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【自分】の代わりは居たとしても、【自分】の人生を担えるのは自分だけ。
今の仕事も役割も立ち位置も、自分の代わりはいくらでも居る。だから遠慮も謙遜も要らない。自分の代わりは沢山居ても、自分の人生は一つしかない。だから「私が居なくなったら」という【仮想現実】や【呪い】の椅子に囚われず、自分は自分が「信じたい」と思えた道に踏み跡を付けて行けば良い。
2022/03/28 13:02
弱者は僕のせいだから
物語が始まる弱者は僕のせいだからJ-Pop¥255provided courtesy of iTunes呼吸が変われば感情が変わる。感情が変われば表情が変わる。表情が変われば言葉が変わる。言葉が変われば考えが変わる。考えが変われば行動が変わり行動が変われば習慣が変わる。そして習慣が変われば人生が変わる。20代の頃、人生の節目節目で耳にたこが出来る程言われ続けていた言葉です。ライブはアーティストさんとファンの方々で「息を合わせる」空間でもあると思うのですが、弱僕さんは「呼吸を変えられる」イメージ。感情が動けば呼吸も変わる訳ですから、ライブ後の疲労感はそれだけ感情を動かされていた証拠。MCやセトリ…
2022/03/28 12:24
道を表す「しんにょう」に「兆し」と書いて逃げると読む。
「目を背ける」って、 【別の視点】に目を向ける、とも言い換える事が出来るのかも知れません。 「目を逸らす」って、 【見える範囲を広げる】という意味で捉える事も出来るのかも分かりません。 それまで向き合っていた物事から意識を手放すという事は、 先刻まで自らが固執しこだわり探求し、あるいは思考を縛っていた視野を【開放する】と表現する事も出来るのではないかと思うんです。 見る視点を増やす。 違う観点に切り替える。 それはつまり、「思考の柔軟さを取り入れる」という事でもあります。 目の前の障壁や逆行に真っ向から立ち向かえる心向きは、 【筋】というものを失わない為にも、 【自分】との繋がりを絶やしてし…
2022/03/24 21:23
【日常】を頂けている恩返し
ある程度 都会や都心に近しい場所であれば、例え真夜中でも街灯や電飾、ビルの窓明かり等で【真っ暗闇】を体験する事は稀かと思います。カーテンによる遮光や常夜灯等の消灯で即席の暗闇を生み出せる分、今の時代、【黒色】に限りなく近い空間を体感出来るのは外ではなく室内なのかも知れません。そんな事を今からほんの数時間前の浴室で、磨りガラスの向こうに広がる暗澹の世界を眺めながら不意に考えていました。例え節電でなくとも、消灯した室内に少しでも身体や眼を親しませてあげる事で、いざと言う時の【冷静さ】や気休め程度の【落ち着き】くらいは育ててあげられるのかも分からない。恥ずかしながら私は今迄電気を点けっ放しにしてしま…
2022/03/22 23:01
いや、どっから出たん。
総重量9kg程度の在庫品を肩下程の高さにあるスチールラックへ収めようとしただけなのですよ。出来ると思っていたのですよ。その自信とは相反し、棚の高さ迄引き上げようとした途端「ンンヴふ」みたいな出所不明のあられも無い声が噴出した上その現場を営業帰りの所長に見られ顔を覆いたくなりました。何だったら不格好な姿勢で停止している私を「大丈夫?重いもんね」と飄々といなし、 挙句の果てには力声も勇み声もウンともスンとも零す事無く流れる様なスマートさで在庫品を収められたものですから、何かもう羞恥やら情けなさやらで居た堪れなくて裸足で逃げ出したくなった週末15時の私です。
2022/03/18 16:50
それは偏るという事ではなく【本懐】を見失わないという事
私はこの先も、楽な道も厳しい道も両方選んで行くのではないかと思います。そうやって自分の【真ん中】を常に目指し続けて行くのだろうと思うんです。それが【真綿の道】でも【茨の道】でも、どちらか一方向を選び続けて行くとしたら、多分、私は【真ん中】から曲がって行ってしまうから。
2022/03/15 23:32
何でもない日に自分を捧ぐ。
昨日(3/14)は今年度分の有給消化でお休みを頂いていたのですが、休み明けの今日、全く予期せぬタイミングで会社の方からチョコレートを頂いてしまいました。ホワイトデーは昨日なのに。と言うかそれ以前に今年は誰にもチョコレートお渡ししていないのに。「えみさん仕事頑張ってるから。取引先も皆褒めてくれてるし」すし詰めにしても尚、身に余り過ぎるお言葉に『壊れたブリキの玩具上等』で「とんでもないです滅相もないです恐れ多いです」とひたすら首をぶん回し続けていたのですが、未だにこうして褒めて頂ける環境に居られる事が、私は本当に有難い。記念日にプレゼントを贈れた訳でもお祝い出来た記憶もないのに、去年も今も「お返し…
2022/03/15 16:41
気持ちに応えるという事は、必ずしもお相手の布いたレールに乗るという事ではないんです。
自身の気持ちを伝えた上で想いや意思表示を踏まえた上でお相手の【心の展開図】を明示して下さるのは嬉しいものです。「あなたがそう言うなら」や「傷付けるかも」といったお相手本位や謙遜での意見ではなく、「これを伝えたい」と思える程の労力をお相手にも自らにも充てて下さるという事だから。「自分には自分のやり方がある」という一言や定型文には収まらず、その内訳を明細し、今ある熱火や不確かな靄を何度も飲み下しと生み出しを繰り返しながら【自分の言葉】として伝えてくれる。そこには「これがいい」という想いの丈と思い入れと、誰に促された訳でもない、その人自身の【地力】がある。そこに根差されている真摯さと切実さは誰もが持…
2022/03/14 13:05
「手が見えている」が与える安心感。
マナーは何の為にあるのかと尋ねられたのだとしたら、自分なら「秩序」や「しきたり」、「公での作法」や「品格」の為と回答するその前に、お相手に「不快感」や「心理的な抵抗」を抱かせない為の術(すべ)や計らいを明文化したのが【マナー】というものの原文なのではないのかと、そう答えるのだと思うんです。例えば握手や軍隊で行われる刀礼は何故行われるのかと言えば、それが友好や挨拶、好意を示す動作であると同時に、お相手に対して「敵意はありませんよ」という意思表示を見せる意味を持っていたからです。握手により自らの手を制する事で、あるいは刀礼で両の手をお相手の前に晒す事で、「自分は武器を持っていない」「何も隠していな…
2022/03/13 11:47
母の味。
「最期の晩餐は何が良いか」と聞かれたら、今の自分なら間違いなく「母さんの握った塩結び」と答えるのだと思います。基本的に料理の苦手な母ですが、塩結びに関しては文字通り「炊き立て」のご飯でいつも握ってくれたんですよね。それが凄く美味しいから自分も倣おうとしたのですが、いかんせん本当に「炊き立て」なもので、お米が熱くてとてもじゃないけど真似出来んのですよ。料理に洗濯に掃除に買い物。 家の為に家族の為に、赤切れてふやけて厚くなった母の手だからこそ握る事の出来た味なのだと痛感します。中学生の頃、友達が自宅へ遊びに来た際に「お菓子を用意していなかったから」と出してくれた数個の塩結び。それを皆が「本当に美味…
2022/03/12 19:59
2022.3.11
関東大震災も明暦の大火も、自分は【黙祷】をしたことが無い。黙する事は出来たとしても「悼む」ところまでは行かれない。この境界線はどこなのだろうと昼夜を舎かず時々考えることがある。聞く人が聞けば一笑に付す話なのかも知れないけれど、割かし私は本気でそれを思っている。戦争も災禍も悼むことが出来るのは、多分その時分に近しく在れた人々だけ。心を分け合う時代の距離に生きることが出来た人達だけ。だから今日という日を【悼む】ことが出来るのは、この100年を生きる私達にしか出来ないこと。 私達でなければ「馳せる」ことが出来ないこと。関東大震災を生きた人が、そしてその痛みを「知る」人々が、99年後も祈りを捧げている…
2022/03/11 16:30
【見方】が変われば【味方】に変わる
見方を増やすということは、物事の受け口を増やすこと。解釈の窓が開くこと。そして価値観や概念が垢抜けること。尺度や角度や立ち位置を変えて見てみれば、それまで自分から見て「外側」にあった出来事が「内側」に収まっている事だってある。【見方】が変われば【味方】に変わる。
2022/03/11 12:48
【不変(普遍)】の前には常に【変動】という歴史がある。
普段自分達が歩行や運転、通勤や通学に使用している平らな道。私自身も表現の一角で「平坦な道」という比喩を使った事がありますし、今後も汎用するレトリックの一つだと思うのですが。そもそも道って、凸凹している事が元々の「平凡」なんですよね。道が平たいのは舗装してくれる国や企業があったからで、紛争や犯罪を「非凡」と呼ぶ事が出来るのは、それが「平凡」である事を認めない人々が居てくれたから。慣らし反芻し習慣化したものを「普通」と呼ぶとするのなら、平坦って、それ自体が地ならしをして来た【時代の跡】と言えるのかも分かりません。道路の塗装に線路の施工、資格の勉強や進級や、引越しや就職や何かを「やる」と決めた時。「…
2022/03/09 19:01
「誰にでも出来る」という事と、「誰もがやる」のかという事。
「誰にでも出来る」という概念が実際に存在したとして、それを誰もが「やる」のかと言えばそうでは無いし、万人が【意欲】を伴えるものでも【心労】を賭せるものでもない。誰もが射貫こうと思える的じゃない。だから誰もが射貫ける的じゃない。何かを「やる」という事は、それ自体が【特筆】して【別格】という事なんですよ。
2022/03/09 16:25
【慈愛】は【自愛】
先日私が対応させて頂いたお得意先様から弊社宛に一本の電話があったそうです。丁度自分は外出中でその場に居合わせる事は無かったのですが、出先から帰社したタイミングで、営業さんが嬉しそうに通話内容を教えに来て下さいました。「えみさん、〇〇(得意先名)の社長が褒めてたよ。『御社の事務員さんはお話の仕方が明るくて良い。対応もハキハキしていてとても気持ち良かった』って」職場での自分は基本的に淡々と仕事をしている場面も多いのですが、これが電話口ともなると目線やお顔を確認出来ない【不確かさ】も相まって、淡白なテンションがお相手の心へとダイレクトに伝わり易くもあるんですよね。それはお相手からのリアクションを吸水…
2022/03/02 20:07
【どうでもいい自分】なら「不安」を覚えたりなんてしない。
小一時間にも満たない短かな時間ではありましたが、ほんの少しだけ恋愛相談をお受けしていました。想いを寄せているお相手に不安な気持ちばかりを募らせてしまうという彼女。「何で私はこんなに弱いんだろう」と言っていたけれど、弱いんじゃなくて、自分を大切にしてあげたいだけなんですよ。
2022/03/02 00:54
2022年3月 (1件〜100件)
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