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心の深淵 https://shinen.blog.ss-blog.jp/

心を深く掘り下げます。自閉症、認知症、精神疾患等を脳神経科学、東洋哲学の観点から掘り下げます。

58才で自身の高機能自閉症であった事に遭遇し、最後の自分探しとして脳神経科学を独学。それ迄、迷い迷って生きてきたのが霧が晴れたように感じる。しかし、自閉症は高次脳機能障碍であることを強く認識して、改めて人生の一歩を踏み出している。

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2018/08/09

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  • 現在教育理論の魁

    発達心理学の領域は、20世紀の大半を通じてジャン・ピアジェによってリードされてきた。ピアジェは、幼児の思考がどのように発達し、どのような段階を辿って成熟してゆくのかの解明を志し、それは環境を探検しようとする自然な好奇心の産物だと考えた。ピアジェの理論に続いて直に英語圏に紹介されたレツ・ヴィゴツキーの理論は、幼児は経験を通じて意味を発見すると主張したが、その際に「経験」という語の意味を拡大して、文化的経験と社会的経験もその中に含める事を提案した。ヴィゴツキーによれば、児童は主として他者との相互作用を通じて学習する。 「認知革命」に弾みが掛ったのは、1960年代のこの頃の事だった。心的過程は、徐々に「情報処理過程」としての脳と言うアナロジーによって説明されるようになってきた。ジェローム・ブルナーは、この新たなアプローチにおける主導的存在の1人だが、それ以前には私達の欲求と動機が知覚にどう..

  • カルロス・ゴーン会長の逮捕

    カルロス・ゴーン会長の逮捕と言うニュースはテレビで持切りである。日産自動車建直しの功労者であるから、余計に話題となっているが、逮捕容疑は有価証券報告書へのゴーン氏への報酬を少なく記載したものであると言う。テレビ報道によると、全世界でゴーン氏に関わる不動産取得等による所得への加算が逮捕に繋がったらしい。 米国の経営者の報酬と比較すると、5年間で100億円と言う報酬も平均的なもののようだが、実際に計上されていた10億円と言う金額にフランス国民でさえ不満を抱いていたようだ。と言うのも、フランス政府がルノーの最大出資者であるので、税金を使って儲けた報酬とフランス国民は受け止めているようだ。 日本には「足るを知る者は富む」と言う言葉があるが、中東生まれで南米育ちのゴーン氏にはそういう格言は通用しなかったようだ。本日このブログで取り上げたと言うのは、その言葉が大きく関わっている。人は欲を満た..

  • 懐かしさ

    昨日、無かった筈の通帳に残高が残っていると知らせられ、それを確認に銀行へ出向いて行った。 現金があるのも嬉しいのは、そうであるけれども、それ以上に前々回に引越しをしていた住所を思い出したのは甘酸っぱく、懐かしい想いが強かった。 その通帳は筆者が30才を前にして作ったもので、殆ど使っていなかった。 その住所で、脳梗塞で倒れた父から父の隠居商売を引継ぎ、年商800万しか無かったビジネスを2億迄広げた経験がある。 その経緯で、主力取引銀行を全面的に変えた所に、取引が殆ど使わない状況が発生していた。 その中で、何故残高が出来たのかと言うと、株式の配当の受取り口座にしていた経緯がある。 所有していた株式は売却していたので、配当が入って来るはずは無いのだが、買った人が名義変更してなければ、その会社としては旧持主が所有者と認識しているのは、その経験をしてこそ実感するものだ。 父のビ..

  • 昨日、一昨日とNHKスペシャルで「シリーズ100年時代を生きる」を見た

    一昨日の特集は介護施設、作日の特集は医療現場であった。 両者共に課題として挙げている事柄が“認知症”がキーワードになっていた事である。 介護の現場では、認知症になると苛酷な手間が掛る事、医療の現場では本人の意思確認の無い終末期医療が問題になっていた。 社会が勘違いしていないかという疑問を常に持っている。 両特集共に認知症は手が付けられないと言う認識から出ると言う意識すら無く、大問題と報じている。 認知症は改善する症状であると結論を述べておく。 医師では治せないと言うのは事実である。 医師は眼の前の患者と言う点でしか、患者と接せず、その点に応じた薬を処方する事を生業としている。 認知症は高齢になって掛る精神分裂症の症状を呈する事であると言える。 精神分裂症の場合はこれまで多くの心理学者が治療の為にカウンセリングを施して改善を試みている。 詰り、認知症はカウンセ..

  • 進化したい脳

      1920年代に、少なからぬ心理学者達が学習と記憶に関する問題への解答を求めて、神経科学へと転じた。その中でも、取分け目立ったのがカール・ラシュレーで、ラシュレーによって神経結合が果たす役割の検討への道が開かれた。だが、連合学習の過程で実際に何が起っているのかを説明する理論を定式化したのは、ラシュレーの学生であったカナダの心理学者ドナルド・ヘップだ。 ヘップによれば、神経細胞同士が連合するのは、それらが同時的かつ反復的に活性化する時だ。その時、シナプスないし連結がこの結合を更に強化する。何度も実験した結果、「セル・アセンブリ(細胞集成体)」即ち連結された神経群のグループが脳内に形成された神経群のグループが脳内に形成される事が解った。この理論は、屡々「同時に発火した細胞は同時に結びつく」と表現される。同時に、分離状態にあるセル・アセンブリーでも連結が為されると、私達が思考過程として認識..

  • ツァイガルニク効果

    ロシアの心理学者ブルマ・ツァイガルニクは、ベルリンで博士課程の為の研究をしている間に、指導教授であったクルト・レヴィンから、ウェイターは既に支払いの終わった注文の詳細よりも、未だ支払いの済んでいない注文の詳細の方をよく覚えていると言う観察を聞かされた。これを聞いたツァイガルニクは、未完の課題は完了したそれとは違った位置を記憶の中で占めている為、より良く覚えられるのでは無いかと考えた。そこでツァイガルニクは、被験者に簡単なパズル乃至課題を与える実験を考案した。但し、被験者はその課題を半分終えた所で中断させられる。後になって、自分のやった行動をどれ位覚えているのか尋ねられると、それが最終的に完了させるか否かには関わりなく、中断された課題の詳細の方が2倍は良く覚えられていた。この理由は課題が完了していない為、記憶が異なった風により効果的な形で貯蔵されたからではないかとツァイガルニクは推論した。..

  • 本能は力動的なパターンだと主張したヴォルフガング・ケーラー

      19世紀後半に、当時支配的であった思想の流れに同意できなかったドイツの心理者グループが、後にゲシュタルトと呼ばれる事になる。科学的で明確に全論的な特徴を備えた新しい手法を発展させた。マックス・ヴェルトハイマーとクルト・コフカと共に新しい運動を立ち上げたヴォルフガング・ケーラーによると、この語は「パターン」を意味すると同時に、 彼らの理論に適用される場合には「組織化された全体」を意味する。ゲシュタルト心理学(大分後になって登場したゲシュタルト療法と混同してはならない)は、知覚や学習、認知といったといった概念は研究されるべきで、それを構成する隅々の部分を探究する形で研究されてはならないとの出発点としていた。 ケーラーの考えでは当時の心理学の主流であった行動主義は、余りに単純で、知覚のダイナミック性質を見底なっいる。パヴロフとソーンダイクは、動物は単純な刺激-反応の条件付けを通じて、試行..

  • フロイトから始まった精神分析学による心理療法

    フロイトの夢判断による人の無意識への主張は、イギリスが東インド会社統治により、福産物として仏教思想がヨーロッパへ流れ込み、実存哲学が生れ、無意識を定義する唯識思想が流れ込んで来た事が大きかった。 キリスト教には全ては神の意志であり、無意識の存在は無かったが、精神分析学会の設立へと繋がった。 その潮流は、20世紀初頭にかけて、何れも無意識の考え方を拡張してアルフレート・アドラーが個人心理学を立上、娘のアンナによる超自我の思想へと繋がり、ユングは原型思想を推し進めた。 フロイトの思想は、次々と出てくる精神分析学者の力点をずらす修正を受けながらも、発展を遂げた。 行動主義の対極として出発した精神分析学会だったが、米国では生産的思考へと思考が変化し、新たな心理療法として、真実としての責任を引受ける自己肯定へと向かい、米国精神分析学会設立に至る。 第二次世界大戦の終結を受けて、戦争..

  • 父親は無言のルールに服していると主張するギー・コルノー

    フランス出身のカナダの分析家ギー・コルノーが、1991年に『男になれない息子たち』を公刊する迄は、心理学は男性同士の情動的コミュニケーションには殆ど関心を示さなかった。コルノーの著作は男性の世代間での親密な会話の難しさを検討した。それによると、その狙いは自分の父親との情動的結びつきを作り出す事にあった。手を差し伸べて是認を求めても、帰ってくるのは沈黙だけだった。 賞賛を抑制する コルノーも認めているように、こういった成行は男性にありがちなパターンだ。男性は往々にして、息子に賞賛や愛着、承認を与えるのが下手だ。息子はこうした沈黙を経験すると、強い印象を与えようと更に頑張ったり、或は逆に撤退したりする。だが、沈黙は取消難く子供の心に刻み込まれる、とコルノーは指摘する。こうした現象は、男性の自我同士の間での競合的な相互作用に由来するのかも知れない。自分の息子に惜しみない賞賛を与える父..

  • 抑鬱状態回避にドロシー・ロウからの提案

    もし人々が人生の突発時に愚痴るのを止めれば、抑鬱の割合は一挙に減るだろう。この前提が、ドロシー・ロウの成功の根拠だ。 私達は成長過程で、世界とは公正で理に適った場だと思い込んでゆく。だから、自分が善人なら、自分には良い事が起ると思う。だが、私達が善人で物事が旨く行っているとして、事態が思わしくない場合は私達はどうなるのか。善行は報われ悪事は罰せられるという「公正な世界」への信念があると、悪い事が降掛った場合、その責任も自分にあると言わざるを得ない。 もし、私達に悪い所があり、何処かが間違っているとしたら「何故そんな事が私に降掛るんだ」と問いたくなるだろう。人々は振り返って、そうした事態を(仮にそれが自然災害だとしても)招くに当って、自分は何をしたかと考える。悪い事が起った場合には、自責の念、罪の意識、寄る辺なさ、そして恥ずかしさが湧き起る。その結果が抑鬱状態だ。 信念は私達自..

  • トラウマの経験の克服を提案したボリス・シリュニック

    悲劇に見舞われた時、とてつもないダメージを食らってしまう人々が居る。自分なりの対処のメカニズムを奮い立たせる事もできない侭に、彼らは深い抑鬱ないし失望に沈み込み、時に希望ばかりか耐え抜こうとする意志すら失ってしまう。彼らは災厄にすっかり心を奪われ、悪夢やフラッシュバック、不安に苦しめられる。だが、これとは違った反応をする人々も居る。彼らは自分の人生の通常の浮き沈みを乗り切るばかりでは無く、潜在的な損失感とトラウマに打ち勝つ。抑鬱状態に陥り、対処する事さえできなくなる代りに、どうにか彼らは苦しみに満ちた状況に対処し、前進して行く。 ポリス・シュリニックは、こうした反応の違いに興味を抱いた。何故酷い抑うつ状態を示す人が居る一方で、見た所直にも「立ち直れる」人が居るのか突止めるべく、シリュルニックは学究生活を心理学回復力の研究に費やした。 シリュルニックは、回復力とは個人に内在する性質..

  • 精神分裂病を精神の復元と捉えたR・D・レイン

    19世紀の終わりに、精神疾患と健常な人間の被る心理的苦痛との違いは程度の差だという考えが、受入れられ始めた。ジクムント・フロイトのいう所では、精神疾患と健常な人とは同じ尺度上の異なる部分に過ぎず、誰でも悲惨な状況に置かれれば、精神疾患を発症する可能性を持っている。こうした文脈からR・D・レインは、新たな文化的流行の卓越した存在として登場した。 生物学と行動 フロイトと同様、レインも精神医学の根本的価値に異議を差し挟み、精神疾患を生物学的現象と見做すのに反対し、個人の経験を形作る社会的・文化的・家族的影響の重要性を重視した。レイン自身が精神疾患の容赦無い現実を否認した事は無かったが、レインの見解は当時受入られていた精神医学の医学的基礎及び実践とは強い対象を示していた。 レインの研究は、当時受入られていた精神障害を診断する過程が、伝統的な医学モデルに従っていないと言う事を理由に..

  • 人間の振舞いの循環的因果性に目をつけたポール・ワツラウィック

    心理療法は時に、患者が自分と、それ迄の経歴と、行動についての自己理解を獲得する事を過度に重視する。その基礎には、感情的苦しみと向き合い行動を変えるには、自分の感情パターンの根が何処にあるかを理解する必要があると言う信念がある。オーストリア出身の米国の心理学者ポール・ワツラウィックは、この過程を「洞察」と呼ぶ。例えば、自分のパートナーから振られた後、異様に長い間悲嘆にくれている男は、子供の頃に母親から捨てられた為に、捨てられる事に根の深い問題を抱えている事に気付くと言うケースがあったとしよう。だが、これ迄多くの療法家達は、そんな洞察は感情的苦しみに立ち向かうには無用だと結論してきた。だが、ワツラウィックも含めた一部の療法家は、この洞察のせいで、患者が前より悪くなる事があると主張する。 ワツラウィックは、自分を掘り下げるような深い理解の結果として当人が変化する事例等一つも想像できないと述..

  • サイケデリック運動を推進したティモシー・リアリー

    ティモシー・リアリーは、1960年代のカウンターカルチャーの時代に最も広範に用いられたキャッチフレーズ「しびれて、目覚めて、抜け出せ」を考案したことで、印象的存在となったアメリカの心理学者だ。 だが、リアリーが私達にこれら3つを実行して貰いたいと望んだ順序は若干異なっている。それによると、社会は政治で汚されており、真の個人に不可欠な意味の深みを許さない、不毛で包括的な共同体で構成されている。そこで私達に必要だとリアリーが考えた最初の事は、「抜け出せ」だ。これは、私達は自分を不自然な執着から解放し、思想においても行為においても自己を信頼できるようになる必要性を主張している。不幸にも、「抜け出せ」は生産活動を止めるよう人々を急き立てるものだと誤解されたが、それは決してリアリーの意図では無かった。 次に、リアリーは私達に「しびれろ」、詰り無意識を掘り下げて、「君を君自身の身体という神の..

  • 家族が心の基礎と述べたヴァージニア・サティア

    ある人間が「元々の家族(自分が育った家庭)」の中で引受ける役割は、当人のその後の成長を左右する種子となる傾向がある。米国の心理学者ヴァージニア・サティアは、人格形成において家族が占める重要性を認め、健全できちんと機能している家庭と機能不全に陥っている家庭との違いを考察した。取分けサティアが関心を示したのは、家族間に健全な力動性が欠けている場合に、それを補う為に各人が引受ける傾向のある役割とはどのようなものかという点であった。 健全な家庭生活には、情動のオープンで互酬的な提示及び相互の間でのポジティブな眼差しと愛の表出が認められる。それ以前のどの療法家よりも、サティアは、きちんと順応させた魂を発達させる上で、共に満ちた育みあう関係が持つ力を重視した。 ロールプレイング(役割演技) 家族の構成が情動や感情をフランクに表出する能力に欠ける時、本来の自己同一性に代わって、人格的「役..

  • 合理情動行動療法の基礎を築いたアルバート・エリス

    古代ギリシアの哲学者エピクテトスは、起源80年に「私達は出来事にでは無く、出来事に対する自分自身の見方に悩まされる」と主張した。この原理が、1955年にアルバート・エリスによって考案された合理情動行動療法(REBT)の基礎だ。これによれば、経験は如何なる特定の情動的反応をも惹き起さない。反応を惹き起すのは、個々人の信念と体系だ。 1940年代と1950年代に精神分析家としての実践を積む中で、エリスが気付いたのは、患者の多くが自分自身とその幼年期についての洞察を得ながらも、不幸にもその症状は無くならないという事であった。それは、1つの問題が解決されると、患者が別の問題を持ち出して来るかのようであった。エリスはそこから、問題は患者が思考する仕方(詰りは認知)にあり、洞察以上にそれを変える事が必要だと思い至った。 非合理的思考 エリスは自身の治療法を合理情動療法と名付けたが、それ..

  • 実存心理学の父:ロロ・メイ

    19性世紀後半から20世紀中葉にかけて、、ニーチェ、キルケゴール更にはハイデガーと言った哲学者達が社会のドグマに挑戦して、人間の経験についてより豊かな取り入れた考え方を押し広げるよう人々を促した。この運動は今では実存主義として知られている。自由意志や個人の責任と言った観念、私達が自分の経験をどう言った解釈するかと言った事全てがが、実存主義者の関心事だ。実存主義者求めるのは、根本においてそれらが、人類の存在にどんな意味を持つのかを知る事だ。 心理学者ロロ・メイの「不安の意味」(1950年)は、こうした人間を中心に据えた哲学的アプローチを、初めて心理学の内に持ち込んだ。そこからメイは、屡々実存心理学の父と見做される。 実存主義的アプローチ メイは人生を、病気の兆候でなく、苦しみをも通常の人生の一部として持つ人間の経験のスペクトルと見做した。私達が人間である限り、自分に関心地のよ..

  • ヴィクトール・フランクルは決断と態度の自由の能力で生きる意味を掴めと言う

    ウィーン出身の精神医学者ヴィクトール・フランクルは、自分と妻、兄弟と親が強制収容所に連行された事を機に、自殺の防止と抑鬱の治療を専門に研究しだした。フランクルはそこで3年間を過ごし、ここに集められた者達の唯一の生残りとして、多くの災厄と損失に耐えた。後の著書『「生きる意味」を求めて』(1946年)で、フランクルは、人間には苦しく破滅的な状況を耐え抜き前進する為の2種類の力があると言う。それは決断の能力と態度の自由の能力だ。フランクルは、私達が環境や出来事に左右されるだけの存在では無いと言う点を強調する。それらが私達をどう形作るかを決めるのは、私達自身だ。苦しみでさえ、私達がどう解釈するかに応じて、違って感じられるようになる。 フランクルは、自分の患者で亡くなった妻を寂しく思う余り、苦しんでいる男のケースを挙げている。もし患者の方が先に死んでいたらどうなっていたのかかとフランクルが問う..

  • 自己実現へ向けたマズローの主張

    歴史上記録されている限り、至る所で、何故私達はここに居るのか、人生の目的は何かと言った問いが提起され続けている。こうした問いの根底にあるのは、何が自分達を本当に満たしてくれているのかを知りたいと言う強い欲求と、それと裏腹のそれを見出す方法についての混乱だ。精神分析家であれば、生得的生物学的衝動の充足が満足へ通じると述べる事だろうし、行動主義者であれば、食事や睡眠、セックスによって生理的欲求を満たす事の重要性を事細かに述べ立てる事だろう。だが、20世紀初めから中葉にかけて生まれた心理療法思想によるなら、内的充実に至る道は遥かに錯綜したものだ。 この新しいアプローチの主な提唱者の1人が、心理学における人間主義運動の創始者の1人と目されている精神療法家アブラハム・マズローだ。マズローは、私達にとって最も大切なものである愛や希望、信仰に精神性、個体性や実存といったものを考察する事で、人間の経験を..

  • 「良い生活」を誘うカール・ロジャースの提案

    19世紀から20世紀初頭にかけて、心理学的治療の主要アプローチは、精神疾患は治療される必要のある特定の病理的状態だという考えに基づいていた。例えば、通常の精神分析理論は、自身の精神的健康に問題を抱えている人を「神経症的」と見做した。精神疾患は、ネガティブな光の下で見られ、当時の大半の心理学的実践も理論も、精神疾患の根底に潜む原因の組織的な説明を含む厳密な定義と、それを治療する為の特定の方法とを提示していた。 アメリカの心理学者カール・ロジャースは、心的健康に関する遥かに困難な道程を辿って、その過程で、従来の心理療法の手段を拡張した。ロジャースの考えでは、当時の哲学は余りに画一的化し、硬直化した為、人間の経験のような力動的なものを巧く説明できなかった。そもそも人間性とは、既定のカテゴリーに適合させるには余に多様なものだ。 こころの健康を実現する ロジャースの考えでは、精神の健康を特定の..

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