これはすごい。 https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/2750/files/enryocenternenpo11_037-05…
自分は、常に二流の人間なのだと思い込んできたフシがある。 超一流の人がいて、一流の人がいる。自分はそういうカテゴリーに 入れる人間ではない、と。三流でもなさそ…
遠いインドの国から中国を経て、日本まで伝わった仏教の種は、 戦乱と飢饉の続く鎌倉時代の終わりの頃、いくつかの芽を出し、 今日に至る大木になった。浄土真宗もその…
ご門徒の方々と京都までご一緒させていただき、 自然と、ご高齢の方々が多いのだが、お歴々のお顔を眺めて 思うのは、 ああ、この人はかなり泣いてこられたのだなとか…
凡夫だ、煩悩だと、言っていても自らの愚かしさに 浅く気づいただけで、それがどういう意味を持つものか きっと理解できていない。 誰でも、自分は至らない人間で、ダ…
自分の人生は、そこまで無体で不条理なものではなく、 救済されるために、という目的をもつ感覚がない。 幸福になるための仏教という位置付けもない。 不幸でもないし…
脱落といえば、大抵悪い意味でフォールアウトとされるが、 禅宗にある心身脱落は、むしろ悟りという意味を持ち、 叱咤時脱落とか面授時脱落というように、ある機会を経…
父が壮健の頃は、いつでも死んでやると言うようなことも言っていた。 末期癌となり、老いた父は、覇気も失い、恐れていた。 父だけではない。この自分自身も、老いて、…
不思議な力を持っておられた宮大工の棟梁の話で、 かなり昔に聞いたことだけれど、この世のものではない存在がいて、 力のないものがこれに対峙しようとしても、返り討…
真宗に触れ、あゆみを進めるにつれ、 自分の立ち位置が洗われる。 真実の法を聞いて偉くなって行かないのか、といえば 他人と比較して相対的にえらくなるわけでもなけ…
人生の途上で出会ってきた人々。あの人も、この人も、 色々な人生があったと思うし、自分と比較して良いとも悪いとも言えないが、 自分のこの人生というのは、時々に判…
秋の虫が、盛んに種の保存のために音を鳴らす。 蛍もまた、淡い光を瞬かせて次の命を繋いでゆく。 そういう小さな光や小さな音が届くかどうか分からない。 天敵の的に…
人の勝手な想像で奇跡とか超常現象とかいうイメージがあって 実際にある不思議なことと同じとしてしまいがちだが、 そういう派手なことではなく、本当に不思議な事は確…
いまだに大学とか街角でも、自分たちの団体を名乗らず、聖書を簡単に学ぶとか、 やさしい仏教勉強会とか言って人を勧誘しようとする人たちを見るにつけ、 特別、上から…
中途半端が一番いけない、というけれど、 為末さんのこの論考を読んで思うに、過剰最適の弊害が個人にも組織にも あり得るということは、未成熟であることは変化に適応…
大阪出張の合間に、やっと行くことができた。 一番見たかったのは、親鸞筆とされる多くの国宝や重文。 観無量寿経註、阿弥陀経註とびっしりと参照した文言や、 朱筆…
清沢満之、暁烏敏により600年近く門外不出の封印を解かれた歎異抄、 これを読むだけでも極めて800年近くも前に生きた人間が こうまで高みに至っていたのかと驚か…
「幸福になるために、人は生きている」と自分が言うなら、 これは全てを言って、何も言えていない言葉になる。 幸せになるための仏教。仏教に限らずそういうのあったら…
よく釈迦の本心とか、親鸞が何を考えていたとか、心のうちを見透かしたような 話ができる人がいるけれど、自分には正直自分自身の心のうちも正確に覚えていない。 家族…
物事の認識には、浅いと深いがあり、 自らが浅い了解(りょうげ)でいることを認識できていないことがある。 あるあるな事として、浅い了解はえてして、 1、請け売り…
ある教学の先生が、阿弥陀如来の存在について触れられた。 よくある話として、本願が達成できねば如来にはならない、という誓いについて、 設我得仏で始まる四十八願は…
絶対他力。絶対とは、相対ではないと言うこと 無条件であり、比較もなければ、こちら側は全く関係なく成り立ってしまうのが絶対。 信じることを前提として他力がはたら…
30年前、今の時代を予測した人々がいる。 世間一般ではそういう予測はそれほど認知されず、 先進的な未来世界とか、便利な世の中になるとか、漠然としたイメージが …
神様と仏様は何が違う。簡単な問いのようで、人には答えにくいが、 自分の中には明確に違いがある。 そもそも神というのは信じていない。正確に言えば信じようがない。…
「嘘も方便」という。得てして仏教に由来と言われるが、 確かに由来は『法華経譬喩品』の「三車火宅」のたとえを引用して 日本で使われるようになった成句らしい。個人…
父を運ぶ生命が終わった。寂しかった。 けれど、生命にある時の父はいた。今も父はある。 母を運ぶ生命も終わりが来る。生命の上に起こった出来事として終わりを迎える…
誰かの信仰やら信心を取り上げて、それでは足りないという人がいるなら、 それはその人がそう思うだけで、 本来、信心に足りる足りないという数的大小関係などない。 …
「自分が幸せになることが目的だという人生、どうも俺納得できないんですよ。」 偉大なプロフェッショナルのひとり、宮崎さんのこの考えというのは、 きっと多いと思う…
子供の頃の記憶を辿る、若い頃の記憶がある。 その頃からすれば、とおい未来である今。 少しは賢くもなり、力もついた。 記憶の範囲だし、自分の知る範囲でしかないけ…
かなり昔のNHK「こころの時代」の記録。 真宗の近代教学を確立した偉人たち。 公共放送として、当然ながら教団や教義のプロモーションというよりは、 かなりの時…
父も母も、この私より少し早く生きていて、 私を産んでくれて、愛情を注いで育ててくれて、 父はすでに命を終えた。母もそう長い先ではない。 ほんの数十年のあいだ一…
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これはすごい。 https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/2750/files/enryocenternenpo11_037-05…
兵庫県の作用というところに播州一の宮大工といわれたお爺さんがいた。 姫路城昭和大修理の棟梁として、大仕事を成し遂げ名を残した一職人。 昨年の夏、作用に行ってお…
この人にとっては、「真実(まこと)か真実でないか」だけが全てであった。 正しいかどうかではない、利益があるかどうかでもない、助かるかどうかでもない。 真実なの…
歎異抄のすごいところは、真宗の信者でなくとも、国内外の別宗教や無宗教の人でさえ 多くの知識人に極めて高い評価を受けている事実があって、むしろ自分自身はおそらく…
真宗聖典にある親鸞の声は、古今多くの人々が語り継いできたし、 ご法話でも何度も聞くことであり、知識としても断片的ながら理解した気でいる。 それが良いも悪いもな…
12月31日、神社にゆく。お祈りも、お願いもしない。 ありがとうございました、とだけ小さく柏手を打ってお礼を言う。 1月1日。初日の出を拝みに桟橋にゆく。いつ…
全ての結果には原因がある。例外なく因と果が連綿と続く、と。 だが、結果になって初めて原因と言われる。 今の状態も原因があっての結果であるのだ。 今の自分という…
信じると言っても、かなり意味が違う。 お金を信じる、他人を信じる、組織を信じる、仲間を信じる、 何を信じるかで、自分が決まる。この時の信じるというのは、信用す…
なんぞ、目当てがあって仏教だの念仏だのに縋るのは、それは違う。 それは全部、自己都合や。解決とか救済とかの秘法にあやかろうという根性では 当てが外れたら、別に…
ご法話で「あんた、南無阿弥陀仏て何て聞かれてどう答える?」と問われた。 阿弥陀仏に南無します、では答えになっていない。 だから南無は、信じるとか、難しく言えば…
200年ほど前の山口県の小島に「おかる(阿軽・於軽)」という妙好人がおられたという。 こうも聞こえにゃ 聞かぬがましよ 聞かにゃおちるし 聞きゃ苦労 今の苦…
推しの仏様を選ぶようなことをしてはいけないよ。 大日如来より阿弥陀如来が良いとか、いやいや釈迦如来が一番偉いとか、 人間レベルで決めることではないよ。 例えば…
昨日は報恩講に出仕して面白い話を聞かせていただいた。 日本の幽霊の絵は、たいていパターンがあって子供が絵を描いても 手を前に垂らし、足はなく、長い髪が後ろに伸…
本願寺派の梯先生のご法話で紹介された鹿児島の正覚寺さんが サイトに「輝くいのち」を公開してくださっていた。 https://www.syougakuji.co…
アニメ化した「チ。ー地球の運動についてー」には、宗教というものの恐ろしさを 天動説を絡めて描写しているが、リチャード・ドーキンス教授は、そういう集団心理は 中…
念仏する、という。 見た目は、自分が「南無阿弥陀仏」と言うという行為に他ならない。 けれど、念仏は、出るもの。 自分が言うのではない、念仏がこの業にまみれた人…
薪を焚べて焚き火をする。 静かな時間。 雑念がなくなり、正信偈が出てくる。 理由もない。 自然に触れて分かること。
僧侶なら、悟るための修行をするのでしょう?と聞かれることがある。 していない、全く。 他宗のご法話でも、私たちは悟るために仏教をしているのだとかいうのを聞いた…
鴨長明「方丈記」を読んでいると、 方丈の庵に住む究極の生活は、自然に溶け込む生き方の達人のようであり 現代人が忘れがちなある種のASMR体験と想像するが、 精…
当たり前のことだけれど、宗教があって阿弥陀仏があるわけでもなければ 教団があって阿弥陀仏があるのでもない。念仏は宗派の専売特許でもない。 阿弥陀仏があって自我…
仏国土は星の数ほどあると言われていて、阿弥陀仏の仏国土は浄土とも言われる。 では、この世は何という名の仏国土かといえば「娑婆(Saha)」というが、 浄土のよ…
大経と呼ばれる無量寿経は、康僧鎧訳(魏訳)において、17,421文字の漢字で書かれている。 この漢文では、サンスクリット文からいくつかの加上が見られるが、 中…
分かることと、できることは違う。これは誰でも理解はしている。 個人においても、組織においても、 今、どういう状態に置かれているのか 周囲環境はどう動いているの…
昔から言われているように、仏教は道徳とちがう。 それは道徳を排除することではないし、何らのコンフリクトもない。 人に優しく、救いの手を差し伸べ、柔和に接し、き…
日曜礼拝のご法話を聴聞して、思わされた。 介護、うつ病、壮絶な人生を生きる人がいる。思わされるのは、 自分には、誰の真似もできない。小学校に入りたての子供を轢…
無量寿経巻下を読経中、浮かんだ。 「因位の自覚を持ちなさい」 因位とか果位というのは、仏の世界で他人事のように、そうなのですかで聞くなと。 たとえ5年先のこと…
人智を超えたところに仏智がある。 説明ができることではない。 釈迦が覚者となって人に法を説いたが、 例えば、お経の内容を見るに、後年の加上があるにせよ、釈迦以…
僧侶、と一言でいうが実に多彩なのだと今更ながら思わされる。 別に国内に限ったことでもなく、現代に限ったことでもない。 自分にとって、明らかに違うと思うのは、 …
繰り返し、くりかえし現れる「あさましい」という言葉。 現代でも、あらゆるところで見聞きする。教義のことではなく人間性なのだ。 歎異抄の十八条、 まことに、われ…
歎異抄のような伝聞形式で伝わる「蓮如上人御一代記聞書」。 内容は316条と膨大な伝聞が伝わっているが、御文とはまた違った角度でその教えを味わえる。 むしろ現代…
南無阿弥陀仏の後に、阿弥陀仏と噛み締める。 同じではない。日々、読経や勤行を続けているとこの感覚になる。 理屈ではなく、音の違いでもない、明らかな違いと言える…
「アンタの南無阿弥陀仏は平和な時代の念仏やな。」 確かに、歴史を紐解くに現代ほど恵まれた時代はない。 人権のない時代に生きた人もいる、戦争に駆り出され異国で斃…
いつも、南無阿弥陀仏て言いよるな。なんでですかいな。 ワシも、よう分かりまへんねん。気がついたら口に出とるんですわ。 阿弥陀仏て、ほんまにおってですんかいな。…
無量寿経の最後あたりに慈氏(弥勒)が釈迦に尋ねるシーンがある。 阿弥陀仏の浄土で、他の仏国土から生まれてきた者たちを見たという。 蓮華の蕚(うてな)に跏趺(か…
日頃のインプットを変えてゆきなさい、と聞こえる。 一般的にいう生活習慣を改善しましょう、とかと同じなのだろうか。 日頃、見るもの、聞くもの、食するもの、飲むも…
三帖和讃浄土にある「現世利益和讃」15首には、 「南無阿弥陀仏をとなうれば」が10回現れる。 これに続く言葉に、神、鬼、龍、天、王、祇などが登場する。 不思議…
BY AGE 40 YOU SHOULD BE SMART ENOUGH TO REALIZE THIS:40になる前に気付いておくべきこと 1. Some…
昔から、戒というのがあり、戒律ということも作られてきた。 人間社会でも法律や規則はあるが、むしろ自戒という意味合いが強い。 禁止事項というよりは、十善戒という…
昔から大乗非仏説と言われ、さらに浄土教はその最たるもので、 浄土とか他力とかいうことは加上(後付け)に過ぎず、釈迦が語ったことではない 江戸時代の富永仲基をは…