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【元就と宗教】
【元就と宗教】元々、毛利家は代々臨済宗で、菩提寺は安芸吉田の興禅寺である。当時、興禅寺村が置かれ、寺領を与え保護している。興禅寺は後に広島に移り、安芸吉田の興禅寺跡は現在、郡山公園になっている。 しかし、元就は、必ずしも宗派にこだわっていなかった。元就
2024/02/25 23:50
第48話【元就の人間学】
【元就の人間学】 元就が隆元に語った自身の生立ちによると、元就は5歳で母に、父には10歳で死別、14歳の兄興元も京に出陣中だったのでまったくの孤児同然となった。これを不憫に思い、元就のために若き身をかえりみず再婚を断念し、貞女をとげた父の後室大方殿に
2024/02/24 23:15
第47話【義母杉大方の教育】
【義母杉大方の教育】 いずれにしても、松寿丸は貴公子然とした穏やかな顔をしていた。そんな松寿丸が急に武芸に身を入れ始めたのは、多治比を横領した井上元盛が死んで、猿掛城に復帰して間もなくのことである。継母の杉の大方は、松寿丸から武芸を取り上げていた弘元の
2024/02/24 23:14
第46話【逸話「少年の大志」】
【逸話「少年の大志」】 松寿丸は猿掛城に戻ってから間もない頃、初めて家来数名をつれて厳島神社に参詣した。帰城してから伴をした者に、「そちは厳島の神に何を祈ったか」と問うた。家臣は、「若君が安芸の太守になられるよう祈りました」と答えた。それに対し
2024/02/24 23:13
第45話【井上元盛横領事件】
【井上元盛横領事件】松寿丸はそのまま多治比猿掛城に住むが、兄がいうように気楽な身ではない。元就の述懐によれば、収入も、ろくに手にすることができなかったという。父の死後まもなく、あわよくば毛利の所領を乗っ取ろうという魂胆のあった家臣の井上元盛(惣領井上
2024/02/24 23:11
第44話【父弘元の死】
【父弘元の死】永正三年(1506)1月21日、松寿丸10歳のときに、綱渡り外交を続けながらも、どうにか毛利氏を潰さなかった、父弘元が、その心労と酒害により多治比猿掛城内で死去。享年39歳。酒の飲み過ぎが原因と伝えられている。大国との狭間での日々の苦悩
2024/02/24 23:10
第43話【安芸の特産品】
【安芸の特産品】安芸は古くから木材の産地であり、安芸榑は特産品として需要が多かった。小瀬川、太田川、沼田川、そして芦田川など、芸備両国内の河川の河口は、上流からの物資の集積地であり、商人らも集住し、地域の流通経済と内海水運との接点として機能した。領主は
2024/02/15 23:00
第42話【毛利の君臣関係】
【毛利の君臣関係】毛利の君臣関係は、江戸時代のような関係ではなく、安芸の郡山城を中心に元就は領地を持っているが、家臣たちも大小様々の領地を持っている。その中で有力なのは親類衆(庶家)で、かなり以前に毛利本家から分かれた、坂、有富、麻原、中馬、福原がそ
2024/02/15 22:58
第41話【酒の戒め】
【酒の戒め】 元就の記憶にある父弘元は、いつも酒を飲んでいた。「よほど、うまいものらしい」 で、7、8歳の頃、こっそり盗み飲みしようとして、杉の大方に見つかり、「そなたも死にたいのですか」 こっぴどく叱られたことがある。 母が亡くなって以来、
2024/02/13 23:07
第40話【「裁断」(狐の罪も許さず)】
【「裁断」(狐の罪も許さず)】 次に「裁断」と題して、「松寿丸が7歳になったとき、白い鶏を愛好し飼育していたが、ある夜、忽然として消え失せた。明くる日、驚いて所々を探し回ったところ、庭の築山のあたりにその鶏の羽が散らばっており、近くの築山に狐の穴があ
第39話【「寛容」】
【「寛容」】 松寿丸時代の逸話として、岡谷繁実の『名将言行録』によると、「寛容」と題して、「元就は幼名を少輔次郎といった。その傅(守役)が、あるとき松寿丸を抱いて多治比川を渡っていたとき、誤って石に躓いて倒れ、松寿丸を水中に落として溺れさせた。守役は
2024/02/13 23:06
第38話【杉の大方について】
【杉の大方について】 生母福原氏に代わって松寿丸の養育に努めたのは、杉の大方と呼ばれる高橋氏である。松寿丸の実質的な母親は、この杉の大方であった。 杉の大方は弘元の側室であったが、「弘元子女系譜書」にいう御袋腹ではない。元就は弘治四年(1558)8月
2024/02/13 23:05
2024年2月 (1件〜100件)
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