台湾生活の中で見たこと、学んだこと、考えたことを記録していきます。
バシー海峡戦没者慰霊祭・廣枝音右衛門氏慰霊祭事務局長。一般財団法人自由アジア協会理事。 「日本統治時代の台湾」や「戦争体験」など歴史に関心があります。 Youtube「ゴンタケChannel」(https://bit.ly/2pr262h)をはじめました。
【講演のお知らせ】台湾を学ぶ会「台湾少年工・東俊賢さんが語る戦争体験」(大阪・東京)の開催案内
2019年9月21日、台北にて東俊賢さんを招いた台湾を学ぶ会が開催された 9月に台北で開催され大盛況だった、台湾を学ぶ会「台湾少年工・東俊賢さんが語る戦争体験」が、来たる11月7日と9日に、大阪と東京で開催されます。 東俊賢さんは、戦時中に台湾少年工として渡日し、神奈川県追浜の海軍航空技術廠で特攻兵器「桜花」やロケット戦闘機「秋水」の製造に従事した経験をお持ちの方です。 9月の学ぶ会では、歴史的証言がいくつも飛び出し、大変有意義な学びの機会でした。 普段、東さんは台湾にお住いのため、日本で直接お話をうかがうことのできる大変貴重な機会だと思います。 東さんの証言を受けて、片倉さんの解説や補足もあ…
一味違う台湾旅の攻略本!片倉ご夫妻の新著『台湾 旅人地図帳−台湾在住作家が手がけた究極の散策ガイド−』を拝読して
片倉ご夫妻の新著。イラストレーター・namiさんによる挿絵もかわいいです 片倉佳史さん(台湾在住作家)・真理さん(台湾在住ライター)ご夫妻が新著『台湾 旅人地図帳−台湾在住作家が手がけた究極の散策ガイド−』(ウェッジ)を10月18日に出版されました。 昨年4月には片倉真理さんの『台湾探見 Discover Taiwan−ちょっぴりディープに台湾(フォルモサ)体験』、今年3月には片倉佳史さんの『台北・歴史建築探訪 日本が遺した建築遺産を歩く』がそれぞれウェッジから出版され、今回の新著も台湾の美しい写真の数々が掲載されたオールカラーの一冊です。 新著は、地図と文章、写真で構成され、台北、台湾北部、…
蕭錦文さん(2019年10月20日撮影) 10月20日、かつてインパール作戦に参加した経験を持ち、戦後の台湾では二二八事件を目撃して自らも受難者である蕭錦文(しょう・きんぶん)さんを訪ねました。 死の淵を幾度と見た蕭さんがいつも声を大にして訴えていることは、戦争の「あさましさ」であり、この日も繰り返し「戦争では何も解決しない」、「戦争は愚かである」ということを実体験に基づいてお話しいただきました。 戦時中は一兵卒であり、インパール作戦について評価したり、意見したりする立場ではないとしつつも、今は当時の体験を伝えることが「責任」「義務」であり、今後も自らが知ることを語り継いでいきたいと力強くおっ…
10月15日(火)18時30分より、台北市松江路のIEAT松江會議中心にて、台湾在住作家の片倉佳史さんが主催する日台学びのイベント「杜祖健先生、台湾史を語る」が開催されました。平日の夜にもかかわらず、定員50名の会場がいっぱいになりました。 定員50名の会場がいっぱいになり大盛況でした 今回のゲスト講師は、毒性学及び生物・化学兵器の世界的権威である杜祖健(アンソニー・トゥー)・コロラド州立大学名誉教授。1930(昭和5)年に台北で生まれた杜先生は現在89歳です。 ゲスト講師の杜祖健・コロラド州立大学名誉教授 冒頭、主催者である「台湾を学ぶ会」代表の片倉佳史さんは「教科書には書いていない、切り口…
旧バチカン大使館。2015年に移転した 10月10日から陳建仁・副総統は、欧州で唯一外交関係を有するバチカンを訪問するための外遊に出発しました。13日にはフランシスコ法王と面会し、法王の台湾訪問を招請しました。 敬虔なカトリックとしても知られる陳建仁・副総統のバチカン訪問により台湾とバチカンの友好が確認されました。 一方、中国は昨年、バチカンと「歴史的和解」とも言える急接近を果たしました。 中華民国と外交関係を有する国に対し、あの手この手で接近し、台湾の国際空間の締め付けを図っている中国が、今後、バチカンに対して如何に攻勢をかけるか、要注目です。 昨年9月、中国とバチカンの間で中国における司教…
台湾初のデパート「菊元百貨店」創業者・重田栄治のご子孫が祖先の足跡をたどるため台湾へ
10月9日から12日まで、日本統治下の台湾で実業家として活躍した重田栄治のご子孫ら17名が、重田栄治の足跡をたどるため台湾を訪問しました。 重田栄治のご子孫ら(2019年10月11日、菊元百貨店屋上にて) 一行は滞在中、重田が開業した菊元百貨店の内部に特別に入り見学を果たすなど、重田と所縁のある台北市内の地を巡りました。 重田栄治は、1877(明治10)年に現在の山口県岩国市に生まれました。14歳の時に重田の姉が嫁いだ菊元家に奉公し、綿織物業を営む菊元家の商売を手伝いました。 1903(明治36)年に2回目の渡台を果たし、台北にて「菊元商行」を開設して、本格的に台湾でのビジネスを始めました。そ…
10月7日、台北市内にて米台双方は初めて共同で「太平洋対話」(Pacific Islands Dialogue)を開催しました。米国からはサンドラ・オードカーク・米国務省次官補代理が出席し、吳釗燮・外交部部長も同席しました。 サンドラ・オードカーク氏は「トランプ大統領とポンペイオ国務長官を代表して、この対話を進めたい」(2019年10月7日、自由時報)と開幕式で発言。台湾を信頼できる、責任あるパートナーと位置づけ、台湾と太平洋島嶼国との関係を支持することを強調しました。 台湾外交部のプレスリリースによると、この米台政府間対話の枠組みは、太平洋島嶼国の発展に寄与する援助・協力を進めることを話し合…
10月5日、台北市内の法律事務所で楊馥成(よう・ふくせい)さんにお話をうかがいました。 今も「日本人」であることを訴える楊馥成さん 1922(大正11)年、日本統治下の旧台南州・下営で生まれた楊さんは現在97歳。地元の公学校を卒業し、高等科を経て、嘉義農林学校に進学。卒業後は、台南州庁農林課で勤務しました。 1943(昭和18)年、新聞広告で「軍属」の募集を知り志願。戦争真っ只中で、「どうせいつか兵隊に行くのであれば」との気持ちで志願されたそうです。 シンガポールの「南方派遣軍野戦貨物廠」に配属された楊さんは、南方方面全軍に対する物資補給を主な任務とし、物資の供給状況を管理したり、専門の農業の…
台湾最南端とフィリピン最北端の間に横たわるバシー海峡は、先の大戦で悲劇の現場となりました。 特に日本の戦局が厳しくなった1944(昭和19)年以降、日本軍大本営はあらゆる兵員や資源をフィリピンに集中させ、劣勢を挽回すべく比島決戦を企図します。 しかし、南方方面に向かうためにはバシー海峡を通過する必要があり、敵国米軍はそこに多数の潜水艦を配置するいわゆる「群狼作戦」を展開しました。 その結果、バシー海峡を航行中の日本の輸送船は米軍の潜水艦による魚雷攻撃によって次から次へと撃沈されます。その数は5000級以上の艦艇では200隻以上(重松正一さん調べ)とされ、それ以外に商船や漁船も海の藻屑となりまし…
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