角川文庫発刊に関して 角川源義 第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験した。西洋近代文化の摂取にとって、明治以後八十年の歳月は決して短かすぎたとは言えない。にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層と...
30 名歌はなぜ名歌か 名歌は、「名高い歌、すぐれた歌」と意味づけられている。 かつて、茂吉は言った。「優れた歌は<写生>によっている、と。また、迢空は言ったる「雪をぎゅっと握りしめると、水になって手の中から消えてしまう。それが歌だ」と。 現代の名歌は、どんな歌なのだ?宮 柊二竹群に朝の百舌鳴きいのち深し厨にしろく朝の鹽佐藤佐太郎あじさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼木俣 修地平の...
29 卵をつぶしたコロンブス あなたは、一人の歌人として、批評家から焼けつくような熱いまなざしを送られたことがあるか? 短歌は、言うまでもなく、我が国の伝統的な定型詩である。 だから、その短歌に関わって批評を書く行為とは、最も遠い地点から敢えて接近を試みる途方もなく困難な行為なのだ。「歌壇には批評家がいない」と、よく言われる理由の一つがここにある。 歌壇に於ける批評家達は、散文によって、歌人とその...
28 戦後青春の系譜 青春の一回性とは価値紊乱者の行為の別称であるだろう。 全ての価値をひとたび相対化せんとする意欲の中にこそ、そのシャトーやヴァンテージを越えた豊穣な葡萄酒の普遍的したたりがある。 泣き濡れて蟹と戯れ、幾山河を越ゆる淋しさに耐える者として歌われ続けてきた短歌に於ける青春の定式にとって、佐佐木幸綱の青春歌は新鮮な驚きであった。 デモのスクラムではなくラグビーのスクラムを、忍ぶる恋で...
27 挽歌・故郷に帰る しかし、九州のとある村で掘り出された鏡には、鳥のような一つの姿がかすかに刻み残されていた。海峡の潮に灼かれながら、千余里を翔びわたってきた情念の匂いがその痕跡から伝わる。 出奔の道のり遥かさを告げるためには、人々との間にいざよう七つの浪が必要であった。 人馬座への献辞、死者や失踪者への挽歌、「西行」への相聞哀悼篇……… はるか東の方から風が運ぶ千の言語のざわめきのこちらで、日...
26 風・・・・・・ 風は、軽やかに世界を吹き抜ける。 風は、さわやかにありとあらゆるものの間を吹き抜ける。 風は、今日、私とあなたとの間を冷ややかに吹き抜けた。 風は、吹き来たり吹き去って、その後にはただひと掬いの悲しみだけが残されている。山崎方代宿なしのわれの眼玉に落ちてきてときりと赤い一ひらの落葉こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろにワレハるなりこんなところに釘が一本打たれいていじれば...
〇 逆転し二対一で独逸に勝つ!サッカー日本、ドーハの喜劇! 鳥羽散歩 国営放送・NHKのアナウンサーが、未だ真夜中だというのに、「勝った!勝った!」と怒号を上げている。 私としては、「何が勝っただ!一弗が百四十数円という円安なのに、勝ったも無いもんだ!真夜中にこんなことをしているから受信料を払いたくなくなるんだよな!私にだって安眠権があるんだぞ!」とばかりに、チャンネルボタンをあちらこちらに回...
「山中律雄第五歌集『淡黄』(現代短歌社・2022年)」を読む(其のⅡ) 「歌集」という拘禁から脱し得た時、「連作」という呪縛から逃れ得た時、一首の短歌の前には、如何なる恍惚境が待っているのか?
〇 死者生者けぢめなくして暁の夢に睦みて言葉をかはす〇 しろうをの透きとほる身をはかなめど口にはこべば口がよろこぶ〇 震災の津波に逝きし人あはれ型ひとつなる位牌がならぶ〇 墨染めの僧衣まとひて乗るバスのわれの傍へに人は座らず〇 窓外にスコップ使ふ人のゐてすこやかげなる音は身に沁む〇 相殺ののちも良きことあまたなるわれのひと世を妻に感謝す〇 そのときの加減におなじ色のなき...
「山中律雄第五歌集『淡黄』(現代短歌社・2022年)」を読む(其のⅠ) 「歌集」という拘禁から脱し得た時、「連作」という呪縛から逃れ得た時、一首の短歌の前には、如何なる恍惚境が待っているのか?
〇 行き千歩帰り千歩といくばくの坂道を来て沼のべに立つ〇 諍へることなくふたり暮しゐて妻よあなたはしあはせですか〇 大きなる鯉のあふりにたゆたへる水の濁りはしばしにて澄む〇 こころざしどうでもよくて還暦を過ぎていちにちいちにち迅し〇 おのずから窪みにみづは集まりて秋の干潟にひかりを返す〇 海上に雲去りゆきてはつ夏の風吹く街は空軽くなる〇 公園の空よりくだり来し鳩が木立の...
23 拓かれた戦後 戦後という時代は、例えて言えば、道のない時代であった。いや、交錯した何本かの近代的な道の設計図は示されたのだが、人々はその前で途方に暮れていた時代であると言った方がよい。 また、戦後という時代は、何か新しい日常の道具を手に入れることの必要性を、人々が痛感していた時代というふうに言ってもよいかと思われる。 いずれにせよ、三十年前の私達の前には、この国の荒廃した風景が広がっていた。...
「木下のりみ第三歌集『真鍮色のロミオ』(・2022年)」を読む(其のⅥ) 「歌集」という拘禁から脱し得た時、「連作」という呪縛から逃れ得た時、一首の短歌の前には、如何なる恍惚境が待っているのか?
〇 前歯なき子供かわゆし前歯なき大人おそろし何故ならむ〇 巻き上がる蔓に支柱の尽きたれば深さ果てなし天上の青〇 眉剃りし野球青年負けて泣くくちびる噛むとき眉毛は大事〇 真夜中のガラスをたたくかなぶんぶん真鍮色の小さなロミオ〇 水面より足逆立てる不可思議の美ありて人はこれを競り合う〇 身の盛りともしきろかも風に伏しし萩のひとむら起き上がりたり〇 虫たちがまだ続けいる輪唱に...
「木下のりみ第三歌集『真鍮色のロミオ』(・2022年)」を読む(其のⅤ) 「歌集」という拘禁から脱し得た時、「連作」という呪縛から逃れ得た時、一首の短歌の前には、如何なる恍惚境が待っているのか?
〇 撫でて抱いてぼんちゃんの命を手の平に載せていし罪こころを暗す〇 波乗りに飽きたる男のシルエット点景として秋ふかむ海〇 二十人というは多いか少ないか国際フジツボ学会参加者〇 日本人を守らんがため派兵するなどと言い出し始めましたよ〇 脳幹に血は広がりて術は無し舅の眠りはふかき水底〇 野火目守る男らは面熱ほてりつつ影となりゆく煙の中に〇 吞んで帰るふたり転ばぬように手をつ...
「木下のりみ第三歌集『真鍮色のロミオ』(・2022年)」を読む(其のⅣ) 「歌集」という拘禁から脱し得た時、「連作」という呪縛から逃れ得た時、一首の短歌の前には、如何なる恍惚境が待っているのか?
〇 焚き染めし御衣の姫を抱くやうにうち伏すセージの葉むらを起こす〇 抱いてやろうと犬にいうとき私が抱いてほしいと犬は知ってる〇 ちゃらぽっこ 壁に椿象ぶちあたりテレビの首相の鼻先にとまる〇 治療止めし和顔の患者は医師なりき知の苦しみを持ちてありけむ〇 つぎつぎと花屋は箱を運び込み菊の香満ちる喪の家となす〇 津波来ればあなたは逃げよ僕は犬と残るこの愛どう考えるべき〇 デン...
「木下のりみ第三歌集『真鍮色のロミオ』(・2022年)」を読む(其のⅢ) 「歌集」という拘禁から脱し得た時、「連作」という呪縛から逃れ得た時、一首の短歌の前には、如何なる恍惚境が待っているのか?
〇 死者となりてゆらぐことなき存在は十年ベッドに動かざりし姑〇 試着する春服はみどりやがて来る季節のすみにたたみ皺あり〇 秋冷にけやきは立てり青蝉の行き止まりかも尽く尽くと鳴く〇 白梅にかすむ苑生は養花雨にぬれてこばめり人の気配を〇 末黒野にふたたび野火のかぎろいを見せたり村は夕映えのとき〇 生物学者のお持たせカメノテ頭無く甲羅のなきをゆでて食せり〇 戦後初の戦闘に死ぬ...
22 戦後櫻はどう歌われたか さくらびと 夢になせとや亡命の 夜に降る雪をわれも歩めり 山中智恵子 さくら花 幾春かけて老いゆかん 身に水流の音ひびくなり 馬場あき子 さくら咲く その花影の水に研ぐ 夢やはらかし朝の斧は 前登志夫 「現代短歌の新しい...
21 遅れたきた戦後 いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅 玉城徹 雨の中に山鳩鳴けりけだしわれ兵士となりし日ぞはるかなる よき人のとりわきて良きが亡びしとそぞろ寂しきに思ひ堪へめや 夕ぐれのブラハの街を足ばやに役所より帰るフランツ・カフカ 冬ばれのひかりの中をひとり行くときに甲冑は鳴りひびきたり 草の上に子...
⁅01⁆ ヤマギワにハナシ・テラダを更迭す!国会審議停滞怖れ! ⁅02⁆ 宰相の右腕にして選挙を所管するテラダ総務相⁅03⁆ 買収に裏金・偽造領収書・違法塗れのテラダ総務相⁅04⁆ 裏金の証拠文書が暴露され総務大臣更迭必至⁅05⁆ コクゾクのキシダ値上げに打ち克って生活防衛果たそう庶民⁅06⁆ 脳がない・遅い・効かない・届かない・ないない尽くしの物価対策⁅07⁆ カコさまの仰天ピンクに腰抜かす...
新新議事堂節 鳥羽抄造 日本の首都の東京のその真ん中の議事堂で平気で屁をこく嘘もこく国会議員の大半は二世か三世か知らねども先祖代々政治家で陰謀めぐらし金儲けアベちゃんタラタラギッチョンチョン遣り得・欲得・パイのパイのパイバナナ咥えてモグモグモグ二世議員の大半は阿呆か間抜けか知らねども愚息や愚妻を秘書にして帳簿改竄脱税すアベちゃんタラタラギッチョンチョン遣り得・欲得・パイのパイのパイバナナ...
⁅01⁆ 赤門に赤信号の灯る日よヒサヒトさまが赤点の危機⁅02⁆ 背伸びして追い詰められて戸惑いて授業について行けないデンカ⁅03⁆ キコ様の望み空しく赤信号 名門・筑附で学業不振 ⁅04⁆ モテギ氏の野望赫々炎上す!キシダカンテー崩壊の危機!⁅05⁆ アソー氏と葉巻燻らせご機嫌を伺いながらソーリを目指す⁅06⁆ 不成立!即、地獄行き!統一教会被害者救済新法!⁅07⁆ 「規制すべきは統一教会だけで...
本郷 谷川雁うき世の何丁目何番地ひもじい風につられて 蚤めもなにか歌うらしいあわれ本郷の古き屋根の下ポケットには電車の釣銭が鳴るああ足裏のやける夜を若い睫毛にきらつくものは乞食学生の麺麭屑のような思想か鼠のなみだかさみしい夢を眠らせている十八歳のランプの火皿みたいな頭蓋骨そいつが微塵になる日の夕焼けを昨日もちょっと考えてみたこれで人生第一部はおわったあとは娑婆の案内書を破るばかりだ秀才...
その朝も 新川和江その朝も しののめをバラ色に染めて、陽は 昇るだろうかその朝も 隣家の老人は起き抜けに、大きな嚏を ひとつするだろうかその朝も 駆けてゆく小学生の背中で、 筆箱はカタカタ鳴るだろうかその朝も パン屑は、食卓にこぼれるだろうか それを待って雀らは、ベランダに簇るだろうかその朝も 新妻がキッチンの床に取り落した白磁の皿は、 ...
20 歴史と風土 人は好むと好まざるに関わらず<ある時代>へと送り込まれてしまう。そしてまた、全く異なった二様の時代を生きざるを得ない人々がいる。一つの時代にのみ生きても、また二つの時代であっても、誰もが等しく浴びる歴史の非情、その非情を浴び尽くした時、人は風土を求めるのか、自身の根源を誰もが風土に見出そうとする。 流れてやまない歴史と動かぬ風土の間に在って、人は過去を背負い、現在を踏みしめ、また...
① 中居くん強制入院させられて「俺は絶対復活するぞ!」 ② 「杏のゐるパリへ移住」と急展開!宮沢氷魚の追っかけ渡仏! ③ 先輩は恐れ多くも小室さん!“オタク気質”の宮沢氷魚!④ 老いて後 破綻する人しない人!「孫と仲良くするひと破綻」⑤ 蓮根と鹿尾菜を食えば貧血に!柿と蟹とで身体が冷える!⑥ 第8波在宅死亡が急増す!岸田政権人命軽視!⑦ 「懸賞パワスポ」ナビゲート!当選力がパ...
夜を迎えた 新川和江そのひとを思うと水辺の草のようにまつげが濡れてくるのだった川も湖も近くには無かったから水のみなもとは隠しようもなくわたしの中にあるのだったけれどもわたしはそのことをそのひとには告げなかったもう何年も 同じ森に日は沈み同じ窓に同じカーテンをわたしは引いて 男の声 丸めた古毛布の上に、よれよれの戦闘帽をかぶせたような風体の矮男。旋盤工であったか検査工であったか、男は、私...
19 幻を求めぬ女たち 迢空の『女流の歌を閉塞したもの』を踏まえて、『女歌その後』という座談会の持たれたことがある。 ここに取り上げた中では、安永・河野(愛)・北沢・三国・大西といった大正世代が加わり、戦後の女流作品について<女の幸福に逆らって歌う女歌><幸福な和合を求める女歌><社会的な視野を広げていく女歌>といった分類も見える。 清原・百々など昭和初年生れを含めて、この七人は、十代後半から二十代...
少年は 新川和江ひとに告げたい思いがあって少年は 笛を吹いた告げてはならない思いがあって笛を吹いた 窓をあけて 新川和江勉強部屋に閉じこめられている空気は四角い空気だその中で一日じゅう机に向かっているとあたまも四角こころも四角になってくるいそいで窓をあけ空気の一角をほどいてやるさあ 飛んでゆけ家々の屋根を越え冬休みでひっそりしている中学校の庭を一周してその先は おまえの気の向くまま...
18 音楽 春日井建や浜田到の活躍華々しい昭和三十四年前後を振り返って、中井英夫は、『黒衣の短歌史』で次のように言う。 「必要ではあったけれども、一つの間違った方向、すなわち、<意味の追求>から短歌が解放されたのを感じた。短歌はようやく<純粋>に帰ったのである。」 前衛短歌の開花は、社会詠などのね「戦後有用の歌」に影響を与えて、岸上大作などを生み出すとともに、一方に定型韻律が膠着語たる日本語と相俟...
17 涙なき日本人 地下壕に待機するどの表情もみずみずし雨期の明けゆくハノイ 水野昌夫 ナホトカ港視界に消えて立ち古りし友の墓標が波間に残る 森川平八 海に向く改札口よ還り来し地とおもうまで旗満ちいたり 向井毬夫 戦火ひろがり雑草は人間の血をば吸う、叫べ、草も木も、わがカンボジア 赤木健介 「シグナルはすべて赤なり」 国鉄の君短かく告げて去りゆく 一条徹 ...
16 安保・岸上 意志表示 せまりなき声を背にただ掌の中にマッチ擦るのみ 岸上大作 装甲車 踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている 血と雨に ワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする 昭和三十五年の反安保闘争を頂点とする一連の政治闘争のなかから、すぐれた作品が生み出され、残された。ここでは、それらの作品の頂点と思われる四人をとりあげた。...
〇 猫はタマ犬はポチなり箸おきてごちそうさまといふかの如く〇 はかなごとおもひてをれば秋晴れに今朝は秩父のやまなみは見ゆ〇 橋のなかばに自転車とめて川を見るひとりの人がわれなりしかも〇 鼻毛出てる鼻毛切れとむすめ言ふ会ふたびごとにつよく言ふなり〇 母が耕す鍬に小石のあたるおとかちりかちりと忘れざらめや〇 哈爾浜のキタイスカヤ街いかばかり茂吉『連山』われは読みつつ〇 ふる...
〇 ただひとり家の中にありてもマスクするわれをあやしむわれみづからに〇 谷川雁「毛沢東」の一行がおもひだされて冬の蜂あるく〇 種付けの苦はいかばかりディープインパクト千七百余頭の子を残したり〇 だれにでもあたま下げよと祖母(おおはは)が常言ひしことをいまにおもへり〇 ちあきなおみまことに歌のうまかりき「矢切の渡し」を聞けよ世の人〇 ちちははを語ることなく死にたりし斎藤茂吉の...
〇 戒名をつけてもらひて支払ひし二十万円は惜しくもあるかな〇 勝ちが見えれば指が震へる人間羽生四十九歳になりてをりたり〇 観世音は異性なるかやともしびに胸のふくらみうかぶかなしさ〇 ぐちやぐちやとわからなければ家に呼ぶ生命保険の外交員を〇 「国境なき医師団」に月々わづかなる金おくりゐし妻をおもふも〇 「国境なき医師団」にわづかなる送金しつつ年くれむとす〇 五十年前の父の...
〇 足立たずになりたる猫がおそろしき目付きにかはりしこと忘れ得ず〇 足の爪みるみるうちに伸びてきて曲がらぬからだ曲げて爪切る〇 あたたかき冬の日にして手つなぎあひ保育園児のおさんぽが行く〇 一瞬に金魚すくひの紙やぶれかなしみふかきこどもなりしか〇 いのち果つる瀬戸際までも耐へにつつやまひの人を診てをりたるか〇 いはゆる「銀座のバー」にひとたびも行きしことなし行かずをはらむ〇...
「木下こう処女歌集『体温と雨』(砂子屋書房・2014年)」を読む(其のⅥ) 「歌集」と謂う牢獄から解き放たれた時、「連作」と謂う恩寵から彷徨い出た時、一首の短歌は如何なるまほろばに出遭うか??
〇 窓がみなゆふぐれである片時のアビタシオンに人のぼりゆく〇 真昼とはさみしき語感 蜘蛛の巣のひかりに絡められてゐる空〇 ママ、ママとまちがへながら吾に来し子は春に降る雨の目をして〇 路傍にしやがみて犬を撫づるとき秋をひとつの胡桃と思ふ〇 身にふれて濡るるからだを覚えたりこの薄絹は雨にあらねど〇 木火とふ古き茶房は身体ごと重い扉をひらいて入る 〇 森の木と森のてまへに並...
「木下こう処女歌集『体温と雨』(砂子屋書房・2014年)」を読む(其のⅤ) 「歌集」と謂う牢獄から解き放たれた時、「連作」と謂う恩寵から彷徨い出た時、一首の短歌は如何なるまほろばに出遭うか??
〇 長靴のつめたい踵にはりつきて誰の草笛だつたのだらう〇 肉体の温度せつなし夜の樹をぬけくる雨のとうめいな黒〇 煮ればなほつやめきながら魚は冷ゆ魚のまなこは雪をみてをり〇 ねぢれたる季節の風は窓にきて骨の色した卵を生めり〇 はつなつのひかりはほそく射しながらわたしの指の上を寒がる〇 はなびらの踏まれてあればすきとほり昼ふる雨の柩と思ふよ〇 葉のすみをすこし燃やしてよごれ...
「木下こう処女歌集『体温と雨』(砂子屋書房・2014年)」を読む(其のⅣ) 「歌集」と謂う牢獄から解き放たれた時、「連作」と謂う恩寵から彷徨い出た時、一首の短歌は如何なるまほろばに出遭うか??
〇 たうとつに蝶は噛むのと子は聞きぬ なにかが苦いやうな顔して〇 たくさんのがらくたたちがひかりだしそのはしつこが夜明けのやうで〇 たて笛に遠すぎる穴があつたでせう さういふ感じに何かがとほい〇 たまごからこぼれるやうに醒めにけり あなたが空と陸である夢〇 ダアリアを剪りつつ邪悪ね、と言ひぬ けふこひびとに差し出すダアリア〇 誰かいま白い手紙を裂いてゐる 夜のカップのみづ揺...
「木下こう処女歌集『体温と雨』(砂子屋書房・2014年)」を読む(其のⅢ) 「歌集」と謂う牢獄から解き放たれた時、「連作」と謂う恩寵から彷徨い出た時、一首の短歌は如何なるまほろばに出遭うか??
〇 草木(さうもく)を食むいきものの歯のやうなさみしさ 足に爪がならぶよ〇 さらさらとさみしき冬日 花の茎ゆはへて水にふかくふかく挿す〇 サルビアの咲きてあかるむところまで晩夏の微温き水をはこびぬ〇 紫苑から曼珠沙華へとつづくからひとりつきりが尊さになる〇 春泥をあなたが踏むとあなたから遠くの水があふれだします〇 食卓のトマトつめたくしたたりぬ軽羅にあはく蔓をひろげて〇 ...
「木下こう処女歌集『体温と雨』(砂子屋書房・2014年)」を読む(其のⅡ) 「歌集」と謂う牢獄から解き放たれた時、「連作」と謂う恩寵から彷徨い出た時、一首の短歌は如何なるまほろばに出遭うか??
〇 階段といふ定型をのぼりつめドアをひらくと風がひろがる〇 風の日は葉のうらがはがきらめくよ またこつそりとマフラーを咬む〇 川を見てあなたと帰るゆふまぐれ「かとう小鳥店」なくなりぬ〇 かんたんな気持ちで見知らぬ町に行き樹下をすぎゆくバスに乗りたし〇 北むきの窓辺の古きさむき椅子ふかく掛けたるとききしみをり〇 きだはしを下りると雨につつまれてもう赤茶けた火のあとの蓮 〇 ...
15 ステップ・マン 昭和三十年末、大阪市立美術館における「メキシコ美術展」で最初の出会いを遂げた塚本邦雄と岡井隆は、翌年呼応するように『装飾楽句』と『斉唱』を刊行した。それは、いわゆる<前衛短歌運動>と呼ばれる、短歌における革命期のはじまりをも意味していた。 時代はスターリン批判とハンガリア動乱によって、資本圏と共産圏の対立という戦後の構図が幻影に帰した時代であった。この<零>の季節において、...
14 乳房はどう歌われたか 失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花を飾らむ 中条ふみ子 弟に奪はれまいと母の乳房をふたつ持ちしとき自我は生れき 春日井建 山の宿にをとめのままに老いむとす蒼き乳房をひとに秘めつつ 大野誠夫 われ一人やしなひましし母の乳焼かるる日まで仄に赤かりき 五島美代子 夜の風きよき音して丘のごとき二つのちちもこよなか...
「河合育子処女歌集『春の質量』(短歌研究社・2022年)」を読む
〇 雨音と小言聞きつつこのまんま百年すもも食みたし母と〇 果実もぐ感触すこし部屋干しの小物干しから靴下外す〇 かたちよき栗は褒められ甘くなり褒めつつ母はきんとん作る〇 「勝」の字の肩のあたりを揉みほぐし深呼吸などさせてやりたし〇 借り物の電卓どこか打ちにくく借り物の指うごかして打つ〇 曇り日の複写機ひらき詰まりたる雲のひとひらつまみ出したり〇 黒日傘くるくる畳みまだ暑さ...
13 母のポエジー サヤ豆を育てたことについてかって風が誇らなかったように また、船を浮かべたことについて水が求めなかったように………… かつて、中野重治が美しいフレーズでうたった日本の母たち。年老いて働けなくなったら、自ら欣然として姥捨山にいこうとする親であった。 からむしを紡ぐように、目に視えぬ時間の糸をつむぐ私たちの母のこゑは、時代の暗渠の...
12 没落階級の歌人たち 太宰治の『斜陽』が発表されたのは、昭和二十二年のことである。 戦後の農地改革と家の崩壊は、荒廃した焦土に、さまざまな悲歌を生み落とした。 もはや、美しく狂うことさえ至難な時代のなかで、守らばならぬものの心の在処を、高潔に、強靭に、うたった四人の女たち。 日銀理事の夫人であり、「心の花」系の歌人であった片山広子は、アイルランド文学の秀れた研究家だった。芥川龍之介をして「シバ...
11 定型の魔の中で 日本語から逃れられぬ定型。それが定型の魔といわれつづけてきたものであった。 短歌はその定型の短さによって現代における文学の自立に一点欠ける側面を持つ。だが、歌人たちが、この詩形による表現が抒情詩であると確かに思いを定めるとき、日本における文学の主題にするどく触れてゆく。 たたかひにいためるものを知るごとく向日葵の芯老い傾きぬ 鹿児島寿蔵 山峡に住める盲目の...
10 大家族 ここにあげた六人は、それぞれの結社を率いて現歌壇に重きをなしているばかりでなく、信綱・水穂・空穂・夕暮・千亦(石榑)・青風など、いずれも相当の歌人を父に持ち、その作家的蓄積をうけ継ぎつつ、同時に独自の世界を拓くよう宿命づけられた歌人たちである。明治31年創刊の「心の花」(信綱)をはじめ、「詩歌」(明44・夕暮)、「潮音」(大4・水穂)、「白珠」(昭21・青風)など、五島(石榑)茂創刊の「まひる野」(...
9 ハーフシリアス 昭和二十年代前半の政治的社会的風潮には、旧体制からの解放の喜びと戦争協力者の告発・断罪という二つの側面もあったとすれば、前川美佐雄・佐藤佐太郎などは、そうした時代的風潮から最も遠い地点にいた歌人であろう。とりわけ美佐渡雄の場合は、戦後は<懺悔><瀆罪>と呼ぶべき、激しく痛苦に満ちたものであった。また佐太郎は、歌人からの眼が多く政治や社会・風俗など外に向かったこの時期、吾人の...
「稀覯誌『短歌 現代短歌のすべて そして、ピープル』」の記事より(其の8)
8 茂吉・迢空の死んだ日 父は美しく安らかな顔をして死んでゐた。父は二日前に風呂に入り、看護婦が髪と髭の手入れをしたのであった。 十一時頃父は突然顔が蒼白となって、脂汗が流れ出し、脈拍が微弱になったさうである。副院長の中村さんが直ちに強心剤を二本つづけてうった。益益容態が悪くなるので、五分後に強心剤の心臓内注射を試みた。しかし効果はなかった。午前十一時二十分に心臓がとまった。何の苦悶もなかったさ...
「稀覯誌『短歌 現代短歌のすべて そして、ピープル』」の記事より(其の7)
7 女は戦後を かつて<戦後強くなったものは女と靴下>と言われたことがある。敗戦のもたらしたものの一つがネナイロンに代表される技術革新の導入と姦通罪の廃止・婦人参政権なとに象徴される女性の権利拡張であったことは事実である。迢空の「女流の歌を平作したもの」が発表されたのは昭和二十六年一月だが、それに先立つ二十四年四月には、超結社の「女人短歌会」が北見志保子・阿部静江・生方たつゑ・川上小夜子・五藤美...
「稀覯誌『短歌 現代短歌のすべて そして、ピープル』」の記事より(其の6)
6 グリンピースはどう歌われたか 現在の歌壇は、明治十八年生まれの土岐善麿から高校生まで、年齢的にもきわめて幅広い人々を擁している。日本の全人口の過半数が戦後生まれと報告されたのも、ごく最近のことである。それだけ、昭和二十年代前半のいわゆる戦後風俗もわれわれから遠いものになりつつある。敗戦を境とする社会の急変、それら耳目に接するすべてのものが、戦後の新しい風俗として人々に強い印象を与えた。焼跡...
「稀覯本『短歌 現代短歌のすべて そして、ピープル』」の記事より(其の5)
5 ピアニストは撃たれなかった 1800年代、西部の酒場には<ピアニストは撃つな>という貼り紙が見られたという。ウインチェスターやヒースメーカーなどのライフル・拳銃がものを言う時代、彼らの演奏が荒くれ男たちに支持されたからであろう。 ここにあげた土岐善麿・土屋文明・木俣修・坪野哲久などは、世代や歌風を異にするものの、戦前からの作家的蓄積のうえに戦後めざましい展開を見せ、ことに昭和二十一・二年を...
「稀覯本『短歌 現代短歌のすべて そして、ピープル』」の記事より(其の4)
4 第二芸術論 敗戦後、湧き上るように提唱された「第二芸術論」も明治の近代化以来、連綿の提出されつづけてきた短歌否定論の一つだが、伝統詩としての短歌および俳句の文学性を疑うという文学論の範囲を越え、敗戦を契機とする日本の文化、そして民族性に対する反省、否定をも含めた感情の論理化であったことが、この論以前の否定論とはまったく異なった衝撃力を短歌に与え、短歌は3否定し尽くされたかに見えた。 戦後という...
「稀覯本『短歌 現代短歌のすべて そして、ピープル』」の記事より(其の3)
3 彼らは戦場から帰ってきた いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ 近藤芳美 世をあげて思想の中にまもり来て今こそ戦争を憎むこころよ 売れ残る夕刊の上石置けり雨の匂ひの立つ宵にして 熱のあるひたひを妻にあつるとき冷えびえとして小さき態 言葉知らず働き合へばはかなきに出でて共産党宣言を買ふ 「...
「稀覯本『短歌 現代短歌のすべて そして、ピープル』」の記事より(其の2)
2 戦争は終った 昭和二十年三月一日に硫黄島の日本軍が全滅。八月六日・九日に広島と長崎に原子爆弾が投下され、十五日には天皇の詔勅放送があって、日本は第二次世界大戦の敗戦の日を迎えた。この時、斎藤茂吉は、郷里山形の金瓶に疎開して、妹なをの婚家先斎藤十右衛門方の土蔵を借りて妻てる子と二女昌子と共に暮らしていた。首都東京は二十年の三月と五月に空襲があった。前年の六月に養嗣子春洋を硫黄島に着任させた釈迢空...
「稀覯誌『短歌 現代短歌のすべて そして、ピープル』」の記事より(其の1)
1 何のために戦場へ行ったか宮柊二 まどろめば胸どに熱く迫り来て面影二つ父母よさらば たたかひの最中静もる時ありて庭鳥啼けりおそろしく寂し ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくずをれて伏す おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様(ありざま)をまつぶさまに遂げむ 耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず 「現代短歌の新しい通史〰〰現代短歌の三十三年」 岩...
一昨日(2022年10月31日)付けの朝日新聞・夕刊の第5面に、「取材考記」というタイトルの、小山田義之記者(オピニオン編集部)による署名記事が掲載されているので、以下、その前半部を引用させていただきます。 聞く力をアピールしてきた岸田文雄首相であるが、本当にその力があるのか、疑わしい。むしろそれを欠くことが、支持率下落を招いているのではないか。 ミリオンセラーとなった文春新書『聞く力』の著者で、対談の名...
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