあるものしか見えない。手で触ることのできるもの以外は、存在しないと思いこんでいる。 た
「神」の定義とは、一体なんだろう。 「宇宙をかつて動かし、今も動かす根本原理」 それが私の、神の定義である。
それはとてつもなく、奇異に聞こえるかもしれない。 だがしかし、もしも解析の目から見るならば。 確かに宇宙
全能の神にとって、あらゆる想念は思い抱かれた瞬間に、成就してしまう。 そこには何一つ、不可能はない。 た
全能の「神」にとって、あらゆる可能性が、思い抱かれた瞬間に、たちどころに成就してしまう。 そこには想念
私たちは言う。 それはただの、可能性にすぎない。まだ遠い、未来のことだ。 夢と呼ばれ、仮定と呼ばれ、ある
コンピューターゲームの画面の中に、かりそめの時空が浮かび上がる。 ゲームの中の世界を、生きる者がいる。キャ
殺すなかれの掟も。毀つなかれの道徳も。ジャングルの動物の護身の行動と少しも変わらない。 それはあの、宇宙を
全知で全能の「神」があるとすれば、この世に起こる何一つ、悪であるものはない。 殺すことも、毀つことも、すべ
もし神というものがないとしたら、そこにはいかなる罪もまた、ないのかもしれない。―― 「罪と罰」のラスクリ
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私たちは誰もが、神々が記しるした、台本通りの生を生きる。 もちろんこの場合の「神」とは、けっして〇〇教と呼
物質世界は、物理の法則が統べている。 そこには原因と結果の、一対一の対応がある。 一つの原因は必ず、たっ
先日NHKの『笑わない数学』という番組で、こんな数式が紹介されていた。 1+2+3+4+・・・=-1/12
世界は変わらないと言う。どう頑張っても、変えようがないと思っている。 それは私たちの、外側にあるもの。 不可塑
最近科学の分野で、「量子もつれ」という言葉をよく耳にする。 中途までは、このサイトの受け売りである。 い
「ゼノン」と「クレタ人」の話をしたから、同じ論理系のテーマで「モンティ・ホール問題」に触れてみたい。 かつて
(話は前回から続く) 「ゼノン」にしても「クレタ人」にしても、微妙な言葉遣いによって印象を操作する、手際は共
(話は前回から続く) さて、応用問題です。 ゼノンではないが、同じくらい有名な詭弁に「クレタ人は嘘つきだ」
「ゼノンの逆理」と呼ばれる、一連のパラドックスがある。「アキレスと亀」「止まっている矢」などが有名だが、実は
alternative fact という英語をご存じだろうか? これもまた、日本語にはしづらい言葉である。
(話は前回から続く) だとしたらもし帰る地図を、帰る船を、再び手にすることができたら、―― *
私たちが亡くした者。そして悼む者。 たがしかし、本当は誰一人、死んでなどいないのだ。 * 一つ
(話は前回から続く) * 地球も太陽も、共通の重心を中心として回っている―― 上記の議論をもって
(話は前回から続く) 同じ議論は、地球と太陽の関係にも、当てはめることができる。 * 地球が太陽
思考法についての、アドバイスが一つある。 もっとも極端な場合を想定することで、物事の本質が見えてくる、とい
(話は前回に続く) 人の世のことに、話を戻そう。 * 自分勝手な人間をつかまえて、唯我独尊などと
地球の方が、太陽の周りを回っているのです、と小学校で習う。 そんなことも知らなかった、昔の人の愚かさを笑う。
牢獄のように私たちを捕らえた、この存在の小箱を抜けて。その向こうの「もう一人の自分」となって、自在に宙に遊ぶ
そんなふうにすべての私たちが、豊饒の美を彩る、掛け替えのない役割を担っている。 辛苦の一生も、悲劇を楽しむ
宇宙という名の大伽藍で演じられる、壮大な野外劇。 そこでは無数に配された役者たちが、それぞれの持ち場で、た