言語文化と想起
書物文化、およびインターネット社会は、「書く」、および「読む」という行為を食事や排泄と同じくらい欠かせない反射的で、感覚的な行為として完成させた。しかも、それらは思考する「精神」の営為として理解される。民族や国家、あるいは民衆といったカテゴリーに属して、自発的に行動する人間の表現の発露。おそらくこの事実について疑問をさしはさむ人間はいない――いないからこそ問題なのだ。 「書く」「読む」という行為を社会的に何かを「伝える」営為とするとき、なぜその事象を日常生活のなかで「想起する」、または「表象する」のかという問いに置き換えると、「書く」「読む」行為はたちまちその反射性、感覚性を除かねばならない。…
2021/07/18 23:37