戊辰・会津戦争21 越後長岡・会津藩の戦い3
越後長岡・会津藩の戦い3会津古城研究会長石田明夫慶応4年(1868)5月19日『衝鋒隊戦記』によると、会津藩家老一瀬要人(かなめ)と旧幕府軍衝鋒(しようほう)隊の古屋佐久左衛門、ガトリング砲を操った長岡藩家老の河井継之助(つぎのすけ)ら僅か50人での奮戦もむなしく、西軍に長岡城は奪われました。6月2日、東軍は、新潟県見附市の今町の戦いで反転攻勢に出て、長岡城奪還作戦を開始します。なお、長岡城は、現在の長岡駅付近にあった平城で、遺構は戊辰戦争や第二次瀬下大戦の空襲で焼失したため残っていません。7月24日夕方『長岡藩戦争之記』によると、長岡藩は、西軍が攻めてこないと踏んでいた八丁沖の湿地を「深田沼川ノ中ヲ潜行シ」と進み、翌日長岡城を奪還したのです。この戦いで『河井継之助伝』によると、継之助は、腰掛けていたところを西...戊辰・会津戦争21越後長岡・会津藩の戦い3
2018/04/30 05:31