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九州の札所・霊場巡り https://officephoenix.net/kyushu-henro/

「九州八十八ヶ所百八霊場」「篠栗新四国八十八ヶ所霊場」「九州西国霊場」「九州二十四地蔵尊」「九州三十六不動尊」「九州四十九院薬師霊場」「九州三十三観音霊場」の札所のご紹介やその他の霊場の御朱印をご紹介しています。

お遍路まさ
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2019/11/27

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  • 九州三十三観音霊場 第二十二番札所 月圭山 芳證寺

    芳證寺は、細川忠興の二男・細川興秋が創建したキリシタン寺であった長興寺薬師堂が寺の始まりと伝わっています。天草の乱後、天草が天領となり赴任した初代代官の鈴木三郎九郎重成が戦乱により疲弊した天草の平和と再建を願い自らの城を寄付し出来ました。

  • 九州三十三観音霊場 第二十一番札所 大悲山 向陽寺

    向陽寺は享保年間に大矢野偏照院の別庵として開かれた寺院でかつては向陽軒と称していたそうです。霊場ご本尊の観音様は「松島慈光観音」と呼ばれていて、その他にも境内には33体の観音様を祀り、寺宝として「雨乞いの鐘」とよばれる梵鐘が保管されています。

  • 九州三十三観音霊場 第二十番札所 西高野山(白山) 普門院 大徳寺

    氷川ダムの畔、西の高野山とも称された一大霊場の大行(だいぎょう)寺山(釈迦岳)の頂上近くに所在しする大徳寺は正式には西高野山普門院大徳寺と号し霊場感満載の寺院です。現在は廃寺になっていますが、境内にはぼけ封じの観音様がしっかりとおられました。

  • 九州三十三観音霊場 第十八番札所 水浄山 興福寺

    興福寺は日蓮宗のお寺です。文明年間(1469年~87年)隈部氏一族が観音菩薩を勧請し、堂宇を建立しましたが、その後、寛文6年に再建し興福寺と改めたそうです。黄金色の釈迦如来像がが列をなし、進学や出産祈願などの拝観者も多いそうです。

  • 九州三十三観音霊場 第十七番札所 起雲山 含蔵禅寺

    含蔵寺は鎌倉時代の創建と伝えられ、元は十一面観音・不動尊・毘沙門天の観音三尊を奉じた天台宗で高森城主代々の菩提寺でした。天正年間、高森落城の際、兵火にあって、その後禅刹に改められました。三尊は現在の観音堂に安置されています。

  • 九州三十三観音霊場 第十六番札所 立護山 満願寺

    満願寺は文永11年(1274年)の元寇の役の際、北条時定が国土安泰を祈願して醍醐三宝院門跡の経杲大僧正を迎えて建てた寺です。この寺には本尊の毘沙門天王の仏像等、多くの貴重な宝物や小文書が収められ、南小国町の歴史・文化の中心となっています。

  • 九州三十三観音霊場 第十五番札所 龍雲山 興禅院

    興禅院は由布院駅から徒歩10分ほどのところにある1370年創建の曹洞宗の寺院。ご本尊は釈迦牟尼仏です。本堂は鉄筋コンクリート造。境内には十三仏や十六羅漢などの尊像の他、青の洞門を開創した禅海和尚の石像も安置されています。

  • 九州三十三観音霊場 第十四番札所 飛龍山 大光院

    大光院は、血の池地獄から鉄輪に向かう途中の道路沿いにあり、金峯山修験本宗の寺院です。大光院の御本尊は不動明王で、身代わり不動尊と呼ばれます。 また九州三十三観音霊場第十四番札所ともなっています。

  • 九州三十三観音霊場 第十二番札所 西高野山 善通寺 椿大堂

    九州三十三観音第十二番札所、豊後四国八十八ヶ所総本山第四十八番札所である椿観音「善通寺椿大堂」と、弘法大師が修行された霊窟(椿大師発祥の岩窟)のある第四十九番札所、椿大師「椿堂 遍照院」が、一つの境内の中にあり弘法大師ゆかりの名刹です。

  • 九州三十三観音霊場第十番札所 無量寿山 弘法寺

    弘法寺は耶馬溪新四国八十八ヵ所霊場第1番札所(本尊:十一面観世音菩薩)・同第32番札所(本尊:十一面千手観世音菩薩)・九州三十三観音霊場第10番札所(本尊:大悲観音)となっています。なお、耶馬溪新四国八十八ヵ所霊場では総本部になっています。

  • 九州三十三観音霊場第九番札所 穴井山 蓮華院 仏生寺

    仏生寺は、大分県と福岡県の県境、日田市にある浄土宗のお寺です。元々は浄土宗の教会所として開かれ、以来150年余りを経て、今日に至っています。なお、近くにある「高塚地蔵尊」の受け持ち寺ともなっています。

  • 九州三十三観音霊場第八番札所 日輪山 宝積寺

    宝積寺は中世に宝積禅寺としてこの地に祀られていました。明治の廃仏毀釈により一時は廃寺となっていましたが、昭和に入り復興されました。 ご本尊の大日如来坐像は柿材を用いた寄木作りで、脇侍の造毘沙門天立像とともに日田市有形文化財となっています。

  • 九州三十三観音霊場第七番札所 古処山 本覚寺

    筑紫の小京都ともいわれる秋月の東にそびえる古処山(862m)は仏教大師最澄が唐より帰朝した折、この山の霊木をもって薬師如来七体を彫まれたと伝えられる霊山です。本覚寺は山田智祥上人により再興され、昭和50年より約10年を経て現状に至っています

  • 九州三十三観音霊場第四番札所並びに九州四十九院薬師霊場第四十九番札所 小松山 大興善寺

    大興善寺は養老元年(717年)行基菩薩がこの地で草庵を結び十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されています。現在は、花寺「つつじ寺」の愛称で親しまれ茅葺屋根の本堂は春夏は鮮やかに晩秋は艶やかに「もみじの葉」に彩られます

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番番札所並びに第百八番札所 屏風山 鎮国寺並びに奥の院

    大同元年(806年)に唐より帰朝した弘法大師は、先ず宗像大社に礼参されました。その時、屏風山に瑞雲棚引くのを見られ、奥の院岩窟にて修法され、「この地こそ鎮護国家の根本道場たるべき霊地」とのお告げを受け、一宇を建立し屏風山鎮国寺と号しました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場百六番札所 二上山 眞光院

    眞光院は大正年間、福岡県篠栗に開創後に福岡市簀子町に移り、さらに平成元年、糸島に移転しました。移築に際し「因縁転化の道場」として大随求菩薩を御本尊にお迎えし、鎮守として清瀧大権現をお祀りしています。また伝説のお綱大明神も奉安しています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第百五番札所 鎮西高野山 金剛寺

    金剛寺はJR唐津線の岩屋駅からほど近くの田園地帯にあり、上松浦の要であった獅子ヶ城の守り本尊として伝えられていた別名を厄除け千躰大師と称する尊像を城主鶴田氏衰退後、明治30年3月縁あって大師堂を建立し安置されたのが始めと伝わっています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第百四番札所 黒髪山 大智院

    黒髪山大智院は大同元年(806年)弘法大師により現在の武雄山内にそびえる霊峰黒髪山上に肥前地方としては最初に開創されました。明治11年に大火災により伽藍を消失してしまいましたが、法灯は護持され明治39年に佐世保の地に移転し復興が始まりました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第百三番札所 姑射山 大定寺

    嬉野温泉郷に近く、肥前吉田焼の窯元が連なる吉田の町に甍を並べる大定寺は慶長年間に藩主鍋島直純が開山、権大僧都阿金和尚を迎え創建されたと伝えられ、鍋島藩の祈願寺として栄えました。境内には大きな楠の古木がそびえ、新旧さまざまな石仏が並んでいます。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第百二番札所 遍照山 光明寺

    光明寺は「南無薬師諸病疾除の瑠璃の寺肥前湯の町尽きぬことなし」とご詠歌に歌われている様に温泉の守護として土地の人々に見守られながら今日に至っています。境内や参道には多くの石仏が手作りの赤い胸当てを掛けてお参りの方々を暖かく迎えています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第百一番札所 成田山 大勝寺

    大勝寺は千葉県成田市の成田山新勝寺が本山で、その大本山の御本尊南無大日大聖不動明王(弘法大師一刀三礼謹刻開眼)の分身がご本尊です。1972年、九州のほぼ中央に位置し眼下に有明海が広がるこの地に開創し、九州一円の信徒の心の寄り処となっています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第百番札所 護国山 金剛乗寺

    金剛乗寺は天長2年(825年)弘法大師の開基にて「西の高野」と称され、当時は大伽藍を構えていました。文明5年(1473年)山鹿の温泉涸渇の折、中興宥明法印が、祈祷により温泉を復活させたのを祝って、山鹿の温泉祭が始められたそうです。 また、法印供養法要の際、山鹿庶民の献じた紙灯篭が灯篭祭の始まりとされています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第九十九番札所 青井山 高野寺

    青井山高野寺は国宝「青井阿蘇神社」の門前にお寺を構えています。大正15年、初代良戒大和尚により開山されました。当時から「お大師さん」や「こうやさん」と 呼ばれ、皆様に親しまれているお寺です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第九十八番札所 千光山 生善院

    生善院は通称「猫寺」と呼ばれ、寛永2年(1625年)謀反の疑いで非業の死をとげた普門寺第5代住職盛譽法印と後を追って死んだその母玖月善女、そして化け猫と化した愛猫「玉垂」を祀るために人吉藩主相良長毎公により建立されました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第九十七番札所 国見山 大国寺

    大国寺は川上英明師が枕崎を台風の被害から守護するために百日間の願を立て、国見岳を望むと、観音の姿が顕れたことにより、この地に堂宇を建立しました。境内には手作りの三大仏(大日観音、白竜観音、弘法大師)をはじめ百体以上の仏様が安置しされています

  • タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場第九十六番札所 解脱山 賢龍寺

    文明13年(1481年)京の僧が「愛宕将軍地蔵尊・不動明王」の両尊を奉して寺を建立し、両尊を安置して「妙光寺」と号したのが賢龍寺の始まりと伝わっています。その後、幾多の衰微を経ながらもその都度再興され今日に至っています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第九十五番札所 遍照山 明王寺

    四国遍路にて奇跡的に病気を平癒した熱心な信者(水島安兵衛翁)により明治21年、現在豆田町に建立されました。御本尊は『不動明王』で現在のご尊像は第2世住職隆禅僧正が京都醍醐寺より招来した不動明王立像で理源大師の作と伝えられています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第九十四番札所 金剛山 大日寺

    大日寺は檜枝淳心尼が久留米の長門石の地で、昭和60年に開山されたお寺です。 本尊を大日如来とし、不動明王、文殊菩薩、弘法大師、地蔵菩薩が本堂にお祀りされています。諸天善神に守られながら、変貌していくこの地に法灯を伝え続けています。

  • タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場第九十三番札所 瑠璃山 正法寺

    正法寺は薬師瑠璃光如来を本尊とし、その歴史は江戸時代にさかのぼり、地域の薬師信仰の霊場だったと伝えられていますが、明治以前の歴史は記録が残されていないために不詳です。以前は八坂寺として通称され正法寺の寺号を公称したのは昭和二十二年のことです。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第九十二番札所 大原山 不動院

    不動院は、古くは現在の大分県国東半島にあったお寺の寺号を開山の心玉阿闍梨が大正15年にこの地に移転再興し現在に至っています。境内には樹齢100年の銀木犀や、銀杏の木が聳え立ち、耳なし地蔵・アゴなし地蔵といった珍しい仏像もお祀りされています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第九十一番札所 貫山修善院 真光寺

    延応元年(1239年)阿聖上人が全国を巡錫中、貫山に紫雲棚引くのを見て貫山が霊山であると感じ庵を結んだのが「貫山真光寺」の始まりです。現在は、幾多の戦火により焼失し残った小堂を仮本堂として本尊阿弥陀如来を始め焼け残った仏像をお祭りしています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第九十番札所 常住金剛山 浄心院

    浄心院は開山の浄心法尼が、不動尊を感得しその霊験により創建されました。「神仏習合」つまり神・仏ともに祭祀する寺院です。内陣には身代わり不動・大日如来・釈迦如来などを安置しています。また稲荷大明神も浄心法尼が神託によって本堂内に勧請しました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第八十九番札所 太祖山 金剛頂院

    金剛頂院は、大同元年(西暦806年)唐より帰朝した弘法大師が、博多の地に留まられていた時、当若杉山に登られ鎮護国家・救世利民の祈願を施された時に庵を結ばれた地に建つお寺です。戦乱がより焦土となってしまいましたが昭和17年に再建されたました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第八十六番札所 津東山 海心寺

    津東山海心寺は開祖海範和尚により旧津屋崎町東町に草堂が建立され、高野山本覚院より弘法大師像を勧請され本尊とされたのが始まりです。その後、二世、勉(べん)和尚にて信貴山より毘沙門天を勧請され、現在の地(宮司)に毘沙門天堂が建立されました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第八十五番札所 愛宕山 観音寺

    観音寺は愛宕神社の参道の中程に伽藍を構えています。黒田藩の歴代藩主の御祈願所として信仰を集め山岳信仰の拠点として隆盛を極めました。御本尊勝軍地蔵尊は、ご詠歌にも「諸難を除く愛宕権現」と詠われ、熱心な信仰を集めています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第八十三番札所 登志山 誓願寺

    誓願寺は安元元年(1175年)栄西禅師の創建で総本尊は阿弥陀如来ですが、霊場本尊は毘沙門天です。奥の院は毘沙門山といい「今津の毘沙門さん」として親しまれています。最盛期は1山42坊ありましたが、現在は大泉坊のみ現存してます。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第八十一番札所 中台山 大聖院

    唐津城、唐津焼、虹の松原で有名な唐津市の中心部、駅より徒歩5分ほどの所に大聖院はあります。周りは寺町の名にふさわしく仏教寺院5ヶ寺、神社1社が立ち並びます。大聖院は元は大法寺と称していましたが、慶安元年に唐津に移転され大聖院と改号しました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第八十番札所 吉原山 鶴林寺

    鶴林寺のご本尊は薬師如来・子安弘法大師を安置し、安産、子育ての加持祈祷の寺として信者に知られ、境内は不動明王、十三仏を配置し、地元では「子安さん」として知られている寺です。山号は寄進した土地所有者の吉原氏の功徳を称しています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第七十九番札所 松豊山 善福寺

    善福寺の歴史は古く、創建は1335年(建武2年)に松浦氏の始祖を祀る今宮神社の別当寺(神職が祀りを兼ねる寺)及び今福松浦家の祈願所として寺上の地に創建。その後、幾度か移転・再建を繰り返した後、1909年(明治42年)現在地に建立されました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第七十八番札所 入唐山 開元寺

    ここは札所として「開元寺」となっていますが、寺院があるわけではなく『弘法大師入唐解纜之地』と刻された一基の石碑と拝所があるだけです。寺号の由来は弘法大師が12月の終わりに唐に上陸後、一ヵ月間とどまった福州の寺院が開元寺でその寺号を称したもの

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第七十七番札所 高野山 最教寺

    最教寺は、大同元年(806年)弘法大師が唐から帰朝した時、初めて護摩を焚いたところといわれています。現在奥の院には大師の護摩石と坐禅石があり住時をしのぶことができます。慶長12年(1607年)1真言教学の学問所である談義所を合併し復興しました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 七十六番札所 弦掛山 西福寺

    西福寺のある地は昔から、山伏がこの巨大な岩屋のなかに庵を結んで修行した行場だったと伝えられています。江戸時代に平戸藩主の命により5体の石仏を安置しました。明治に入り、この地に住む吉井クラの霊夢に出た観音菩薩のお告げの逸話が残っています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 七十五番札所 石橋山 御橋観音寺

    1240年前に行基菩薩が海底で光を放つ大木から三体の観音像を敬刻し、開眼供養して東の海に流されたその内の1体が御橋観音寺となり現在まで信仰の霊地として栄えています。また二条の大石橋をはじめ春は桜、秋は紅葉と平戸八景の景勝地としても有名です。

  • タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場 七十四番札所 岩問山 東漸寺

    東漸寺は和銅年間(708年~15年)現在の奥の院にあたる岩問山に行基菩薩が草庵を結び、薬師如来を自刻し安置したのが始まりと伝えられています。その薬師如来様はいつでも拝観できます。ご本尊の前には「魔鏡」と言われる一枚の鏡が置かれています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第七十三番札所 東嶽山 西光寺

    西光寺は1687年に松浦藩の祈祷寺として現在の地に建立されたお寺です。ご本尊・虚空蔵菩薩は、元は武雄市杉の岳にある行基菩薩が建立されたお寺にいらっしゃいましたが、約500年前に現西光寺の場所に虚空蔵菩薩が霊現されたことから移座されました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第七十二番札所 櫨山 光輪院

    明治33年(1900年)、有森清隆和尚がこの地にお堂を創建。明治45年(1912年)高野山の山内塔頭の一寺院の寺号を移し、光輪院としました。建っている丘には昔、櫨(はぜ)の木が立っていたことから「櫨山(はじやま)大師」と呼ばれています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第七十一番札所 医王山 浄漸寺 鎮西薬師

    奈良時代の養老2年(718年)行基菩薩は、東大寺勧進のため全国を巡錫し、速木(現在の早岐)を訪れた折、楠木の霊木で薬師如来を刻み、堂宇を建立したのが浄漸寺の起源とされています。以来、霊験あらたかな薬師如来として隆盛をきわめていました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第七十番札所 龍門山 宝光院

    宝光院は御本尊は十一面観世音(秘仏)で、参拝者の願いや苦しみを取り除いて頂いています。開山は修験者達がお参りされる人の願い事や、五穀豊穣を祈願したと言い伝えが有って、現在も引き継いで御本尊に祈念しているそうです。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第六十九番札所 黒髪山 西光密寺

    西光密寺は古来より山岳信仰の霊山として名高い黒髪山のほぼ頂上にあります。弘法大師が遣唐使船が平戸係留の間に無事の渡航を祈念して黒髪山に登られ、帰朝の後にお礼参りのため再び登られ不動明王を爪彫りされ安置されたのが寺の始まりと伝えられています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第六十八番札所 阿遮山 無動院

    室町時代創建の無動院は、約600年もの間、黒髪山修験道とともに、繁栄してきました。境内には重要文化財指定の六地蔵尊石塔や眼病平癒の黒髪眼不動尊などがあり、近隣の人々に篤く信仰を受けています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第六十七番札所 三間山 東光寺

    東光寺の寺史には、弘法大師が巡錫の砌り黒髪山に西光密寺(大智院)を創建された時、末寺として建立されたと伝えられているが、阿忍僧正をもって中興開基としています。阿忍僧正は、東光寺を再建して本尊に薬師如来を安置しました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第六十六番札所 亀井山 東前寺

    東前寺は和銅4年(711年)に行基菩薩を開祖として建立された寺院です。本尊薬師如来は、厄除薬師といわれ、戦国時代寺が焼かれた際には自ら飛んで火中を出でたと伝えられます。本堂の裏手には、亀井山」の名前の由来となった亀石と呼ばれる岩があります。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第六十五番札所 医王山 延命寺

    延命寺は1616年(元和2年)岡山より丁度、訪れていた龍宣和尚が当時流行していた新種の疫病平癒の為、祈願を行った処 御利益があったという事で長崎奉行の依頼で常駐するようになり、当地で寺院を構えたのが始まりだそうです。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第六十四番札所 普賢山 龍照寺

    雲仙温泉からは島原方向に国道を下ると約15分、 寺に着くと巨大なお不動様(高さ13.8m)が出迎えてくれます。 境内は明るく広々としており、山門・手水舎・本堂・護摩堂・大師堂(建立予定)・七福神堂・愛宕地蔵堂・庫裡などの寺構を整えています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第六十三番札所 金剛勝山 蓮厳院

    金剛勝山 蓮厳院(れんごんいん)は平安時代から続く古刹で、本堂と庫裡は藁葺き屋根。庫裡は県内では少なくなったクド造りとなっています。ご本尊阿弥陀如来2体と薬師如来1体は国の重要文化財で全国でも数少ない定朝様式の仏様として知られています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第六十二番札所 密厳山 誕生院

    誕生院は、真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁聖人の誕生の地に建てられたお寺です。境内には、金堂、本堂、鐘楼堂などが建ち、四季折々の花が咲き乱れ香煙絶えることがありません。御本尊は錐鑽身代不動明王です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第六十一番札所 普明山 高野寺

    大同元年(806年)弘法大師が密教を学ばれ、九州博多に帰朝され九州各地を行脚しておられた折、この土地が紀州の高野山に似ておることからこの地を肥前の高野山と定め、草の庵を結ばれたのがこの寺の始まりと伝えられています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第六十番札所 成田山 龍王院

    佐賀成田山龍王院のご本尊「不動明王」は、嵯峨天皇の勅命により弘法大師がみずから敬刻して開眼し護摩法を修せられました千葉県の成田山新勝寺の尊像のご分霊です。境内はとても広く、本堂は鉄筋コンクリート造りで、一見近代的なホールのような造形です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第五十九番札所 叡興山 光明寺

    光明寺は天平年間(729~749)に開山です。入母屋造の本堂には、行基菩薩作のご本尊「十一面千手観音立像」を安置していますが、秘仏のため三十三年に一度開扉となっています。また参道脇に大師堂があり、その周りには八十八ヶ所の石像があります。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第五十八番札所 法雲山 金剛寺

    昭和9年赤星精秀和尚が四国八十八ヶ所霊場遍路の後、真言宗寺院のなかった荒尾に、弘法大師御入定千百年御遠忌の記念事業として法雲院を開創しました。法燈を継いだ善弘師が昭和35年入山して、法雲院を山号に改め、法雲山金剛寺と改称しました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第五十七番札所 高原山 蓮華院誕生寺及び奥之院

    蓮華院誕生寺は、ここ熊本県玉名市で生まれた「皇円大菩薩」をおまつりする真言律宗の「九州別格本山」です。 皇円大菩薩(皇円上人)は、浄土宗御開祖の法然上人の師匠にあたる方です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第五十六番札所 白蓮山 金剛寺

    金剛寺は人々から中将姫の愛称で呼ばれています。当初は熊本城の裏鬼門にあたる所にあって、加藤神社の別当を兼ねていました。その後、明治の廃仏毀釈や昭和の戦火などを乗り越え、増本法秀師や現在の法秀尼により度重なる復興を果たしました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第五十五番札所 最栄山 本蔵院

    本蔵院の歴史は、阿蘇山から始まります。阿蘇神社の別当所として隆盛した西巌殿寺に総括された修験の山で、子院37坊を有し、修験の拠点となっていました。しかし、明治の廃仏毀釈と修験道禁止令で、子院はいずれも廃され、後に移転したのが、本蔵院です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第五十四番札所 白雲山 医王寺

    医王寺は、平安中期に創建されたと伝えられ、江戸時代寛文5年(1655年)に、現在地に再興されました。歴代、八代城の安全と城主並びに城下、家内の除病息災・子孫繁栄を祈願して以来、八代城主 松井家の祈願寺だったお寺です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第五十三番札所 千福山 観蓮寺

    観蓮寺は元は観琳寺といい、治承年間、平重盛菩提のため、矢瀬主馬佑が建立したと伝えられています。当時は禅宗の一派でしたが、大永6年(1526年)の瑞堅の乱に依り堂宇も焼失してしまい、慶長年間に再興した時から千福山観蓮寺と改称し真言宗に改められました

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第五十二番札所 金剛山 高寺院

    平家滅亡後、平重盛の家人だった平貞能が、追善菩提のため重盛の念持仏の金造毘沙門天を胎内に納めた尊像を刻み、堂宇を建立したのが高寺院の始まりとされています。また、一説には、永享5年(1433年)に快親という僧が開山して、とも言われています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第五十一番札所 遍照山 勘代寺

    日本三代急流、球磨川上流の奥球磨の美しい田園風景の中にございます多良木町に勘代寺はあります。寺暦は鎌倉時代中期からの歴史を有し、諸代相良家の祈願所とし栄えました。ご本尊様は、秘仏十一面観世音菩薩様です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第五十番札所 伝法山 願成寺

    願成寺はおよそ770年前、四条天皇天福元年(1233)人吉城主初代相良三郎藤原長頼公の創建で、開山弘秀上人は建久9年遠州常福寺より来られました。金堂は鎌倉の長勝寿院の大御堂を模造し、1345畳敷と伝わっています。ご本尊は阿弥陀如来です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第四十九番札所 大師山 剣山寺

    剣山寺は、鹿児島県の南にあり、東支那海の見える静かな町のお寺です。ご本尊の不動明王様は参拝のみなさまのお話しをいつも“ニコニコ”して聞いて下さり、「あわてるな、急ぐな、あなたはあなたのままでよい」といつも話かけてくださる様な気がします。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第四十八番札所 音泉山 薩摩薬師寺

    薩摩薬師寺は新寺建立したまだ新しい寺ですが、のどかな環境に囲まれ、故郷に里帰りしたような気軽さでお参りができます。ご本尊薬師如来立像は、御身の丈十三センチと小さいながらも、高野山よりお迎えした大変霊験あらたかな仏さまです。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第四十七番札所 指宿高野山 光明寺

    全国に知られる指宿温泉に程近く、池田湖や開聞岳にも近い地に光明寺はあります。堂内にご本尊の地蔵菩薩、その側に寺宝で大師ゆかりの密教法具の一つ香炉と如意棒が奉納されています。また病の種を取ってくれると言われている「癪取吸障」もあります。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場第四十六番札所 紫雲山 峰浄寺

    境内に足を踏み入れると、「念ずれば花ひらく」の真言碑と大きな修行大師さまが優しく出迎えてくれます。本堂奥には緑の散策路が広がり、八十八ヶ所の札所、十二支えと地蔵、水子地蔵、弁財天堂、紺髪観音、子安観音などあり、お参りが絶えない峰浄寺です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第四十五番札所 金竜山 大歓寺

    大歓寺は、昭和45年に建立されたお寺です。御本尊様はお不動さまで、病気平癒、災害除け福徳や煩悩を滅ぼしたり、大変霊験あらたかな仏さまで、これまでもたくさんの信者さんからお不動さまのおかげを授かっておられます。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第四十四番札所 大乗山 不動寺

    不動寺のある場所は、かつて真言宗大乗院というお寺が存在した地でありました。不動寺は西大寺の鮫島弘明住職が薩摩の地に祈祷道場を求めて行脚していた時、夢に不動明王の霊示を受けたという仏縁の深い場所に築かれています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第四十三番札所 護国山 法城院

    錦江湾を望む美しい景色に囲まれた加治木町に法城院はあります。街中の国道沿いということもあり小さなお寺ですが、御参拝者のお線香の煙が絶えることなくたなびいています。御本尊は、参拝者の願いを叶え、苦しみを取り除いてくださる不動明王(秘仏)です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第四十二番札所 えびの八幡山 弘泉寺

    霧島山麓を臨む八幡山の頂上に大正12年(1923年)高野山恵光院近藤本玄師の表敬開山を機に玄融和尚により飯野布教所として興りました。 また本尊の大日如来さまは牛の上に座すという非常に珍しいお姿でお祀りされております。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第四十一番札所 松林山 天長寺

    天長寺は天文7年(1538年)、都城島津家第8代領主・島津忠相公により島津家の祈願道場として創建されました。創建以来、都城随一の寺院として隆盛を誇っていましたが、明治元年の廃仏毀釈によって破壊され、堂舎と共に多くの法物を失ってしまいました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第四十番札所 法雲山 西明寺

    遠洋漁業の基地の港町、目井津の西の山腹に西明寺はあります。ご本尊は勝軍地蔵菩薩をお奉りしています。このご本尊、廃仏毀釈以前は南郷町内榎原神社にお奉りされていた仏様で、信仰深い方のおかげで難を逃れた仏様です。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第三十九番札所 日南高野山 潮満寺

    潮満寺は日南市を一望する津ノ峰の麓、油津港が眼下に見える高台にあります。かつては、長満寺と称し願成就寺第6世重翁法印が1636年に再興し願成就寺の隠居寺とされました。ご本尊は波切不動は身代わりの仏として日夜に済度の働きをされています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第三十八番札所 蓬莱山 長久寺

    長久寺は室町時代、伊満福寺の珏融僧正により創建されました。ご本尊は全国的にも珍しい「木造六観音座像」をお祀りしていて、「弘法大師像」と共に、宮崎市有形文化財の指定を受けています。また、大師像は霊場会の中でも最古参級の像と言われています。

  • 九州三十六不動尊霊場 第三十五番札所 瑠璃山 恵光院

    恵光院は、筥崎八幡宮の「結縁寺」として、歴代座主の墓所があり菩提を弔っております。そのため廃仏毀釈の難を逃れ、数多くの仏像・仏画等の什物が移され今日に残され、神仏習合の時代における筥崎宮社坊の歴史を知る上で貴重なものとされています。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第二十一番札所 瑠璃山 恵光院

    恵光院は、筥崎八幡宮の「結縁寺」として、歴代座主の墓所があり菩提を弔っております。そのため廃仏毀釈の難を逃れ、数多くの仏像・仏画等の什物が移され今日に残され、神仏習合の時代における筥崎宮社坊の歴史を知る上で貴重なものとされています。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第八十四番札所 飛形山 法蔵院

    福岡市のベットタウンとして高層マンションが立ち並ぶ西区姪ノ浜ではありますが、一歩旧道に入ると昔ながらの町並みも残り、その一郭に法蔵院は佇んでいます。昭和初期、瑞光尼より火伏の願いをこめて筑後八女飛形山より十一面観音菩薩を勧請し建立されました。

  • 九州八十八ヶ所百八霊場 第百七番札所 風浪山 隆善寺

    隆善寺のご本尊将軍地蔵菩薩は諸々の禍や様々な魔に対して、打ち勝たせてくれる地蔵尊です。その他、境内には修行大師を始め、十三仏・文殊菩薩わらべ地蔵などを安置しております。またお腹をくぐりご縁を願うカエルもいます。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第十八番札所 岩戸山 宝積寺

    宝積寺は久安年間、松浦党・松浦源四郎大夫直が国家の隆昌、住民の安泰、仏道の興隆、一門の繁栄を祈念し祈願寺として開基したお寺です。また佐賀県無形文化財として「脇野の大念仏」が伝承されているお寺でもあります。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第十七番札所 東嶽山 西光寺

    西光寺は1687年に松浦藩の祈祷寺として建立されたお寺です。ご本尊虚空蔵菩薩は、元は武雄市杉の岳にある行基菩薩が建立されたお寺に安置されていましたが、約500年前に現西光寺の場所に虚空蔵菩薩が霊現されたことから、この地に移つされました。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第十六番札所 弦掛山 西福寺

    西福寺は千年以上の昔から山伏が巨大な岩屋のなかに庵を結んで修行したと伝えられています。山号は平戸城主、松浦道可隆信がこの地で弓に弦を掛けて戦ったことにより「弦掛」という地名が起きたことに由来しています。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第十五番札所 栄久山 寿福寺

    寿福寺は天正11年(1582年)の開基ですが、創建当初は「長福寺」と号していました。その後、8代将軍吉宗の嫡男の名前が長福丸であったため、幕府に敬意を払うため「寿福寺」と改称しました。新緑や紅葉の季節の景観は見事だそうです。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第十四番札所 展海山 六大寺

    展海山 六大寺は松尾山青蓮寺(佐世保市白岳町)の庵浦別院として建立されたのが始まりです。ご本尊は地蔵菩薩で、この庵浦の地に鎮座されて以来、多くの人々の信仰を集め、その慈悲のみ光は檀信徒をはじめ信仰する者に普くそそがれています。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第十三番札所 亀井山 東前寺

    東前寺は、長崎県東彼杵郡波佐見町にある高野山真言宗の寺院です。ご本尊は薬師如来座像で、九州八十八所百八霊場第六十六番札所ともなっていますが、今回は先行して地蔵霊場にスポットを当てて書かせていただきます。本堂裏の自然の石庭は心洗われる景観です。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第十二番札所 成就山 本願院

    成就山本願院は、高野山金剛峯寺の塔頭寺院、鍋島本願院の別院として明治初期に建立された寺院です。本堂再興の際に描かれた弘法大師一代記の70枚を含む、数百枚ほどの天井絵で彩られた格天井は素晴らしく、参拝者を唸らせます。

  • 九州三十六不動尊霊場 第三十四番札所 屏風山 鎮国寺

    鎮国寺は、弘法大師が、鎮護国家の根本道場として最初に建立された寺です。本堂と見紛うばかりの大きな護摩堂には、護摩堂に霊場ご本尊の不動明王立像(身代り不動)が安置されています。

  • 九州三十三観音霊場 第一番札所 屏風山 鎮国寺

    鎮国寺は、中国より帰朝された弘法大師が、鎮護国家の根本道場として最初に建立された寺で、本堂(五仏堂)には、宗像五社の本地仏とされる大日、釈迦、薬師、阿弥陀如来とともに、境内、文殊堂と地蔵堂の間に霊場ご本尊である聖観音がお祀りされています。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第三番札所 全海山 宗像観音寺

    宗像観音寺を創建した全海、光染両僧は観音菩薩が霊夢により地蔵尊の建立を指示され「一言地蔵」の建立となりました。その聖観音様は地蔵堂より先の高台に建っている入母屋造の大きな本堂に秘仏として安置されています。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第八番札所 常住金剛山 浄心院

    浄心院は、現在では希少な神仏混合、神仏不二を受け継ぎぐお寺で、浄心法尼が当地において不動明王を感得し、その霊験により創建したと伝わっています。さらに、九州八十八所百八霊場の第九十番札所でもあります。

  • 九州二十四地蔵尊霊場 第七番札所 甘木高野山 高野寺

    甘木高野山高野寺は、老後、下の世話をして貰わなくても良いとの御利益がある地蔵尊で、別称「嫁いらず地蔵」とも呼ばれ篤い信仰を集めています。

  • 九州西国霊場 第三十三番札所 清水山 観世音寺

    九州西国観音霊場結願の寺は、菅原道真公ゆかりの太宰府にある観世音寺です。「日本書紀」によれば、天智天皇が母の斉明天皇の菩提を弔うために発願され、天平18年(746年)80有余年を費やして完成されたと伝わります。

  • 九州西国霊場 第三十二番札所 冷泉山 龍宮寺

    龍宮寺の開創年代は詳らかではありませんが、本尊の聖観音は慈覚大師・円仁の作と伝わり、太閤秀吉が博多の町割りをした頃より「博多七観音」の一つとして、広く人々の信仰を集めていたといわれています。寺名の通り「人魚」にまつわる伝説があるお寺です。

  • 九州西国霊場 第三十一番札所 屏風山 鎮国寺

    鎮国寺は、中国より帰朝された弘法大師が、鎮護国家の根本道場として最初に建立された寺で、本堂(五仏堂)には、宗像五社の本地仏とされる大日、釈迦、薬師、阿弥陀如来とともに、霊場ご本尊である如意輪観音のが安置されています。

  • 九州西国霊場 第三十番札所 清賀山 正覚寺 油山観音

    油山観音として親しまれている正覚寺は、敏達天皇の代(572年)に天竺から渡来した清賀上人が、白椿の大樹に千手観音を刻み安置したのにはじまると伝えています。その清賀上人が日本ではじめて椿の実から油をしぼり精製した事が、「油山」と呼ばれる名前の由来になったとの事です。

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