1937年(昭和12年)41歳の久子は東京日比谷公会堂でヘレン・ケラーと出会う。
久子は口で作った人形を日本人形を贈った。 ヘレンは久子を抱きしめると、「私を世界の人たちは奇跡の人というけれど、あなたこそ真の奇跡の人です」と言った。 私以上に大変な障害お抱えながら、挫けることなく、明るく、強く生きている久子を「私より不幸な人、私より偉大な人」と賞賛した。 母親の躾のあまりの厳しさに、恨みこそすれ感謝の気持ちなど抱いたことのなかった久子は、この時はじめてめて泣いた。 恨みつずけて厳しい母・あやの深い愛に気付いた。 「中村久子」名言 「どんな所にも、生かされて、行く道がございます」 「無手無足」は私が仏様から賜った,身体です。この身体があることで。私は生かされている喜びと尊さを…
2024/05/30 06:00