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日本あちこちめぐり"ささっぷる" http://sasabarikenta2020.blog.jp/

休日に街をあてもなく歩き回って撮った下手糞な写真をだらだらと載せながら綴る、お散歩ブログ。 東京や近郊メインも、ごくまれに遠方にも出かけています。 観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

古い街並み、遊里跡(赤線・青線・遊郭・花街)、商店街、闇市跡、レトロ建築、博物館、純喫茶、酒場などなど。 正月に名古屋周辺の街並みを散策しました。 近況:先日は横浜山手洋館街を散策。愛知編が一段落ついたらブログにまとめる予定です。

佐々張ケン太
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東京都
出身
北海道
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2019/12/16

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  • 【奈良県】今井町だけではないもう一つの古い街並み「八木町」を歩く202005

    (奈良県橿原市八木町)前回取り上げた「今井町」から徒歩圏内に、もう一か所古い街並みが残っています。その「八木町」が今回の主役。近鉄のターミナル駅「大和八木」の南東にある北八木町・八木町・南八木町、さらにJR桜井線の南側にある小房町が今回の「八木町」のエリア

  • 【奈良県】重伝建地区「今井町」を歩く(橿原市)202005

    (奈良県橿原市今井町)1泊2日で奈良県に訪れました(尤も、宿泊地は大阪の安宿なんですが)。奈良といえば、鹿と大仏様がいる東大寺やら、法隆寺やらが真っ先に出てくるでしょうか、修学旅行の定番コースの一つにもなっていますね。かく言う私も高校時代は奈良・京都でした

  • 【東京都】”もんじゃ”だけではない路地裏と看板建築の埋立地「月島」を歩く202005

    (東京都中央区月島「西仲通り」)世間では”もんじゃ焼き”の町として有名な「月島」。築地→佃島→新佃島→月島という感じで歩いて、今回はその最終地だ。隅田川の河口部に浮かぶ、佃島と新佃島とは陸続きの埋立地になっているが、元々はそれぞれ水路で切り離されている”

  • 【東京都】江戸ではない明治の佃島「新佃島」を歩く202005

    (東京都中央区佃島二丁目)前回触れた江戸時代からの漁師町の流れをくむ「佃島」。当時は江戸湾、隅田川河口にぽっかりと浮かぶ小島だった。徳川家康が大阪から呼び寄せられた漁師たちの手によって造成された。寛政11年 西半新海江戸絵 上写真丸で囲った箇所が佃島 下写

  • 【東京都】令和の世で見る”江戸前”漁師町の名残り「佃島」を歩く202005

    (東京都中央区佃島)「築(ツキ)地」と「佃(ツクダ)島」と「月(ツキ)島」。隣接しているそれぞれの地域にの名前には「ツキ」「ツク」が入っている。漢字で書くと「築く」つまり「埋立地」を意味している。前回まで触れた「築地」がもともと「埋立地」を意味する言葉で

  • 【東京都】戦災のない東京が色濃く残る「築地」を歩く202005

    (東京都中央区築地)築地市場移転後の「築地場外」を歩く202004築地の成り立ち、築地場外市場については前回の記事で書きましたので、併せて参照いただけたら幸いです。築地市場が豊洲移転に伴って閉場したものの、場外市場は相変わらずその地にとどまって営業を続けている

  • 【東京都】築地市場移転後の「築地場外」を歩く202004

    (東京都中央区築地「築地場外市場」)2018年まで中央卸売市場があったことで「魚河岸」のイメージが強い「築地」。豊洲に市場が移ってからも場外市場は健在で、コロナ自粛後も人出が目立つ。ところで「築地」という地名、元々は「埋立地」を意味する言葉で、実際にこの地も

  • 【東京都】一大歓楽街は戦後から「歌舞伎町」を歩く202004

    (東京都新宿区歌舞伎町)もはや説明不要の東京、いや日本を代表する大歓楽街「歌舞伎町」。その町名の由来は、戦災に見舞われたこの地の復興計画の一環として、歌舞伎の演舞場を建設し、これを中心とした芸術施設を集め、家族向けの健全な繁華街をつくるというものからきて

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