汐の情景 九話
後ろを振り返る事を嫌う者はいても、一度だけでも過去に戻りたいと思う者は結構な数で存在するのではなかろうか。 前向きな精神に虚勢を感じるとは言わないまでも、その人生に於いて只の一度も昔に戻りたくはないといった思想には多少なりとも無理があるように思える。 無論そこに災いの種が見え隠れするのなら立ち戻る必要性すら無い訳だが、たとえ一筋の光明でも見えれば自ずとそこへ向かってしまうのが人間心理だろう。 互いに息を合わすかのようにして後ろを振り返り、歩みを進め、向かい合う英和と直子はその目を見つめながらも言葉を失っていた。こんなシチュエーションに言葉を求める事がたとえナンセンスであろうとも何か一言でも口に…
2021/10/30 18:27