久しぶりにこの子を県道線でいただきました。この場所だとやはり旧銘板も一緒に絡めたくなります。扇平のバス停、気付かないうちに新しい丸板(こちら側は裏面)と待合室の扉も新しくなり。こういう天気が悪い時はありがたいですが、運転士さんは置いていかないよう気を使い
長野県在住者。 ブログではバスや長野県外の鉄道などなど 最近は再びモノクロフィルムでスナップ撮影もしています。
【アルピコ交通大豆島・保科温泉線】41008号車 信濃川田駅
いつもは【30】や【11・21】【16】などで見かけるハイブリッドの41008号車ですが、この日は【大豆島・保科温泉線】へ入る仕業に入ってて、大豆島東団地より先、保科線の沿線で撮影しようと犀川・千曲川を渡りました。捻りが全くありませんが「長電バスエリアに
【アルピコ交通[73]県道戸隠線】08411号車 長野県道76号長野戸隠線
集落を結ぶバス1台分の道をゆっくり進む。春近い湿った雪だから午前中は積もっても午後になれば通行部分は無くなってしまう。春はもうすぐやってくる。
今までずっと当たり前の光景だった。来シーズンもこの当たり前の光景を見ることが出来るのでしょうか。
【アルピコ交通[70]急行ループ橋戸隠線】06493号車 神々が集う戸隠
冬季のループ橋戸隠線の終点「戸隠スキー場」。スキーやボードをやらない限りはほぼ訪れることはありませんが、バスヲタはバスに乗って撮影する為だけにやってきました(苦笑)バス停は「ゲストハウス岩戸」の前。発車時刻までは建物脇で休憩とバスの整備です。それまでは建
【アルピコ交通[73]県道戸隠線】08411号車 神々が集う戸隠
戸隠中社に到着し転回後、戸隠営業所へ戻る08411号車。雪は益々強くなってきて次のバスを待つ心を挫けさせました。。。場所が無いので無理だと承知してますが、風雨雪を避ける施設が欲しいとこの時ばかりは思いました。
飯山から到着した1780号車。長沢線のほとんどが長沢トンネル手前の長野・新潟県境のそのまんま「県境」バス停で折り返していました。ここまで来たならほんの少しだけ足を伸ばして「長沢」まで・・・と、思いますが大人の事情というのがあったのでしょう。Googleストリー
この日のスキーシャトルも最終便の時間。晴れ渡っていた志賀高原も一瞬のうちにガスに覆われ辺りは真っ白な世界に。以前の硯川料金所で待ち構えているとチェーンの音を響かせながら力強く上がってきました。
飯山からR292富倉街道を通って長沢まで行っていた「長沢線」。終点の「長沢」は県境を越えお隣新潟県にありました。詳しいことは不明ですが元は湯田中から飯山を経由し新井・直江津まで行っていた路線だったようです(湯田中駅に直江津の行先を出したバスの写真あり)。新
【アルピコ交通[73]県道戸隠線】08411号車 神々が集う戸隠
まだ冬の画で申し訳ありません。。。バスで戸隠までやってきた時に限って吹雪・・・山の洗礼を存分に味わいました(苦笑)
いきなりですが、たまにはいつもと違うバス会社でも。横浜駅東口バスターミナルでこれから青森(五所川原)へ向かうノクターン。横浜のど真ん中から首都圏を経由し青森の一街へ毎日路線バスが運行されるなんてスゴイですよね。1月下旬なのに五所川原は雨降り・・・もっと風
落合バス停で折り返し待ちの飯山駅行き。落合集落の中の国道沿い(と、言っても1.5車線ですが)の中にバス1台が収まるスペースがあるだけです。朝夕は毎日1名の乗下車があったようですが昼間便は0。典型的なローカル路線でした。ちなみに信州中野駅からやってきた須賀川
平成18年に廃止された木島平線(飯山駅〜木島駅〜木島平〜糠塚〜落合)。元々はこちらも廃止になってしまいましたが須賀川線(信州中野駅〜夜間瀬〜須賀川〜落合北)と通しの路線でした。分割されたのがいつかはすぐに出せる資料が手元にありませんが。。。晩年の木島平線
飯山営業所で待機中の中野木島線246号車と326号車。当時はまだ幕の時代。エアロスターとブルーリボンシティの並びがまた良きかと。
たまにはHT以外の車でも。元神奈中の1406号車、都会の車でも雪道を快走!!
【アルピコ交通[73]県道戸隠線】99428号車 長野県道76号長野戸隠線
影山の先、ラストの狭隘区間の手前にパッと開ける場所があります。地籍では「入山」になりますが、広範囲な地籍になるので地元では多分「愛称」のようなものがあるのでしょうね。撮影した時は周りは雪に閉ざされていましたが、ここは限られた土地の中に田畑が広がっていると
6月30日催行【「志賀高原シャトル」で行くバスファン向けツアー】の受付が昨日12時から始まりましたが3分で完売となったようです。長電バスの現役車代表とも言えるHTの人気をあらためて感じました。完売記念で3年前に行なった「貸切フォトラン」を。長野・群馬県境の
【アルピコ交通[70]急行ループ橋戸隠線】40917号車 神々が集う戸隠
この日はもう1台、ループ橋線にエアロスターが入っていました。冬季輸送で白馬へ松本ナンバーに変更し貸出したもののエンジントラブルで使えなくなり、長野へ戻された40917号車。整備を行い松本ナンバーのまま戸隠営業所へ貸出し運用入りしていました。松本ナンバーの
【アルピコ交通[70]急行ループ橋戸隠線】06493号車 神々が集う戸隠
座席定員の都合からいつもは県道線専用車となっている06493号車。車両のやりくりの都合から昨冬はループ橋線へ入っているのを何度か見かけました。この日もループ橋線の運用へ入っていたので記録で1カット。個体差があると思いますが、ふそうの車は調子が悪くなること
2024年3月31日に新しい新潟駅バスターミナルがオープンし、新潟市のバスも新たな時代に入りました。まだ新しいバスターミナルへ訪問していないのでこちらはまだ機会があった時に。そして、新潟駅南北が結ばれ合わせてバス路線が再編、その中で2015年9月5日開業
【アルピコ交通[73]県道戸隠線】06493号車 長野県道76号長野戸隠線
激しく降っていた雪が小康状態となりました。湿った雪を踏み締め、長野行きがゆっくり慎重にカーブを曲がってきました。
奥志賀高原バス停前にある昔ながらの郵便ポスト。地の果て感があるこの地にも郵便事業がきちんと機能していることに感動してしまいます。
アルピコ交通[73]県道戸隠線】99443・99428号車 神々が集う戸隠
戸隠営業所で並ぶ元山陽キュービック。2台並びの撮影もこれが最後となりました。さよなら99443号車、残るは99428号車のみ。
蓮池山の駅で発車待ちの690号車。貸切下りのSHDの背高なボディがいつもの急行バスよりちょっと豪勢な感じがします。
【アルピコ交通[70]急行ループ橋戸隠線】99428号車 神々が集う戸隠
一時小康状態だった雪がまた強く降り出しループ橋経由で戸隠へ上がってくるバスも若干の遅れ。戸隠スキー場へ到着、折り返しの点検を済ませ待っていたお客さんを乗せ、再び長野へ下っていきました。
雪が舞っている時は特に「SHIGAKOGEN SHUTTLE」のロゴが良く似合う。
先日乗車した長野新宿線。予約時のシート配置から夜行仕様というのは分かってましたが、やってきたのはベテラン11092号車。それでも独3シートはゆったりとして、長距離移動も苦になりません。そして、シートに目をやると、懐かしいステレオサービスが。30年ほど前の
スキーシャトルとしての活躍も僅か。
【アルピコ交通[73]県道戸隠線】40446号車 長野県道76号長野戸隠線
新旧バス停銘板が並ぶ扇平。待合室も新しくなっていました。
丸池からの坂を駆け上がってきた2265号車。周囲にエンジンとチェーンの音が響き渡りました。
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久しぶりにこの子を県道線でいただきました。この場所だとやはり旧銘板も一緒に絡めたくなります。扇平のバス停、気付かないうちに新しい丸板(こちら側は裏面)と待合室の扉も新しくなり。こういう天気が悪い時はありがたいですが、運転士さんは置いていかないよう気を使い
冬季輸送が終わると車に余裕が出るため、イベントごとがあると駆り出されるHT。2013年はバラまつり20周年と言うことで20周年記念のエプロンを付けていました。
今年も綺麗に咲き誇った広瀬の桜。綺麗に晴れ渡った桜も良いですが、雨にしっとり濡れる桜もまたよし。下ってきたのが99428号車。果たして来シーズンもこのコラボを見せてくれるでしょうか。
今年も綺麗に咲いた山桜。派手さはなくお淑やかな姿ながら、雨で湿った姿が隠れた艶やかさも現してくれました。
現在、長電バスでは野沢温泉・長野〜大阪難波・神戸三宮の夜行高速バスを南海バスと共同運行していますが、こちらは再開後の路線となります。平成元年12月10日志賀高原蓮池・長野〜大阪難波(開業当時はホテル南海難波前、その後なんば高速バスターミナルに変更)510.
今年も5月25日から始まった「信州なかのバラまつり」。今年は開催30周年記念だそうでおめでとうございます!!そんなバラまつりですが、期間中は毎年、臨時駐車場・信州中野駅⇔会場」を結ぶシャトルバスが運行されていましたがコロナ禍からそして今年もシャトルバスの
陽が沈みかけの志賀高原。交差点から本当にうっすらと残り陽が射していたので山の駅に入るところを。ニョッキリと山の駅を出発。「SHIGAKOGEN SHUTTLE」のロゴが本当にかっこいい。排煙をお供に。いまでは環境云々で排ガス規制が厳しくなりましたが、ほんの20数年前のバス
月を背に下山。
志賀高原スキーシャトルもまもなく終了の時間。山にも陽が落ちてきて一日の運行を労うかのような、美しい斜光が照らしました。
奥志賀公園線から外れ、地の底へ向かうような急坂路を下りて辿り着く「発哺温泉」。スノーシェッドを抜けると、パッ!!と広ける広場で豪快に転回するバス。撮影した時間は頭上を通る東館山ゴンドラの営業は終了してましたが、営業時間中はバスとのコラボも。何度来ても撮影
ビールを飲みながらHTを眺めていたいwww
「When will the bus come?」「here soon」なんて本当にお恥ずかしい単語でのやり取りをして、それでも「Thank you」とバスに乗り込んだインバウンドの方。仕事でも冬の間は日本語より単語英語の方が話しているような・・・
毎年、屋根から見事な氷柱を見せてくれる一ノ瀬の「志賀一井ホテル」。この日はスキー学校の生徒さんが宿泊されてついさっきまで大賑わいでした。生徒さんと絡めるのも良いかなと思ったものの、最近の世の中は色々ありますからね(汗)三叉路から一ノ瀬のホテル街へ上がって
大塚持ちの県道線メイン車両となった40914号車が県道を登ってきました。中型車ながらちょっとドッシリとした見た目なのでこういう狭隘路でも似合います。まだ寒々とした画ですが、この辺りも既にリンゴの新芽が青々としている頃ですね。
いつもは【30】や【11・21】【16】などで見かけるハイブリッドの41008号車ですが、この日は【大豆島・保科温泉線】へ入る仕業に入ってて、大豆島東団地より先、保科線の沿線で撮影しようと犀川・千曲川を渡りました。捻りが全くありませんが「長電バスエリアに
集落を結ぶバス1台分の道をゆっくり進む。春近い湿った雪だから午前中は積もっても午後になれば通行部分は無くなってしまう。春はもうすぐやってくる。
今までずっと当たり前の光景だった。来シーズンもこの当たり前の光景を見ることが出来るのでしょうか。
冬季のループ橋戸隠線の終点「戸隠スキー場」。スキーやボードをやらない限りはほぼ訪れることはありませんが、バスヲタはバスに乗って撮影する為だけにやってきました(苦笑)バス停は「ゲストハウス岩戸」の前。発車時刻までは建物脇で休憩とバスの整備です。それまでは建
戸隠中社に到着し転回後、戸隠営業所へ戻る08411号車。雪は益々強くなってきて次のバスを待つ心を挫けさせました。。。場所が無いので無理だと承知してますが、風雨雪を避ける施設が欲しいとこの時ばかりは思いました。
飯山から到着した1780号車。長沢線のほとんどが長沢トンネル手前の長野・新潟県境のそのまんま「県境」バス停で折り返していました。ここまで来たならほんの少しだけ足を伸ばして「長沢」まで・・・と、思いますが大人の事情というのがあったのでしょう。Googleストリー
長野県内私鉄4社共同企画「謹賀新年」HMの別所線バージョン。別所線は1001編成に1月31日まで取り付けられていました。1001号車には「リアルバージョン」そして1101号車には「SDバージョン」。
山形新幹線の新型車両E8系が落成し仙台へ運ばれたとのこと。これによりE3系が徐々に置き換えとなります。また、かつてのシルバーカラーを復刻するとのことなので、再び新旧カラーの並びの記録も出来るかもしれませんね。
今では真っ赤に実ったりんごを車窓から楽しめるこの付近。一時期「そば畑」だったこともあったり。
朝方は冷え込みましたが陽が昇るにつれ暖かくなり、遠景はボヤボヤ〜〜と。長野市民の山「飯綱山」と北アルプス「五竜」をバックに夜間瀬川橋梁を渡るN8編成。
おとといのブログで紹介出来なかった画像を少しずつアップしていきます。まだ12月分の別の画像もアップ出来ていないですが。。。相変わらずマイペースで参ります。夏恒例の「ながでんビアトレイン」これに乗らないと夏が始まらないと沿線で言われているとか(笑)いまでは
先日、新しいSR1系が輸送されたそうで。コロナの減収で予定が遅れ気味になっているようですが徐々に115系を置き換えていきますね。「しなのサンライズ号」運転初日の簡単な様子をこのブログでも上げていますが、まだまだ115系がゴロゴロしていた時。スカ色や長野色
平成5年に当時の営団地下鉄から譲渡され運転を開始した3500・3600系。以来30年余りに渡って長野電鉄の主力車両として北信濃を地道に走ってきましたが、本日令和5年1月19日を以ってその歴史に幕を閉じました。その間、平成14年に木島線信州中野〜木島間廃線
イルミネーションで彩られた中央通りをキュービック2台続行で長野駅へ向かう。
方向幕が劣化すると破れたり破損するわけで。幕のストックがない場合はパソコンで作成し、ラミネートで包んだ行先表示が活躍しました。この時はO1編成の上下幕が使用中止になっており、屋代線や日中の山ノ内ローカルで代用表示が掲出されました。
撮り忘れたものはないかと暇さえあれば考えていますが、そういえばこれは撮ったかそれともまだか・・・それなら行っちゃえとこのためともう1カットのために出勤前に出撃。温泉「まんぢう」というのがまた風情があるというか。私もたまに店まで買いに行きますが、ここでも買
屋代線の廃線が発表になると、O6編成が赤帯を剥いで運転されるようになりました。すっきりとした原型のお顔がこんな田舎でも似合っていたりします。廃線が決まってもこの時の撮影者は私一人。乗る人はおらず、一人下車しただけで須坂へ向けて発車していきました。
東京行き「やまびこ」と山形新幹線「つばさ」の連結に伴う福島駅下り線の平面交差解消を目的として、現在奥羽本線から東京方面への連絡線を建設中(画像左の緑色シートで覆われた部分)。E3系も置き換えが発表されたのでその過渡期として撮影。東北新幹線と奥羽本線との連
いまでは棒線の湯田中駅ですが以前はミニスイッチバック付きの「停車場」でした。先にD編成の「特急長野」行きが出た後を追うように2600系T3編成がスイッチバックをして長野へ向け発車していきました。
木島駅車庫内から木造車庫の重厚感と裸電球の温かみを感じさせます
木島駅に掲げられたスキー場案内の広告。ここまで来れば有数の豪雪地帯になるので高度成長期から至る所にスキー場がオープンしていました。その中で「信州中野スキー場」とは一体どこぞや?「中野」だから今の高井富士や小丸山辺りでしょうかね。もうこの当時にこの名称のス
3500系の方向幕には色々なバリエーションがありまして、当初は本線用N・L編成の方向幕は黒地に白抜き、そして屋代・木島線用O編成は平成5年10月からワンマン運転が開始したので専用の方向幕で緑地に白抜き「ワンマン」と白地に黒字の行き先の幕が用意されました。
木島駅といえば木造車庫。冬季留置の際の雪除けのためものですが、いつから使用されていたのか資料がなくわかりませんが廃線まで支えてきた無骨な車庫。翌朝までの短い眠り、一日の運転を終えた車両を優しく包んでいました。
木製の扉をガラガラ・・・と、開けてホームへ。なんとなく年季の入った民家のようですが屋代線が廃止になる少し前まで民間委託で住み込みで駅の管理をしていました。他にも以前は北須坂、四ケ郷、中野松川などもそうでした(北須坂や中野松川は委託から職員に戻しました)。
「きじま」「きじま」「きじま」・・・・柱に何かしらのホーロなりプラなりの案内板が取り付けられていました。そーいえば屋代もこんな感じだったような
この日は木島駅上屋の雪下ろしがメインで、ついでに線路内に積もった雪が凍ったのでその雪を除雪するためにMCRが出場しました。 列車間合いで線閉をかけてMCRが木島駅3番線に到着。 廃線の議論がされる前で自分一人しかいない静かな撮影でした。