アメリカ軍相模総合補給廠の廃線2

アメリカ軍相模総合補給廠の廃線2

1938年に陸軍造兵廠東京工廠相模兵器製造所(後の相模陸軍造兵廠)が建設され1942年まで8つの陸軍施設が建設され、相模原は軍都と呼ばれました。終戦により、陸軍施設の多くが米軍に接収され相模陸軍造兵廠は「相模総合補給廠」になりました。今回は前回の続きで直線部分の線路で日本に返還された部分に残る廃線。未返還部分の線路は撤去済みです。昭和32年の空中写真黄色のー(線)の先に線路があります。昭和32年の空中写真の黄色のー(線)上の方から順に撮影。横から。アメリカ軍相模総合補給廠の廃線2