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  • そういうものだというだけ

    職場に多くいるインド人の同僚たちの信仰というのは、 日本人が箸でご飯を食べるように、自分の生活と一体になっている。 自分はそういう信仰はなく、彼らからすればか…

  • 自分の居場所はどこにある

    真宗の門徒でありながら、自分は宗教がしたいと思ったことがない。 それが良いとも悪いとも思わず、だから何だに過ぎないが、 救われたいということもなく、まして人類…

  • 表現できない光の不思議

    阿弥陀経に、浄土の池に咲く蓮の花を次のようの装飾している一節がある。 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 ずっと思ったのはなぜこの色か、これらの色を持ち出…

  • 鈴木禅師との対話

    私は死ねばどうなりますか? あんた自身がどうなるかと聞いておるかの? そうです。 どうにもならん。死んだらあんたはもういない。 何も残らないのですか?魂とかも…

  • 私が私である理由は必要か

    私が私であることの理由は誰が決める? 大抵は、そりゃあ私自身でしょ。ということになる。 You are the reason I am. と本当に言えるとき、…

  • 空想なのか、真実なのか

    大谷大学で非常勤講師をされておられた岡村美穂子師(今年6月ご逝去)のお話で、 師事していた鈴木大拙とのエピソードで大拙先生が机を拳で叩いて 「誰が聞いたのか」…

  • 子供は子供だった頃

    2019年ノーベル文学賞を受賞したペーター・ハントケ冒頭「ベルリン天使の詩」のシーンで Peter Handke "Lied Vom Kindsein"「幼な…

  • 認知できることが世界の全てか

    請け売りで人は煩悩にまみれていると分かったふうに言うけれど、 煩悩というよりも、人間というのは脳の認知能力にリミッターを設けて、 本当にある全情報を処理しなく…

  • ないけれどある世界

    「花は紅ならざるが故に紅であり、柳は緑ならざるが故に緑であると」(浄土系思想論P59 鈴木大拙 岩波文庫) 穢土と浄土の関係について、思索する文章。 この世は…

  • あの世のなまえ

    よく葬式である戒名や法名が故人の来世の名前と思ってきた。 自分も釋にはじまる法名を賜っているけれど、 この世で名付けられる法名というのが、死んだ後の名前になる…

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