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  • 「金印の行方」出版に伴う当本の映画化

    この本を映画化して戴ける方を募集します。又、本の購入の方もよろしくお願い致します。「金印の行方」出版に伴う当本の映画化

  • 「金印の行方」出版

    この本を買って戴きたいと願います。又、この本を映画化していただっける方を募集します。「金印の行方」出版

  • 「金印の行方」出版に伴う当本の映画化

    「金印の行方」の映画化を希望します。製作願える方を募集します。「金印の行方」出版に伴う当本の映画化

  • 「金印の行方」出版

    本「金印の行方」を出版しました。大きな書店しか置いていませんが、小さな書店でも、「予約」という方法で購入できます。金印に纏わる話を記載しました。税込み¥1,430です。購入願えたら幸いです。「金印の行方」出版

  • 「金印の行方」出版

    本「金印の行方」を出版しました。大きな書店しか置いていませんが、小さな書店でも、「予約」という方法で購入できます。金員に纏わる話を記載しました。税込み¥1,430です。購入願えたら幸いです。「金印の行方」出版

  • 息子が迎えに

    息子が迎えに来た夜7時過ぎ、近くのスーパーに出かけ、ビールを飲む習慣が続いた。すると、いつもスーパーのベンチに座る老婆に出会う。「おばあちゃん、もうすぐ夜9時になるよ。帰らなくてもいいの?」「えええ、息子が間もなく迎えに来てくれるの。それを待ってるの。良い息子でネ。」おかしい。このやり取りを何回繰り返したことやら。そして、しばらくして、老婆がベンチに座っているのを見かけなくなった。息子が迎えに

  • 縄文人と弥生人を比較してみた

    縄文時代:2万年前~2300年前弥生時代:2300年前~1800年前縄文人弥生人食料が多く皆に分配たくさん取れたら貯蔵死は誰もが経験する命の環の一部死は怖い誰の子なんてどうでも良い夫婦は家族の基盤犬は家族(狩猟に必要)猫とは良い関係(コメを荒らす鼠を退治)永遠を表す円が良い・環が良い四角の家が良い土器の文様に意味がある土器はシンプルが良い美意識が高く派手好み人が多くなりすぎて、質素・地味にミニチュア土器で祭祀大きくて鳴り物が良い人種上、人骨は同形質多くの朝鮮等外国人の人骨増久しぶりの投稿です。縄文人と弥生人を比較してみた

  • goo blog今も使えるのだ?

    パソコン・メールアドレス等を変更していたら、gooblogが使えなくなっていた。これまでほったらかしにしていたが、これで使えると確認出来たら、再開したい。gooblog今も使えるのだ?

  • 悲しき天使

    悲しき天使ThoseWereTheDaysメリーホプキンスこれは、ヒット曲です。ただし、50年以上前ですが。中学・高校と”ながら勉強”していた。ヘッドホンで音楽聞きながら、宿題等自分の課題の勉強をしていました。効率は悪い。そんな古い曲ですが、歌詞がとても良いのでご紹介したいと思いました。本件で、著作権侵害と言われる方が有れば、コメント等お知らせください。ご指示に従い、本内容を即時、削除致します。では。昔、あの酒場でよく飲んだもの何時間も笑いあって大きな夢をいくつも見たそんな時代があったね終わりなどは夢にも思わずいつまでも歌い踊り明かせると信じ生きたい人生を生き怖いもの知らずに生き様を信じていた若い日々そして流れるように月日は過ぎきらめく心も失ったあなたにあの酒場で会うことが有ったら笑いながら言うでしょうそんな時...悲しき天使

  • 悲話

    悲しい話(3)同じ団地のおばあちゃんが、買い物帰りのようだ。買い物袋にわずかな物が入っている。80前後に見える。足腰が大変悪いようだ。30秒に10cm進むかどうかの歩き方だ。もう、歩いているとは言えない。歩くのだけは勘弁してくれえと言わんばかりに見える。団地玄関先で見た私は、「えーっ、だいじょうぶかなあ」と思っていた矢先、おばあちゃんが崩れるように倒れた。慌てて駆け寄り、「おばあちゃん、大丈夫?家はすぐそこだからネ、あわてなくて、いいよ。大丈夫?」私の助けを借りて、おばあちゃんは立ち上がった。声も出ないようだ。頷くおばあちゃんを抱き抱えながら、玄関先迄連れて行った。歩くこともままならないのに、買い物へ行かなければならない。なんでやねん!誰かおばあちゃんの生活を助ける方がいる、という雰囲気ではない。夫・子供・友人...悲話

  • 蜂の巣湖

    蜂の巣湖邪馬台国へのルートのカギは、蜂の巣湖にある。と言ってきましたが、誰もがソッポを向いています。あのデタラメおっさんの相手をするな。といった状況です。だって、蜂の巣湖は昭和の時代に、松原・下筌(しもうけ)ダム建造に伴う人造湖なのですから。それを知っている方から見ると、カギは蜂の巣湖に有り。はデタラメの極地になります。それを西暦240年頃に展開していくのですから、非は私にある。デタラメです。松原ダムと下筌ダムで作られた人造湖が真実。しかし違うのです。蜂の巣湖は昭和時代の名称ですが、便宜上、御名を拝借しているだけです。さもないと、どこの場所を言っているのかわからなくなります。場所は蜂の巣湖なのです。表現が悪いと言われましたら、表現を変えましょう。大山川の先端。これではどこかわからなくなります。松原・下筌という2...蜂の巣湖

  • カラスの話

    カラスの話カラスは賢い。犬と同等の知能を持っているらしい。そして、臆病です。(人をなめると、襲う)カラスには、カラス語というのが有ります。カラス語は、能動言葉と受動言葉の2つが有ります。能動言葉=奇数回の鳴き声、受動言葉=偶数回の鳴き声との決まりがあります。又、感情というものがあります。泣いたり笑ったり怒ったり感謝したりします。発音で表現。よって、カラス同士の会話・コミュニケーション・カラスの親分への依頼事等をしています。カラスの鳴く回数と音質を聞き取り、プラス1回の返事の音質を聞き取り、会話を判断しましょう。(代表的なカラスの鳴き声回数例)能動言葉短い鳴き声1回=ついて来い(命令する際)能動言葉鳴き声1回=おーい。・何してる。能動言葉鳴き声3回=皆さん元気?起きた?・おはよう(こんにちは)・私はここよ(夜明け...カラスの話

  • 私見卑弥呼説

    私見卑弥呼説卑弥呼は70歳をとうに過ぎた。邪馬台国の女王として君臨し、60年を超える長き政権だった。連合国の王たちも卑弥呼政権下、2代・3代と王が変わっていった。子供の頃から、卑弥呼を見て育っていった。そして王となっても、卑弥呼は連合国の女王だった。「この超高齢な女王は、やはり人が違う。神か。」との意識が、王たちに充満していた。連合国のどの王も、卑弥呼には悪しきことも言えず、全く逆らえない環境だった。卑弥呼は勢力拡大してきた狗奴国に対し、魏からの支援を要請。魏も支援した。しかし、大事件が発生した。日食である。太陽が月に隠れてしまった。日食は穢れ(けがれ)を意味。太陽は全能の神です。其の神が消えてしまう、なんて不吉なことか。王たちは騒いだ。日食の対応を誤れば国が亡ぶ、と皆が思っていたからだ。その日食が2年連続発生...私見卑弥呼説

  • 宇美町と邪馬台国

    宇美町と邪馬台国宇美町(うみまち)を紹介します。福岡県糟屋郡宇美町です。ここは、不彌国との説が一般的。つまり、不彌国と邪馬台国の関連を述べたいと思います。魏志倭人伝では、この不彌国から投馬国へ行き、邪馬台国に到着しています。魏の使節は、なぜ不彌国へ行ったのでしょうか。伊都国から奴国迄100里、奴国から不彌国迄100里と記載されています。100里は大雑把な記載ですが、おおむね伊都国―奴国―不彌国のそれぞれの距離は、均等な距離と認識。魏の使節が伊都国・奴国を訪問したことは、容易に想像できる。伊都国王・奴国王謁見です。朝貢実績が有る倭国の王に、挨拶。「古きことながら、よう、漢へ朝貢して頂きました。本日は、そのお礼を述べると共に、友好を深めたくご挨拶に参りました。」との会話で、伊都国と奴国は、訪問した理由が説明できる。...宇美町と邪馬台国

  • 金印の話

    金印改めて金印の話をしたい。金印は志賀島の金印です。一般的に「漢の倭の奴国王」と呼ばれている金印です。金印というのは、最上位の物です。ところが、漢の倭の奴国王となりますと、奴国王の上に倭という国が有ることになります。この場合、金印では無く、銀印になるはずです。でも、金印なのですから、漢の国から見れば奴国王の上にはいないとの見解となります。又、「漢の倭の奴国王」と命名した誰かさんに言いたい。金印は「漢の委奴国王」と彫られています。「倭」では無く「委」です。倭国の存在を知った光武帝は、倭国王とは彫らず、委奴国王という金印を授けています。倭というのは、従順なという意味で、実際、委奴国王は光武帝に従順でした。光武帝の知識は、百余国の王が謁見に来る、これは失礼が有ってはならないと警戒していたところ、委奴国王があまりにも平...金印の話

  • 金印の話

    金印改めて金印の話をしたい。金印は志賀島の金印です。一般的に「漢の倭の奴国王」と呼ばれている金印です。金印というのは、最上位の物です。ところが、漢の倭の奴国王となりますと、奴国王の上に倭という国が有ることになります。この場合、金印では無く、銀印になるはずです。でも、金印なのですから、漢の国から見れば奴国王の上にはいないとの見解となります。又、「漢の倭の奴国王」と命名した誰かさんに言いたい。金印は「漢の委奴国王」と彫られています。「倭」では無く「委」です。倭国の存在を知った光武帝は、倭国王とは彫らず、委奴国王という金印を授けています。倭というのは、従順なという意味で、実際、委奴国王は光武帝に従順でした。光武帝の知識は、百余国の王が謁見に来る、これは失礼が有ってはならないと警戒していたところ、委奴国王があまりにも平...金印の話

  • 鴨長明

    鴨長明「方丈記」を書いた鴨長明をご存知でしょうか。聞いたことあるなあ、というレベルだと思います。鴨長明を取り上げたのは、900年近く前、鎌倉時代の人物が、現代人と変わりないからです。鴨長明は、西暦1155年~1216年の人で、「方丈記」・「徒然草」・「枕草子」は三大随筆です。「方丈記」の特徴は、歴史書でもあり、哲学書でもあり、単なる日記でもあります。鴨長明は、京都・下鴨神社の禰宜(宮司がトップで、禰宜は№2)の次男でエリートでした。しかし、父の死後、天敵に出世を妨げられ、下鴨神社を去ることになりました。結局、京都の山奥の方丈庵で、隠居生活を送ることになります。その方丈庵で書いたのが、「方丈記」です。方丈という事から4畳半位の正方形の小部屋(1辺が3m)だったのでしょう。方丈記のテーマ・全貌をまとめて英訳した方が...鴨長明

  • 罪深き人よ

    罪深き人よどうしてそうなったのか、知り得ませんが、罪深き人よ。懺悔しなさい。懺悔の時に、アルビノーニのアダージョを聞きながら、懺悔しなさい。きっと、貴方の懺悔は聞き入れられ、貴方は救われます。救われた、その心を維持すれば、立ち直れます。信じることです。罪深き人よ

  • アダージェット

    アダージェット「アダージェット」という曲をご存知でしょうか。マーラーの交響曲5番の第4楽章です。マーラーはベートベン超えと評され、毎日世界のどこかで演奏されている作曲家です。マーラーの交響曲5番の第1楽章のトランペットの音色は、ほぼ中毒になります。又あのトランペットが聴きたくなります。これを中毒と言います。しかし、今回は第4楽章の「アダージェット」です。この曲を聴くと、私は私の体から分離したモノが、はるか銀河の宇宙の中で、妖精のごとく、自由に飛び回っている姿を見ます。宇宙の時間も環境も全て、しばりつけるものは無い、自由な空間を飛び回ります。噓か誠かお試しあれ。アダージェット

  • 邪馬台国

    邪馬台国邪馬台国は、西暦200年頃の日本の事です。その頃の中国は大変偉大でした。別段、西暦200年頃が、日本の始まりとは申しておりません。ただ、歴史書に残る限り、日本の初期です。昔の中国では、国の王が滅びると、新しい王が前の王の歴史を書き残す習慣が有りました。前の王の事ですから、良いことを誇張したり、悪いことを誇張する事なく、忠実に歴史として書き残しました。後漢書というものが有ります。古代史を研究している方は、必須の書です。後漢書曰く(巻85東夷列伝第75)、建武中元2年(57年)倭奴国奉貢朝賀、金印を印綬。これが「漢委奴国王」の金印です。その後の日本の記録も残されています。後漢書曰く(巻85東夷列伝第75)、安帝永初元年(107年)”倭国王”師升等生口160人を献上して謁見を願い出た。生口とは奴隷の事です。今...邪馬台国

  • 恐ろしい話

    恐ろしい話事件性のない重大事ニュース以外に見たいテレビが無い彼は、夜8時頃から就寝する。早く寝るものだから、朝4時・5時に目覚めてしまう。朝7時過ぎに突然、鼻水が出てくる。誰かの風邪のウィルスを検知し、鼻水が出てくる。出社するのだろうか、朝9時までには、鼻水が出てこなくなる。しばらくの間、毎日繰り返された。又、不快な異臭も伴っている。動物の死のような表現できない、異臭だ。平日の日中は、不在する為だろうか、鼻水・異臭は無い。夜の11時頃、朝と同じ環境が発生する。これは、他室からだなあ。そう思い、天井等隙間がある所にテープを張り,遮断を実施。押入れは隙間テープを張って、遮断対策を実施。完全にテープで遮断出来ている訳では無いが、改善効果を感じた。しかし、ある日の昼頃、突然胸が苦しくなった。呼吸困難だ。慌てて部屋の外に...恐ろしい話

  • 続・悲しい話

    夫の深い悲しみ老夫婦が散歩していた。健康的な散歩ではなく、無理矢理歩いている。体格が人並み以上に立派な夫と、とても小柄でひ弱く見える妻。どうも奥さんは、重い病気と見える。夫が気遣っているのがわかる。老夫が妻を介助しながら、無理せず歩いていた。夫婦のことは知らない。あの夫だと若い頃は無茶をして、妻を泣かせたのだろうなあと思った。年老い、妻の有難さがわかった如く、妻を補助している。数か月、その夫婦の散歩を見ていた。(誰かどうにか助けてくれ、と叫びたくなる)夫は妻に「許してくれ、早く元気になってくれ。」と聞こえるようなしぐさが見える。しかし、突然、その夫婦の散歩は途絶えた。続・悲しい話

  • 不彌国から邪馬台国へ

    不彌国から邪馬台国魏志倭人伝から邪馬台国を探求するも、300年以上明らかにされない。帯方郡から奴国までのルートは、ほぼ固まっているが、奴国から不彌国、不彌国から投馬国、投馬国から邪馬台国が不鮮明な状況です。そこで、不彌国から邪馬台国のルートを示し、賛同者を多く集めたいと思います。1.なぜ伊都国経由奴国か?奴国は西暦57年中国皇帝である光武帝から金印を授けられた。又、伊都国は自らを倭国王と称し、奴国王同様、朝貢した。西暦107年です。しかし、倭国王は金印を手に出来なかった。金印は国家に1つだけの物で、2個目は無かったのです。西暦230年頃の魏の訪問団は、そのような経歴の国々に挨拶を希望した。2.なぜ奴国から不彌国へ行ったか?伊都国王や奴国王に謁見した後、本来の目的である邪馬台国へ行き、卑弥呼に謁見する。その時、奴...不彌国から邪馬台国へ

  • 悲しい話

    息子が迎えに来た夜7時過ぎ、近くのスーパーに出かけ、ビールを飲む習慣が続いた。すると、いつもスーパーのベンチに座る老婆に出会う。「おばあちゃん、もうすぐ夜9時になるよ。帰らなくてもいいの?」「えええ、息子が間もなく迎えに来てくれるの。それを待ってるの。良い息子でネ。」おかしい。このやり取りを何回繰り返したことやら。その気配が無い。そして、しばらくして、老婆がベンチに座っているのを見かけなくなった。悲しい話

  • 浅野内匠頭

    浅野内匠頭と言えば、赤穂浪士です。12月の暮れには赤穂浪士がテレビ等で見れます。今回この人について語ります。忠臣蔵とも言われるこの事件、浅野内匠頭を同情する人が多い。しかし、筆者は吉良上野介義央に同情しております。更に、大石内蔵助にも同情しております。浅野内匠頭が愚かで、関わった人々が、立場によって、多大なる迷惑を被った物語と考えています。それは、現代にも生き残って活動しております。このパターンは、会社の中で感じ取られている方もいらっしゃると思います。レベルの低い部下に対して、嫌がらせを平気で行う上司。時代は過ぎても、全く変わりません。そのレベルの低い部下が、小刀で斬り付けてきました。吉良は切られました。しかし、お坊ちゃん浅野は、小刀は斬りつける為のもではなく、刺し殺す刀という基本を知りませんでした。刀の基本を...浅野内匠頭

  • 歯医者さん

    歯医者さんには強烈な印象を根深く持っている。60数年前、小学校入学前の私は、虫歯を経験。大変痛かったので、歯医者さんに飛び込んだ。両親は仕事で夜まで帰ってこない。親が帰ってきたら歯医者さんに連れて行ってもらおう、といった悠長な環境では無い、とにかく痛い。子供だから社会の約束事など、一切知らない。痛みをなくしてもらいたいの一心で飛び込んだ。何か色々聞かれたが覚えていない。帰りなさいとは言われた。しかし、私はどうにかしてほしいとお願いした。すると、親切にも、治療をするので、そこに座れと言われ、治療を受けることになった。突然、あーんと開けた口の中に、ドリルが入り、痛い虫歯を削りだした。「ぎゃああー!!!」虫歯を削って詰め物をするのが、治療の基本。この一撃で、私は歯医者さんから逃げ出した。虫歯は痛い、しかし、あの治療の...歯医者さん

  • 古代日本を思う

    私は67歳。(2020年10月5日現在)最近、日本の姿が少しだけ見えてきたと思う。話は、縄文時代から始まる。ここで、歴史の年代をおさらいする。旧石器時代紀元前14000年縄文時代紀元前14000年~紀元前10世紀?弥生時代紀元前4世紀~紀元後3世紀中頃古墳時代紀元後3世紀~7世紀飛鳥時代西暦592年~710年奈良時代西暦710年~794年平安時代西暦794年~1185年旧石器時代はさすがにコメントできないが、縄文時代から話をしたい。縄文時代は大雑把に言うと、1万年経過している。1万年って解ります?今生きている我々は、20世紀とか21世紀時代の人間だと、理解出来ると思う。しかし、たかだか2000年。1万年はこれが5回繰り返さる、とてつもない時間。イエスキリストが生まれ、聖徳太子が生まれ、源頼朝が鎌倉幕府を開き、草...古代日本を思う

  • 改・邪馬台国への道

    邪馬壹国へのルート抜粋対馬国狗邪韓國から始めて海を渡り、1000余里で到着一大国対馬国から海を1000余里で到着末廬国一大国から海を1000余里で到着伊都国末廬国から東南500里で到着奴国伊都国から東南100里で到着不彌国奴国から東へ100里で到着投馬国不彌国から南へ20日で到着邪馬壹国投馬国から南に水行10日と陸行1月で到着【不彌国から邪馬壹国への詳細】不彌国[南20日水行始]宇美川~大宰府~宝満川~筑後川~筑後川東行~投馬国(大分県日田市)[新たに南10日水行始]~三隈川~大山川~蜂の巣湖[1月陸行始]~小国町経由~南小国町~大観峰~邪馬壹国(現在の阿蘇温泉病院付近)改・邪馬台国への道

  • 邪馬台国への道

    邪馬壹国へのルート抜粋対馬国狗邪韓國から始めて海を渡り、1000余里で到着一大国対馬国から海を1000余里で到着末廬国一大国から海を1000余里で到着伊都国末廬国から東南500里で到着奴国伊都国から東南100里で到着不彌国奴国から東へ100里で到着投馬国不彌国から南へ20日で到着邪馬壹国投馬国から南に水行10日と陸行1月で到着【不彌国から邪馬壹国への詳細】不彌国[水行10日始]宇美川~大宰府~宝満川~筑後川~筑後川東行~投馬国(大分県日田市)~三隈川~大山川~蜂の巣湖[水行終陸行1月始]~小国町経由~南小国町~大観峰~邪馬壹国(現在の阿蘇温泉病院付近)邪馬台国への道

  • 邪馬台国と二年律令

    2018年6月に本屋へ行った際、大学の教授が日本史の本を出版していた。私は日本史全体の知識が無い為、卑弥呼時代の古代史を読ませて戴いた。魏志倭人伝の通り進むと九州を超え、海中にたどり着く、と書いてあった。本を出版する程の大学教授にして、このレベルかと、ショックを受けた。この教授、3世紀に現代のベンツ車で邪馬台国へ行ったような書き方。邪馬壹国への行程は、「二年律令」を知らずして語れない事を伝えたい。中国湖北省の張家山にある前漢時代の墓から「二年律令」が出土。二年とは、前漢二代皇帝・恵帝没後、その母が摂政した時代。漢書の地理志によると、漢帝国は東西9000余里、南北13000余里と広大。一人の皇帝が統治するには工夫が必要だった。遠く離れた官吏から素早く指示・報告を入手しなければ国が危うい。そこで、「二年律令」の”以...邪馬台国と二年律令

  • 秋山参謀の戦略 (復活版)

    東郷平八郎閣下が1番信頼したのが、秋山真之(さねゆき)という、海軍大学校の教官でした。東郷平八郎閣下は真之を「泉が溢れんばかりの知恵者」と称しました。日本海海戦の戦略は参謀秋山真之が立案・実践されました。日本の連合艦隊の戦力は、戦艦4隻、巡洋艦23隻、駆逐艦・水雷艇すべてを含んで、全108隻。対し、バルチック艦隊は、戦艦8隻、海防戦艦3隻、巡洋艦9隻、他駆逐艦等全38隻。日本は、船の数では多いのですが、烏合の衆の状態。戦艦「三笠」のみ最新鋭艦でしたが、残る3隻は、戦艦でありながら、戦艦とは言えない旧式。米・英等大方の国は、バルチック艦隊の勝利を疑いませんでした。それ程、バルチック艦隊は、攻撃能力・防御能力・戦歴能力は圧倒的にバルチック艦隊の方が強力でした。そんな敵に対し、秋山は、バルチック艦隊に対し、七段構えの...秋山参謀の戦略(復活版)

  • 東郷平八郎のあっぱれなる失敗 (復活版)

    連合艦隊はT字戦法で、バルチック艦隊を攻撃しておりましたが、突然敵の艦隊の旗艦がバルチック艦隊の列から離れ、北へ逃走致しました。海戦というのは、敵の旗艦を倒すことが基本で、旗艦を倒すことにより、指揮命令系統を混乱させます。旗艦というのは、大将ですので、まずは、旗艦を倒すことに集中する訳です。連合艦隊旗艦「三笠」に乗る東郷は当然、敵の旗艦「クニャージ・スヴァーロフ」を追いかけます。「左90度に転回せよ」と各艦に指示致します。東郷の指揮する第1艦隊は指示通り、転回致しました。しかし、第2艦隊は、転回しませんでした。第2艦隊は、大半のバルチック艦隊が、旗艦とは90度相違して、東へ逃走の構えに気付いた。バルチック艦隊内では、旗艦が故障しているのを承知でした。これを見逃さなかったのが、第2艦隊参謀の佐藤中佐でした。参謀は...東郷平八郎のあっぱれなる失敗(復活版)

  • 東郷平八郎閣下(復活版)

    東郷平八郎は、寡黙な人でした。とにかく、しゃべらない。丁度、私のような人でした。講談なんて語る人ではありませんでした。日本海海戦の時、連合艦隊司令長官として、海戦を陣頭指揮しました。海戦時、敵艦に大砲が命中するよう、艦橋から指示を出しています。艦橋というのは船の中で最も危険な場所でした。東郷平八郎は艦橋にいて、部下の幕僚に「幕僚たちは、司令塔へ待機せよ」と命令しています。東郷が死しても、替わって海戦を指揮できる幕僚を確保し、指揮命令の継承が断ち切れないようにしたのです。又、指揮する戦艦「三笠」というのは、当時の最新鋭艦で、分厚い鉄板の船でしたので、海戦時、敵艦の砲撃が「三笠」に集中するようにし、か弱い味方の艦に大砲が集中しないように戦いました。”皇国の興廃この一戦に有り、各員一層奮励努力せよ”と号令し、この海戦...東郷平八郎閣下(復活版)

  • 東郷平八郎大いに悩む (復活版)

    1905年(明治38年)5月、東郷は悩んでおりました。バルチック艦隊がどのルートで来るか。バルチック艦隊は、1904年10月15日、極東をウラジオストックに向け出発しました。203高地付近を支援している、旅順艦隊の応援でした。バルチック艦隊というのは、ロシア帝国の第二太平洋艦隊及び、第三太平洋艦隊、2つの大艦隊を総称して、バルチック艦隊と云います。では、第一太平洋艦隊はと申しますと、旅順艦隊の事です。ところが、支援される旅順艦隊は、航行の途中の1905年1月に、全滅しました。203高地付近で、1万5千人の部下を殺した、乃木希典に代わり、児玉源太郎が指揮を交代し、203高地を奪還、203高地の高台より、旅順艦隊を砲撃し、殲滅しました。その4か月後、半年かけて支援に来たバルチック艦隊と東郷がまみえるのでした。東郷の...東郷平八郎大いに悩む(復活版)

  • 方丈記に思う

    方丈記を書いた、鴨長明をご存知でしょうか。一般的には、聞いたことがある、というレベルでは。鴨長明を取り上げたのは、900年前の人物が全く現代人と変わりがない考え方を持つ、からです。鴨長明(1155年~1216年)の方丈記は、3大随筆「徒然草」「枕草子」の1つです。この随筆の特徴は、歴史書でもあり、哲学書でもあり、単なる日記でもある事です。彼は京都・下鴨神社の禰宜の次男で従5位下のエリートでしたが、父の死後、天敵に出世を妨げられました。結局、京都の山奥の方丈(四方)庵で、隠居生活を送りました。方丈庵で書いたので、方丈記と命名。方丈記の書き出しは、行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。方丈記のテーマは1つ。うたかた(泡)です。私はど...方丈記に思う

  • 和を以て貴しとなす(簡易版)

    603年冠位十二階、604年十七条憲法を聖徳太子が定めた。十七条憲法で有名なのが、和を以て貴しとなす、です。制定から1,400年以上経過後も、なお、現代人に賛同されている考え方です。これはなぜか、考古学をかじってきて、気が付いたことがあります。人の心のありようは100年・200年位では変化しない。そして604年からこの新しい考え方が広まったのかというと、そうでは無く、1400年経過しても変わらない考え方は、もっと深い歴史を経過して、盤石な基礎を積み重ねていった結果と考えます。そして、それは縄文時代に築かれていた。と考えるようになった。縄文人の性格は、少数精鋭で対等な立場で狩りをし、相手の失敗も許容するおおらかな性格が有った。狩猟や木の実栽培等で食を満たすのだが、備蓄するする物は限られていた。備蓄しようにも電気冷...和を以て貴しとなす(簡易版)

  • 邪馬台国は「蜂の巣湖」がカギ

    邪馬台国のカギは「蜂の巣湖」。これは、昭和になって出来た湖と解釈され、見過ごされた。下筌ダム(しもうけダム)、これで、蜂の巣湖が生まれたと、考古学者は真実を知り、「蜂の巣湖」を無視。これが、邪馬台国への道の誤り。ダムを作るほど水量が有ったのだ。入江加月を検索。邪馬台国は「蜂の巣湖」がカギ

  • 古代日本を思う

    古代日本を思う私は67歳。(2020年7月5日現在)最近、日本の姿が少しだけ見えてきたと思う。話は、縄文時代から始まる。ここで、歴史の年代をおさらいする。旧石器時代紀元前14000年縄文時代紀元前14000年~紀元前10世紀?弥生時代紀元前4世紀~紀元後3世紀中頃古墳時代紀元後3世紀~7世紀飛鳥時代西暦592年~710年奈良時代西暦710年~794年平安時代西暦794年~1185年旧石器時代はさすがにコメントできないが、縄文時代から話をしたい。縄文時代は大雑把に言うと、1万年経過している。1万年って解ります?今生きている我々は、20世紀とか21世紀時代の人間だと、理解出来ると思う。しかし、たかだか2000年。1万年はこれが5回繰り返さる、とてつもない時間。イエスキリストが生まれ、聖徳太子が生まれ、源頼朝が鎌倉幕...古代日本を思う

  • 志賀島の金印

    志賀島の金印志賀島の金印は、漢の倭の奴国王と読まれているが、正しくは、漢のイト国王と読むべき。金印は中国皇帝から国王に贈られる最高権威で唯一の印です。国王の配下の者に金印は贈りません。贈るとしたら、銀印か銅印になります。又、「倭」の文字を避け「委」を使用。よって、漢の倭の奴国王と読めません。漢のイト国王となります。この金印は、西暦57年奴国王が光武帝より拝受も、西暦107年日本初の倭国王は安帝から授けられませんでした。倭国王と認定しているのですから、奴国より大国と認めているにもかかわらず、中国皇帝は倭国王に授けませんでした。金印は国に唯一のものですから、2個目は有りません。ここが、イト国王と読む要因です。奴国と伊都国の現地を見ればわかるように糸島付近は、どちらの国にも入ってしまいます。又、中国・倭国共初見参の為...志賀島の金印

  • 再出発

    ブログを持っていたスマホが故障し、スマホを買い換えました。すると、前のアドレス等が使えなくなり、結局、新規で新規のスマホによる新ブログを開設しました。旧カラス/東郷平八郎の者です。気分も一心に新ブログへ挑戦いたします。再出発

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