正しく問う、泥臭く応える

正しく問う、泥臭く応える

物事を考えるに辺り、 正しく問うことがなにより重要だ。 根本的な前提として、生きることの 善悪は我々には判断できない領域にある ことを知らねばならない。 こういう状態なら善、こうなら悪と 決めることは出来ない。 唯一できるとすれば、主観的な意見を持つ ことだけである。そしてそれは、 人類全般に共通するものでもないし 多数決で決まるものでもない。 単なる好みである。 生きることの善悪については、正解を 知るよしもないが問うことはできる。 むしろ問うことだけが、生を意義 あるものにする。 (なお、意味はかたち伴って存在する) ただ残念なことに、生を問うことが できている人は本当に少ない。 主観的な…