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墓場まで持っていくべき話 https://yukihlovekeih.livedoor.blog/

四半世紀(以上)の歴史・・・

誰にも言えない話を墓場に行く前にポロリポロリと落としていきます。 コメントなどをいただけると喜びます。 どうぞよろしくお願いします。

おいわい
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2020/03/22

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  • 三十・・・四十・・・

    叔母が体を反転させながら自転車やバイクに乗るように私の顔の上にまたがり、私の顔の前できれいなお花を咲かせながら、私の体をお口に咥えてチュポチュポ舐めたり吸ったりし始めました。私も目の前できれいなお花がゆらゆらしていたら、滴っている甘い蜜を吸わずには

  • 2回戦

    賢者モードになると、全裸のまま仰向けに大の字で寝ている私の腕枕に叔母がくっついて、一緒に至福のひと時を過ごすのが定番です。3年前までだとそのあと間もなく私に次のムラムラが来て、叔母の体にちょっかいをかけ始めて、その流れで2回戦が始まるのですが・・・、

  • ホテル

    ホテルの駐車場に車を停めてチェックインしました。2人並んで部屋まで歩く間にも、叔母のお尻を撫でまくったりしていましたが、叔母はまったく抵抗する素振りもなく私に撫でられるがままでした。部屋に入ると叔母がバッグなどを置くが早いか、私の我慢が利かずに叔母

  • 2人きりの再会

    当日は、できるだけ早くからできるだけ長く会っていたいと思い、普段の通勤時間よりも早くに家を出ました。私は車で高速道路を1時間半ほど、叔母は電車で1時間弱ほど移動して、とある駅前で待ち合わせをしました。待ち合わせ時間は9時とかだったと思います。ロータ

  • メール

    夜も更けた頃、ようやく叔母からメールが来ました。叔父と従弟たちはそれぞれ自室へ行っていて、今はリビングに叔母が1人いるだけなので、メールのやり取りができると言う。私はまた2人だけで会いたいという旨のメールを送りました。叔母は、40を過ぎたおばさんには

  • 連絡

    叔父と叔母が帰宅しましたので、残された我々も祖母に挨拶をして解散し、それぞれ帰路につきました。私は家に帰るとさっそく、送信テストとして叔母にメールを送りました。しばらくしたら返事が来ましたが、まだ帰宅途中の車の中なので夜にでもメールします、という

  • 帰宅

    夕方近くになって、叔父と叔母が帰ることになりました。叔父が運転をして叔母は助手席で、走り去っていきました。帰り際に叔父は、私が祖母の荷物の運搬係などをしながら日々お見舞いしていることに散々感謝をしてくれて、祖母が退院するまでしばらく頼むと言い

  • 連絡先

    食後に病院に戻るともう一人の叔母(父の妹=叔父の姉)もお見舞いに来ていました。叔父たちの来院に合わせて来たのだと思います。人数も増えて賑やかになるので、病室から休憩室のようなところに移動して、みんなで歓談していました。食事のときから病院に戻ってきて

  • 食事

    病院から車で少し走ったところにあるちょっといい和食のお店に入りました。4人部屋のイス掛けの個室に通してもらい、叔父と叔母が並んで同じ側の席、反対側に祖父と私が並んで座りました。私と叔母が向かい合わせの位置関係です。叔母が正面にいるので、

  • 移動

    しばらく挨拶や歓談などしているうちに昼食の時間になり、祖母の食事が運ばれてきました。祖母は食事をするのに介助が必要なわけではないですし、みんなに見られていると食べにくいというので、他の4人もその時間にお昼を食べに行くことにしました。病院の食堂

  • 3年以上ぶり

    ベッド脇のパイプ椅子に座ってしばらく待っていると、病室の扉が開いて叔父が部屋に入って来ました。4人部屋の窓側、扉の方を向いて座っている私を見つけると、片手を上げて軽い挨拶をしながら近づいてきました。叔父の後に続いて、3年以上ぶりに見る叔母が姿を現し

  • 祖母の入院

    叔母と会わなくなって3年以上が経過した夏の初め頃、祖母が体調を崩して入院するということがありました。直ちに命につながるという状況ではなかったのですが、それなりの高齢でしたし、数週間の入院ということで、親族や祖母の知人などが次々とお見舞いに来ていました

  • 相関図(3年後)

    まぁ・・・先日のものに3年を足しただけですが。()内の数字が当時の年齢です。(主要人物のみ)祖父-祖母 ||------|------|| | |父-母 叔母-叔父 叔父(48)-叔母(43) | |

  • 3年・・・

    そんなこんなで叔母と会ってない時期が丸3年以上続きました。その間にも夏休みやお正月には家族で祖父母の実家に訪ねて来たりはしていたそうですが、上の従弟は中学生に成長し、祖父母への顔見せ程度の日帰り帰省ばかりだったようで、昔のように何泊も長居する

  • 相関図(就職時)

    その時の・・・。()内の数字が当時の年齢です。(主要人物のみ)新年度の誕生日を迎えた後の年齢となります。祖父-祖母 ||------|------|| | |父-母 叔母-叔父 叔父(45)-叔母(40) | |

  • 就職

    私は大学卒業後、地元に事業所がある企業に就職し、数ヵ月の研修期間を経て地元の事業所に配属となりました。就職氷河期真っ只中の頃で、会社の経費削減かどうかわかりませんが、寮に入らず実家から通ってね、ということで、一人暮らしから実家暮らしに戻っての社会人

  • 学生時代

    S子やM子さんとの関係が進展するのはいつのことになるかわからないので、これまで長い間ずいぶんと回り道をしていましたが、叔母との昔話に話を戻そうと思います。大学時代の4年間は、それほど距離が離れていないところで私が独り暮らしをしていたということもあって

  • M子

    例えば子供のクラブの保護者繋がりのM子さん。(まだ敬称が必要な間柄です・・・)土日などの休日に子供のクラブの試合や練習の見学に行くと、同じようによく見学に来ている保護者が何人もいて、お互いにそれとなく話などをするようになりました。そういう意味

  • S子

    例えばPTAの会合で中学以来に再会した同級生のS子。中学時代は特筆するほどの・・・いやむしろパッとしないおとなしめの地味なタイプの少女でしたが、大人になって親になって・・・魅力を感じるいい熟女になりましたなぁ・・・。S子かな?と思いながらもその変

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