980回 あちゃこの京都日誌 新シリーズ「新天皇国紀」㉟
6.着眼点の16.着眼点の1乱後の事後処理も速やかに行われた。3上皇の配流はすでに書いたが、さらに順徳上皇の子である今上天皇(仲恭天皇)は廃された。即位した事も消された為、九条廃帝とも言われる。仲恭と諡号されるのは明治になってからだ。義時は次期天皇を後鳥羽の兄である守貞親王の皇子茂仁親王とした。後堀河天皇である。従って、守貞親王は天皇を経ず、「治天の君」になる。後高倉院という大上天皇の尊号を送られる。歴史上初めての事態だ。別項「光格天皇尊号一件」で重要な先例となるので覚えておきたい。これにて、保元の乱以来の「武者の世」の到来を告げた時代は、大きな画期を迎える。義時・泰時の親子は、「御成敗式目」を制定し法の支配も強め武家社会の安定に努める。この頃には、平家合戦の記憶も遠くなりこの70年に及ぶ戦乱の犠牲者を悼...980回あちゃこの京都日誌新シリーズ「新天皇国紀」㉟
2023/02/28 09:10