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  • 関下有知、圧巻の桜並木。

    (圧巻の桜並木@長良川鉄道・関下有知~関市役所前)樽見鉄道と、名鉄谷汲線の桜を巡りながら撮り歩く桜の旅。谷汲山でお参りを済ませた後は、大きく場面転換をして長良川鉄道に転戦しました。樽見鉄道に負けず劣らず、長良川鉄道の沿線も桜の美しいことでは非常に有名な路線。本当であれば、一日は樽見鉄道+谷汲線、もう一日が長良川鉄道というスケジュールでじっくり回れればよかったのだけど、日帰りの身ではそういう訳にも行かず・・・近場の美濃市以南の桜を見に行くことにしました。やって来たのは線路沿いの桜並木が見事な関下有知駅の桜。長良川鉄道の桜と言えばここかな?というくらいには有名な場所です。花の咲きぶりとしては満開に少し早く、八分から九分くらいの咲きぶり。それでも長いタマを使って圧縮すればより迫力が出ますね。それにしても谷汲から...関下有知、圧巻の桜並木。

  • 愛岐の名車、桜と眠る。

    (名鉄600V、北縁の防人@モ755)樽見鉄道沿線の桜を愛でつつ、再び名鉄の谷汲線沿線まで戻って来ました。訪れたのは終点の谷汲駅。ここには、モ755とモ514という名鉄600Vを代表する2両の名車が、今でもきれいな形で保存されています。廃線の後、郷土の鉄路の歴史を残すための鉄道保存の取り組みについては、村の議会では負担が重すぎるとして予算が付かなかったのだそうです。現在の谷汲駅での車両保存は、村の議会でいったんは否決されながら、地元有志の熱心な働きかけによって名鉄からの譲渡に漕ぎ付けられたもので、それだけ谷汲村民にとってこの赤い電車が大きな存在だった・・・ということが分かるエピソードでもあります。西国三十三か所霊場巡りの中では、一番東に位置する谷汲山華厳寺。名鉄谷汲線の前身である谷汲鉄道が、谷汲山への参詣...愛岐の名車、桜と眠る。

  • 高科、桜盛りの里にて。

    (瀬をはやみ、根尾の流れに@日当~鍋原間)桜の写真を中心に撮り歩く根尾谷・樽見鉄道の旅。今年は桜の開花が遅かったせいか、桜と山々の芽吹きが同時に訪れている。そんな根尾川の谷は深く、そしてその水は蒼く清冽に流れております。第6根尾川橋梁を行く「うすずみ観桜号」。樽見鉄道は終点の樽見までに根尾川を10回渡るのだが、そのうちの8回は神海から先の新線区間。橋を作る事やトンネルを作る事に関して、安定的な土木技術が確立した時代の路線ということが出来ます。根尾谷にこだまするNDCのタイフォン、あっという間に車両は足元の舟山トンネルに吸い込まれて行きました。桜の高科駅。樽見鉄道の各駅、この時期どこの駅にも桜が咲いていて訪れる人の目を楽しませてくれている。開業したのが平成の初期、植樹されたのもその頃だとすると、樹齢としたら...高科、桜盛りの里にて。

  • 世界に轟く「根尾谷」の名。

    (飲んで、乗り過ごして、あれ・・・?@高尾駅)神海から先の新線区間。深い谷を刻む根尾谷に沿って、トンネル&鉄橋&トンネル&鉄橋でストレートに樽見を目指すその途中、根尾川に沿った僅かな明かり区間の途中にある高尾駅。この「集落の位置と合わない高い位置にある森の中の小駅」というのは、いかにも「昭和の鉄建公団線の設計だなあ」ともいうべきバリアフリーのなさという感じがします。この時代の鉄建公団線、例えて言うならA市とB市をなるべく真っすぐトンネルと鉄橋で結んで連絡させることに重きを置いていて、その通過途中にある小駅についての利便性は特に考慮されていないのが特徴。なので、駅の名前になっている集落が駅から平気で2kmくらい離れてたり、主要国道から細道をたどった先の山の中にあったり、およそ地元の普段使いに馴染まない場所に...世界に轟く「根尾谷」の名。

  • 日当、桜の仁義。

    (日の当たる駅@日当駅)国鉄時代の樽見線は、美濃神海より先にも延伸計画があり、昭和40年代中期から実際に新線区間の工事も開始されていました。しかしながら、大量の赤字ローカル線を抱え過剰債務に陥っていた国鉄の再建計画の余波を受け、昭和50年代になってその工事が凍結。大量の未成区間を残したまま、特定地方交通線入りしてしまいました。その後、昭和59年の第三セクターへの移管を経て工事が再開され、終点の樽見までの10kmあまりが開通したのが1989年(平成元年)のこと。おりしも昭和の末期から平成にかけて、「ふるさと創生」なんて言葉が日本列島を駆け抜けた時代でもあります。本当であれば、特定地方交通線の延伸計画区間ってのはそのまま工事凍結→事業中止となる訳なんですけども、確か地元が路線を引き受けて運営する意思を示せば無...日当、桜の仁義。

  • 花弁舞い散る、記憶舞い戻る。

    (桜の駅、賑わい@樽見鉄道・谷汲口駅)名鉄谷汲線の廃線跡に、在りし日の憧憬を追う桜旅。少し廃線跡から離れ、根尾川を渡って樽見鉄道の谷汲口駅へ。岐阜県の西域を流れる根尾川の流域は、「根尾の淡墨(うすずみ)桜」で名高い桜の里。この時期は「桜ダイヤ」として日中の増便増車がかけられ、年で一番のお祭りムードになります。そして、花の便りに沸く樽見鉄道沿線でも随一の「花の駅」がこの谷汲口駅。根尾谷に春を告げる淡墨桜はエドヒガンの大きな一本桜ですが、この駅はソメイヨシノの系統。この時期、駅の周辺に植えられた桜が一斉に咲き誇り、普段は人影少ない簡素な造りのローカル線の駅に、多くの観光客が訪れます。花曇りなのが少し残念ながら、時を今かと待ちわびたように、ときめく春を謳歌する谷汲口の桜。駅を望む北側の踏切からの定番構図。現在は...花弁舞い散る、記憶舞い戻る。

  • 憧憬の 春に桜が 咲き乱れ。

    (来ない列車を待つ桜@旧名鉄谷汲線・更地駅跡)旧名鉄600V線区を辿る旅は、黒野から北へ。根尾川に沿って、谷汲へ向かう参詣鉄道の廃線跡を辿ります。根尾川沿いに開けた平野がやや狭まり、視界に山が近付きつつあるあたり。県道を少し折れた集落の路地裏に、ひっそりと一本のホームがありました。これが旧名鉄谷汲線・更地(さらぢ)駅跡。ここに駅があったことを示すかのように、ホームの傍らに立つ一本桜。谷汲線が現役だった頃は、春になるとこの一本桜とオールドタイマーの赤い電車の組み合わせを求めて、多くの鉄道ファンがこの駅を訪れたそうです。電車が来なくなってはや四半世紀弱、今年も春を迎え、今年も桜が咲き、そして駅のホームが静かに来ない電車を待っていました。名鉄谷汲線の更地駅。何年か前、この駅で撮られた写真の数々に触れる機会があり...憧憬の春に桜が咲き乱れ。

  • ああ追憶の600V。

    (ああ、追憶の名鉄600V@黒野レールパーク)北陸新幹線の敦賀開業前の話をしていたら、既に年度末が過ぎ、桜の時期になってしまった。今年の桜は例年に比べると咲く直前の天候の悪さで花の進みが遅く、新年度に入ってからようやく咲き始めるという体たらくであった。まあ自然の摂理に「体たらく」も何もないもんだが、この時期は桜の開花に合わせて撮影行動を取るのがカメラ趣味のあるある。ウェザーニュースの予報を眺めながら、「今年は3月22日過ぎに開花からの3月27日~28日満開」と読み、この年度末のクソ忙しい時に後ろ指を指されつつ有給の申請まで出したのに花の気配が全くなく・・・(その後有給は「忙しくって休めないっすよね!」みたいな感じでカジュアルに取り下げてしまった)。改めて仕切り直しの新年度。どこへ行くかは天気と花の咲き具合...ああ追憶の600V。

  • 車窓の闇に酔いしれて。

    (波止の終着駅@三国港駅)三国芦原線の終着、三国港駅。かつては金津から出ていた国鉄三国線が、京福電車の線路と並んでこの港町まで足を延ばしていました。福井県では、永平寺と並んで・・・というか、一番の観光地になる「東尋坊」の最寄り駅。もっとも、距離的には近くとも、バスは一つ手前お隣の三国駅からの方が本数も多い。便によっては三国港駅前も通るので、アクセスできないことはないのだが。どっちかと言えば、この駅は水産物を中心にした物資の運び出しのために作られた駅という雰囲気が強く、今でも残る錆びた機回し線が「貨物の駅なんだなあ」という雰囲気を醸し出している。木造瓦屋根の渋い駅舎が、いかにも地方私鉄の終着駅らしい。えち鉄の終着駅は、勝山も三国港も、どちらもいい駅舎を持っていますよね。駅前の道路を隔てると、九頭竜川の大きな...車窓の闇に酔いしれて。

  • 便利さと、使いやすさとプラスワン。

    (変わる分岐駅@福井口駅)勝山永平寺線と三国芦原線の分岐駅である福井口の駅。地上時代は、路線別でそれぞれのホームがあり、勝山から三国港方面に向かうには構内踏切を渡って乗り換えなくてはならなかったのを思い出す。現在は三国行きも勝山行きも同じ番線から発着するので、バリアフリーの観点からは便利になった。高架後のホームの構造は島式ホーム1面2線と地上時代に比べて番線は減っているのだが、非常時の折り返し用のためなのか勝山/三国側に切り欠きのホームがある。通常ダイヤでこのホームを使う列車はなく、普段は車庫への出入区線として使われているようです。三国芦原線は、勝山永平寺線よりもより郊外の住宅地の路線という性格が強い。特に九頭竜川の南側である新田塚駅の辺りまでは、何の変哲もない福井市内の住宅街が続いている。福井鉄道とえち...便利さと、使いやすさとプラスワン。

  • 趣のある街の駅。

    (昔は町の中心駅@松岡駅)現在はお隣の永平寺町と合併してしまったものの、以前は福井県吉田郡松岡町、五万石の石高を持った越前松岡藩の中心地にある松岡駅。駅の風格やよし、おそらくは越前電気鉄道として開業した当時からの、由緒正しき木造駅舎。永平寺口駅の旧駅舎と同様、車寄せの部分に丸い意匠がデザインされた瀟洒な駅舎である。行きがけの車窓から見て「おっ」と思わせるような雰囲気があった。こういう駅の持つ「街の顔」としての表情の良さ、末長く大事にしてもらいたいもの。越前松岡藩は、福井藩の藩主であった越前松平氏の一族が治めた城下町でありましたが、その越前松平藩は一枚岩とは言えず・・・度重なるお家騒動の末に、この松岡藩のような小さな藩を小分けに小分けに一族に分け与えるという財産分与のような形で半世紀に亘って迷走を続けました...趣のある街の駅。

  • 比島百景。

    (残雪の勝山盆地を行く@比島~発坂間)前に来た時にも、この辺りの線路際の路地をウロウロと撮り歩いていた記憶がある。その時の比島は夏だったのですが、今回の2月の終わりの訪問だったので、それなりの雪景色を期待していたんですけども、殺風景な冬枯れの風景はサマになっているとは言いがたいものがありますね。とにかく色がない。と言う訳で比島で昼近くまでああでもない、こうでもないとブラつきながらお腹が空くまで比島界隈でシャッターを切る。この日は、結局最後は比島から勝山駅まで歩いてしまった。チンタラ歩いても25分くらいだからどうということはない。普段は「25分も歩く」なんて言われたらウゲェ~ってなってしまうのだけど、とにかく旅先の撮り鉄はよく歩く。いつもの生活でもこのくらい歩けば、体重も今よりだいぶ少なくて済んだだろうにな...比島百景。

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