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  • 神話から文藝、文藝から科学・教養……マニフェスト

    この数日間、水銀朱についての研究から派生し、鉄や銅、礬類やナトリウム、硝石、花崗岩や凝灰岩などと歴史の関係を調べていた。 従来の「風土」論は主に気候や植生が中心であった。そこから気質や精神、文化との関連を説明するのであるが、多分に国粋主義的で、「環境決定論」とまで揶揄される独善的なものであった。しかしながら、北方人は勤勉で、南方人は怠惰で未開などという類型は、「南北問題」のような経済問題として形を変えながら受け継がれているように見えるし、「照葉樹林文化」とか「日本は木の文化、ヨーロッパは石の文化」というようなお決まりの成句となって、知らず知らずのうちに新たな研究の可能性を潰していることもありう…

  • モザイク的歴史叙述、キュビズム的歴史観

    辰砂の歴史研究、などという大風呂敷を拡げてしまった。 日本については市毛勲『朱の考古学』や蒲池明弘『邪馬台国は朱の王国だった』、上垣外憲一『古代日本謎の四世紀』、そして何と言っても松田壽男の『丹生の研究』『古代の朱』ですべて出尽くした感がある。ヨーロッパ方面については『金枝篇』や『河童駒引考』のような博覧強記からの、完全に推測の域を出ない。鍛冶にかんする伝承は、農耕の豊穣崇拝と同一視されやすく、異教的な悪魔崇拝やオルギーという見方しかされてこなかった。 いままで抑圧されてきたマイノリティの解放を謳う社会運動により「民衆的」で「異教的」なヨーロッパが脚光を浴びたさいも、これらの扱いはいわゆる「オ…

  • ポスト・オリエント学と水銀朱(辰砂):ユーラシア情報文化圏交渉比較環境人文学として

    水銀朱(辰砂)の用途 ①「朱」として顔料、装飾的要素に ②「水銀」を精錬し、金をアマルガムめっき(中世以降は鏡の研磨にも使用) ③「朱」や「水銀」を薬として使用(殺菌・ミイラ化) ④水銀と硫黄から化学的に合成する過程を、錬金術や神話などシンボル化 従来の神話解釈・歴史解釈は、豊穣を願う儀礼の顕われと解釈するなど、「農耕社会」を前提としてきた。一方で採掘や精錬、鍛冶などの工業的発展は、古代・中世においては「文字に遺されない」という暗黙の了解がある。化学変化や工学的な変型を扱うこれらの職業は、商業とともに、宗教的に卑賤視・迫害されてきたという見方が一般的であろう。 しかし、産業革命以降の農業と商工…

  • 西洋の水銀朱伝承

    インドや中国に比較して、ヨーロッパの古代・中世における金細工や鍛冶の歴史の追跡は困難である。一応水銀によるアマルガム技術は遅くても紀元2世紀のローマに存在していたといわれてはいる。 思うにそれは金属加工の技術が「悪魔」と結びついていたこと、ユダヤ人やロマ(ジプシー)などのアウトサイダーとの繋がりなどにより記述されることが好まれなかった経緯があることが予想される(私は鍛冶や採掘を担った人びととして、おもにオリエント系の語彙を織り交ぜたペルシアやトルコ系の人びとや、長江流域から紅海地中海を往来したインド系の人びとがいたのではないかと推理している。同時に傭兵や芸能を担うことにより、かれらの持つシンク…

  • We Shall Never Surrender...

    一般的に、西洋は現実主義、東洋は神秘主義というイメージが根付いている。しかしながら、中国は現世利益的、インドでは思弁的、さらに道教は理想主義、儒教は現実路線……など、言ってしまえば何とでも言えるのであって、そのイメージは産業革命、帝国主義以降のヨーロッパの価値観を中心に、専門的研究家の狭い視野で捉えられたステレオタイプにすぎない。それはカトリック的な文化や、ロマン主義の源となった異教のイメージを研究する西洋の視点にも顕われているので、正直どっこいどっこいであるともいえる。 科学的世界観と文明史観が未分化なために発生した、強固な「カースト」の元で与えられた評価を覆すべく、自国自民族の文化を紹介し…

  • 学問への動機

    歴史にかぎらず、学問は現代の鏡である。なにか「現代に通じるもの」を嗅ぎ取ったからこそ、深く掘り下げて研究が行われる。書籍や論文で浸透する学説、というものは、時代精神、時代の要請にかなったものだからこそ、その影響力を認めざるを得ない。そこにはある程度の流行り廃りを認めなければならない。 しかしながら、多くの人間は学問にそれ以上のものを求める。具体的には、「あまりにも現代的な」結論ありきで、学問を矮小化、教訓化、精神化してしまう。「物語」として、現代的な視点からあれこれ口をはさみたがる。たとえば歴史であれば、「古人の愚かさ」をあざ笑い、「われわれの責務」を見出し、「唯一固有のアイデンティティ」とし…

  • 辰砂説話の東西

    辰砂(水銀朱)にまつわる技術の歴史は、シンボリズムの歴史と言い換えることができる――農耕文明において、金鍍金技術に必要な水銀は、金銀で飾られた聖地、神々といった信仰の対象のために必須であった。さらに、朱の耐腐食性、不老長寿の効能から薬、顔料としての役割も担っていた。水銀公害が問題化して以降はタブーとなってしまい、研究、そしてその成果の総合が進んでいない分野である。 しかしながら、鉱山師、鍛冶師たちは、農耕社会の「部外者」とまで見なされていた。時代が下った中世ヨーロッパ都市では、騒音や水質汚染などで鍛冶師と市民の諍いが起こっている。平地は農耕のために利用されるべきであり、かれらが集住するところと…

  • 文化圏研究叙説

    歴史研究は時代の鏡である。研究者は周囲の環境から何かしら影響を受け、みずからの研究が歴史という大河に「一石を投じる」「波紋を広げる」ことを願う――世の中の関心に少しでも寄与できるように、みずからの得た知をフィードバックしようとする。 しかしながら、多くの場合、それは一時的に水面を揺らめかせるにすぎない。専門的な知識に踏み込むと、世間一般で信ぜられている通説からはかけ離れ、限られた仲間うちにしか理解されないものになってしまう。また、発想の独創の度が過ぎたり、研究者自身の死によって、顧みられなくなってしまった研究も数多く存在する(私は趣味の古書蒐集を通じて、そのような研究を多く見てきた)。 この半…

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