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たつやの古代旅日記 8-9
第8章 明鏡止水 第9節 「流正くん、考古学をしていて、今日回ったところに古墳があるじゃない その遺跡調査があったら参加しますか」 「そら、機会があれば でも、古墳時代の発掘調査より、縄文時代や弥生時代の調査の方がいいなぁ」 「私、今日回ったところで、物部氏族
2024/07/21 11:53
たつやの古代旅日記 8-8
第8章 明鏡止水 第8節 「この辺りが、息長郷なの」 「この橋を渡れば、山津照神社があるけれど 今では天野川と言っているけれど、昔は息長川と言っていた それで息長小学校があったり、息長郵便局があったりする ここには息長町も存在していて、息長郷と言っていいと思う」
2024/07/20 06:23
たつやの古代旅日記 8-7
第8章 明鏡止水 第7節 明子と流正は、安土城考古博物館を後にして、米原の方へ向かった。 「流正くん、息長氏族は海人系だったのでしょ 昔」 「息長氏で最初に浮かぶのが、神功皇后かなぁ 息長帯比売命」 「神功皇后のこと、以前調べたことあって 神功皇后の父は、息長宿
2024/07/18 23:59
たつやの古代旅日記 8-6
第8章 明鏡止水 第6節 「安土城と言えば、織田信長が天下を取るために築いた城で、東を固めるために長浜に秀吉を、京都の将軍との交渉に坂本に明智光秀を置いて、体制を固めた そうでしょ」 「そうですね でも今日は、安土城跡ではなく、大中の湖南遺跡がメインです」 「
2024/07/12 19:28
たつやの古代旅日記 8-5
第8章 明鏡止水 第5節 「勝部神社は、隣町 車に乗ってすぐだから」 流正は、明子を助手席に乗せた。 「このあたりが、物部郷なのですね」 「物部郷には、伊勢遺跡、下ノ郷遺跡、下長遺跡も入っています」 「物部郷は、全国にもあったようですけれど、滋賀県ではここだけ
2024/07/11 05:55
たつやの古代旅日記 8-4
第8章 明鏡止水 第4節 明子と流正は、伊勢遺跡史跡公園の駐車場に車を置き、公園の展示施設に向かった。 「まぁ、立派な建物」 「まだ、新しいからね 明子さん入ろう」 「ゆったりしていて広いね」 「このホールは、弥生時代後期に独立棟持柱付大型建物があったところで
2024/07/07 11:28
たつやの古代旅日記 8-3
第8章 明鏡止水 第3節 流正は明子との連絡通りに、朝早く自宅の京田辺を車で出た。以前、明子を車に乗せて、家まで送ったことがあった。その時に降ろした場所に、喫茶店があって、そこで明子が待っているとLINEが来ていた。 「明子さん、おはよう」 「朝早くから呼び出し
2024/07/06 18:17
たつやの古代旅日記 8-2
第8章 明鏡止水 第2節 たつやの部屋を出た明子は、琵琶湖周辺にいた縄文人(物部氏や息長氏や安曇氏の祖先)のことを調べるために、図書館によった。そこには、坂本市や米原市や長浜市の縄文時代の遺跡資料があった。これらの資料をコピーして、明子の部屋に戻った。 明子は
2024/07/05 21:24
たつやの古代旅日記 8-1
第8章 明鏡止水 第1節 大阪から帰ってきたたつやは、講演に必要であった資料の整理をしていた。すると、その資料の中に『琵琶湖の縄文時代について』というメモ書きが紛れ込んでいた。大阪の講演で、琵琶湖のことも話そうと思って、資料の中に入れておいたようです。 その
2024/07/02 20:31
2024年7月 (1件〜100件)
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