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Zooey's Diary https://blog.goo.ne.jp/franny0330

映画は年に100本ほど鑑賞、話題の新作を自分の好みで勝手に批評しています。二十代でNYで一ヶ月過ごしたのを皮切りに、海外は30か国以上を廻りました。おバカなダックス犬を溺愛、読書やグルメやお出かけも大好きです。

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2020/10/16

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  • 登る鯉

    81歳のストリート・ペインター、木村英輝氏の展覧会「大人のストリートアート」@ポーラ美術館アネックス。別名「京都が生んだロックな壁画絵師」という木村氏は、「美術館に飾られる絵よりも街に輝くPOPな絵」をテーマに描き続けているのだそうです。とにかく明るくて綺麗で元気な絵!入り口を入ると、青、紺、金色の鯉が踊る巨大なのぼりのような絵が何枚も。その裏は、極彩色の天女や猿や虎の絵。(こんなに大きい)こちらは今回初公開の、樹木希林邸の板戸「LotusRevives」。樹木希林氏の「アクリル絵の具というのがいいですね。古いものを大事にするのも素敵だけれど、その時代その時代に応じた描き方、材料の使い方もあるなあ、と思いました。『岩絵の具代は凄く高いし、尾形光琳だって、現代に生きていたらこういう絵の具を使ったやろな』これ...登る鯉

  • 「ウーマン・トーキング 私たちの選択」

    自給自足で生活するキリスト教一派の村で、女たちが眠っている間にたびたびレイプされる。男たちはそれを悪魔の仕業、作り話だと言っていたが、ある女性が性的暴行の現場を目撃する。家畜に使う麻酔薬をスプレーして、女性達を眠らせて犯していたのだ。男たちは町の警察に引っ張られて行き、その二日間の留守の間に女たちは集会を持つ。これからどうするか?「1.何もしない2.戦う3.村を出る」の3つの案の内、女たちが選んだのは…アカデミー賞で作品賞、脚色賞の2部門にノミネートされ、脚色賞を受賞。「アウェイ・フロム・ハー」「テイク・ディス・ワルツ」のサラ・ポーリー監督というので、楽しみにしていました。全編、モノクロのような暗い色調。女たちはみな暗い花柄のロングドレス、男たちはチェックのシャツにサロペット。舞台はほぼ納屋の二階、或いは...「ウーマン・トーキング私たちの選択」

  • 「百万本のバラ」

    読売新聞の「時代の証言者」は今、加藤登紀子氏を取り上げています。新宿のロシア料理店「スンガリー」には何度か行っていますが、加藤氏の父親が始められたと聞いていました。登紀子は、ハルピン学院を経て関東軍や南満州鉄道に勤務していた父親の関係で、1943年満州生まれ。敗戦後に家族で命からがら引き揚げてきたそうですが、昨日はその高校時代についての記事。登紀子が都立駒場高校2年の時、兄が一橋大で学生運動をやっていたことから、安保条約を巡るデモに征服のまま参加。途中で高校生は帰るように言われ帰宅すると、学生と機動隊が激突したというニュースが流れ、東大生の樺美智子さんが死亡したと。そして法案は可決され、脱力感にさいなまれたそうですが、母親はこう言ったそうです。「あなたたちは、国の恐ろしさを理解していない。国やその後ろにい...「百万本のバラ」

  • なんと精巧にできているのか

    先週の人間ドックで、聴覚は正常と言われて(詳細は後で送って来ますが)とりあえず安心しました。随分昔、20年ほども前になりますが、私は突発性難聴に襲われたことがあるからです。ある日突然、左耳に耳鳴りが始まり、それがどんどん激しくなって、遂には聞こえなくなった。でも結局それは数日間で納まり、大学病院でMRIなどで検査しても脳に異常は見られず、原因は分からなかったのです。そしてその後は何の異常もなく、今日に至る訳ですが。でも一度でもそんな目に遭うと、聴力も絶対のものではないのだとつくづく思います。母は晩年、非常に耳が遠くなり、怒鳴るように話さないと聞こえませんでした。使用している補聴器に満足できず、新調したいというので何度かお店に付き合いましたが、最初にするのはまず聴力検査。検査する人が読み上げる音声を答えるの...なんと精巧にできているのか

  •  「母の声」

    亡母の留守電記録のことを日記に書いたら、5年前に母親を亡くしたという友人が、音声が残っていて羨ましい、自分は声の記憶が曖昧になってきたと言っていました。ああ、そうか。写真は山ほどあっても、声の記録というのは確かに少ないのかもね。実は私は、まだその録音記録を聞けないでいます。もう少し時間が経ってから聞こうと思っています。堀口大學の「母の声」という詩を思い出しました。「母よ僕は尋ねる耳の奥に残るあなたの声をあなたが世に在られた最後の日幼い僕を呼ばれたであろうその最後の声を三半規管よ耳の奥に住む巻貝よ母のいまはのその声を返せ」悲しい詩です。堀口大學は4歳の時に母を亡くしたのだそうです。4歳じゃ、憶えてないよねえ…写真は二子玉川公園の紫陽花と、その近くのジャカランダの樹。 「母の声」

  • 「怪物」

    是枝裕和監督、坂元裕二脚本、この春に亡くなった坂本龍一音楽の話題の作品。先頃のカンヌ映画祭で脚本賞受賞。ネタバレありますので、未見の方はご注意ください。郊外の町でシングルマザーの早織(安藤サクラ)は、クリーニング店で働きながら一人息子を育てている。小学校5年生の息子、湊の様子がどうもおかしく、ある日耳から血を流して帰って来た。湊から担任の保利(瑛太)にやられたと聞き、学校に乗り込んで訴えるが、保利は挙動不審で形だけの謝罪をし、校長(田中裕子)はもっと酷く、事なかれ主義に終始する。これだけを観たら、息子を持つ母としての私は、こんな学校や教師は許せない!と怒りに震えます。ところが教師、保利の視点から捉えると、話はまるで違って来る。保利は少々不器用だが子供思いの優しい教師で、勿論子供に暴力などふるっていない。し...「怪物」

  • 悲しい記録

    私の携帯に残っている、母からの留守番電話の記録。着信記録ではなく、留守電記録なのです。「お母さんだけど電話ちょうだい」というだけの内容なのですが、一日に4回入っていることも。いい加減うんざりしたものですが…「携帯電話」と「(赤)」と二種類あるのは、スマホとガラケイと2台持っていたからです。なんとかスマホを使っていたのですが、90歳を超えた辺りから怪しくなっていたので、ガラケイも。以前はメールのやり取りもしていたのですが。ここ何年も帰省する度に携帯の使い方を教えるのが、私の仕事でした。教える傍から忘れて、同じことを何百回も繰り返し、その忍耐力が要ることといったら。今はもう私の携帯は、まったく鳴らない。友人たちとは随分前からLineのやり取りが主となって、通話することは滅多になくなったので。まったくかからなく...悲しい記録

  • 紫陽花寺、タロウの変遷

    先月の終わりから、母の見舞い、そして死去、告別式と、10日間ほど岐阜にいました。その間タロウは夫が、夫がいない時は次男が面倒を見てくれたのですが(告別式には次男は日帰りで来た)、何と言っても二人とも昼間は会社に行っているし、週末は雨が降ったりして、ろくに散歩に行けなかったらしい。久しぶりに私が散歩に連れて行こうとしたら…なんと動かない!玄関から、一歩も歩かないとばかりに足を踏ん張っている。タロウは目がよく見えなくなってきたせいか、ここ半年ほど、散歩をあまり喜ばないようになっていたのです。それでも近くの公園に朝行けば近所の犬仲間が集まっていて、オヤツが貰えるのを楽しみになんとか行っていたのに。足取りは重く、トボトボとですが。以前は散歩が大好きで、散歩に行こうと言うだけで、部屋の中を走り回って喜んでいたのにね...紫陽花寺、タロウの変遷

  • 「ほおや京都、行こう」

    人間ドックの後、夫は会社に行き、私は一人で散策。日比谷公園をうろつき、国際フォーラムを経て東京駅まで歩きました。東京駅の八重洲コンコースに今、空也上人が47体集合しています。「そうだ京都、行こう」キャンペーンの一環ですって。なぜ、口から6体の仏像なのか。なぜ、こんなに粗末な衣なのか。ポスターのその問いかけに、私は答えられませんでした。答え。口から出ているのは、小さな阿弥陀仏6体。南無阿弥陀仏と唱えれば極楽往生できるという、空也上人の教えを体現したものだそうです。そして、衣は鹿の皮。鞍馬山での修行中に、可愛がっていた鹿が漁師に射殺されたことを悲しみ、角と皮をもらい受けて生涯身に着けていたのだそうです。「そうだ京都、行こう」が、各地の方言で書かれています。私の郷里の岐阜版は「ほおや京都、行こう」でした。間違っ...「ほおや京都、行こう」

  • 短いサイクル

    帝国ホテルで人間ドックを受けて来ました。人間ドックは毎年夫が申し込んで私は嫌々一緒に行くのですが、ここの接客はやはり断トツに素晴らしい。ロビーの花は、真っ白なアルストロメリア。これだけの大きさを白一色でまとめるなんて、なんと潔いこと!(私の背丈より高い)ドックの後のサンドイッチ・ランチは、ランデブー・ラウンジで。こちらのティーポット、こんなに繊細で優雅な形だったのね。私が扱ったら、洗う時に手を滑らしたりぶつけたりして、たちまち何処かを欠けさせてしまいそうです。近年都心には、マンダリン・オリエンタル、リッツ・カールトン、ペニンシュラなど高級外資系ホテルが次々にできてやや影が薄くなった感がありますが、帝国ホテル、やはり落ち着きますね。しかしこちら、もうすぐ建て替えるのだそうです。2024年から2036年にかけ...短いサイクル

  • 古いアルバム

    もう少しだけ、母のこと。今思っても、先週岐阜で過ごした一週間は中々辛いものでした。母がいつ死ぬか分からないという恐怖に怯えながら、実家で過ごした眠れない日々。いっそ亡くなったと聞いてからの方が、来るものが来たというあきらめの境地に達した気がする。お通夜や告別式には夫や息子も同行してくれたし、大勢の親戚に挨拶したりで悲しんでいる暇もない。まあこれからも悲しみはジワジワ来るのでしょうが…その岐阜での日々、病院に毎日通いましたが、病室には15分間しかいられない。残った有り余る時間で、せめて実家の不要物を少しでも捨てたいと思いましたが、その地域は捨て方が結構厳しく、特に不燃物や粗大ごみは要予約だったり日にちが決まっていたりして、すぐには出せない。仕方なく私がしたことは、20冊以上あった古いアルバムの整理。上の写真...古いアルバム

  • 遂に…

    5月中旬に転倒、骨折した母はその後、医療介護付き施設に入居。ところが熱が下がらず、数日後、救急車で入院したという知らせが。その時点で病院にお見舞いに行こうとしたのですが、コロナで制限されており、なんと1週間以上先しか予約が取れない。やきもきしていたところ、30日火曜の朝、主治医から、容体がよろしくないと電話がありました。面会の予約日がまだ来ないと話すと、そんなこと言ってる場合ではない、今日にでも許可しますと。新幹線に飛び乗りました。病室の母は酸素マスクと点滴に繋がれた状態で、ほぼ意識はありませんでした。お母さんと耳元で叫ぶと、微かに目を開けるが、すぐに閉じてしまう。それから毎日、15分間の面会の為に病院に通いました(緊急だからと主治医が許可してくれた)。後半は酸素マスクの機械が大型に代わり、呼吸は更に苦し...遂に…

  • 骨折のその後

    骨折して医療介護付き施設に入った母ですが、その後、熱が下がらずに入院しました。という訳で、3日前から岐阜に来ています。容体が安定してくれればと祈るのみです。岐阜は朝からバケツをひっくり返したような雨です。皆々さまもお気をつけ下さい。コメント欄は閉じさせて頂きます。写真はクラシックハウスの薔薇。骨折のその後

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