searchカテゴリー選択
chevron_left

カテゴリーを選択しなおす

cancel
プロフィール PROFILE

akiさんのプロフィール

住所
未設定
出身
未設定

自由文未設定

ブログタイトル
流れるままに
ブログURL
https://slow-life.gold03.com/
ブログ紹介文
実母介護のため東京から故郷へ戻りました。 故郷の暮らしは、静かで穏やかで心地いい。 介護を終えて、のんびりと暮らす日々を綴ります。
更新頻度(1年)

20回 / 42日(平均3.3回/週)

ブログ村参加:2020/01/16

本日のランキング(IN)
読者になる

新機能の「ブログリーダー」を活用して、akiさんの読者になりませんか?

ハンドル名
akiさん
ブログタイトル
流れるままに
更新頻度
20回 / 42日(平均3.3回/週)
読者になる
流れるままに

akiさんの新着記事

1件〜30件

  • 古関裕而と名作を生んだ「丘灯至夫(トシオ)」とは?どんな作詞家だった?

    古関裕而と同じ福島県人で、古関と名作を作った詩人といえば 坂内萬(ヨロズ)、野村俊夫、そして丘灯至夫(オカトシオ)があげられます。   丘の代表作といえば「高原列車は行く」や「高校三年生」ですね。 個人的にはこちらの歌 …

  • 古関裕而の心の友「伊藤久男」とはどんな歌手?

    伊藤久男は、福島県生まれの歌手。 古関裕而の1つ年下で、古関の作品をたくさん歌っています。   古関の指揮で歌う伊藤の姿はこちら。   動画は1975年ですから、古関66歳・伊藤65歳の頃です。 ダイナミックな歌にすっか …

  • 古関裕而と名コンビの作詞家「野村俊夫」とは?

    作詞家野村俊夫は、古関裕而と幼なじみで 古関とともに数々のヒット曲を生み出しました。   また、2人は故郷福島県の学校の校歌もたくさん作っています。   野村の遺作となった作詞は「富成小学校」の校歌。 こちらに、歌詞と校 …

  • 古関裕而は愛妻家だった?妻「金子」とのエピソードをご紹介。

    古関裕而は、昭和5年(1930年)6月に結婚しました。 当時、古関は20歳、妻「金子(キンコ)」は18歳。 それは古関が作曲家としてデビューする直前でした。   こちらが結婚直後の写真。 背景は時代を感じるものの、2人は …

  • 古関裕而の愛唱歌「白鳥の歌」とは?古関と和歌を楽しんだ住職はどんな人?

      古関裕而は、生前、家族に好きな曲は?と聞かれて、 「白鳥(シラトリ)の歌」と「オリンピック・マーチ」をあげています。   「オリンピック・マーチ」は昭和39年(1964年)10月の 東京オリンピックの開会式で演奏され …

  • 古関裕而が弾いたオルガンが残る「仙䑓屋呉服店」とは?

      古関裕而は、10代最後の2年間、 親元を離れ川俣銀行に勤務していました。   川俣銀行は伯父「武藤茂平」が頭取、 茂平の弟「二郎」も勤務する地元資本の銀行で 古関は一番の末席でした。   古関が銀行勤めを始めてしばら …

  • 古関裕而の銀行員時代とは?当時の音楽活動は?

    古関裕而は、家業の呉服店「喜多三(キタサン)」を継ぐために 福島商業学校(以下、福商といいます)に入学します。   が、その後、店は廃業となってしまい 福商を卒業した古関は音楽漬けの日々を過ごします。   そんな古関に声 …

  • 古関裕而が勤務した「川俣銀行」とは?

      古関裕而は、10代最後の2年間を「川俣町」で過ごし 「川俣銀行」に勤務していました。   「川俣銀行」は、古関の母の兄「武藤茂平」が 頭取をしていた銀行です。   ここでは、川俣銀行の歴史についてご紹介します。   …

  • 古関裕而の母の生家「ちりめん屋」とは?武藤茂平とはどんな人?

      古関裕而の母「ヒサ」は、川俣町の「ちりめん屋」で 生まれました。   「ちりめん屋」は、味噌や醤油の醸造をしていて 当主は、代々「武藤茂平」を襲名していました。   家から見える四方の山は全部武藤家の所有と言われてい …

  • 古関裕而ゆかりの地「川俣町」とは?

      古関裕而は、10代最後の2年間を「川俣町(カワマタマチ)」で暮らしました。   古関は、家業の呉服店「喜多三(キタサン)」を継ぐために 福島商業学校に入学しますが、父親は店をたたむことになります。   学校を卒業した …

  • 古関裕而に指揮を教えた「橘登」とハーモニカとの出会い

      古関裕而は、小学生の頃から作曲を始めています。   小学校卒業後、福島商業学校に入学した古関は ますます作曲に熱中します。   商業学校での私は、ソロバンの玉よりも音符のタマの方が好きで、 楽譜を買ってきては山田耕筰 …

  • 古関裕而の高校時代を支えた2人の恩師「丹治嘉市」と「坂内萬」

    大正11年(1922)年4月、古関は福島県立福島商業学校に入学しました。 現在は福島商業高等学校といい、「福商(フクショウ)」の愛称で親しまれています。 福島県立福島商業高等学校ホームページ 福商は明治30年(1897) …

  • 古関裕而は小学時代に作曲した?恩師「遠藤喜美治」の教育とは?

      大正5年(1916)年、古関は福島県師範学校附属小学校に 入学しました。   小学校があった場所は、その後、福島県立医科大学となり 福島県庁東分庁舎を経て、現在は福島県警本部があります。   小学校は阿武隈川(アブ …

  • 幼稚園時代の古関裕而が影響を受けた人とは?

    古関裕而は、幼少の頃から音楽にふれ合っていました。 音楽好きの父は、大正初期に蓄音器を購入しています。 父は呉服店を経営していて、従業員たちの娯楽用にと 購入したようですが、当時はとても珍しかったでしょうね。 余暇にはい …

  • 古関裕而の生家はどんなところ?裕而はお坊ちゃま育ちだった?

      古関裕而の生家は現在は残っていませんが 自伝「鐘よ 鳴り響け」や斎藤秀隆著「古関裕而物語」から 当時の様子を知ることができます。   ここでは、2冊の本から見えてくる古関の生家と 幼少時代についてご紹介したいと思いま …

  • 古関裕而のペンネームの由来とは?古関は作家だった?

      古関は、10歳の頃から作曲を始めました。 福島商業学校時代には、作曲・編曲を本格的に始め ペンネームをつけています。 本名「勇治」では勇ましい感じがし、私には合わない気がしていたので、 何か音楽家らしい名前に変えてみ …

  • 古関裕而は留年していた!?斎藤秀隆著「古関裕二物語」の内容とは?

    「古関裕而物語」は平成12年(2000年)に発行されました。 古関直筆の楽譜が裏表紙になっています。 著者の斎藤秀隆さんとは?   著者の斎藤秀隆さんは、古関裕而の母校の後輩。 教員として母校にも勤務し、 昨年の夏に母校 …

  • 古関裕而の自伝「鐘よ 鳴り響け」の内容とは?

      昭和を代表する作曲家、古関裕而。 自伝は昭和55年(1980年)5月に発行されました。   この本は図書館から借りました。 年季を感じますね・・・ 主婦の友社から発売された本のカバーには 直筆の絵があります。 本を開 …

  • 古関裕而-昭和に大活躍した作曲家の素顔-

      古関裕而(コセキ ユウジ)は昭和を代表する作曲家です。 平成生まれの方は名前をご存知ないかもしれませんが、 この曲なら、聞き覚えあるのでは?   毎年夏になると耳にするこの曲は 古関裕而が作曲し、昭和24年(194 …

  • 内部被ばく検査は、どんな方法で検査するの?実際に検査を受けた結果をご紹介。

      1月17日金曜日。 内部被ばく検査を受けてきました。 ここでは、どんな検査をするのか どんな方法で検査するのかご紹介します。   内部被ばく検査の案内は、 1か月ほど前に届いていました。 内部被ばく検査とは?検査の受 …

  • 内部被ばく検査とは?検査の受検票に書かれていたこととは?

    2019年12月14日(土) こんなお知らせが届きました。 透明な袋に入っている用紙には、 内部被ばく検査受験票と書いてあります。 母を介護するため、故郷に戻ってきた私。 故郷の町は、その一部が東日本大震災の原発事故で …

カテゴリー一覧
商用