自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答
神が存在するかどうかの問題は人類の永遠の課題ですが比較宗教学・比較文化では存在論としての信ぴょう性はその筋の学者にお任せしています。その代わりキリスト教、仏教、ヒンズー教、イスラム教等の信徒を統計的、臨床的に洞察しつつ何を見ているか、神仏をどう見ているか、その信じ方のありようを洞察して「信じて見えているもの、見えないもの」を学問として理解しようと努力しています。例えば私の場合、カトリツクの三位一体の愛である神を信じた時に見えた親の愛は、信じる前のものと相当違いました。高校時代に洗礼を受けましたが煩い親の干渉が何とも言えない深い親の愛として理解出来ました。何気ない散歩の途中に見るアリの大群が自然の摂理という美しいものに変身しました。身辺の悲劇の奥にある意味を考えるようにもなり、過去の歴史の解釈も激変しました...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答
2024/05/31 06:00