ブログみるアプリ
日本中の好きなブログをすばやく見られます
無料ダウンロード
ブログ村とはIDが異なります
メインカテゴリーを選択しなおす
フォロー
第92話【天文二年(1533)】
第92話【天文二年(1533)】 【徳寿丸の誕生】郡山城内で、元就と妙玖夫人の三男として徳寿丸が誕生した。隆元より11歳、次男元春より4歳下である。 【熊谷信直の加入 下部横川合戦】 3月、尼子派の安芸武田家は、元繁の討死により、嫡男の光和が継
2024/11/17 23:18
第91話【天文元年(享禄五)(1532)】
第91話【天文元年(享禄五)(1532)】 【互いの利害関係の調停を要請した家臣団の連署起請文】 家督を継いだ義隆も、独占した日明貿易を通じて国力を強化。各地に軍勢を派遣して分国の維持・拡大に努めた。 まず豊前・豊後・筑前・筑後で大友義鑑と、肥前・筑
2024/11/16 14:59
第90話【享禄四年(1531)】
第90話【享禄四年(1531)】【石見国人衆・出羽氏の加入】2月、元就は、高橋氏を滅亡させて手に入れた出羽の領地の内、出羽450貫は元来、二ツ山城主出羽祐盛のものであったから石見国人衆の出羽祐盛に返還し、祐盛は毛利氏の与力となることを誓約する起請文を提
2024/11/08 10:29
第89話【享禄三年(1530)】
第89話【享禄三年(1530)】【塩冶興久の乱 前編】3月8日元々出雲の強豪国人衆塩冶氏は貞慶の代に至って一族内に紛争が起こったらしい。経久はそこにつけ入って、貞慶を追い出し、代わって自分の三男興久を養子に送り込んで塩冶氏を乗っ取っとり、出雲平野の獲
2024/11/08 10:27
第88話【享禄二年(1529)】
第88話【享禄二年(1529)】【石見高橋氏の滅亡 前編】元就は、毛利領のすぐ北方に蟠踞する高橋氏攻略を目論んでいた。この一族は、この地方に一大勢力を有していて、元就の多治比時代から、忌まわしき存在であった。毛利幸松丸の外戚として専権を振るい、尼子家に
2024/11/08 10:24
第87話【享禄元(大永八)年(1528)】
第87話【享禄元(大永八)年(1528)】 【大内義興の死】 7月、大内義興が重病になり大内軍は備後から撤退。8月20日、年号を「享禄」と改元。 10月、大内家に服属した元就は、家臣の井上新三郎を人質として山口に送り、嫡男の少輔太郎を差し出すことを
2024/11/08 10:23
第86話【大永七年(1527)】
【安芸諸城の降伏】3月18日、毛利軍は、大内軍の安芸進出に強力し、大内・毛利連合軍は尼子方に寝返った阿曽沼氏を攻めるため、陶興房は、元就と共に広島湾東岸の瀬野川河口に蟠踞する阿曽沼氏の本拠地安芸鳥籠山城を攻め、新城も攻めたことにより、阿曽沼家重臣野村氏
2024/11/01 23:44
第85話【大永六年(1526)】
【備後和泉氏の降伏】 尼子家の侵攻に対して大内家も勢力挽回を策し、義隆は元就に備後の攻略を命じた。元就はまず備後の和泉氏に目を向けた。 備後の和泉氏の出自は明らかでないが『芸藩通志』によれば、初代信正(久勝)、信行、久正の三代の在所として黒岩城が記さ
2024/11/01 23:42
第84話【大永五年(1525)】
【大内家の再従属①】 この頃、元就は盛んに尼子領に間者を送り込んでいた。その結果、尼子家の実権が、経久から孫の晴久に移りつつあることが明らかになった。経久はすでに67歳、嫡子の政久が戦死し、孫の晴久が後継者となっている。 経久は元就の資質を警戒して、
2024/11/01 23:33
2024年11月 (1件〜100件)
「ブログリーダー」を活用して、佐近下野守さんをフォローしませんか?