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古代四方山話 https://blog.goo.ne.jp/kaorio39

古代史が好きです。考古学も史学も好きです。でも読めば読むほどわからないことだらけです。日々疑問に思っていること、思いついたことを徒然なるままに書いています。

咲くやこの花
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2020/07/24

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  • アジスキタカヒコネとアメノワカヒコ

    約4000年前の縄文時代の北海道洞爺湖町入江貝塚からポリオ患者とみられる人骨が出土したときは話題になりましたね。20歳代の女性とみられ、寝たきりで誰かの手を借りながら生活をしていたといいます。今よりも生活環境が厳しかったと思われるのに、縄文人は一人で生きていくことが出来ない人もちゃんと面倒をみていたことが判明しました。土偶のモデルだって障碍を持つ人だという説もあります。神から遣われし者、神に近い者として障碍者への畏敬の念がうかがえます。ヒルコ、スクナヒコナ、クエビコ等、障碍者が神とみなされていたのではないかと思われる例も少なくありません。神話の中でアジスキタカヒコネとアメノワカヒコはそっくりだったとされます。この神話について高天原から葦原の中つ国を平定するためにやってきたアメノワカヒコ。アメノワカヒコらにとって...アジスキタカヒコネとアメノワカヒコ

  • さなきと讃岐

    銅鐸は古語では「さなき」「さなぎ」「ぬて」「ぬりて」などと呼ばれたと推測されています。この銅鐸に関連している地名が各地に残されているとされます。猿投山、狭投、佐那具、名護、奈具など枚挙にいとまがないほどです。名著「銅鐸」の藤森栄一氏も、地名を手掛かりに探求を続けています。神庭、神於山、神岡など、銅鐸出土地の地名に「神」がつくことも指摘されるところです。加茂や鴨という出土地についても「神」なのでしょうし。銅鐸は意識的に葬り去られた祭器と見受けられます。手放した祭器由来の地名が残り続けたのは何故なのでしょうか??「さなき」に関する地名で気になっているのが讃岐です。讃岐には今も「讃岐鋳造品」として伝統の技が継承されています。佐柳島も、大鐸姫(大野手姫)の島と思われる小豆島も近くにあります。讃岐が鐸由来の地名である可能...さなきと讃岐

  • 鉄の鏡

    数日前の朝日新聞デジタルに百舌鳥大塚山古墳から出土した鉄鏡について興味深い記載がありました。鏡の両面に竜の図像が象眼されていることがわかったそうで、両面に象眼を施す鉄鏡はほかに確認例がないといいます。両面ということは鏡面にも象眼のある竜の図像があるってことですよね。なんともカッコいいではありませんか。百舌鳥大塚山古墳は、世界遺産である百舌鳥・古市古墳群にあった消滅古墳です。西暦400年頃に作られたとみられる百舌鳥古墳群の中で5番目に大きい墳長168メートルの前方後円墳でしたが、昭和25年~27年に墳丘のほとんどが削り取られてしまいました。鉄鏡といえば、やはり日田市で戦前に見つかったとされる重要文化財の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡ですよね。三国志の英雄である曹操の墓から出土した鏡とほぼ同じ型式であり、中国本土でも稀な最高級...鉄の鏡

  • 住吉神と猿田彦神

    こちら大阪では今緊急事態でないならいつ緊急事態なんだよという状況が続いています。今が緊急事態でないなら、これからもっと悪くなるってことですか・・。しかし日常生活は今までと何も変わりません。家族らが時差出勤になったぐらい。これでいいの?来週には変わる?さて、住吉神と同じ神だとされる神様はたくさんいらっしゃいます。神様が同一とされるのは主に2パターンあるように思います。各々の地で祀るA・Bの神様がいらっしゃって、そのAとBの神様のご神徳が似通っていたりお姿が似ていたとします。Bの神様についての話を聞いた人が「ああそれならおらがAの神様とおんなじだ」となり、ABの神様は同一とされたパターンが1つ。もう1つがAの神様がある地の人にとっては金属神であり、別の地の人にとっては金属神である側面よりも蛇神であることが重要だった...住吉神と猿田彦神

  • 天照大神と卑弥呼

    天照大神は卑弥呼なのでしょうか。明治時代に東大の教授であった白鳥庫吉氏が魏志倭人伝の卑弥呼に関する記事と、記紀の天照大神に関する記事内容を比較し、「その状態の類似すること、何人も之を否認する能わざるべし」と述べています。爾来、天照大神が卑弥呼であるという説は多くの人から支持されています。天照大神=卑弥呼であることに概ねのところは肯けても、何にでも引っ掛かりを覚えるたちですからどうも気になるところが出てまいります。「天岩屋戸事件」の箇所を読むと、天照大御神は鏡を知らないかのように書かれています。天岩屋に引き籠った天照大御神を引き出すために、アメノウズメがストリップをし八百万の神々が歓喜の声をあげます。岩屋の戸を細めに開け、私がいないのにどうしてと言う天照大御神に「あなた様よりも貴い神がいますゆえに」と答え、榊にか...天照大神と卑弥呼

  • 天の沼琴と鳴り物好きの事代主命

    生大刀・生弓矢・天の沼琴。オオクニヌシがスサノオの娘・スセリヒメとスサノオのもとから脱出する際に持ち出したとされる神宝です。鏡・剣・勾玉ではなく、大刀・弓矢・琴の組み合わせがスサノオの神宝だったのでしょうか。大刀・弓矢・琴の組み合わせは5世紀前半の祭祀遺跡から土製模造品として多く見つかっています。スサノオからオオクニヌシに受け継がれたとされる生大刀と生弓矢は、大阪府富田林市にある美具久留御魂神社に奉納されているそうです。美具久留御魂神社は崇神天皇10年に創建されたと伝わる古社です。随分前に訪れましたが、下拝殿で鳥居を振り返ると二上山が鳥居の間から見えることが印象的でした。春分・秋分の日には二山の間から朝日が昇るといいます。その先には箸墓、大神神社、伊勢斎宮跡などが東へと並んでいます。太陽信仰の聖地です。背後の神...天の沼琴と鳴り物好きの事代主命

  • 牛を食す神武天皇

    日本列島で牛が飼われるようになったのは、いつからなのでしょうか。日本書紀に宇陀の弟猾が牛酒で磐余彦(神武天皇)を饗応した場面が出てきます。紀元前663年の出来事とされています。牛の骨が出土するのは5世紀からで、それも5世紀には御所市の南郷遺跡くらいで出土例が極めて少ないようです。6世紀の出土地は近畿地方に8割以上が集中し、あとは下総国から出ている様子です。牛形の埴輪も兵庫県朝来市の船宮古墳のものが5世紀後半と考えられていますが、概ね6世紀代のものばかりです。雄略天皇によって父を殺された、のちの仁賢・顕宗天皇が馬甘・牛甘(牛飼い)として身を隠したという話も書かれています。牛が畿内にいたのは5世紀の終わりくらいからなのでしょうか?馬の飼育についても5世紀頃であると考えられているようですが。神武天皇が牛を食していたな...牛を食す神武天皇

  • 仲哀天皇と西の海と神功皇后

    記紀において仲哀天皇は神託を信じないように書かれていますが、その直前の部分でも貶められているように感じてしまいます。仲哀天皇と神功皇后が熊襲を討つために筑紫の香椎宮にいたときに神功皇后に神がつきます。「熊襲など貧しい地でなく海の西の方へ行け。そこに宝の国がある」というような内容の神託を受けた仲哀天皇は「西の方を見るとただ海ばかりである」と言って信じません。福岡からは朝鮮半島は見えませんから、仲哀天皇が見えないというのはその通りだと思うのです。でもこの話だと仲哀天皇は「朝鮮半島に豊かな国があることを知らない」人だと小馬鹿にされていませんか?神託を信じなかった仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后は所謂「三韓征伐」に出向きます。神功皇后その人であったかどうかは別にして、倭人が300年代にしきりに朝鮮半島に侵入していたのは...仲哀天皇と西の海と神功皇后

  • 天叢雲剣と隕鉄剣

    天叢雲剣が高天原の神たちが自らでは作れない剣であったとしたなら、どういう剣であったかが気になっています。単なる鉄剣なのでしょうか?でも単なる鉄剣であれば作ることはできなかったかもしれませんが、唯一無二のものではなかったでしょう。弥生後半~末期の墳墓出土刀剣は北部九州と丹後、播磨、越前、但馬、上野から北部九州と同等かより多いくらい出土しているそうです。もちろん弥生後半に中国にルーツをもつ環頭大刀や長剣が、最も高級な武器でありステータスシンボルであったことを否定するわけではありません。「高天原」はもっと古い時代なのかもしれませんし。だったら中国よりも早くから鉄器時代に入った沿海州からの鉄剣が越(こし)に伝わっていたとみるのも一興かも。自ら作れない剣というワードから私の脳裏に浮かんだものが「隕鉄剣」です。人類の鉄の利...天叢雲剣と隕鉄剣

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