イロハ歌留多から見える日本史の真実 『五木ひろしが売れた訳』
イロハ歌留多から見える日本史の真実『芋の煮えたの御存じなく』『鰯の頭も信心柄(からではなく、がらが正しい)』『五木ひろしが売れた訳』『五木の子守歌』の謎芋の煮えたの・・・・・この唄は、八代将軍吉宗が、芋学者と呼ばれる青木昆陽に命じ、小石川薬園で栽培した種芋を関八州に栽培させ、ついで東北から西国ににも広めさせた。処が享保十七年夏から、関西から九州へかけて、イナゴの大群が発生して、収穫前の稲穂を殆んど食い荒し大凶作となったことがあった。だから、江戸表にも西国より回送米は送られてこず、米価は、うなぎ昇りになって、町民は一升買いしたくも、辛うじて十分の一の一合しか人手できぬ有様となった。「唐芋」つまりカライモと呼ばれた今の薩摩芋は、稲と違って地下根ゆえ、イナゴに地上の葉は食われても助かったので、どっと江戸へも出荷されて...イロハ歌留多から見える日本史の真実『五木ひろしが売れた訳』
2021/03/30 11:51