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  • 目次

    目次

    ■【原理講論】目次■【訂正・修正・校正】目次原理講論目次総序[P21]第一章創造原理第1~3節[P41]創造原理第4~6節[P64]第二章堕落論第1~2節[P91]堕落論第3~6節[P112]第三章人類歴史の終末論第1~3節[P133]人類歴史の終末論第4~5節[P157]第四章メシヤの降臨とその再臨の目的[P177]第五章復活論[P207]第六章予定論[P237]第七章キリスト論[P251]緒論[P271]第一章復帰基台摂理時代第1~2節[P289]復帰基台摂理時代第3節[P315]第二章モーセとイエスを中心とする復帰摂理第1節[P341]モーセとイエスを中心とする復帰摂理第2節-1[P349]モーセとイエスを中心とする復帰摂理第2節-2[P373]モーセとイエスを中心とする復帰摂理第3節[P403]第...目次

  • 訂正・修正・校正 INDEX

    訂正・修正・校正 INDEX

    ■【原理講論】目次■【訂正・修正・校正】目次【訂正・修正・校正】目次■原理講義間違い例・原理講義の間違い例―受肉・体恤・蕩減ー・原理講義の間違い例(1)蕩減・原理講義の間違い例(2)体恤・原理講義の間違い例(3)「ルーシェル」・原理講義の間違い例(4)「生めよ(פרו)」■原理講論の要訂正事項・キリスト教用語の誤用(1)・キリスト教用語の誤用(2)・何故、初歩的なキリスト教用語の間違いが多いか?・原理講論のスラング・教祖様のスラング、訛り、誤認、定義不明■漢字語の間違い(韓国語の専門家方に学ぶ)・「漢字廃止で韓国に何が起きたか」(呉善華)・「韓国が漢字を復活できない理由」(豊田有恒)・「どの面下げて韓国人」(豊田有恒)■原理講論と劉孝元氏・光言社サイト「劉孝元先生の苦悩と探究の道」に対する疑問・「蕩減復帰...訂正・修正・校正INDEX

  • 総 序 [P21]

    総 序 [P21]

    人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。個人のささいな出来事から、歴史を左右する重大な問題に至るまで、すべては結局のところ、等しく、幸福になろうとする生の表現にほかならないのである。それでは、幸福はいかにしたら得られるのであろうか。人間はだれでも、自己の欲望が満たされるとき、幸福を感ずるのである。しかし欲望などといえば、ややもすると我々はその本意を取り違えがちである。というのは、その欲望が概して善よりは悪の方に傾きやすい生活環境の中に、我々は生きているからである。しかしながら、我々をして不義を実らせるような欲望は、決して人間の本心からわき出づるものではない。人間の本心は、このような欲望が自分自身を不幸に陥れるものであるということをよく知っているので、悪に向かおうとす...総序[P21]

  • 第1章 創造原理 第1~2節 [P41]

    第1章 創造原理 第1~2節 [P41]

    人間は長い歴史の期間にわたって、人生と宇宙に関する根本問題を解決するために苦悶してきた。けれども、今日に至るまで、この問題に対して納得のいく解答を我々に与えてくれた人はまだ一人もいない。それは本来、人間や宇宙がいかに創造されたかという究極の原理を知らなかったからである。さらに、我々にはもっと根本的な先決問題が残っている。それは、結果的な存在に関することではなく、原因的な存在に関する問題である。ゆえに、人生と宇宙に関する問題は、結局それを創造し給うた神が、いかなるお方かということを知らない限り解くことができないのである。創造原理はこのような根本的な問題を、広範囲にわたって扱っている。[P42]第一節神の二性性相と被造世界(一)神の二性性相無形にいます神の神性を、我々はいかにして知ることができるだろうか。それ...第1章創造原理第1~2節[P41]

  • 第一章 創造原理 第3節~6節  [P64]

    第一章 創造原理 第3節~6節  [P64]

    [P64]第三節創造目的(一)被造世界を創造された目的被造物の創造が終わるごとに、神はそれを見て良しとされた、と記録されている創世記のみ言を見れば(創一・4〜31)、神は自ら創造された被造物が、善の対象となることを願われたことが分かる。このように被造物が善の対象になることを願われたのは、神がそれを見て喜ばれるためである。それでは、被造物がいかにすれば、神に一番喜ばれるのであろうか。神は万物世界を創造されたのち、最後に御自分の性相と形状のとおりに、喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、それを見て楽しもうとされた。そこで、神はアダムとエバを創造なさったのち、[106]生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ(創一・28)と言われたのである。この三大祝福のみ言に従って、人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、...第一章創造原理第3節~6節 [P64]

  • 第二章 堕落論 第1~2節 [P91]

    第二章 堕落論 第1~2節 [P91]

    人間はだれでも悪を退け、善に従おうとする本心の指向性をもっている。しかし、すべての人間は自分も知らずにある悪の力に駆られ、本心が願うところの善を捨てて、願わざる悪を行うようになるのである。このような悪の勢力の中で、人類の罪悪史は綿々と続いてきた。キリスト教ではこの悪の勢力の主体をサタンと呼ぶのである。そして、人間がこのサタンの勢力を清算できないのは、サタンが何であり、またそれがどうしてサタンとなったかという、その正体を知らないからである。それゆえに、人間がこの悪を根こそぎ取り除き、人類の罪悪史を清算して、善の歴史を成就するためには、まず、サタンがサタンとなったその動機と経路、およびその結果を明らかに知らなければならない。つまり、このような問題を解明するために、我々は堕落論を知らなければならないのである。[...第二章堕落論第1~2節[P91]

  • 第二章 堕落論 第3~6節 [P112]

    第二章 堕落論 第3~6節 [P112]

    [P112]第三節愛の力と原理の力および信仰のための戒め(一)愛の力と原理の力から見た堕落人間は原理をもって創造され、原理軌道によって生存するように創造された。それゆえに、原理の力それ自体が、人間を原理軌道より脱線させ、堕落せしめることはあり得ないのである。これはあたかも、レールや機関車に故障がない限り、汽車が自ら軌道を脱線するということがあり得ないのと同様である。しかし、汽車も自らの走る力よりも強い、ある外力が、それと異なる方向から働いてきた場合には、脱線するほかはない。これと同じように、人間も、それ自身を成長させる原理の力よりも強い、ある力がそれと異なる目的をもってぶつかってくれば、堕落する以外にはないのである。この原理の力よりも強い力が、すなわち、愛の力なのである。それゆえに、未完成期における人間は...第二章堕落論第3~6節[P112]

  • 第三章 人類歴史の終末論 第1~3節  [P133]

    第三章 人類歴史の終末論 第1~3節  [P133]

    我々は、人類歴史がいかにして始まり、また、これがどこへ向かって流れているかということを、これまで知らずに生きてきた。したがって人類歴史の終末に関する問題を知らずにいるのである。多くのキリスト教信者たちは、ただ聖書に記録されていることを文字どおりに受けとって、歴史の終末においては天と地がみな火に焼かれて消滅し(ペテロⅡ三・12)、日と月が光を失い、星が天から落ち(マタイ二四・29)、天使長のラッパの音とともに死人たちがよみがえり、生き残った人たちはみな雲に包まれて引きあげられ、空中においてイエスを迎えるだろう(テサロニケⅠ四・16、17)と信じている。しかし、事実、聖書の文字どおりになるのであろうか、それとも聖書の多くの重要な部分がそうであるように、このみ言も何かの比喩として言われているのであろうか。この問...第三章人類歴史の終末論第1~3節 [P133]

  • 第三章 人類歴史の終末論 第4~5節  [P157]

    第三章 人類歴史の終末論 第4~5節  [P157]

    第四節終末と現世イエスが、将来訪れるであろうペテロの死に関して話しておられるとき、そのみ言を聞いていたペテロが、ヨハネはどうなるのでしょうか、と質問した。これに対してイエスは、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか」(ヨハネ二一・22)と答えられた。それゆえに、このみ言を聞いた使徒たちは、みなヨハネが生きているうちに、イエスが再臨されるだろうと信じていたのである。そればかりでなく、マタイ福音書一〇章23節を見れば、イエスはその弟子たちに、「あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう」と言われており、また、マタイ福音書一六章28節には、「人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っ...第三章人類歴史の終末論第4~5節 [P157]

  • 第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的  [P177]

    第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的  [P177]

    メシヤという言葉は、ヘブライ語で油を注がれた人を意味するが、特に王を意味する言葉である。イスラエル選民は彼らの預言者たちの預言によって、将来イスラエルを救う救世主を、王として降臨させるという神のみ言を信じていた。これがすなわち、イスラエルのメシヤ思想である。このようなメシヤとして来られた方が、まさしくイエス・キリストであるが、このキリストという言葉は、メシヤと同じ意味のギリシャ語であって、普通、救世主という訳語が当てられている。メシヤは神の救いの摂理の目的を完成するために、降臨なさらなければならない。このように、人間に対して救いが必要となったのは、人間が堕落したからである。ゆえに、救いに関する問題を解決するためには、まず堕落に関する問題を知らなければならない。堕落はすなわち、神の創造目的を完成できなかった...第四章メシヤの降臨とその再臨の目的 [P177]

  • 第五章 復活論  [P207]

    第五章 復活論  [P207]

    聖書の預言を、文字どおりそのまま受け入れるとすれば、イエスが再臨されるときには、既に土の中に葬られて、元素化されてしまったすべての信徒たちの肉身が、再び元どおりの姿によみがえって、出てくるものと見なければならない(テサロニケⅠ四・16、マタイ二七・52)。これは、神が下さったみ言であるから、我々の信仰的な立場においては、そのまま受け入れなければならない。しかし、これは現代人の理性では到底納得できない事実である。そのため結局我々の信仰生活に大きな混乱をきたすようになる。したがって、この問題の真の内容を解明するということは、極めて重要なことであるといわなければならない。[P208]第一節復活復活というのは、再び活きるという意味である。再び活きるというのは、死んだからである。そこで、我々が復活の意義を知るために...第五章復活論 [P207]

  • 第四章 摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代 第7節 [P486]

    第四章 摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代 第7節 [P486]

    [P486]第七節復帰摂理から見た歴史発展創造原理で、既に論じたように、地上天国は、完成した人間一人の姿と同じ世界である。したがって、堕落した世界は、堕落した人間一人の姿に似ているということができる。ゆえに、我々は堕落した人間一人の生活を調べてみることによって、人類罪悪史の全体的な動向を、のぞき見ることができるといわなければならない。堕落した人間には、善を指向する本心と、この本心の命令に逆らって悪を指向する邪心とがあって、この二つの心が常に闘っているということを、我々は否定することができない。したがってまた、本心の命令に従う善行と邪心の命令に従う悪行とが、我々の一つの体の内にあって、互いに衝突しあっているという事実をも、我々は否定することができない。このように、それ自身の内部で闘争を行っている各個体が、横...第四章摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代第7節[P486]

  • 第五章 メシヤ再降臨準備時代 第1節~3節  [P510]

    第五章 メシヤ再降臨準備時代 第1節~3節  [P510]

    メシヤ再降臨準備時代とは、西暦一五一七年の宗教改革が始まったときから、一九一八年第一次世界大戦が終わるまでの四〇〇年間をいう。この時代の性格に関する大綱は、同時性から見たメシヤ降臨準備時代との対照において既に論述したが、ここで、もう少し詳細に調べてみることにしよう。復帰摂理から見て、更に、この期間は宗教改革期、宗教および思想の闘争期、政治と経済および思想の成熟期などの三期間に区分される。第一節宗教改革期(1517〜1648)西暦一五一七年、ドイツでルターが宗教改革の旗を揚げたときから、一六四八年、ウェストファリア条約によって新旧両教徒間の闘争が終わるまでの一三〇年の期間を、宗教改革期と称する。この期間の性格は、中世封建社会の所産である文芸復興と、宗教改革とによって形作られる。神が中世社会を通して成し遂げよ...第五章メシヤ再降臨準備時代第1節~3節 [P510]

  • 第五章 メシヤ再降臨準備時代 第4節  [P537]

    第五章 メシヤ再降臨準備時代 第4節  [P537]

    [P537]第四節世界大戦(一)蕩減復帰摂理から見た世界大戦の原因戦争は、いつでも政治、経済、思想などが原因となって起こるようになる。しかし、このようなことはあくまでも外的な原因にすぎないのであって、そこには必ず内的な原因があるということを知らなければならない。これはあたかも人間の行動に内外両面の原因があるのと同様である。すなわち、人間の行動は、当面の現実に対応しようとする外的な自由意志によって決定されるのはもちろんであるが、復帰摂理の目的を指向し、神のみ旨に順応しようとする内的な自由意志によって決定されるものもあるのである。ゆえに、人間の自由意志によって起こる、行動と行動との世界的な衝突が、すなわち世界大戦であるので、ここにも内外両面の原因があるということを知らなければならない。したがって、世界大戦を、...第五章メシヤ再降臨準備時代第4節 [P537]

  • 第六章 再臨論 第1~2節  [P559]

    第六章 再臨論 第1~2節  [P559]

    イエスは、再臨するということを明確に言われた(マタイ一六・27)。しかし、その日とそのときは、天使もイエスもだれも知らないと言われた(マタイ二四・36)。それゆえ、今までイエスがいつ、どのようにして、どこに来られるかということに関しては、それについて知ろうとすることそれ自体が無謀なことのように考えられてきた。しかしながら、イエスが繰り返し、「ただ父だけが知っておられる」と言われた事実や、アモス書三章7節において、「まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」と言われたみ言などを総合して考えると、その日、そのときを知っておられる神は、イエスの再臨に関するあらゆる秘密を、必ず、ある預言者に知らせてから摂理されるであろうということを、知ることができる。[601]それ...第六章再臨論第1~2節 [P559]

  • 第六章 再臨論 第3節  [P582]

    第六章 再臨論 第3節  [P582]

    第三節イエスはどこに再臨されるかイエスが霊体をもって再臨されるのでなく、地上から肉身をもった人間として、誕生されるとするならば、彼は神が予定されたところの、そしてある選ばれた民族の内に誕生されるはずである。それでは予定されたその場所とはいったいどこなのであろうか。(一)イエスはユダヤ民族の内に再臨されるか黙示録七章4節に、イエスが再臨されるとき、イスラエルの子孫のあらゆる部族の中から、一番先に救いの印を押される者が、十四万四千人であると記録されているみ言、また弟子たちがイスラエルの町々を回り終わらないうちに人の子が来るであろう(マタイ一〇・23)と言われたみ言、そしてまたイエスのみ言を聞いている人々の中で、人の子がその王権をもってこられるのを、生き残って見る者がいる(マタイ一六・28)と言われたみ言などを...第六章再臨論第3節 [P582]

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