chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
ぴーまん
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/04/15

arrow_drop_down
  • -ボルネオ・ブルネイ・スマトラ・パフアニューカレドニア-(GHQ焚書図書開封第167回)

    GHQ焚書図書開封第167回-ボルネオ・ブルネイ・スマトラ・パフアニューカレドニア-西インドとはインドを中心にして、西半球全体、東インドは、東半球全体を指していた。蘭領東インドは東インドの一部の蘭領地域を示している。蘭領東インドは、主として回教圏であり、王族が分割して支配しており、統一国家はなかった。英領ボルネオは、1824年の英蘭協定によってイギリスが獲得したもので、北ボルネオ、ブルネイ、サラワクからなっている。イスラム教サルタンの所領であったが、1898年、サルタンから一部割譲した。「権利が先で事実は後」という先進国の横暴の結果であった。北ボルネオの産物は、木材、サゴ、コメ、ヤシノミ、ゴム、コーヒー、果実、肉豆冠(ニクズク)、胡椒、樟脳、藤、タピオカ、甘薯、石炭、鉄、金、鉱油であった。面積は31,10...-ボルネオ・ブルネイ・スマトラ・パフアニューカレドニア-(GHQ焚書図書開封第167回)

  • -強制栽培制度を正確に批判した関嘉彦先生-(GHQ焚書図書開封第166回)

    GHQ焚書図書開封第166回-強制栽培制度を正確に批判した関嘉彦先生-明治維新前に、すでに太平洋の島々は欧米諸国に侵略されていた。1824年の英蘭ロンドン条約締結までは、東インド地域は英蘭の権益争いの場であった。条約締結後も、イギリスは、蘭領東インドのアチエ民族をそそのかし、オランダの覇権を奪うためアチエ戦争を裏で操るなどオランダの勢力低下に力を注いだ。1805年のトラファルガーの海戦から第一次世界大戦までの100年間は、イギリスが統治する平和の時代(パクス・ブリタニカ)だった。主食の米づくりを封じて、輸出用としてお茶、コーヒー、藍、砂糖を強制栽培させてことが、インドネシアの人たち(土民、原住民)を苦しめた。植民地での出来事は王室の関係者と現地総督以外には知らされず、具眼の士が暴露小説を書いて本国国民に植...-強制栽培制度を正確に批判した関嘉彦先生-(GHQ焚書図書開封第166回)

  • -目を凝らして見よ『近代の闇』-(GHQ焚書図書開封第165回)

    GHQ焚書図書開封第165回-目を凝らして見よ『近代の闇』-西夷の海上に跋扈すること、幾度三百年にして土彊は日に廣く、意欲の日に満つるは、是れ其の智勇の大いに人に過絶する者あるか。仁恩の甚だ民に給うべきか。禮楽、刑政の脩備せざるなきか。抑も神造鬼設にして、人力の能くなす所にあらざる者あるか。而も皆、然るにあらざるなり。彼の其の恃みて以って技脩を逞うする所の者は獨り一耶蘇教あるのみ。つまり、水戸學では、歴史を動かしている主要モチーフは、キリスト教であると洞察している。1550年~1850年の間の300年は、ヨーロッパでは宗教内乱(軍事革命)の時代であり、キリスト教が侵略の先兵の役割をした時代であった。日本はこの時期、鎖国時代であり、外の世界は生々しい悪魔的世界とみており、そしてその原因はキリスト教であり、敵...-目を凝らして見よ『近代の闇』-(GHQ焚書図書開封第165回)

  • -「閉ざされた西洋」を知る-(GHQ焚書図書開封第164回)

    GHQ焚書図書開封第164回-「閉ざされた西洋」を知る-イングランド王国前史-アングロサクソン七大国物語-スコットランド・ルネサンスと大英帝国の繁栄ヴィクトリア文化の諸相ヴィクトリア朝英国の食事と生活薔薇戦争の新史イギリス王室1000年の歴史メイドと執事の文化誌-英国家事使用人たちの日常-英国メイドの日常英国ティカップの歴史使用人の見た英国の二十世紀2014/10/9御茶ノ水丸善店頭の英国紙コーナー上記が現代日本人が、貴族・世界の王者としてイメージしている英国像である。戦前の日本人がイメージしていた英国像は「アジア侵略秘史」によると太平洋の島々を侵略していたという国家である。東部・ハワイ群島・ワシントン島・ファニング島・フェニックス島・サモア島・トンガ島・マルデン島・マーケサス島・ソサェティ島・バウモウ島...-「閉ざされた西洋」を知る-(GHQ焚書図書開封第164回)

  • -太平洋に嵐を呼ぶ日本人とオランダ人-(GHQ焚書図書開封163回)

    GHQ焚書図書開封163回-太平洋に嵐を呼ぶ日本人とオランダ人-寛永元年(1624年)スペインとの通商が禁止され、寛永16年(1640年)には、オランダ、支那を除く国に対して鎖国令が出された。その年、オランダのバタビア総督は、エンヘル号とフラフト号を派遣し、クアストとタスマンの両名に日本近海の北海を探検させていた。徳川幕府の独占貿易は御朱印船により行われていた。四代将軍(徳川家綱)のとき、佐倉藩主の苛斂誅求な税の取り立てに抗議して、佐倉惣五郎事件が発生した。鎖国令が出された前後、進取の気風に富んだ日本人は、台湾、フィリピン、シャム、安南へと渡航し活躍した。原田孫七郎(ルソン)、呂栄助左衛門(ルソン)、小笠原貞頼(小笠原)、松本七郎兵衛(安南)、山田長政(暹羅)、荒木宗右衛門(安南)、濱田彌兵衛(台湾)など...-太平洋に嵐を呼ぶ日本人とオランダ人-(GHQ焚書図書開封163回)

  • -「鉄砲伝来」(1543)から現代を考える-(GHQ焚書図書開封162回)

    GHQ焚書図書開封162回--「鉄砲伝来」(1543)から現代を考える-日本とオランダとの交易の道を開いたウィリアム・アダムス(三浦按針)。慶長14年、オランダ国王の書簡により、スペイン、ポルトガルが日本から退くことになった。プロテスタントのオランダは、カトリックのスペイン、ポルトガルと違い政経分離の重商主義政策を強調し、日本との交易を望んだためである。鹿児島に鉄砲伝来後、信長の関心は武器と比叡山焼き討ちに見られるように宗教に対しての政治の優位性を示すことであった。時を同じくして起こったインドネシアでのアンボイナ事件もあり、イギリス及びオランダとの貿易は、オランダ一国に絞られていった。秀吉時代は、石田三成、小西行長、加藤清正もキリスト教信者であった。アンチキリスト教政策は、寛永11年から始まり、13年に海...-「鉄砲伝来」(1543)から現代を考える-(GHQ焚書図書開封162回)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ぴーまんさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ぴーまんさん
ブログタイトル
S & A
フォロー
S & A

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用