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現代語訳『明智軍記』巻一 (4)「朝倉義景永平寺参詣事付城地事」
現代語訳『明智軍記』巻一 (4)「朝倉義景永平寺参詣事付城地事」朝倉義景の父親・弾正左衛門孝景の十七回忌に当たるので、義景は永禄七年(1564)三月二十二日の明け方に一乗谷をお出かけになり、吉祥山永平寺に参詣しました。 諸閣を巡ったあと、義景は永平寺の開基につい
2018/12/31 17:00
現代語訳『明智軍記』巻一 (3)「明智光秀鉄砲誉事付諸国勘合事」
現代語訳『明智軍記』巻一 (3)「明智光秀鉄砲誉事付諸国勘合事」こうして、朝倉義景は日を追って威勢が盛んになったので、加賀は言うまでもなく、能登・越中までもその命令に応じるようになりました。 さてまた、若狭の武田大膳大夫義統も縁者なので、朝倉家の幕下に属し
2018/12/30 17:00
現代語訳『明智軍記』巻一 (2)「従越前鎮加州之一揆事」
現代語訳『明智軍記』巻一 (2)「従越前鎮加州之一揆事」やがて永禄五年(1562)の秋、加賀の郷民たちが一揆を起こし、越前の屋形・朝倉左衛門督義景の命令に背く事がありました。 加賀・能登・越中は先年から一揆が蜂起し、一向宗の本寺である摂津大坂の本願寺に従って、政
2018/12/29 17:00
現代語訳『明智軍記』巻一 (1)「美濃国守護事付明智入道宗宿事」
現代語訳『明智軍記』巻一(1)「美濃国守護事付明智入道宗宿事」よくよく和漢の伝記について考えて、国家の治乱や人身の存亡を調べてみると、ただこれは人の心は善悪の道から分かれて、ついには盛衰・吉凶が決まるのです。 善いことをする人には、天はこれに福をもって報い
2018/12/28 17:00
毛利元就の手紙を読む その10
【原文】毛利元就自筆覚書(『毛利家文書』412号) 覚一、談合等、余所へ之使者なとに、向後者、隆元おし立可被申聞事、 付、元就助言之事、 付、先内談之事、一、余所へ之状、日夜共、隆元認させらるへき事、一、隆元直可被申付事を、誰々も更異儀ゑゆひ候ま
2018/12/28 09:17
毛利元就の手紙を読む その9
【原文】毛利元就自筆書状(『毛利家文書』411号)旧冬佐東表書立、同我等存分之通、条々申候、巻物返給候、請取申候、理たて共申候事、近比口惜こそ候へ、さりなから、何之中ニても、物之ことハりと申事ハすミ候ハてハ不叶物にて候、それこそほんニて候まゝ、申事候〳〵、其上
2018/12/28 03:33
足利義詮御教書(『毛利家文書』5号)/足利義詮安堵御教書(『毛利家文書』6号)
【原文】足利義詮御教書(『毛利家文書』5号)参御方、可抽軍忠之状如件、 貞治五年九月二日 (花押) 毛利右馬頭殿 【読み下し】御方に参り、軍忠を抽んずべきの状件の如し、 貞治五年九月二日 (花押)毛利右馬頭殿 【現代語訳】味方に参
2018/12/27 17:16
毛利貞親自筆譲状(『毛利家文書』4号)
【原文】毛利貞親自筆譲状(『毛利家文書』4号)譲与、安芸国吉田郷者、自祖父寂佛之手、亡母〈亀谷局〉譲与、文永之譲状、同副状等在之、仍貞親ニ所譲給也、然者、先吉田郷計ヲ師親ニ譲給者也、不可有他妨、有限年貢等可令進済、仍譲状如件、 建武三年正月晦日
2018/12/27 15:23
毛利時親譲状写(『毛利家文書』3号)
【原文】毛利時親譲状写(『毛利家文書』3号)譲与 安芸国吉田庄〈吉田・麻原〉両郷地頭職事右地頭職者、為時親重代相伝所領之間、所譲与孫子毛利孫太郎親茂也、不可有他妨、祇園一切経会、関東御公事等、無懈怠可令勤仕之、仍譲状如件、 元徳二年三月五日
2018/12/27 15:21
毛利寂佛〈経光〉譲状写(『毛利家文書』2号)
【原文】毛利寂佛〈経光〉譲状写(『毛利家文書』2号) 沙弥 在判ゆつりわたす所りやうの事、あきの国よしたの庄、ゑちこのくにさハしのしやう南条の地とふしき等ハ、寂佛さうてんの所りやう也、しかるを四郎時親ニゆつりわたす所也、この状ニまかせて、永代ち
2018/12/27 15:19
鎌倉将軍家政所下文(『毛利家文書』1号)
【原文】鎌倉将軍家政所下文(『毛利家文書』1号)将軍家政所下 周防国安田保住人 補任下司職事 藤原為資右人、補任彼職之状、所仰如件、住人宜承知、勿違失、以下、 建久四年四月十六日 案主清原(花押)令大蔵丞藤原(花押) 知家事中原(花押)別
2018/12/27 15:15
毛利元就の手紙を読む その8
今回読むのは、弘治三年(1557)に、毛利元就から息子の隆元へ宛てて書かれた書状になります(『毛利家文書』410号)。 やはりプライベートな内容の書状は、現代語訳がしにくく、文意が取りにくいと痛感しています。 元就が隆元に出した書状について、「赤川元保が元就を嫌って
2018/12/27 14:38
毛利元就の手紙を読む その7
今回読んでみる毛利元就の手紙は、弘治三年(1557)、元就が61歳の時に、息子・隆元に宛てて書かれたものです。 「桂元忠・児玉就忠に奉行衆並みの土地を与えたい」という隆元からの相談に対して、「二人だけを取り立てれば、他の者たちが不満に思うので、そのままにしておけ
2018/12/27 06:19
毛利元就の手紙を読む その6
前回の「毛利元就の手紙を読む その5」では、元就の三人の息子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)が元就に対して出した書状を取り上げました。 今回は、三人の書状を受け取った元就が出した、三人への返事を取り上げます。 発給年次は弘治三年(1557)に比定されています。
2018/12/27 06:16
2018年12月 (1件〜100件)
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