2024年4月11日大安の日に、私の著書、三冊目の本、「続・英語が出来ないおばさん海外移住アドベンチャー」が出版されました。(Amazon本で検索してください。オンライン販売のみです。)予約販売から待っていてくれた、レアな濃いある読者の方から、発送され日曜日に
英語が全くできないアラフィフのおばさんが、海外に移住することが出来るのか。
英語が全くできないのに、息子が海外の学校に合格したため、一緒に暮らすのに、それまでの生活から、海外に暮らすことにしたが、どうやって住居を決めたり、生活ができるようになったか。 そして1年の海外生活を終え戻ってきてからの日々の生活。
ここのところどうしたのか?本当にイベント続きのような日々である。身体が持たなくなってきた。特に着物を着ていったから、それこそ大変であった。いつもの3倍疲れるわりに、人から見られ、「涼しげですね。」などと声をかけられる。洋服より何枚も重ねてきており、帯で締め
ここのところ連続していろんなイベントが重なり続け、たまにおいしいものを食べるからいいのであって、こう連続して素晴らしい食事を食べ続けると、胃もたれがひどい。中高年になるとコース料理とか連続して食べるものではない。しかしまだ健康で食べられるから幸せである。
有難い事なのだが、コロナ禍でずっと家で自粛していた友人達もみんな動き出した。仕事も動き出すし、いろんなものが活発化し始めたのは、本当に喜ばしい事である。しかしお誘いが多すぎるのだ。しかしどれも断りたくないものばかり。ということで、行ってたらキリがなく忙し
旅行は楽しいのだが、帰国後の片付けが大変のである。帰りはまたシンガポール経由で帰ってきたが、安い空港会社でチケットをとったので、食事は出ないので買って食べたが、まず過ぎたので、何も食べずに水だけ飲んでいた。遅延してシドニー出発になったのだが、また遅延で時
電車で行き、そこからフェリーに乗り、またバスにのりタロンガ動物園についた。長男はスマホのグーグルマップを使いまくり案内してくれている。こんなコースは昔オプショナルツアーとか旅行会社に頼んだが、一人3万円コースかもなと考えていた。オパールカードと言うカード
長男の住んでいる家は、チャットウッドという町であった。都会で何でもそろっており高層ビルが立ち並び、駅にも歩いて行けるが、ちょっと一本入った道が閑静な住宅街になったその一角の家であった。そして相場よりは少し安かったらしい。(オーストラリアに住むにはとても高
次男が熱は無いのだが、咳がいつまで続き、声まで出なくなってきて、これ以上悪くなったら日本に帰るのに支障が出るといけないと思い、病院にかかることにした。海外旅行保険に成田空港でかけてきたので、そこに電話してみた。するとZoomでオンライン診察をするとのこと。オ
それはそれは大変なことである。前のページにも書いたが、日々の生活事態に高額がかかる。だからもちろん仕事をしないではいられない。仕事を得ると簡単に言うが、そんな簡単なものではない。日本でいたころより断然ワイルド感が出ている長男まるでおおかみのようだ。目付き
海外で生活するとは非常にかっこよさそうなのだが、本当に厳しいものなのだ。一瞬写真で見る限り、映像で見る限り、景色が綺麗で憧れるのだが、現実はそんな甘くない。仕事も大変だし、家の家賃も物価も、全て日本の倍以上の感覚だ。日本で200円で買えるカップヌードルが
目が覚めたら慣れ親しんだ日本ではなかった。そうだ。長男の住んでいるオーストラリアのシェアハウスの一室に、一人しか寝られないところに私と次男用のベットを入れて寝ていたんだ。まるで優雅とは程遠い。海外で生活するとは非常に厳しいものなのだ。一瞬写真で見る限り、
久しぶりだったのに、全くあっさりとした対面からスタート。そのまま駅から歩いていく。大都会であるが、小さな路地を入ると、閑静な住宅街があらわれた。そして素敵な一軒家がいくつも立ち並んでいる、その一角にあった。オレンジ色の屋根で白い壁。庭には、紫色の花が咲く
到着して思いだす。食事である。朝昼とろくなものを食べていない。しかしまたこってりとした食事や、ものすごい甘さのものを食べるのか。と思っただけで、食欲が減退。日本に馴染むと途端にこれである。食に関して相当うるさくなっている自分を発見。いろんな果物が切ったサ
そしていよいよシドニー行きの飛行機に乗った。トランジット12時間は結構きつい。無料のトランジットツアーとかに申し込めばいいのだが、わざわざ住民の乗る電車に乗るということをやりたがる性質で色々さがして疲れ切った。もう帰りたくなってきた。まっすぐ身体を伸ばし
ところがさすが格安チケット飛行機内で映画もないし、音楽もないし、食事もでない。車内販売があるので、食べたければ買うのである。カップラーメンが600円とか本当にばかばかしい金額であった。そしてシンガポールに到着した。ここから次に出発する飛行機の時間まで、1
さてさて長男の話をしよう。長男は大学を卒業後、大手不動産会社に就職した。それでバリバリ仕事をしていた。はっきり言って自慢ではないが、営業トップを駆け抜ける男であった。そして仕事をしながら、宅地建物取引士の資格を取得、次にファイナンシャルプランナーの資格1級
早く寝すぎて早く起きた。というか朝と言うより夜中だった。それで珍しく、録画しておいたテレビを観ることにした。そのなかに養老先生の日々の特集があった。東京大学名誉教授で、人間の体の解剖学者である。「バカの壁」という著書がベストセラーになり、その名を知られる
連休に遊びに行くと人ごみで混んでるだけなので、普段できない掃除などをしている。私の実家と主人の実家と、両方の家の庭の草刈り地獄である。世の中はすっかりコロナ禍前の状況に戻ってきた。みんな元気に動きだしている。その前は山梨の管理物件のまわりを草刈りしてきた
仕事をしていると、いろんな人と出会う。そこも面白いところである。若いということは、怖さをまだ知らない。チャレンジ精神が強い人は、どんどん行動に移していく。通常の人はできないと思うことを平気でやる人がいる。夢と度胸があるのだ。若い時の方がそういうことを考え
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2024年4月11日大安の日に、私の著書、三冊目の本、「続・英語が出来ないおばさん海外移住アドベンチャー」が出版されました。(Amazon本で検索してください。オンライン販売のみです。)予約販売から待っていてくれた、レアな濃いある読者の方から、発送され日曜日に
ここのところまたとんでもないことが起きていた。本当に想像すらしていなかったのだが、人生は意外にも想像を絶することは起きるものである。そんなわけで現実が忙しすぎたため、本の出版のことも忘れていたが、やっと確認してみたら、無事に3月末日出版予定まで進んでいた
「続・英語が出来ないおばさん海外移住アドベンチャー」の出版日ですが、2024年2月末出版には間に合いません。興味無しかもしれませんが、超レア人間の私のブログの、本の読者様にお知らせです。申し訳ありません。表紙に修正箇所があり、出版社より戻ってきてしまうた
フィジー旅行から帰って来ました。六年ぶりに行ったフィジーは、次々と相変らず色々なことがおこり、良い事悪い事全て含めて、素晴らしい体験の連続の日々でした。これまでに色々な旅行に行っていますが、こんなにありとあらゆる経験豊富な旅は無かったと思います。これこそ
夢のフィジーがとうとう明日となった。フィジーに行く旅行のため、日本の家と会社の業務、その期間の空白になる分をやり切っておこうと、ここのところとんでもなく忙しかった。まだ今日もその続きをやらなければ。あすまでかかってしまいそうで、こんなにギリギリまで仕事に
早朝から出勤し、急ぎで仕事をやり、その後、素晴らしい人たちばかり集まっている会合に行ってきた。食事会もそのあとあったが、そこもちょっといつもよりお高いお食事であったが、夜景の綺麗な場所だった。そこで出会った人がみんな社交的で温和で柔らかい人当たりなのに、
女性の社会での働き場は相当良い環境に進んできていると思っていた。表面上はそう見える。しかしそうではないのかも?と思うことがあった。その人は非常に綺麗な人で独身である。もうすぐ40歳過ぎくらいかもしれない。そのくらいまで独身で会社に勤めていると、あらゆる魔の
戦後日本人はガムシャラに働き、高度成長を遂げ、バブル期がきてはじけ、その後頑張るもリーマンショックで落ち込み、そこから30年近く物価も上がらず、給料も上がらない状態だった。給料は上がらなくても物価も上がってなかったのでやってこれたが、最近他国の戦争等で貿易
そうはいっても息子が一刻を惜しんで、充実させて生きている姿を垣間見れたのは、本当に幸せなことである。私の子育ては成功している。本当に頼もしい理想の息子に育った。オーストラリアで会えないのは残念極まりないが、しかし今はZoomという優れたものがあり、すぐに顔を
私がニヤニヤしていたのには、フィジーに行くことともう一つ理由があった。長男が今ワーキングホリデーでオーストラリアにいるのだが、一緒に車を買った友人は日本に帰国することにしたようだ。ファームの仕事は思った以上にきつく、日本で生まれ育った青年には厳しすぎるだ
最近どんなに疲れていても早く起きてしまいそのまま昼寝とかもしない。そんなに眠れないのである。しかしここのところ出張が頻繁でさすがに疲れていたようだ。自分でそれほど自覚していないのだが、いつものように休日だろうと関係なく早朝おきて、色々用事をやり朝食を食べ
物語はまたにして、また素晴らしい時間だったので、書き留めておこう。仕事の管理物件で大きな古い庄屋さんの家だった、古民家があるのだが、そこで飲食店を始めたいと言い出す人が現れた。その話は三か月ほど前に聞いていたのだが、その詳細プレゼンの日だった。他に大家さ
私はあることを長い間研究している。人間の健康寿命についてである。長く生きることはできるが、健康寿命となるとまだ未解決分野である。健康寿命だけではない。自分も周りもみんなが幸せになる人生の過ごし方を追求している。そのためには、最後まで人を悲しませず、しかも
今日から大掃除をやろうと決意したのに、もうできなかった。三日坊主にもならない。まずはとにかく行動と思って、タンスを開けて見たが、もしかしたら着る場合もあるから捨てるというわけにはいかないと考えだしたら、捨てるものが無かった。タオルも捨てたほうがよさそうな
連休の一日は、主人の実家の庭に主人と次男と一緒に、庭の草刈りに行った。前は一年に一度お手伝い程度に行ってたが、空き家になった今では年に3回やらないとジャングルになる。私の実家の家にある草刈り機を持っていく。私の実家の庭の草刈りもある。あっちもこっちも、や
連休である。出張も続いていたし疲れたので、ダラダラしようと思ったが、寝ていられない。お昼まで寝るとか、若いころは出来たが、そんなに寝ていられない体質になってしまった。どうせすごい人ごみだし家の中で、データがいっぱいになったスマホの写真の整理をしようと思っ
私の出張先の仕事は結構ハードなのだ。小さい会社はできることは自分で何でもやらないと続かない。贅沢三昧リッチな社長を気取ってはいられないのだ。そういう美しいエレガント社長ってテレビでみかけるが、そんな社長は今はちやほやされているが、本当に会社がいつまでもも
前にツタの絡まるカフェのことを書いただろうか。初めて見つけた一回目は人が多過ぎていて、入れないと断られ、二回目は1席空いてたので食事してまた三回目に入店した。ちょうど一人お客さんが帰るところで、その人が店から出たら私とオーナーと二人きりだった。と思ったら
私の若いころには考えられない事だったと思う。若いころ、20代の頃と言えば30年くらい前なのか。30年前ってすごい前である。知らない間にこんなに月日が経ったのだろう。そのころは山梨県も栃木県も日帰りの場所ではなかった。一泊していくようなちょっとした旅行先だ
いつもSNSを続けるべきか?と考えつつも細々とやめずに色々続けている。前にフィジーに住んだ時に繋がった外国の友人たちがいる。12月に6年ぶり?7年ぶりなのか?フィジーに行く。そんなに会っていなかったらもう忘れてしまうのが普通だろう。しかも外国人で外国に住んでい
この友人は難病になってしまったのだ。実は16年前から苦しんでいたらしい。ずっと人には言えず、何の病気かもわからないが、あきらかに今までとは違うためあちこちの病院に通っていたらしい。今になって、そんな話をしてくれた。そういうものだろう。苦しいさなかにいる時
恐ろしい夢を見て目が覚めた。ここのところ浮ついていたからかもしれない。海外に行くことばかり考えていたからだろう。今の落ち着いた安定した暮らしがいかに幸せかということにもっと感謝すべきである。人間はなぜか、次々と欲望が深い。手に入れるとまた次が欲しくなるの
これで楽しみが沢山出来た。それまで仕事に集中し、家族サービスにがんばろう。フィジーに行くのは12月。そんな先ではまたコロナがどうこうとかあるかもしれない。しかしもうチケットは購入済みでキャンセルできない。何かあれば捨てるしかないが、これが最後のチャンスな
今は本当に便利である。一度しかあったことがない人の連絡先がずっとわかる。フェイスブックはその人が、今なにをしてるかもわかる。(本人が状況をアップすればの話だが。)それで一回しかあったことないが、フィジーのナンディに住んでいて、そこで国際的な仕事をしている
そしてフィジーの友人に会ったことで、私はまたフィジー依存症になった。と同時におかしなメール返信がフィジーエアウエイから今更届いた。前にフィジーのキャンペーン格安往復チケットをとって、その間にフィジーからオーストラリアに飛んで息子に会おうと考えていた。その
なんとか落ち着かせたというのに、なぜこのタイミングで、よりによってフィジーから、友人が日本にやってきたのだ。そして私に会いたいと連絡してきた。また心はざわつき始めた。フィジー依存症が、ぶり返しそうである。しかし彼女と会うのは数年ぶりだ。しかも英語が出来な
せっかくのチャンスをミスミス逃すとは、本当に悔しい。ちょうどいいタイミングに昔からの友人が、数年ぶりに珍しく飲みに行こうと誘ってきた。素晴らしくグッドタイミングである。即行こうと約束し、大量に毒を吐いたので、なんとか自分に強いブレーキをかけられた。友人は
問題と言うのは、私のクレジットカードの有効期限が切れていたのである。それでワクワクしながら、飛行機の窓側とか選び、最後の最後まで進んだのに、予約が出来なかったのである。それで主人に「カードを貸して。あとで現金で返すから。」と言ったら、主人が激怒した。「な
そしてZoomですぐに相談が出来た。さすが日本の企業は早い。その旨を相談すると、調べてくれることになった。最低1週間は英語の授業を受ける必要があるとのこと。そりゃそうである。チケットだけとるわけもない。そういう会社ではない。語学学校である。直接やってもチケット
この広告を電車に乗ると最近あちこちで見かけるため、心がざわつきまくっている。こんな安く、しかも直行便でいけるのに、このチャンスに行かないなんてありえない。120パーセント行きたい。どちらにせよ長男がオーストラリアにいるから、オーストラリアには一度行こうと
私は昨年、最後のあがきで、一つの小さな助成金を申請していた。とても少額で何の足しにもならないが、先生たちの交通費の足し位になるかなと考えた。助成金の申請は初めてやってみたので、普通の企業の感覚と違うので結構戸惑った。それを申請していたが、昨年の12月に提出
前の記事の続き他にもいろいろな場所はあるのに、なぜかうちにこだわる人だった。しかしこの時完全に賃貸借契約終了し、既にカルチャースクールは辞めることになっていた。20年近くやってきたものをやめる決心をして、次のステージへの準備完了した途端に、この人がやって
また新しい人との出会いがあった。私は不動産業とカルチャースクール事業をやってきたのだが、カルチャーの時代は終わったと考え、辞めようと思ったのだ。20年近くもやってきたことをやめる決断と言うのは非常に難しいものである。本業の不動産業の方で食べていけるから、
多様性を受け入れるということは、性別云々とかの大きなことよりも,もっと身近に小さな価値観の違いにより、問題衝突はよくあることである。何を大切にしているかというところで、それぞれの生活の動きが違う。それなのに、いまだに自分と違うことをしている人は、ダメだとい
私はある意味ずっと都会育ちなのだが、運よく幼いころは私の家の周りには豊かな自然で囲まれていた。今は無くなった川があり、田んぼがあり、山があった。今では川は道路になり、田んぼには家やマンションが建ち、山も切り崩され住宅地になった。しかし本当に運よく、幼いと
冒険すること、旅行に行くこと、勉強することは、同じなのだと思った。知らなかったことを知りたいのである。知りたいから行動したのだ。そしてたくさんのことを体験する。それが生きているということだったのだ。出来なかったことや、知らないことを何らかの方法で出来るよ
週末二日連続、大学の試験日であった。試験日なのに大した緊張感もなく、やれるだけやればいいという状況で望んでいた。若いころのような気合が入らない。入れたいのだが、眠気に勝てない。というわけでそんな感じで臨んだ割に、上っ面しか勉強していない割に、なぜか人生教
昨日3月31日は主人の永年勤続の退職日であった。私はこの日にあったマンションの退去立会日を、プライベートで申し訳ないが断り、無理を言って日程変更してもらい、この日は午前中だけ仕事して家に帰った。自宅での食事作りや室内のデコレーションの為である。主人は永年勤続
ここのところずっと仕事で山梨に泊まりでいた。3月は退去する人と、引っ越してくる人で、別れと出会いの時である。大学のそばのワンルームの退去立会もいくつもあった。大学を無事に卒業し、就職でまたは実家に戻る等、それぞれの旅立ちである。部屋をあとにするとき、懐か
私の母は、非常にアクティブで若いころは色々しでかす人であった。しかし80歳を超えてから、かなりおとなしくなったというか、普通の人になった。とはいえ、最近ある体操教室の先生の資格を取ったらしい。(私の妹と一緒に)妹が母の近くに暮らしている。そのため妹は色々