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三好達治とは?雪・甃のうへ・乳母車などで有名だが戦争協力詩も書いた!
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。三好達治と言えば、私は上に掲げた「雪」を最初に思い出します。そして、この詩の風景としては白川郷の合掌造りの萱葺の家々が似合っているのでしょうが、私はなぜか与謝蕪村の
2024/08/02 03:00
古代史最大の謎「邪馬台国」は九州か畿内か?なぜいまだに確定できないのか?
日本古代史最大の謎と言えば、「邪馬台国」がどこにあったのか?具体的には「九州」なのか「畿内」なのかということです。ただし「四国」「出雲」「越前」などの少数説もあります。しかし、1700年以上経った今になってもなぜ確定できないのでしょうか?こ
「カエサルの物はカエサルに」(皇帝の物は皇帝に)とはどういう意味か?
皆さんは「カエサルの物はカエサルに」(皇帝の物は皇帝に)という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?今回はこの言葉について、わかりやすくご紹介したいと思います。1.「カエサルの物はカエサルに」(皇帝の物は皇帝に)とはこれは新約聖書「マタ
2024/08/02 02:01
江戸は「世界一の水道都市」だった!?
江戸時代、江戸では生活用水(上水)をどのようにして確保していたかご存知でしょうか?京や大坂などでは、「地下水」汲み上げる井戸を使って上水を確保していました。京都では明治時代になって「琵琶湖疎水」が作られて、京都に豊富な上水を供給できるように
2024/08/02 01:01
万葉集の「相聞歌(そうもんか)」(恋の歌)は意外と現代の感覚にも通じる!
「万葉集」は全20巻で4,500首以上の和歌が収められており、「雑歌(ぞうか)」(宴や旅行での歌)、「相聞歌(そうもんか)」(男女の恋の歌)、「挽歌(ばんか)」(人の死に関する歌)の3つのジャンルに分けられています。その中でも「相聞歌」(*
「蜾蠃乙女(すがるおとめ)」は遊女?それとも舞姫だったのか?
前に「蜾蠃乙女(すがるおとめ)とはどんな乙女?」という記事を書き、次のように説明しました。「蜾蠃乙女」とは、「ジガバチのように腰が細い美しい少女」のこと。「蜾蠃(から)」とは、「ジガバチ(似我蜂」)の中国名。腹部がくびれていることから、女性
「石の地蔵さん」にまつわる面白い話。赤いよだれ掛けの由来なども紹介
1.石の地蔵さん(1)地蔵菩薩が由来地蔵さんは正式には「地蔵菩薩」で仏教の信仰対象である「菩薩」の一つです。私は個人的には「宗教」は信じない立場ですが、古来からの民衆信仰としての「地蔵信仰」と地蔵さんには「子供を優しく見守るお地蔵さん」とい
2024/08/02 01:00
黒田官兵衛とは?豊臣秀吉をも恐れさせた天才軍師!
黒田官兵衛と言えば、豊臣秀吉をも恐れさせた「天才軍師」として知られており、2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも取り上げられましたが、どんな人物で、どのような人生を送ったのでしょうか?今回は黒田官兵衛についてわかりやすくご紹介したい
「ウクライナの歌姫」ナターシャ・グジーは透明な歌声とバンドゥーラが魅力!
皆さんはウクライナ出身で、現在日本で活動している「ウクライナの歌姫」ナターシャ・グジーをご存知でしょうか?1.ナターシャ・グジーとはナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)(1980年~ )は、日本で活動しているウクライナ出身
「老いらくの恋」の歌は万葉集にもあった!?
前に「川田順の老いらくの恋」や「斎藤茂吉の老いらくの恋」「良寛の老いらくの恋」「一休の老いらくの恋」の記事を書きましたが、万葉集にも「老いらくの恋」の歌があったのをご存知でしょうか?1.万葉集にある「老いらくの恋」の歌(1)大伴坂上郎女(さ
「五蘊」「三科」「三界」とは何か?わかりやすくご紹介します。
前に「十八界」の記事を書きましたが、それに関連した言葉に「五蘊」「三科」「三界」という言葉があります。今回は「五蘊」「三科」「三界」についてわかりやすくご紹介したいと思います。1.五蘊(ごうん)とは「五蘊」とは仏教用語で、「人間の肉体と精神
2024/08/02 00:30
「後朝の別れ」とは、愛し合った男女が別れの朝に下着を交換した昔の習慣
皆さんは「後朝(きぬぎぬ)の別れ」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?昔、愛し合った男女が別れの朝に下着を交換した習慣で、実は「万葉集」にもこれを詠んだ歌があり、「枕草子」や「源氏物語」などにも出てきます。私は高校時代に古文の先
ルイ14世の「すり替わり説」とは?「鉄仮面」についても紹介
前に明治天皇の「すり替わり説」をご紹介しましたが、フランスの「太陽王」ルイ14世にも「すり替わり説」が存在します。1.ルイ14世とはルイ14世(1638年~1715年)は、ブルボン朝第3代のフランス王国国王(在位:1643年~1715年)で
2024/08/02 00:14
「十八界」「インド哲学」とは何か?哲学科出身の有名人も紹介。
前に「六根清浄」の記事を書きましたが、同じく仏教用語に「十八界」というものがあります。また仏教思想と密接に関連したものに「インド哲学」があります。そこで今回は、「十八界」と「インド哲学」についてわかりやすくご紹介したいと思います。1.十八界
2024/08/02 00:10
「六根清浄」とは何か?わかりやすくご紹介します。
皆さんは登山をしている時に、山伏たちが「六根清浄 懺悔懺悔」(ろっこんしょうじょう ざんげざんげ)と声を揃えて唱えながら登って行くのに出会ったことはありませんか?私はいつ聞いたのか思い出せませんが、山に響き渡るようなこの「六根清浄 懺悔懺悔
2024/08/02 00:05
「小説神髄」などで有名な坪内逍遥とはどんな人物だったのか?その人生を辿る
<2023/9/28追記>NHK朝ドラ「らんまん」の堀井 丈之助は坪内逍遥がモデルだった!私はNHK朝ドラ「らんまん」を最初から欠かさず見て来ました。十徳長屋に住む東大文学部の落第生である堀井 丈之助も、誰かをモデルにしているように思ってい
2024/08/02 00:02
大塚ひかりの「エロスでよみとく万葉集」は大胆で斬新な視点による超訳
1.万葉集とは(1)万葉集の歌の特色従来の日本の「元号」が中国の古典を元にして作られてきたのに対し、「令和」の元号が日本の古典である万葉集を元にしたことで大変話題となりました。ところで万葉集の歌と言えば、「おおらか」「雄渾」のような形容詞で
2024/08/02 00:01
ホトトギス派の俳人(その5)原石鼎:色彩感覚に優れたみずみずしい作風
「ホトトギス派」の俳人と言えば、高浜虚子が代表格ですが、大正期には渡辺水巴(すいは)、村上鬼城(きじょう)、飯田蛇笏(だこつ)、前田普羅(ふら)、原石鼎(せきてい)が輩出しました。昭和に入ると、山口誓子(せいし)・水原秋桜子(しゅうおうし)
2024/08/02 00:00
「音声SNS」とは?Clubhouseを中心に、メリット・デメリットも紹介
皆さんは「音声SNS」とか「Clubhouse」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?「Twitter」や「YouTube」「Facebook」「Instagram」、「チャット」、「SHOWROOM」などは随分おなじみになりまし
2024/08/01 11:54
徒然草40段「栗しか食わない娘」。小林秀雄の謎かけ解釈と島内裕子の新解釈
1.徒然草40段「栗しか食わない娘」(1)原文 因幡国いなばのくにに、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗をのみ食ひて、更に、米よねの類を食はざりれば、「かゝる異様ことやうの者、人に見ゆ
2024/08/01 11:01
「大和古寺風物誌」で有名な亀井勝一郎とはどんな人物だったのか?転向の苦悩も
今はあまり名前を聞きませんが、私が高校生だった頃、文芸評論家の亀井勝一郎の批評や文章は、同じく評論家の小林秀雄と並んで高く評価されていました。小林秀雄や亀井勝一郎の文章は、当時高校の「現代国語」の教科書にも掲載されていました。亀井勝一郎とは
2024/08/01 10:01
死刑執行までの期間が長すぎるのは問題。法律の規定通り6ヵ月以内に執行すべき
1.死刑執行の当日告知は「非人道的」として死刑囚が国を提訴「死刑執行を死刑囚に当日告知する運用は憲法に違反し非人道的だとして、死刑囚2人が11月4日、国に精神的苦痛への慰謝料計約2千万円の支払いなどを求め、大阪地裁に提訴した」との報道があり
2024/08/01 09:33
「ブラック企業」はなくならない。労働基準監督署の抜き打ち調査が必要!
1.「ブラック企業」(「ブラック会社」ともいう)とは「ブラック企業」とは、「新興産業において、若者を大量に採用し、過重労働・違法労働・パワハラによって使いつぶし、次々と離職に追い込む成長大企業」のことです。「従業員の人権を踏みにじるような全
2024/08/01 09:04
批評の神様と呼ばれた小林秀雄とはどんな人物だったのか?否定的な評価もある。
私が高校生だった頃は、評論家の小林秀雄や亀井勝一郎の批評や文章が高く評価されていました。小林秀雄や亀井勝一郎の文章は、「現代国語」の教科書にも掲載されていました。1.小林秀雄とは小林秀雄(1902年~1983年)は東京神田生まれの文芸評論家
2024/08/01 09:00
徒然草236段「丹波に出雲といふ所あり」は先入観などに惑わされることの戒め
1.徒然草236段「丹波に出雲といふ所あり」(1)原文 丹波たんばに出雲いづもと云ふ所あり。大社おほやしろを移して、めでたく造つくれり。しだの某なにがしとかやしる所なれば、秋の比ころ、聖海上人しやうかいしやうにん、その他も人数多あまた誘さそ
ファーストフード店の笑顔の応対と、気になる日本語の言葉遣い
私が若いころ、喫茶店やレストランのウェイトレスは「無愛想で仏頂面」の代名詞のような存在でした。「どうしてそんなに機嫌が悪いのか」と怪しむほどでしたが、ひょっとすると社内での人間関係がうまく行っていなくて経営者を困らせてやろうとか、あるいは接
2024/08/01 04:00
「造反有理・革命無罪」という文化大革命のスローガンは、毛沢東の言葉が起源
毛沢東(1893年~1976年)が劉少奇(1898年~1969年)らの政敵を倒し、政権奪還の目的で主導した権力闘争である「文化大革命」の嵐が1966年から1976年まで10年間にわたって吹き荒れました。この毛沢東思想に洗脳された「紅衛兵」や
公武合体で将軍家茂に降嫁した和宮は果たして本物だったのか?替え玉説に迫る!
1.和宮とは一般には「和宮(かずのみや)」あるいは「皇女和宮(こうじょかずのみや)」と呼ばれていますが、正式には「和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう)」です。和宮 親子内親王(1846年~1877年)は、14代将軍・徳川家茂(
2024/08/01 03:01
高村光太郎とは?詩集「智恵子抄」や「道程」で有名だが戦争協力詩も書いた!
高村光太郎と言えば、「智恵子は東京には空が無いといふ」で始まる「智恵子抄」や、「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」というブルドーザーのような「道程」という詩で有名ですが、どんな人物だったのでしょうか?今回は高村光太郎の人生を辿ってみた
2024/08/01 03:00
安徳天皇の生母・建礼門院(平徳子)の人物と生涯とは?
平徳子(建礼門院)は平清盛の娘で、政略結婚で高倉天皇の皇后(中宮)となり安徳天皇を産んだ後、「壇ノ浦の戦い」での平家滅亡に伴い、安徳天皇らと共に入水しましたが助けられ、京に送られて寂光院で余生を過ごしました。今回は平徳子(建礼門院)の人物像
どくとるマンボウこと北杜夫は株で大損して自己破産するなど波乱万丈の生涯!
北杜夫と言えば、アララギ派の代表的歌人である斎藤茂吉を父に持ち、『どくとるマンボウ航海記』や『どくとるマンボウ青春記』などの「どくとるマンボウシリーズ」の著書があるので、お金に困らない呑気で優雅な一生を送ったのではないかと思っている方もおら
2024/08/01 02:05
名人古今亭志ん生の人気が出たきっかけは何か?前半生は落語の世界そのもの!?
<2023/9/28追記>NHK朝ドラ「らんまん」の牛久亭 九兵衛は古今亭志ん生がモデル!?私はNHK朝ドラ「らんまん」を最初から欠かさず見て来ました。十徳長屋に住む売れない落語家である牛久亭 九兵衛も、誰かをモデルにしているように思ってい
「天皇制廃止」を「国民投票」で問うべき時。絶滅危惧種を保護する必要はない。
1.皇位継承者が少なくなった今こそ「天皇制廃止」を検討すべき前に「大室寅之祐は本当に南朝の末裔だったのか?嘘だとすれば今の天皇家の祖先は?」という記事を書きましたが、私は明治天皇は即位直後に岩倉具視(伊藤博文という説もある)に暗殺されて長州
2024/08/01 02:01
高浜虚子とは?ホトトギス派の代表的俳人の人生を辿る。
大正から昭和にかけて活躍した最も有名な俳人と言えば、高浜虚子でしょう。私が小学生の頃はまだ存命でした。私が最も身近に感じている俳人は山口誓子ですが、高浜虚子はやはり俳句界の巨人だったと思います。そこで今回は高浜虚子について、わかりやすくご紹
2024/08/01 02:00
日野草城とは?新興俳句運動を主導した人生を辿る。
前に高浜虚子の記事を書きましたが、最初「ホトトギス」で虚子に俳句を学んだものの、後に「新興俳句運動」を主導して虚子と決別した俳人に日野草城がいます。そこで今回は日野草城について、わかりやすくご紹介したいと思います。1.日野草城(ひのそうじょ
中村汀女は日常生活を明るく詠んだが、「台所俳句」と揶揄された!
今テレビ番組の「プレバト」俳句が、夏井いつき先生と「シュレッダー富美男」と揶揄されている「永世名人」の梅沢富美男との絶妙の掛け合いで大人気となっています。ところで「女流俳人」としてすぐ思い浮かぶ名前は、江戸時代の加賀千代女でしょう。「蜻蛉釣
加藤楸邨とは?人間探求派と呼ばれた俳人の苦悩の人生を辿る。
皆さんは石田波郷、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた俳人加藤楸邨(かとうしゅうそん)をご存知でしょうか?名前だけは聞いたことがあるが、詳しいことは知らないという方が多いのではないかと思います。そこで今回は、加藤楸邨についてわかりや
悪魔主義者の谷崎潤一郎。三度の結婚と美人妻が織りなすスキャンダラスな世界!
昭和の文豪・谷崎潤一郎といえば、妻やその姉妹をはじめとする美女に囲まれて過ごし、彼女たちをモデルに小説を執筆したことでも有名な人物です。生涯で三度結婚しており、『痴人の愛』のモデルになった最初の妻・千代の妹のせい子と、『春琴抄』『細雪』のモ
「紙芝居」と「電気紙芝居(テレビ)」の思い出と「テレビの功罪」
1.紙芝居私が子供の頃、たまに「紙芝居屋」のおじさんがやって来ました。母から「紙芝居屋の飴は不衛生だから」との理由でお金をもらえなかったので、正式に紙芝居を見たことはありません。一度だけどんなものかと通りすがりを装って少し覗いてみたことがあ
2024/08/01 01:11
「運慶」と「快慶」にまつわる面白い話
「運慶」と「快慶」と言えば、「東大寺の金剛力士像」が有名ですね。1.金剛力士とは「金剛力士」とは、仏教の護法善神(守護神)の一つで、サンスクリットでは「ヴァジュラダラ」と言い、「金剛杵(こんごうしょ)(仏敵を退散させる武器)を持つ者」を意味
2024/08/01 01:09
「人体切断マジック」のトリックの種明かしは?
前に「カードinレモン(カードがレモンの中に移動するマジック)の種明かし」「コインのグラス貫通マジックなどの貫通マジックの種明かし」「空中浮遊(空中浮揚)マジックの種明かし」「マジシャン・セロの『ポスターからハンバーガーを取り出すマジック』
大高源吾とは?赤穂浪士随一の俳人で宝井其角との「両国橋の別れ」が有名
1.「両国橋の別れ」忠臣蔵の名場面の一つに大高源吾(おおたかげんご)と宝井其角(たからいきかく)との「両国橋の別れ」があります。大高源吾は俳諧にも造詣が深く、「子葉(しよう)」という俳号を持っています。討ち入りの日の夕方、「大歳(おおとし)
2024/08/01 01:05
アララギ派の代表的歌人斎藤茂吉の道ならぬ「老いらくの恋」
斎藤茂吉と言えば「アララギ派の代表的歌人」で、斎藤茂太(精神科医・随筆家)と北杜夫(精神科医・随筆家・小説家)の父親としても有名ですが、その生涯について詳しく知っている方は少ないのではないでしょうか?今回は、道ならぬ「老いらくの恋」も経験し
2024/08/01 01:00
山片蟠桃とは?大坂の町人学者で実学的合理主義の啓蒙書「夢の代」の著者
江戸時代は、江戸の「武家文化」に対して、大坂では元禄時代に井原西鶴・近松門左衛門らの「町人文化」が栄えました。そんな江戸時代後期の大坂で活躍した町人学者に山片蟠桃がいます。今回は山片蟠桃についてわかりやすくご紹介したいと思います。1.山片蟠
日本でのギネス世界記録増加の原因は?いちびり精神かテレビ局の仕掛けか?
最近テレビを見ていると、やたらに日本人による「ギネス世界記録挑戦」という話題を目にします。1.日本人の「ギネス世界記録」(1)芸能人これは長く愛される芸や番組を続けるなど、卓越した話術・才能などを認められた結果です。①六代目桂文枝(桂三枝)
足利義教は残念な将軍。元僧侶でくじ引きで選ばれ、恐怖の独裁者となった!
足利尊氏(1305年~1358年)によって開かれた室町幕府も、3代将軍足利義満(1358年~1408年)の時代に全盛期を迎え、「北山文化」も開花しましたが、6代将軍足利義教は色々と問題のある将軍でした。今回は足利義教についてわかりやすくご紹
ベートーヴェンの「第九交響曲(合唱付き)」(第九)を年末に聴くのはなぜ?
かつては年末が近づくと、必ずと言っていいほどベートーヴェンの「第九交響曲(合唱付き)」の演奏会が各地で開かれたり、テレビやラジオでもよく流れ、「年末の風物詩」でした。最近は少し下火になったような気もしますが・・・ところでなぜ日本人は「年末に
堀部安兵衛とは?「高田馬場の決闘」の助太刀として名を馳せた剣の達人
1.「高田馬場の決闘」とは高田馬場と言えば、現在は早稲田大学や学習院大学などの大学・専門学校・予備校が多く集まる学生街ですが、江戸時代には三代将軍徳川家光によって旗本たちの馬術の訓練や流鏑馬(やぶさめ)などのための「馬場」が作られた所です。
2024/08/01 00:53
赤ちゃんのハイハイの時期はいつごろからか?私は孫のことながら気になる。
1.赤ちゃんのハイハイの時期はいつごろからか?両手両足を使うハイハイは、手足の筋力と運動神経がある程度発達した後にできるようになります。ただし、赤ちゃんの成長は個人差が大きく、ハイハイを始める時期も赤ちゃんによって異なります。生後5~6ヶ月
2024/08/01 00:50
中田喜直はクラシック音楽から多くのインスピレーションを得て作曲した!?
中田喜直と言えば、「雪の降るまちを」「夏の思い出」「ちいさい秋見つけた」など国民に広く愛され親しまれる歌をたくさん作曲しました。ところで、これらの曲は、クラシック音楽によく似たメロディーがあるため、彼はクラシック音楽から多くのインスピレーシ
2024/08/01 00:06
童謡誕生秘話。「椰子の実」は柳田国男の話を島崎藤村が詩に書き大中寅二が作曲!
「童謡」は、私たち大人から子供たちに残したい美しい歌が多く、「共有したい日本人の心」を後の世代に橋渡しする役割を持っているように思います。そこには、日本人の心に共通する日本独特の風情があります。日本人の心象風景を歌った「こころのうた」とも言
2024/08/01 00:05
僧侶・行基の人物と生涯とは?
行基と言えば道路・橋梁などの土木事業を行った僧侶として知られていますが、詳しいことは知らない方がほとんどではないかと思います。そこで今回は行基の生涯についてわかりやすくご紹介したいと思います。1.行基とは行基(668年~749年)は、奈良時
2024/08/01 00:04
「和風月名」以外の「月の異称」をご紹介します。
1月・睦月(むつき)、2月・如月(きさらぎ)などの「和風月名」の記事を前に書きましたが、「令和」の元号発表の時に「2月は令月(れいげつ)とも言う」ことを知った方も多いと思います。この例のように、各月には通常使われている和風月名以外の呼び方が
2024/08/01 00:02
「ちいさい秋見つけた」の歌詞の意味は奥が深い。
ふとしたことで秋を感じた心情を詠んだ「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」という藤原敏行(?~901年頃)の和歌があります。これは「立秋の日に詠んだ歌」で、「(立秋の日になっても)秋が来たと、はっきりと目にはみえな
2024/08/01 00:01
ホトトギス派の俳人(その4)前田普羅:雄大な自然を詠んだ山岳俳句の第一人者
2024/08/01 00:00
2024年8月 (301件〜400件)
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