京都や奈良などのお寺巡りを、今からかなり以前の関西単身赴任時代に行いましたが、その時訪れたお寺などの拝観記を、地域別かつ訪れた順に記載していきたいと思います。
法然院 山門
最初に法然院に行く。当院は鎌倉時代の始めに、専修念仏の元祖である法然坊源空上人が、鹿ケ谷の草庵を営んだのが始まりと言う。この地で法然は弟子の安楽・住蓮とともに念仏三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えた。一二〇六年、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、上皇の寵姫であった女房の松虫・鈴虫...
ここは本堂が六角形をしているところから、六角堂と呼ばれているが、正式には頂法寺という。御池と四条烏丸の中間を少し入ったビル街の谷間に、六角堂はある。開基は聖徳太子であり、堂内には太子の念持仏の如意輪観音像が安置されているとのことである。本堂前の礎石は「へそ石」と呼ばれ、古来よ...
次いで金堂に廻る。今のお堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興されたもので、天竺用の構造法を用いた豪放雄大な気風の漲る桃山時代の代表的な建築と言われ、細部には唐・和風の技術も巧みに取り入れているという。金堂の中に入る。ここには薬師如来を中心に、右に日光菩薩、左に月光菩薩の...
東寺の東門前で下りて、境内に入る。お寺は東が大宮通り、西が壬生通り、そして南が九条通りに面した広大な敷地である。日陰の少ない境内を、まず観智院を探して歩く。この観智院は北大門を出たところにあったが、現在拝観謝絶中であった。そこでまた戻って、講堂と金堂を拝観することとする。 ...
今日は先輩より教えていただいた、今開園中の擁翠園を見に行く。地下鉄の鞍馬口駅で降りて、その近くのお店で場所を確認しながら行くと、京都貯金事務センターがある。なかなか立派な門構えであり、門前で擁翠園と郵便貯金のパンフレットを呉れる。それによれば擁翠園の沿革は次の通りである。一四〇五...
今日は西本願寺の飛雲閣公開の最後の日と言うことで、午前中の新幹線に乗り一時過ぎに京都に着く。京都駅よりすぐにタクシーに乗り継いで西本願寺までやってきたが、最終日と言うこともあり入園を待つ人の行列が延々と連なっており、三時間待ちと言うことなので入園はあきらめて阿弥陀堂と御影堂を...
誠心院より少し上がったところに、誓願寺がある。当寺は深草山と号し、浄土宗西山深草派の総本山である。寺伝によれば飛鳥時代に、天智天皇の勅願寺として奈良に創建され、後に深草に移り、平安遷都におりに上京区に移された。現在地には天正十三年(一五八五年)に移され、秀吉の側室松丸殿の発願...
誠 心 院(和泉式部の墓)
秋の特別公開のお寺を廻るべく、阪急で京都に向かう。行楽シーズンのためか、四条河原町行きの特急には長蛇の列が並んでいる。四条河原町で腹ごしらえをする。天ぷらうどんにキムチを入れて貰って食べる。なかなかうまい。新京極の入口の交番で、特別公開中の誓願寺の所在地を確認する。若い警官が...
京都御所 洲浜
南庭は回廊に囲まれており、白砂を敷き詰めてある。白砂の持つ清浄さ、広がりは、神道からのものであろうか。それが後になって禅寺の庭に用いられたのも、面白い感じがする。南庭より北西の門を潜ると、清涼殿がある。ここは天皇の日常の住まいであり、御常御殿ができるまではここが生活の場であっ...
京都御所
今日は秋の特別公開の最終日であり、入門したのは、南西にある宣秋門である。入場料は無料である。考えてみれば国の資産であり当たり前のことであるが、他のお寺などは四百円から六百円の入場料を取るのが当たりまえとなっているので、何か得をした感じがする。車寄せ、諸大夫の間、新車寄せの前を...
みかの原 わきて流るる いづみかわ いつみきとてか 恋しかるらむ 藤原兼輔 御所内に入り、仙洞御所の周りを歩いて、丸太町通りに向かう。京都御苑南端に、厳島神社がある。ここは九条家の邸内で、もともとは平清盛が安芸の国より厳島神社を兵庫・築島に勧請。それを...
廬山寺の桔梗
御所東側の廬山寺へと行く。当寺の正式名称は廬山天台講寺であり準門跡寺院であるが、九三八年に慈恵大師が船岡山に創建したものである。その後紫野などを経て、桃山時代に正親町天皇(おおぎまちてんのう)の領地を下賜されて当地に移っている。昭和四〇年に考古学者・角田文衛博士により、当寺の境内...
境内にある瑞春院を訪れる。他の観光グループと一緒に拝観する。まずは梅村景山による八方睨みの龍の襖絵の部屋、それから孔雀の間、雁の間と順次見てまわる。この寺は水上勉が十歳で若狭より入門して、「雁の寺」にその想い出を書いたことで有名なお寺である。孔雀の間の来迎三尊は阿弥陀如来を中...
相 国 寺 開 山 堂 タクシーで相国寺へ行く。堀川通りを下って今出川通りを東へ向かい、烏丸今出川に出る。ここは御所の北側で、相国寺への参道の両側には同志社大学がある。薩摩藩邸もこの辺りにあったようである。相国寺は三代将軍足利義満創建(一三九二年)で、...
庭園は本阿弥光悦作庭のもの、と言われている。本阿弥家は光悦の曾祖父・清信(足利家に仕え、刀剣の鑑定・研磨を家業とした)が日親上人と同時期に投獄され、その時に帰依して以来の繋がりがある。天正十五年の移転の際、光悦は父・光二とともにその完成に尽力した。本庭は三巴の庭と呼ばれ、書院...
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